渋谷・野宿者の生活と居住権を
かちとる自由連合
結成宣言
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二十世紀も終わろうという今、「先進国」を自認するこの国において、まとも
な屋根や生活すらも奪われ、路上に封じ込められた「地に呪われし者」として、
我等が満身の怒りを抱きつつ、渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連
合(のじれん)の結成を宣言する。
我々の存在は、この社会が必然的に強いる現実である。我々の団結は、この現
実を打ち破る未来である。我々は我々自身のために、我々自身の力で、誰もが
その手中にすべきものを我々自身の手にかちとるべく、今こそ起ちあがる。
のじれんとは何か
のじれんは恩恵を求めているのではない。行政などによる強制的な追い出しを
決して許さないが、路上にとどまり続けることを当然望んではいない。なぜな
ら野宿の当事者たちがおかれている生活状態に満足しているわけではないから
である。生命があればそれでいいというものでは決してない。
「権利を!」とお題目を唱えていればそれがそのうち転がり込んでくるなどと
は毛頭考えていない。のじれんは渋谷という地域のみに限定した活動を行う団
体ではない。のじれんは協議会でも代議制の委員会でもない。
では、のじれんとは何か。のじれんは野宿者の当事者団体である。その名称
「渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合」そのものが我々の理念で
あり在り方であり目的である。
渋谷という地域に決して限定されない活動を展開していく我々が「渋谷」を冠
するのは、実際に多くの野宿者が存在し、これまでもこれからも活動の中心と
なる渋谷・宮下公園を拠点とし、そこから周辺地区に展開し、野宿の仲間をつ
なぐ活動を行っていくことを示すものである。
我々が求める「生活」は、単にその日を生き延びることを意味するものではな
く、人間としての生き生きとした、豊かな人生、よりよい生活である。いわゆ
る「生存権」のみにとどまらず、就労の保障までも含む「人間としての生活」
である。
人間らしい暮らしに欠くことのできない、雨露をしのぎ人目にさらされること
なく過ごすための、当人にとって適切な居住環境をかちとっていくことを我々
は高く掲げる。さらに、いかなる環境であれ当人が望まない立ち退きを強制さ
れることのない権利、日本ではなじみのない、あるいは為政者たちはなじまな
いと思い込もうとしている「居住の権利」を広く認知させ、確立させるために
活動を展開していくことを宣言する。「居住権」という言葉は我々の間におい
てさえまだ実践的なものとして定着していないかもしれない。だからこそ我々
はこの言葉をあえて掲げ、「権利」という言葉の意味そのものをまず我々の手
に奪い返し、実践を通して社会的に認知させていかなければならないのだ。
我々は自らの生活を自らの力でかちとっていく。権利はそのための行動の中で
確立されていく。そのために結びつく我々は「自由連合」を形成する。自由連
合は、数多見られる統一と中央集権の上から下への組織形態と真っ向対置され
るものであり、むしろ個人が下から上へと自らを組織する。野宿する当事者が
主体的に活動を担い、支援者は彼ら・彼女らと対等に結びつく。すべて野宿者
の利益のために志を一にする者らが自らの意志にのみ基づいて連なり合う。野
宿者も支援者も対等の関係のなかですべての事柄を決定していく。これが我々
の関係性の在り方である。
のじれんは何を目指すのか
我々が目指すのものは、野宿を強いられることのない社会である。望まない生
活状態を強制されない社会である。
その過程で我々は、野宿の仲間同士が結びつくこと、野宿の仲間と彼ら・彼女
らに心を寄せる支援者とが固く結びつくことを目指す。さらに全都・全国・全
世界の仲間、現在野宿している仲間だけでなく路上から脱却していった仲間と
も結びつくことを希求し続ける。
やむにやまれぬ状態として路上にとどまらざるを得ないことすら許されないの
は断じて間違っている。また様々な理由で路上にとどまることを選ぶ者がいた
としても、よりよい選択肢を求める我々の取り組みと矛盾しないだろう。行政
や地域住民などがその意図に従順な「良い野宿者」と、それに従わない「悪い
野宿者」とを選別し分断を持ち込もうと画策しても、我々は断固としてそれを
はねのけていくだろう。
いま目の前の野宿の状態にある仲間の生命と暮らしを守ることなくして我々の
未来はない。我々の闘いはそこから始まる。あくまで野宿の当事者の利益に立
ちきって考え、そして行動する。闘いなくして権利が確立されることはない。
のじれんは何をするのか
現状での生活保護行政がその法の精神を十分に発揮せず、具体的には窓口での
恣意的差別的な運用がなされていることは言を俟たない。そもそも生活や医療、
住宅や就労といった野宿者への対策は、みな生活保護行政の範疇に含めて考え
られるべきものである。現行制度や施設の不足という制約を言い訳にさせず、
徹底的な適用を行政に迫っていく。特に病気や高齢の野宿者にとってはまさに
今日明日の生命の問題であり、我々はこれを最優先の課題として取り組まなけ
ればならない。
現在新宿の地域対策として行われようとしている「自立支援事業」は、立ち後
れた現行の生活保護制度では覆いきれない領域を補うものとして、現状の中で
有効な施策であると我々は考える。しかしこれがあくまで新宿という「地域」
のみに限定され、単に「別の地域」であるというだけで新宿以外の野宿者が排
除される状態が続くならば、それは野宿者をめぐる問題と正面から向き合うこ
とを一時的に回避するだけの場当たり的な対応と言わざるを得ない。我々は、
今後その枠が全都に向けて拡大されていくことを前提にその意義を積極的に認
め、さらに就労支援などを含む事業内容の改善を東京都および特別区に強く要
求する。
我々の視野は既に全都をとらえている。渋谷を発進地に、近くは代々木、青山、
恵比寿の野宿者と結びつき、さらに新宿、山谷をはじめとする全都の野宿の仲
間と連携をとりながら、東京都を包囲する陣形を作る。
野宿者がその状態から脱却したいといかに望んでいても当人の努力のみではそ
れが不可能であるという構造が厳然とあるにもかかわらず、野宿の状態にある
ことは当人に責任があると世間の多くの人が思い込まされている。その構造を
打ち破る闘いの先頭に立つことができるのは野宿の当事者と野宿の現場で行動
する者である。そしてそのことを正確に伝えることができるのもまた野宿の当
事者と野宿の現場で行動する者だけである。我々は当事者として、真に心を寄
せる者として、路上からの声を高らかに響かせ、行政やマスコミが作り上げる
「ホームレス像」をその土台から打ち砕いていかなければならない。
すべての路上の仲間たち!
我々はすべての野宿の仲間と共に、自由な意志に支えられて一つに結びついた
行動によって、野宿の仲間のよりよい状態に向けて前へ進み続けたいのだ。
仲間の命は仲間が守る。仲間の未来は仲間が拓く。
いまこそ起ちあがろうではないか。
一九九八年四月二九日
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