渋谷区保護課差別発言問題
私たちが清水さんと鈴木君の二人に出会ったのは、五月の中旬だった。二人は
四月の末に仕事を求めて上京。職が見つからないまま所持金が底をつき、五月
上旬から野宿生活に入っていた。二〇代の若い野宿者は渋谷ではもはや珍しく
なくなっていたが、彼らのようなケースは初めてだった。
私たちは今後の身の振り方を相談するため、五月一八日に福祉窓口を訪れ、五
月二五日に二人は本格的な相談を行った。「本格的な相談」、それはしばしば
私たちが「ビックリ箱」と呼ぶ密室(「面接室」)で行われる。果たしてこの
日、「ビックリ箱」からはとんでもないものが飛び出してきた。渋谷区役所保
護課・婦人相談員N氏の野宿者一般に対する差別発言である。
自身野宿者である二人は、この発言に誰よりも腹を立て、その後の数回にわた
る抗議行動や区役所との団体交渉を引っぱってきた。私たちはそれに後からくっ
ついていった。
この〈小特集〉は、痛めつけた方が忘れても痛めつけられた方は決して忘れな
い、という事実を改めて確認するための記録である。
(湯浅)
五月二五日に
ビックリ箱内(解説1参照)で、
婦人相談員N氏が清水さんと鈴
木君に対して「あなたたちは今はきれいな格好をしているけれど、そのうち顔
に土がついて汚れてくる」、「交通費目当てで来るようになってほしくない」
等と発言したことを受けて、二週間後の六月八日に福祉事務所の窓口で、清水
さんと鈴木君、そしてのじれんは事実関係の確認、差別発言の謝罪、そして今
後の改善策を求めました。しかし、N氏が「差別発言はなかった」と主張した
ために、差別発言の有無を巡って、N氏の見解と清水さんと鈴木君の見解が平
行線を辿ることになってしまいました。
論点が絞られてくるにつれて判明したのですが、N氏を含む保護課の主張は、
前述の発言は確かにあったのかもしれないが、差別する意図はなかったのだか
ら、差別的な発言はなかったということらしいのです。私たちは唖然としまし
た。意図しての差別発言ならば、論外と言わざるを得ません。たとえ意図して
いなくても、差別発言なのです。テレビのアナウンサーが差別発言をしておき
ながら「そのつもりはありませんでした」と居直るような事態がありうるか、
少しでも考えてみればわかることです。差別発言は、発言者の意図の問題では
なく、発言それ自体の問題なのです。発言者は自分の言葉に責任をとるべきで
す。
私たちは、そうする意図がなかったとしても、言葉の暴力によって相手を傷つ
けること、ある特定の集団に対して一律に負のイメージ(例えば「野宿者=汚
れている、金目当て」)を押し付けること、これこそが「差別」なのであると
考えて、清水さん、鈴木君とともに、引き続き、差別発言に対する謝罪を求め
ました。しかし、課長は「あなたたちの要望は承りました。後は私たちでしっ
かりと検討します」と繰り返すことによって、事態を収めようとすることに躍
起になり、係長も差別する意図のなかったこと、一生懸命な対応をしているこ
とを強調するばかりです。しかも、課長と係長は、私たちとN氏との直接の話
し合いを妨害までしました。一職員の問題としてではなく、保護課の問題とし
て、またはその下の相談係の問題として話し合いたいということなのでしょう
が、結果として、こうした妨害は、今回の事態を紛糾させる一因になったとい
えます。
最終的には、一週間後に相談係から、福祉事務所における今後の窓口対応の改
善策について回答を受け取るということになったのですが、清水さんと鈴木君
が怒りの声をあげました。二人の主張は、今後の窓口対応の改善策についての
回答をもらったとしても、 自分たちが実際に受けた痛みは消えないというものであり、具体的に
はN氏の謝罪を求めるものでした。しかし、相談係から明快な返答はありませ
んでした。この冷淡な対応に対して、鈴木君は「たとえみんな(=のじれん)
が何もしてくれなくても、俺たちだけでやる(=福祉へ抗議する)」と決意を
表明し、清水さんもこの決意に同意しました。こうして、二日後に渋谷区役所
で抗議の座り込みをすることが決定しました。 もちろん、のじれんも、二人を支援することに決定です。
二日後の午前八時、雨にもかかわらず、野宿者の仲間と支援者が約一〇名ほど
渋谷区役所に集まりました。鈴木君は仕事のために参加することができません
でしたが、清水さんは張り切って参加です。区役所の外で座り込むのは雨で困
難なので、庁舎内で抗議の座り込みとなりました。区役所一階の入り口正面に
座り込み、 出勤する区役所職員にビラを手渡します。警備員との軽い衝突があ
り、一時は騒然とした雰囲気になりましたが、強制的に追い出されることはな
く、正午を過ぎても私たちの抗議の座り込みは続きました。そして、昼過ぎか
らは、 今回の差別発言問題にも関わる陳情について審議する
福祉保健委員会を傍聴しました。(解説2参照)
さて、相談係との約束の一週間が過ぎ、六月一五日になりました。N氏は出張
とのことで留守であり、係長、課長から回答がありました。清水さんと鈴木君
が実際に不快な思いをしたことを認め、その件に関して相談係からの謝罪があ
りました。そして、今後、こうした問題が生じないように努力することが確認
されました。しかし、差別発言の有無については、驚くことに「差別発言はな
かった」が回答でした。当然ながら、出張のN氏から謝罪はありません。こう
した対応に二人は納得できず、再び、一週間後に話し合いをすることになりま
した。
六月二二日、清水さんと鈴木君と支援者の代表、そしてN氏と係長が、
ビックリ箱内で
話し合いました。「事件」後はじめて、清水さんと鈴木君は、ゆっく
りとN氏と直接に話し合うことができたようです。N氏は清水さんと鈴木君に
謝罪しました。N氏の発言が差別発言であったのかどうかは不問に付されまし
たが、清水さんと鈴木君の気持ちを傷つけたことには疑いなく、その件に対し
てN氏は一個人として謝罪をしたのです。N氏の謝罪により、二人は心を幾分
か和らげ、相手方の対応にそれなりに納得をしたようで、結局、差別発言それ
自体の問題は決着しないままだったのですが、今回の一連の出来事は収束を迎
えることになりました。
(牧野)
私達は、2週間程前、区役所へ相談をしに行ったところ、ある女性相談員が私
達に差別的な発言をしました。
「あなた達は今はきれいな格好をしているけれど、そのうち顔に土がついて汚
れてくる」とか「交通費目当てで来るようになって欲しくない」「銀行からお
金を借りられないの」とか「預金はないの」とか、私達に様々な差別的な発言
をしました。さらに、のじれんに対しても「私はのじれんが嫌いだから、のじ
れんについているあなた達には何もしない」だの、悪口まで聞かされました。
私達は、昨日、福祉保護課にこの差別発言に対して、どう責任を取るのかを抗
議しました。
その結果、今後、相談員の応対について改善するために、1週間の時間が欲し
いといわれましたが、差別した事実に対する対応は、何もありませんでした。
そこで私達は、明日、差別発言をした福祉保護課の人間に対して抗議の座り込
みをする事にしました。
普段から区役所に不満のある方や、今までに嫌な思いをした方、皆さん協力し
て下さい。明日、区役所の時計台の前に朝8時に来て下さい。
皆さん、お願いします。
一九九八年六月九日
[解説1] 「ビックリ箱」
正式名称を「面接室」という二畳程度の密室のこと。たとえば野宿者が生活保
護申請にたどり着いたとき(ここまでが大変だが)、その人の本籍地やかつて
の住所、親類の有無、親類と連絡が取れるか、最後に会ったのはいつか、いつ
までどんな仕事をしていたのか、いつどこの福祉にどんな要件でかかったかな
どといった質問や、生活保護制度の説明、お金の支給、領収書への捺印などの
諸手続が、この「面接室」で、ケースワーカーと一対一で行なわれる。その他
にも、わりあい「便利」に使われることがある。「ビックリ箱」という呼称は、
いつ・誰が言い始めたのか知らないが、とにかく「何が出てくるかわからない」
というその際の野宿者の不安な気持ちを適切に表した言葉だ。
もちろん一対一での面接という態勢に全く合理性がないわけではない。上に挙
げたようなことは、多く本人のプライバシーに関わる。プライバシー保護のた
め、というわけだ。しかし他方、「ビックリ箱」という名称にも現実的な根拠
がある。保護を求める野宿者にとって、相談員やケースワーカーは、いわばこ
れからの生活の「鍵」を握る存在であり、関係の非対称性は歴然としている。
しかも、そこでは野宿者にとってあまり思い出したくないことまで根ほり葉ほ
り聞かれることになるし、相手によっては行政用語を羅列するばかりでこちら
の理解はおかまいなし、ということもある。「不安」は現実的なものなのであ
る。加えて保護課は最近まで、たとえ本人の了解がある場合でも、支援者が同
室することを拒んでいた。プライバシー保護だけが目的なのか、という疑問を
抱かせるような使い方も散見される。実際、「ビックリ箱」はこれまでも様々
なトラブルの源(温床)だった。今回は差別発言というとびきりドギツイのが
出てきたわけだが、次は何が出てくるのやら、ヒヤヒヤものである。
(湯浅)
[解説2] 区議会のこと
野宿者問題のような総合的対策を要する問題は、保護課だけでは片づかないこ
とが多い。予算の問題しかり、シャワーなどの設備の問題しかり、である。し
たがって交渉相手も自然と上へ上へと「上昇」していくわけだが、いきなり区
長が会ってくれるわけでもない。そのため、区議会への働きかけは長い間私た
ちの課題だった。詳しい話はまた後日「特集」などを組んで報告したいと思う
が、とにかく、今回の差別問題に関する 「陳情書」の提出および野宿者問題を担当する「福祉保健委員会」の傍聴
は、こうした区議会への働きかけの一環として取り組まれた。しかし結局、差
別問題は委員会でまともに取り上げられることなく、
「陳情書」は「不採択」
と決定された。議事録が完成していないので、「不採択」に至った経緯の詳細
はまだわからない。「区職労」もそうだが、彼らは概して野宿者問題に冷淡で
ある。しかし、残念ながら様々な事柄の決定権は彼らにある。「どうせ…」と
諦めるわけにはいかない。
(湯浅)
|