無実のゴビンダさんを支える会

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 1997年3月19日午後5時過ぎ、東京都渋谷区円山町の木造2階建てアパートK荘1階西側の101号室で、女性の死体が発見されました。第一発見者はこのアパートの管理を任されていたMさん。101号室は当時空室で、Mさんはその前日の18日にも、101号室で女性が横たわっているのを見ていますが、誰かが勝手に入り込んで寝ていると思いこみ、それ以上確かめずに放置していました。しかし、その時、部屋の鍵がかけられていなかったことを確認し、自分が鍵をかけた、と証言しています。
 その翌日、やはり気になって再度101号室をのぞき、同じ位置に女性が横たわったままなのを見て不審に思い、警察に通報したものです。
 遺体の身元は、当時39歳の会社員であることがすぐに判明します。死因は絞殺か扼殺か判然としませんが、他殺であることは疑いない状況でした。遺体の頭の付近には被害者のものと思われるショルダーバッグが口を開けたまま放置され、このショルダーバッグは取っ手部分がちぎれていました。さらに、この部屋の水洗式トイレの便漕の中には、使用済みのコンドームが1個、放置されていました。
 被害者のYさんは、3月8日の夜、帰宅せず、それ以降行方がわからなくなっており、犯行は8日の深夜と考えられます。Yさんは会社の勤務が終わった後、渋谷の道玄坂や円山町付近で数年前から売春をしていたことがわかりました。

ゴビンダさんの逮捕
 K荘に隣接するHビルに住んでいたネパール人労働者、ゴビンダ・プラサド・マイナリさん(当時30歳)は、警察が捜査を開始した19日の夜、仕事から帰宅したところ捜査員に声をかけられました。ビザの期限が切れており、資格外労働をしていたゴビンダさんは、入管難民法違反で逮捕されることを恐れ、同室に居住していた他の数名のネパール人の友人とともに、翌日からしばらく自分の居室に戻ることやめます。しかし、隣のアパートで殺人事件がおきたことを知り、自分が疑いをかけらていると聞いて、3月22日、自ら警察に出頭します。ゴビンダさんは公判廷での弁護人からの質問に答えて「入管難民法違反など、殺人罪で疑われることに較べたらなんでもない。身の潔白を証明するために自分で出頭した」と説明しています。警察がゴビンダさんを疑ったのは、第一発見者でK荘の管理をしていたMさんが、101号室の鍵をゴビンダさんに貸していたことがあると話したからでした。
 ゴビンダさんは3月23日、入管難民法違反で逮捕されます。しかし取り調べはもっぱらYさんに対する強盗殺人容疑でした。ゴビンダさんは一貫してこの事件への関与を否定しました。
 5月20日、入管難民法違反で、東京地裁が懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡します。と同時に、警察はゴビンダさんを強盗殺人容疑で再逮捕しました。6月10日同容疑で起訴されます。

犯行とゴビンダさんを結びつける証拠の不在
 この事件では、ゴビンダさんと犯行を結びつける直接証拠は一切存在せず、自供もありません。したがって検察側は、状況証拠によってのみゴビンダさんの有罪を立証せざるを得ない立場におかれました。
 検察側が有罪根拠としたのは以下のような点でした。

(1)K荘101号室のトイレの中から発見されたコンドーム内の精液のDNA型が、ゴビンダさんのものと一致した。
(2)ゴビンダさんが101号室の鍵を管理人から借りていたことがあり、それを返却したのは事件後の3月10日であり、事件当時101号室に出入りできたのはゴビンダさんだけである。
(3)事件当夜の午後11時半前後に、被害者と見られる女性と「東南アジア風」の男性が101号室に通じるK荘西側の短い階段を上がっていくのを見た、という目撃証言があり、その時刻までにゴビンダさんは勤め先から事件現場まで戻ってきていることが可能であった。

 これらの状況証拠は、いずれもゴビンダさんと犯行を直接結びつけるものではありませんが、さらに検察の主張を検証してみると、いずれも有罪根拠とならないばかりか、逆にゴビンダさんの無実をこそ示す物であることがわかります。

(1)現場に残されたコンドームはいつのものか?

   ゴビンダさんは、2月末から3月始め頃にYさんの買春客となり、101号室で性的関係をもったことを認めています。したがって、現場のトイレに放置されていたコンドーム内のゴビンダさんとDNA型が一致する精液の存在は、その時のものであると主張しています。コンドームが採取されたのは死体発見時(3月19日)ですので、それが捨てられてから何日経過したものであるのかが重要な争点となりました。事件当日(3月8日深夜)に捨てられたものなら、発見までに約10日経過していることになり、ゴビンダさんの主張通りなら、約20日以上経過している筈です。
 この事件では、コンドームが破棄されてからの経過時間について、裁判所による正式な鑑定はなされていません。かわりに警察が依頼した帝京大学の押尾茂氏による鑑定意見書が提出されただけです。この鑑定結果は、コンドーム内の精液の劣化状態から見て、明らかに20日以上が経過していることを示すものでした。しかし、押尾氏はトイレの水が汚れていたので、清潔な水を使用した自分の実験よりも精液の劣化が急速に進んだと考えても矛盾はないとして、強引に10日前に捨てられたという検察側主張に沿う意見書を提出しました。  

 およそ科学者とは思えないこうした牽強付会で非科学的な「鑑定意見」は当然ながら第一審では採用されず、東京地裁が2000年4月14日に言い渡した無罪判決の中でも、その主張は退けられています。

(2)鍵の返却時期と、誰でも入ることができた101号室

 ゴビンダさんは、空室であったK荘101号室を借りる予定で、Mさんから鍵を預かっていたことがあります。しかし事件前の3月6日に、同居人のCさんに頼んで、自分たちが住んでいたHビルの家賃といっしょに鍵をMさんに返却していました。警察はCさんを入管難民法違反で逮捕し、暴行・脅迫や利益誘導を行い、無理矢理「3月6日に返却したというのは嘘だ。ゴビンダさんに頼まれて口裏を合わせた」という供述を引き出し、鍵の返却は事件後の10日であり、事件当日にはゴビンダさんが101号室の鍵を所持していた、と主張しました。
 しかに後に、Cさんは証拠保全のための証言において、これらの証言が警察による違法な取り調べによって無理に引き出されたこと。鍵は間違いなく3月6日に返却したことを証言しています。また、そもそも遺体発見時に101号室の鍵がかかっていなかったことは判然としており、仮に鍵の返却が10日であったとしても、事件当夜は鍵のかかっていない101号室は事実上、誰でも入ることが可能だったのです。
 被害者は2月末にゴビンダさんと101号室を使用したことがあり、この部屋が空室であることを知っていました。売春のために無料で利用できる場所として彼女がここを他の客と使用した可能性は十分にありえます。

(3)警察に誘導された目撃証言

 事件当夜、K荘に入っていく男女を見た、という目撃証言があります。S田さんという学生で、K荘の半地下にある居酒屋にいた父親を迎えに来て、K荘前の路上にクルマを止め、近くのコンビニでガムを買ってからクルマのそばで父親を待っている時、一組の男女がK荘101号室に通じる階段を登っていくのを見たというものです。女性の方は、特徴的な容姿から被害者のYさんにほぼ間違いないと思われます。S田さんは事件発覚2日後の3月21日に、警察にその目撃証言を話していますが、男性の方はよく見ていなかったと述べています。(公判での証言)しかし、2ヶ月もたって、ゴビンダさんが逮捕された後になって、取調中のゴビンダさんを見せた上で、初めて調書をとっています。その調書に初めて「東南アジア風の男」だったという記述があらわれます。警察による誘導が濃厚にうかがわれるものです。
 目撃時間についても曖昧で、確認できるのはガムを買った時刻が午後11時14分であることがコンビニのレジ記録から分かるだけです。そこから類推していくと、目撃時刻は11時30分より以前である可能性が強く、その時刻ではゴビンダさんが現場に到達できる可能性はなくなります。したがって警察はできるだけ目撃時刻を後にずらそうとしていますが、K荘2階の住人が、遅くとも11時45分までに神泉駅の公衆電話を使用するために外出した際、S田さんやそのクルマを見ていないという事実からも、目撃証言が11時50分頃であるとする検察の主張は無理があります。
 S田さんが目撃した男性がゴビンダさんであるという根拠はまったく存在しません。

道理にかなった一審判決
 検察側が有罪の根拠と主張した「状況証拠」はすべてこのようにはなはだおぼつかないものであっただけでなく、被害者の定期入れがゴビンダさんにはまったく土地勘のない巣鴨5丁目(都電荒川線、新庚申塚駅付近)の民家の庭から発見されたことも、ゴビンダさんが犯人だとすると説明がつかない事実です。また、現場には使用済みコンドームは放置されていたのに、コンドームのパッケージは見つかっていません。おそらく真犯人が持ち去ったと考えられますが、パッケージさえ持ち去り、被害者から金品を奪う際も、現金だけを抜き、サイフなど証拠になるものは盗らなかったほど慎重な犯人が、もっとも危険な物証である使用済みコンドームだけを現場に残していくなどということはとうてい考えることができません。
 2000年4月14日の東京地裁判決(大渕敏和裁判長)は、こうした証拠を十分に検討した結果として以下のように判示し、無罪判決を言い渡しました。
「これらの各事実を総合したとしても、一点の疑念も抱かせることなく被告人の有罪性を明らかにするものでもなく、各事実のいずれを取り上げても反対解釈の余地が依然残っており、被告人の有罪性を認定するには不十分なものであるといわざるを得ない。そして、その一方で、被告人以外の者が犯行時に101号室内に存在した可能性が払拭しきれない上、被告人が犯人だとすると矛盾したり合理的に説明が付けられない事実も多数存在しており、いわば被告人の無罪方向に働く事実も存在しているのであるから、被告人を本件犯人と認めるには、なお、合理的な疑問を差し挟む余地が残されているといわざるを得ないのであり、そうすると、『疑わしきは被告人の利益に』との刑事裁判の鉄則に従って判断するのが相当である」

「はじめに有罪ありき」の東京高裁判決
 ところが、一審判決からわずか8ヶ月後の2000年12月22日、実質4ヶ月ほどの審理を経て、東京高裁(高木俊夫裁判長)はまったく何の道理も新証拠もなく、3年を費やして慎重に審理した一審判決を破棄し、逆転有罪・無期懲役刑を言い渡しました。
(1)コンドーム内精液の経過時間

 まったく非科学的で何事も立証していない押田鑑定の恣意的な結論を何の根拠も示さないまま援用し、コンドームが捨てられたのが事件当日であったとしても矛盾しないと判示。

(2)鍵の返却時期

 いつ鍵を返却してもらったのかについて記憶が曖昧であることを認め、供述も変遷し、警察の誘導に従って10日に返却されたと供述したことを否定していない管理人Mさんの証言を採用し、他方、6日に自分が返却したと明確な記憶をもって証言しているCさんの証言をこれまた理由もなく信用できないと決めつけただけの判決です。

(3)巣鴨5丁目の定期入れ

 一審判決で、ゴビンダさんが犯人だと考えるには合理的疑いを生じさせると指摘された定期入れの発見場所の不自然さについては、この問題が未解決であることを認めながら「これが明らかでないからといって、それゆえに被告人と本件との結び付きが疑わしいということにならないことは、本件証拠に照らして見易い道理である」としています。
 本件証拠とは何を指すのかも示さず、見易い道理などという空虚なレトリックだけで合理的疑いに目をつぶり、無罪の積極証拠ではないということを有罪根拠にするという、およそ刑事裁判のイロハさえわきまえておらず、論理の体をなしていない判決と言わざるを得ません。

 高木俊夫裁判長は、無罪判決を受けたゴビンダさんの再勾留に最初にお墨付きを与えた判事であり、審理を開始する前から有罪の予断をもっていたとしか考えられません。

再審無罪に向けて
 このひどい高裁判決をそのまま無批判に踏襲した最高裁第三小法廷判決(藤田宙靖裁判長)は、論評するにも値しないものです。ゴビンダさんは、2003年10月に無期懲役刑が確定し、現在、横浜刑務所に服役中ですが、再審による無罪獲得をあくまでも願い、無実を訴え続けています。
 弁護団は2005年3月24日、東京高裁第4刑事部(仙波厚裁判長)に再審請求を提出しました。
 無実のゴビンダさんを支える会は、ゴビンダさんとご家族を支え、弁護団の再審のための活動をサポートし、一日も早くゴビンダさんの冤罪が晴れ、ネパールのご家族のもとに帰れる日が実現することを願って活動しています。