2008/9/19 | 文部科学省のいじめに対する方針について、私が問題だと思うところ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● 2006/11/17 伊吹文部科学相の子どもたちに向けての「緊急メッセージ」について。 2006/11/6 文部科学相あてに自殺予告の手紙が届き、その後、同様の手紙が続いた。 それに対して、当時の伊吹文部科学相がいじめられている子どもたちに向けて、「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。」と呼びかけている。 また当時、「いじめられている子はそのことを言いたがらないから、いじめが発見できない、自殺のサインがわからない」だから、いじめを解決することができないと、何度も繰り返していた。 しかし現実は、2006年にいじめ自殺として取り上げられた事件の多くで、教師はいじめを知っていた。親もまた、学校に相談していた。 2006年だけでなく、自殺まで至るいじめ事件では、大多数の子どもたちは切羽つまって、親や教師に相談していた。 しかし、その結果、取り合ってもらえなかったり、お前にも悪いところがあるとかえって責められたり、軽く口頭で注意するだけで、問題解決にならないどころか、チクったとしてエスカレートする。だからこそ、死に追い詰められているのだ。 自殺予告の手紙にも、そのことは書かれていた。 「親を通じて校長や教育委員にも相談したが何も変わっていない、自殺をすることでいじめた友人、何もしなかった教師、校長、教育委員についても責任を取らせて欲しい」と書いていたはずだ。 いじめ自殺は、子どもたちが言わないから手の打ちようがなかったのではなく、相談しても、教師たちにいじめ問題を解決する力がないから、絶望して死に追い詰められたのだ。 たとえ子どもたちが言いたがらないとしても、大人に相談すれば解決できると実感できれば、話してくれるようになるだろう。 力を注ぐべきは、相談されたときにきちんといじめられた子ども側にたって話しを聞ける感受性と、具体的にいじめを解決できる問題解決力を教師たちが身につけることだと思う。 しかし、その現実を見ようとはせず、その後の文科省の対策も相変わらず、全国にいじめ相談電話を開設するなど、いじめの発見にばかり目を向けようとしている。今また、自殺の前兆を発見することを対策の中心に据えようとしている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● 1999年から7年間、いじめ自殺ゼロの再調査について。 @ なぜ、1999年からなのか? 私たちが出した文科省への質問書(2007/10/16)に、「9.いじめ自殺の調査について」「再調査の期間を99年度以降の7年度間とした根拠をお示しください。」「私どもは再調査の期間については、少なくとも86年の鹿川君自殺事件以降の再調査が必要であると考えていますが、貴職の考えをお示しください。」とある。 文科省の回答は、「昨年11月に実施し本年1月に公表したいじめ自殺の調査は、国会審議等で指摘された、『いじめによる自殺がゼロ』とされていた平成11年度から17年度の期間における幾つかの事例について、教育委員会等における当時の把握状況や現在の認識等について検証したものであり、今後、更に遡って調査を実施することは考えておりません。個々の自殺事案の再調査については、事案の状況に応じ、各教育委員会や学校において判断すべきことであると考えます。」だった。 文科省は1999年からを調査したが実は、1998年は私が調べただけでも15件もの「自殺が原因では」と報道された事件がある(子どもに関する事件・事故 1参照)。一方で、この年のいじめ自殺と認定されたのは中学生1件のみ。 しかし、この年はXjapanのhideが自殺し、多くの若者が後追い自殺したことから、警察庁調べの19歳以下の若者の自殺が、前年度469人から一気に720人にまで膨れ上がったことも大して問題にされなかった。 (もっとも、この年から大人を中心とした日本人の年間自殺者が3万人を超えるようになったので、大人の自殺と子どもの自殺との間にも何らかの相関関係や同じ社会背景があるのではないかと思っている) 世間一般では、2006年からのいじめ自殺が、「第三のピーク」とされているが、本当のピークは1998年だった。 この時は、「いじめ自殺」という形で、マスコミが騒ぐことはなかったので、文科省は何らいじめ対策を講じていない。 A 再調査の方法と結果について 再調査は極めて短期間に行われ、当時の判断とその根拠になったもの、現時点の判断とその根拠になる考え方を各教育委員会に問うものだった。
文科省は、再調査しなければならなくなったことの反省点として、「これまでの調査は、自殺の主たる理由についてであって、いじめの有無は調査していなかった。」ことをあげ、「これからは自殺した生徒へのいじめの有無を含めた状況について調査する」という。 B 再調査の結果から私が感じた問題点 しかし、本当に問題点はこれだけだろうか。 ・「自殺の背景にいじめがあったのでは」と言われた40事例のうち、3件しか「いじめが主因」とは認められなかったのはなぜか。事実を調査する方法やいじめ自殺の認定基準に問題はなかったのか、検証すべきではないか。 原因分析ができるような再調査の内容でなければならなかったのではないか。 ・学校が情報を出さないために裁判で敗訴している(000726)にもかかわらず、裁判で「いじめが原因の自殺と認定されなかった」ことを理由に「いじめ自殺ではない」と結論づけられる矛盾についてどう考えるのか。 また、裁判の結果、加害者が謝罪したり、いじめがあったと認定されたり、いじめが自殺の原因だと認められた場合に、文科省の統計が訂正されないのはなぜか。 ・個人情報保護法は、情報を出さないことばかりに使われるが、「個人がその情報を自分でコントロールできること」「正しい情報に訂正する権利」が元々の目的ではなかったか。 情報が正しくあがっているかどうかの判断材料さえ与えられず、わが子の情報を隠され、親の認識とまるで違う内容が文科省の統計という公の場に収集されながら、その情報に対するコントロール権が当事者である遺族にない。 ・当時、いじめが主因と訂正されながら、文科省への報告がなされていなかった1999年10月15日の大阪府堺市の市立商業高校での女子生徒の自殺(991015参照)、事件発覚からいじめ自殺認定まで1年以上を有し、隠蔽が問題となった北海道滝川市の小学校女児の自殺、これまで原因が不明としながら、情報公開の対象にさえされなかった当時の担当者のメモをもとに、遺族にも内緒で「いじめを自殺の一因」と訂正された埼玉県蕨市の女子中学生の事件(040603参照)。これらはなぜ、認識が変わったのか。「報告を忘れていました」で片付けてよい問題ではないと思う。 ・当時の調査と再調査について、遺族にどの程度の情報が開示されて、納得は得られたのか。納得が得られなかったとしたらなぜか?なぜ、自分の子どもの自殺は「いじめ自殺に当たらない」と判断されたのか、親なら当然、その全ての書類に目を通して、その判断が正しいかどうか、自分の目で確かめたいと思うだろう。 ・いじめがあると認められながら、それが主因か、一因か、自殺には関係ないと判断されるかの違いはどこにあるのか。 遺書の有無なのか、報道の大きさなのか、学校と遺族との和解条件なのか。 大人でも、いじめられたら、生活全てがいじめ一色に塗りつぶされてしまう。私自身は、いじめがあって自殺をしたのであれば、格別に他の要因が考えられない限り、「いじめ自殺」と考えるほうが妥当だと思う。 まして、遺書に「いじめ」に関することが書かれているなら、被害者の受け止め方を最重視するのであれば、当然、「いじめ自殺」と認めるべきだと思う。 警察庁の自殺理由は「遺書」をかなり重視している。家族の証言も重視している。なぜ、子どもの場合、遺書や家族の証言が軽視されてしまうのだろう。 ・データの元になっている事故報告書の内容は正しいのか? 私たちの質問で、「1.事故報告書について 学校が提出する事故報告書の報告事項と、被害者やその遺族の主張とが大きく食い違っている、または、報告内容そのものが捏造を疑わせるほど内容がまるで違うという事態が多く起きている」との指摘に、文科省は「その内容について保護者のお考えと一致しない場合もあることは承知しております」程度の認識でしかない。 むしろほとんとが一致していないのではないか。情報公開でとった事故報告書に、遺書の存在など大切なことが書かれていなかったり、被害者や遺族が言ってもいないことが書かれていたり、全く別の生徒が間違えて加害者として名前が挙げられていたことが、たくさんある。 だからこそ、私たちは「知る権利」の提案のなかで、「事故報告書には必ず、遺族を含めた当事者の意見を併記するよう、新たな事故報告書のフォーマットを作成してください」と入れているが、これさえ検討してもらえない。 ・41件の報告が正確ではなかったという調査結果が出ながら、それ以前の調査に遡って調査しようとしないのはなぜか? 年金問題でも、1つの問題発覚から、次々と明らかになった。1つ問題があるとわかったら、徹底究明していくべきではないのか。なぜ、その期間の訂正のみで終わらせてしまうのか。 ・今回の再調査で、初期の調査がいかに大事か、あとから正しい情報を得ようとしても、難しいことがわかる。 今回も、当時の調査書類がすでに廃棄されているところもあった。子どもの死という重大事に関する情報が精査されたり教訓として生かされることなく、捨てられている。 ・大河内清輝くんの自殺を受けて、1995年12月当時、文部科学省の特殊法人・国立教育会館のいじめ問題対策情報センター (http://www.nier.go.jp/homepage/jouhou/jouhou.htm ここと同じかは不明)が、全国のいじめデータベースを蓄積することになった。しかし、教育委員会や相談機関のみ接続可能で一般は非公開。 ここに、どれだけの予算が注がれているかわからないが、いじめのなかでも、もっとも重要案件であるはずの、いじめが原因と思われる自殺について、どれだけの情報が蓄積されているのか。 1998年の15件、そしてその後、毎年のようにいじめが原因と報道されながら、「いじめ自殺」の統計にあがってこないことについて、文部科学省管轄のこの機関はどのうな報告または提言をしてきたのか。 天下りがもっとも多いという指摘のあった文科省の、まさか天下り先としてのみ予算がつけられた団体ではないと信じたいが。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●2006年度の反省と新たな対策について 文科省は、 「いじめ・自殺問題への取組について」のなかで、 http://211.120.54.153/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/shiryo2/07102502/001.pdf 北海道滝川市の自殺、福岡県筑前町の自殺について例示して、 ・いじめの早期・発見・早期対応に課題があった ・自殺後の教育委員会等の対応が不適切だった ・教職員において不適切な言動があった と反省点をあげている。 しかし、今後の「いじめ対応」のなかで、自殺後の対応を是正するための具体策については何ら触れられていない。 また、「いじめや自殺等の問題行動につき、実態を適切に把握できていないという指摘」は、大河内清輝くんの自殺が問題になった翌年の1995年12月15日付けの毎日新聞夕刊(月刊「子ども論」1996年2月号/クレヨンハウス)に、 「いじめの定義を変え、『実態により近づいた』と文部省は自賛するが、刑事事件になるなど明白な裏づけがないといじめ自殺にカウントされにくい、統計上の矛盾が浮き彫りになった」「文部科学省の加茂川幸夫中学校課長は今回『(自殺の)主たる理由を一つ』と限定したことについて、『調査方法を見直す余地もあるかもしれない』と話している。」と書いている。 さらに「また、各都道府県私立学校担当部局、国立大学付属学校も対象に広げ、教育委員会や学校の取り組み内容を総点検して同省に提出するよう求めた」 「いじめ解消状況にも問題がある。いじめ自殺が後を絶たない中学校で、前年度より倍増した約2万6千8百件のいじめに関し、「解消した」との回答が90.3%と、前年度の87.1%より数字の上ではアップした」 「いじめ解消が『緊急課題』なら、各都道府県教委で集計したデータを一刻も早く生かすよう促すべきだろう。文部省には調査が現場に負担をかけるだけに終わらせない姿勢と、現場教職員に児童・生徒と触れ合う時間を増やす施策の実行を期待したい」 (社会部・城島徹)とある。 10年前にすでに指摘されたことが、その間、なんら有効な手立てをうたれることなく、ずるずるやってきた。 この10年、国は何をしていたのだろう。 2007年になってようやく、主たる原因が一つに限定されなくなり、国立、私立も統計に組み込まれることになった。 しかし、いじめ解消状況を高確率で「解決した」と書かなければ減点される仕組みやせっかくの調査データが生かされるような仕組みは今だない。 今また、報道が下火になると、指摘された問題点はいつの間にかあやふやにされ、当時と同じようになし崩しにされようとしている。 文部省は10前、子どもたちの死から、何も真摯に学ぼうとしなかった。その姿勢は今も変わらない。 ● 教育再生会議の緊急提言の問題 2006/11/29 首相直属の「教育再生会議」が「いじめ問題への緊急提言」をまとめた。 ・見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底指導 ・問題を起こす子どもへの指導・懲戒基準を明確化し、毅然と対応 ・いじめに関与、放置・助長した教員に懲戒処分適用 ・学校はいじめを隠さず、学校評議員などに報告など とあげている。 とくに今回、福岡筑前町のいじめに教師の言動が大きく影響していたことを受けて、「いじめに関与、放置・助長した教員に懲戒処分適用」とあるが、すでに1986年の鹿川裕史くんの事件のときに、何人もの教師が葬式ごっこの色紙にサインしていたことが問題になった。 しかも、「いじめに関与、放置・助長した教員に懲戒処分適用」としながら、滝川で問題になったような、学校・教育委員会の隠蔽に対しては、2006/10/19に、各都道府県・指定都市教育委員会の担当者を集め、問題を隠すことなく迅速に対応するよう、取組の徹底を求めただけで、具体的なペナルティは課せられない。 「隠すな」「隠すな」と言いつつ、隠したものに実害はなく、いじめに関与、放置・助長した教員にのみ、処分が適用される。当然、教師はこれまで以上に、必死にいじめを隠すようになるだろう。 いじめはどこにでもある。だから私たちが求めているのは、いじめが起きたことや解決できなかったことにペナルティを課すのでなく、むしろ、隠すことにいちばん大きなペナルティを課して欲しいということだ。 また、「学校はいじめを隠さず」とありながら、その報告先に「学校評議員」しか具体的にあがっていないのはなぜだろうか。「学校評議員」以前に、当事者である被害者の親や加害者の親、その他の保護者に情報を開示するべきではないか。 ● 2007/1/18 教育再生会議の7つの提言について。 ・「ゆとり教育」見直し(公立学校の授業時間を10%増) ・いじめや暴力を繰り返す子どもに出席停止制度を活用 ・体罰の範囲」を見直す ・教員免許更新制導入 ・第三者機関による学校、教育委員会の外部評価実施 ・市町村教委に教職員人事権を移譲。小規模市町村の教委を原則統廃合 ・民間人の教員登用。社会人経験者など採用教員の多様化・高校で奉仕活動を必修化 5つの緊急対応 ・「ゆとり教育」の見直し ・教員免許更新制導入 ・学校の責任体制の確立等 ・反社会的行動をとる子供に対する毅然たる指導のための法令、通知等の見直し いじめ問題とは関係なく、それまでの「ゆとり」を見直し、学力中心主義に持って生きたい思惑が見え見えだ。 教師や児童生徒に対して、管理強化ばかりが目立つ。 大河内清輝くんの自殺後の反省、「現場教職員に児童・生徒と触れ合う時間を増やす施策」とはまるで逆行している。 児童生徒や教職員を追い込むことで、いじめを助長したり、教師がいじめに向き合う時間がますます減らされることを懸念する。 子どもたちにとって、安心・安全な環境でなければ、学力など身に付くはずもないと思うのだが。 厳罰化の危険性 学校はいじめた児童生徒の指導ができない・していないにもかかわらず、やれることをまだやってもいないうちからいきなり、体罰の範囲を見直したり、出席停止制度を活用、反社会的行動をとる子供に対する毅然たる指導のための法令、通知等の見直しをしようという。 学校・教師がいじめの事実をきちんと確認するノウハウも持たないなかで、公平性や客観性がはたして担保されるだろうか。 また、私が調べた限り、いじめの加害者はなんらかの暴力の被害者であることが多い。 親からのネグレクトを含めた虐待、過度の期待、部活動での顧問や先輩からの暴力。 暴力に傷ついて、その空白部分を暴力で埋めようとしている子どもたちに、別の形の暴力を加えて、はたして真の反省は生まれるだろうか。 いじめの加害者の現実を調査分析することなく、海外で行っている「ゼロ・トレランス(寛容ゼロ)」をモデルにしようとしている。 (後述するいしめ問題に対する取組事例集http://www.nier.go.jp/shido/centerhp/ijime-07/index00.htm でも、ゼロ・トレランスを実践している学校の事例をあげている) (私は個人的に、アメリカでもこのゼロ・トレランスがうまく機能しているとは思えない。本当に効力があるのであれば、処分を受ける子どもたちは年々減っていくはずだが、やればやるほど増えている。銃による復讐もあとを絶たない。学校を追い出された子どもたちが更生しているとも思えない。むしろ将来の希望を絶たれて自暴自棄になる。逆効果ではないかと思っている) 正しい現実把握なしに、間違った対策をとることで、より問題を深刻化させてしまうのではないかと危機感を覚える。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● 2006(平成18)年度のいじめ調査から見えてくる問題点 1995/12/15 「いじめの問題への取組の徹底等について」の文部省初等中等教育局長通知のなかで、 「いじめの問題を学校のみで解決しようとせず、いじめを発見した場合は、速やかにいじめている児童生徒、いじめられている児童生徒双方の家庭にいじめの実態や経緯等について連絡し、双方の家庭の協力を求めるとともに、適宜、PTA等にもいじめの状況や学校としての取組状況について報告し協力を求めるなど、家庭との十分な連携を図ること」と書いている。 1996年の調査研究協力者会議等の提言のなかでも、保護者への情報提供はうたわれ、「いじめの問題の解決に当たって,家庭の果たす役割は極めて重要である」と書かれている。 にもかかわらず現状は、2006(平成18)年度のいじめ調査 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/11/07110710/001/002.pdf では、 (2−7)いじめる児童生徒への対応 (2−8) いじめられた児童生徒への対応 (2−9)個々のいじめへの対応 を見ると、 学級担任や他の教職員がいじめられている児童生徒に状況を聞くは公立学校で90.4%あり、 学級担任や他の教職員がいじめている児童生徒に状況を聞くは公立学校で85.2%。 しかし、いじめた児童生徒の保護者への報告は公立学校で49.5%と半分にしかすぎず、 いじめられた児童生徒の保護者への報告は複数回答にもかかわらず、項目さえ挙げられていない。 このことは、いじめられた児童生徒の保護者への報告は100%当たり前と信じられているのか、その他にしか入らない程度のパーセンテージなのか、いじめられている児童生徒の保護者への報告が重要視されていないことの表れではないだろうか。 そして、いじめた児童生徒に、いじめられた児童生徒やその保護者に対する謝罪の指導は37.0%しかない。 形ばかり謝罪ならしないほうがよいと考えるひともいるだろうが、たとえ形ばかりの謝罪であっても加害者のいじめ抑止や反省に効果があったという研究結果もある。(今すぐには、何で読んだか出てこないが) 大人になって企業や政治家が不祥事を起こしても、まともに謝ることさえできないのは、日本の教育の賜物かもしれまない。 そして、個々のいじめへの対応になると、ほとんどの項目で40%を割り込む。 すなわち、いじめの訴えがあったとき、それぞれの生徒の言い分は一応きくものの、関わった児童生徒の保護者に報告したり、学校全体にいじめ事件を報告したり、個別、全体に指導することがほとんどない。 にも関わらず、いじめが80%は解消していることになっている。 いじめの定義を変えたり、統計も発生件数から認知件数に改めたからなのか、それまでの2005(平成17)年度のいじめ調査と比較すると
平成17年度までは毎年のように発生したいじめのうち90%前後が年度内に解消しているたのが、平成18年度80%にいきなり落ちた。そして、解決策としての学校変更が倍増している。 それ以外にも、それまでの調査と大きく変わったり、文言が変わったことで、それまでとは比較対照できなくなった項目もたくさんあった。より、実態把握に努めているということならよいが。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● 「いじめ対策Q&A」や「解決事例集」で、具体的に触れられない自殺後の対応と情報共有の方法 初等中等教育局長通知「いじめの問題への取組の徹底について」のなかでも、「今回のような事件を二度と繰り返さないためにも、学校教育に携わるすべての関係者一人ひとりが、改めてこの問題の重大性を認識し、いじめの兆候をいち早く把握して、迅速に対応する必要があります。また、いじめの問題が生じたときは、その問題を隠さず、学校・教育委員会と家庭・地域が連携して、対処していくべきものと考えます」と書いている。 しかし、学校・教育委員会は、どのように調査し、当事者(被害者・加害者・その保護者)と情報を共有すべきか、明確にされていない。 文部科学省 いじめ対策Q&A (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/toushin/07030123/001.pdf) では、生きている子どもに関しては、様々な事例とともに、被害者や保護者の声に耳を傾けること、事実確認の作業をすることの大切さを盛んに言ってい書いている。 P5 「いじめの初期対応」の確認ポイントで、 「最初の対応が不適切であると、子どもが大人への不信感を増したり、話さなくなったり、追い詰められたり、いじめがより深刻になったり、潜伏したりする危険性があります。“適切な対応とは何か”について、絶えず意識し、タイミングを逃さず対応できるように体制を整えておきましょう。 P8 「保護者からいじめの訴えがあったとき」 「保護者は学校以外の場面での子どもの状態を把握しています。教員は学校で接している子どもの様子に惑わされないように聴きます。」「保護者と学校で情報をすりあわせ、事実の確認作業をすることが大切です」 「情報収集」 「子どもたちに事実関係の確認を行います。具体的には、教師やSCが分担して個別に聞き取りを行ったり、必要があれば、全体に無記名のアンケートを行ったりします」 P12 いじめた子どもへの対応 「どうしてそんなことをしたくなったのか」「振り返ってみて、何が起こったのか語れるかどうか」、問いかけてみましょう。まずは、本人の言い分を充分に聴き取ることが第一です。そして、その子どもたちの気持ちや背景を充分理解した上で、「理由はどうあれ、その行為自体は許されないことである」こと、その行為の結果に「どう責任を取れば良いかを一緒に考える」よう促しましょう。 行為自体をなかなか認めない場合は、「残念ながら事実を積み重ねるとあなたが加害側であると判断せざるを得ない」「被害者の言い分や周囲の客観的な情報とあなたの認識が食い違っているのはなぜだろう?」などと問いかけながら、事実に迫っていきましょう。 この時、保護者も否認したい気持ちになっていたり、他の保護者との関係で孤立感を深めていることがあります。子どもに対する場合と同様に、加害の事実を認める苦しさを理解し、他の保護者にも理解を求めて皆で子どもたちの育ちを支えていくことを提案しましょう。 加害者側の子どもが複数いる場合には、事実確認のための聴き取りは複数の教員で分担して迅速に行うことが必要です。 P15 自殺未遂が起きた場合 「その子どもや保護者と相談して、子どもが傷つかない方法できちんと説明をしましょう。曖昧なままで放置すると、噂はますます広がります。 どれも、もっともだと思われることが書いてある。 一方で、既遂者が出た場合になると途端に、被害者の保護者の声に耳を傾けることの危険性や、まるで自殺した子どもが加害者であるかのごとく、他の人たちも傷ついていることを強調、情報を限定的にすることを盛んに言うようになり、事実確認の大切さや情報を共有することの大切さ、加害者に指導することの必要性が言われなくなる。 P16 実際に既遂者が出てしまった場合 「あまりにも衝撃的な出来事があると、人は事実として受け入れることができず、否認・否定しようとしたり、誰かや何かに責任を全て押しつけて気持ちを安定させようとする傾向にあります。このことに気づいていないと、二次的被害を生むことになりますので注意しましょう。 二次被害を予防しましょう。子どもだけでなく、保護者や教師も動揺しています。関係者全てが大きく傷ついていることを自覚し、緊急対応の体制を取りましょう。 (緊急保護者会では) @はっきりわかっている事実で、子どものプライバシーに配慮して公にできるものに限定します。 A不明確なことやプライバシー及び人権保護上の問題が含まれるものに関しては話せないことを明言します。 D間違った噂が広からないように協力を求めます。 (マスコミ対策は) 二次被害の危険が大きい時は、子どもの安全確保のために報道を自粛してもらうよう依頼することも必要です。 まるで手のひらを返したように、加害者や他の子どものプライバシーや二次被害が最優先事項になり、加害者や傍観していた児童生徒を寛容をもって保護し、やったことを曖昧にしてしてもよいようなニュアンスを与える。 被害者が生きているときと、亡くなったときと、基本的には学校・教育委員会がとるべき方法は同じではないのだろうか。 どうして、こんなにも方向性が違ってしまうのかと思う。 いしめ問題に対する取組事例集 http://www.nier.go.jp/shido/centerhp/ijime-07/index00.htm においても同様で、 P31 アンケート取組について 「いじめ問題の緊急アンケートは一定以上の効果があったと思われる。公表・実施しなければ表面化しなかった問題や学校の姿勢により申し出を決断した件も多かった」と評価している。 P93 「寛容の名のもとに曖昧な指導を行わない」「当たり前に行うべきことを当たり前として徹底して教えていく」とある。 一方で、子どもが自殺した場合のとるべき具体的な方法については、どこの学校でも起こりえる重大案件であるにもかかわらず、触れられていない。 そういう最も対応が難しい事例こそ、例示しなければならないことではないかと思うのだが、わざとあいまいにされているように思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● 2006年以降のいじめ自殺について 私は今回報道されいじめ自殺事件のなかで、 2006/11/12 大坂府富田林(とんだばやし)市の市立第一中学校の大川理恵さん(中1・12)が自殺事件での、事件発覚後の学校の対応は多少、評価できるかなと感じている。(まだ隠されている部分が多いかもしれないが、現時点で) 2007/11/15 「いじめ調査」で、「いじめ自殺」と判断。 2007/11/18 市教委と学校は、同学年154人全員を対象にしたアンケートと作文の内容を公表。 1年生を対象に無記名のアンケートでは、体形のことなどでからかわれていたのを知っていたとの答えが、半数近い65人に上った。作文では、「通せんぼをした」が5人、「大声をかけた」が4人、「バレーボールをぶつけた」3人、「きつい言葉を言った」3人の延べ15人が自ら加わったことを認めたという。そして、初七日の夜には、教師が引率して、同級生ら約30人が弔問に訪れたという。 文科省発表 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/11/07110710/001/006.pdf によれば、 2006年度に自殺した児童生徒のうち、いじめの問題があったとされるのは(複数回答)6人。 内訳は、中学校5人、高等学校1人。 複数回答が可能になったことで、一見、いじめが原因と認められやすくなったかのように思える。 しかし、本当にそうだろうか。2006年度の自殺でなぜ、いじめだと認められたかは、学校・教育委員会の努力というよりむしろ、マスコミが関心をもったことで、様々な事実が出てきやすかっただけではないか。 データ不足のものもあると思われるが、2007年12月を境に、また2006年以前と同じ、いじめを認めようとしない状況に戻りつつあるように思う。文科省・教育委員会・学校は世間の関心が薄れるのを待っている。
※「調査No.」とあるものは2006年12月の調査対象になった41件。 一方、「いじめがあった」と認められたとしても、北海道滝川の事件で、山口県下関の事件(050413)で、福岡県筑前町の事件で、では、具体的に誰が何をしたのかは、今だ遺族に明らかにされない。他の事件でも大なり小なり同じだと思う。 死ななければならなかった、他人の行為によって死に追い詰められた被害者の親の、わが子に具体的に何があったか知りたいという切実な思いより、いじめ行為をした児童生徒の、それを知っていて何もしなかった教師のプライバシーが優先される。 学校も、教育委員会も、法務局も知っていて、遺族だけが知らされない。誰が加害者なのか知らされず、謝罪さえ受けられない。いじめがあった。自殺の要因になった。そこまでたどり着くことが容易でなく、やっとスタート時点に立てたと思った途端、「あなたか知ることができるのはここまで」と終止符がうたれてしまう。 加害者たちがその後、どのように指導を受け、反省しているのかさえわからない。 事件が大きく報じられたときは、遺族宅に足を運んだ政治家たちも、その後の遺族の「知りたい」という思いに対しては、報道が下火になったからなのか、法律的にそれほど難しいことなのか、大して重要なことだと思っていないのか、進むべき方向を指し示してくれるひともない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● いじめ問題から自殺問題へのすり替えの懸念 児童生徒の自殺予防に向けた取組に対する調査研究 http://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/kekka/06091508/032.pdf の対象に、連鎖的な自殺の発生やネット自殺の問題が取り上げられながら、1980年代から問題になっている「いじめ」については一言もない。 そして、2007年以降、もっばらこの自殺の連鎖が言われ、いじめ報道自粛の要請された。 2006年11月14日の新潟市神林村の中2生徒の自殺も、いじめが原因の自殺ではなく、「衝動的」で、自殺報道の影響を示唆する指摘が「自殺の原因などを調べる第三者委員会」から指摘されている。 自殺の原因を、学校・教育委員会・国の教育政策の責任問題ともなるいじめ問題に結びつけることを意図的に避け、うつ病など心の問題にしようとしていると思える。 しかし、思春期の子どもたちにとって、友人関係はとても大きな問題だ。うつ病が子どもたちを殺すのではなく、いじめが子どもたちをうつ状態にさせて殺すのだと思う。 心の問題を引き起こしている現実・心の外の問題に目を向けずに、内面の問題だけをとりあげても、自殺そのものも、やはりなくならないと思う。 いじめの影響は自殺ばかりではなく、いじめの加害者に対する、あるいは社会に対する報復殺人も起きている。 今、世間の目をいじめ問題からそらさせることができたとしても、必ずそのツケは、もっと大きな問題となって返ってくると思う。 |
HOME | 検 索 | BACK | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2008 S.TAKEDA All rights reserved.