わたしの労働運動ものがたり(特別編)

このビデオは、2009年7月4日におこなわれた笹森清さんの講演「連合運動20年」(一橋大学フェアレイバー研究教育センター主催の社会運動ユニオニズム研究会)のなかから抜粋して28分にまとめたものです。












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笹森 清 Kiyoshi Sasamori  (1940年10月21日〜2011年6月4日)

埼玉県立川越高等学校卒業後、東京電力に入社。1989年に東京電力労働組合の委員長になる。1993年に電力総連の会長に、2001年には日本労働組合総連合会会長(第4代)として2005年まで務める。



Video 連合運動20年を語る




Ⅰ 戦後の労働運動


分裂と対立の歴史 1:00〜

占領軍は戦後、労働組合の結成・奨励策をおこない、2人に1人が労働組合員という時代を迎える。しかし同時に、労働運動の分裂と対立の歴史が始まった。新産別(49年)、総評(50年)、中立労連(56年)、同盟(62年)の4団体の時代が、連合結成まで続いた。

連合結成への途 2:00〜

労働運動の統一への動きが始まった。1976年、労働4団体の枠を乗り越えて民間16単産による「政策推進労組会議」がスタートする。これが連合結成への原点となった。

労戦統一のアキレス腱 4:00〜

連合に至る過程の1980年、「労働戦線統一推進会」が発足する。6単産の代表が責任者となって、組合の統一へ向けたいろいろな議論をした。後に連合会長になった笹森は、そのときの議事録の公開にふみきった。


Ⅱ 連合は何をめざしたのか? 6:00〜



1989年、ついに「官民統一連合」が発足した。政治の世界では1993年に連立政権の時代に入り、1994年には自社さ連立政権が誕生する。政党の離合集散、連合の政治への影響力について、どのように見ていたのか——。



Ⅲ 21世紀の新たな挑戦


連合運動を変えよう 10:00〜

1997年、笹森は連合の事務局長に就任する。そして、連合の運動を変えようと議論の場を次々と立ち上げた。「フレッシュアップ委員会」、「21世紀挑戦委員会」、「連合評価委員会」、そこには「行動」と「運動」へのこだわりがあった。

小泉構造改革との対決 15:00〜

2001年に小泉内閣が誕生した。同年10月に笹森は連合会長に就任し、翌月には香港で開催された「アジア経済担当閣僚会議」で、担当大臣だった竹中平蔵と同席する。そこで対決姿勢を明らかにするが…。



Ⅳ 組合が変わる・社会を変える


労福協の社会運動 18:00〜

2005年、連合会長を退いた笹森は、労働者福祉中央協議会の会長(専従)に就任した。
ここでも、連合時代からの思いは変わらなかった。
「組合が変わる 社会を変える」(2003年連合大会のスローガンより)

“年越し派遣村”で実る 21:00〜

笹森が生前、好んでつかった言葉がある。「同質の協力は和にしかならないが、異質の協力は積になる」。社会運動へのこだわりは、「年越し派遣村」で結実した。



Ⅴ これからの日本に生きる後輩たちへ 26:00〜



「戦後、東西冷戦が終わり、パラダイムの転換が起きました。イデオロギーを組み立て直し、これまでの右と左をいったん捨ててみよう。」


「組合は、働き方や生き方、暮らし方について提起をすべきです。そして、それを実現させるための運動体になるべきです。」





笹森清「連合運動20年を語る」 
2011年11月制作
撮影・編集:青野恵美子(Labor Now)