渋谷区保護課が差別発言を謝罪し、
野宿者に対して根本的に対応を
改善することを求める
――渋谷区保護課・N「婦人」相談員の野宿者差別に
抗議する座り込みを敢行
する!――
私たちは「野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合(略称・のじれん)」と
言います。渋谷区に住む野宿者とそれを支援する者で形成される野宿者の当事
者団体です。
私たちは、渋谷区保護課の相談員による野宿者に対する差別発言と、その後の
保護課の不誠実な対応に抗議して、以下の日程で野宿当事者による抗議の座り
込みを行います。
- 日時
- 六月一〇日(水) 午前八時から午後五時まで(但し途中、渋谷区議会
福祉保健委員会傍聴のため移動することあり)
- 場所
- 渋谷区役所前
事実関係
五月二五日、保護課の婦人相談員N氏は、相談に訪れた野宿者二名に、密室の
面接室で、「三〇〇円[保護課窓口で交通費として支給]目当てで来るような
野宿者」にはなってくれるな、野宿してたら「汚れる」などの、野宿者一般に
対する偏見に基づいた発言を行いました。当然ながら、自身野宿者である二人
は、N氏の発言を極めて不快に感じ、以後保護課に相談する意欲を失いました。
そして、その二人から相談を受けて、私たちは六月八日、事実関係の確認と差
別発言に対する謝罪を求めて、N氏、池山保護課課長、川上係長と二時間以上
にわたる話し合いを持ちました。
初めてではない――保護課の「体質」的問題か?
このようなトラブルが起こったのは、これが初めてではありません。N氏はこ
の数年間にたびたび同様の問題を起こし、私たちはその都度個別に態度を改め
るよう申し入れてきました。さらに、別の相談員が極めて威圧的な態度をとる
ことに関して、昨年九月正式に保護課全体の意識改革を求めた申入書を提出、
その際池山課長から「指導を徹底する」旨の明言を得ています。それが一年も
経たないうちに今回の事態です。根は深いのです。
そもそも、保護課窓口は様々な困難を抱えた野宿者が頼れる最後の「頼みの綱」
です。野宿者の側には「なんとかしてもらいたい」とすがるような気持ちや
「世話になる」ことに対する遠慮などの複雑な感情があり、実際は正当な権利
の行使であれ、事実上処遇を決定する相談員との関係は、ただでさえ弱いもの
です。逆に言えば、相談員には、両者がそのような関係にあることを自覚し、
相手に心理的圧力を加えないよう細心の注意を払う必要があります。しかし、
このことがどうも理解されていないようです。
保護課は「差別」を否認――「つもり」がなければ差別してもいいのか?
「これからのことをともに考えたい」、これが六月八日の話し合いに臨ん
だ私たちの基本的な姿勢でした。しかしそのためには、前提としてN氏の真摯
な謝罪が不可欠です。きちんとした「清算」なくして次の一歩があり得ないこ
とは、戦後の日本が歩んだ経緯をみても明らかなはずです。しかし、驚くこと
に保護課は「差別」を否認しました。課長、係長、N氏が何十回となく繰り返
した理由は、「差別するつもりはなかったから」というものです。言うまでも
なく、「つもり」がなくても、言葉の暴力によって相手を傷つけること、ある
特定の集団に対して一律に負のイメージ(「野宿者=金目当て、汚れる」)を
押し付けること、これを「差別」と言います。差別は言葉の問題であって、発
言者は自分の言葉に責任をとるのです。
こうして保護課は、差別発言の責任をうやむやにしたまま、「今後の対応を検
討する」「(二人が)傷ついたこと自体は(そう言ってるんだから)認める」
と言って、事態の収拾を図ろうとしています。差別するつもりはなかった、差
別発言もなかった、だけどまあ傷ついたって言ってるからそれは認めますよ、
ということです。このような対応で、一体誰が「今後の対応」に期待すること
ができるでしょうか。しかも池山課長、川上係長は終始一貫してN氏との直接
の話し合いを妨害し続ける始末です。当然本人たちは「納得できない」と怒り
と不信を募らせ、その結果、座り込みという形の抗議行動をとるに至りました。
深刻化する野宿者問題
言うまでもなく、戦後最高の失業率を受けて、現在東京都の野宿者数は急増し
ています。渋谷区でも、私たちが確認しただけで三五〇名ほどの野宿者が生活
しています。もはや、女性や二〇代の野宿者も珍しくなくなりました。野宿者
問題は、現代の日本社会が抱える大きな経済問題・都市問題の一つであり、ま
た、その新しさのゆえに、制度上の未整備や社会的偏見からくる様々なトラブ
ルが絶えない深刻な社会問題でもあります。
私たちは、野宿者の実態を少しでも多くの人に知ってもらうため、今回の差別
問題の社会化を望んでいます。
1998年6月9日
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