現場の鍵は開いていた
ゴビンダさんは、遺体発見現場の部屋(当時は空室)の鍵を、管理人から借りていたことがあります。検察は鍵の返却が犯行のあった3月8日深夜より後の3月10日とし、事件当時部屋に入れたのは、鍵をもっていたゴビンダさんだけだと主張。実際には鍵は事件前の3月6日に返却していたのですが、いずれにしても遺体発見時、部屋の鍵は開いており、誰でも入れる状態でした。つまり、ゴビンダさんが鍵を持っていたか否かは、部屋に入れた人物が彼だけではない以上、まったく無意味な論議です。
また、検察は、この部屋の鍵は1本だけでスペアキーはなかったと主張していますが、以前にも複数の人物が出入りしていたこの部屋で、誰かががスペアキーを作っていなかったという確証などありません。
しかも、もし警察の主張通り鍵の返却が3月10日だとすれば、ゴビンダさんは自分が殺害した死体がころがっている部屋に施錠もせず、早く死体を見つけてくれ、とばかりに犯行2日後(実質的には犯行翌日)に鍵を返却し、遺体発見まで10日間、現場の隣で平然と生活し、いつも通り仕事に通っていたことになります。
警察は、ゴビンダさんに頼まれて3月6日に鍵を返却した彼の同居人を入管難民法違反で逮捕し、脅迫や暴行、利益誘導などで無理矢理、「3月6日には返していない」との供述をとりました。しかし後に証拠保全のための証言の中で同居人は「鍵は間違いなく3月6日に自分がゴビンダさんから頼まれて返却した」と証言しています。たとえ事実であったとしても何らの有罪証拠にはならない「鍵返却は事件後だった」というストーリーを創作するために、こうした違法な取り調べをしていたことが明らかになっています。
巣鴨で発見された定期入れのナゾ
被害者の通勤定期が、事件後4日目の3月12日、巣鴨の民家の庭先で発見されました。犯人が奪って捨てたことは明白です。
巣鴨はゴビンダさんにとって無縁の場所。なぜこんな場所に定期入れが捨てられていたのかがまったく解明できません。警察は、この場所とゴビンダさんの接点を必死で捜査しましたが、何も発見できませんでした。検察も、定期券発見場所のナゾは、ゴビンダさん犯人説の大きな障害と考えていたことを認めています。
一審判決は、これをゴビンダさんが犯人だと考えると説明のつかない事実であると示し、無罪証拠の一つと考えました。しかし控訴審は、この問題をあっさりと無視し、やり過ごしてしまいました。まさに都合の悪いことにはふたをするというのが、控訴審判決の本質です。
第三者の存在を示す体毛とショルダーバッグ取っ手の付着物
遺体発見現場の101号室からは、13本の体毛が採取されました。しかし何故か4本だけが証拠として提出されています。そのうち1本は被害者のもの、1本はゴビンダさんのものと一致しました。しかし残りの2本は第三者のものであり、ABO式血液型ではB型とO型を示しました。ちなみに被害者はO型、ゴビンダさんはB型です。
ここから、第一審判決ではゴビンダさん以外の人物が現場にいた可能性を否定できないと判示し、ゴビンダさんではないB型の人物も、「犯人でありうる資格を有する」としています。
また、被害者のショルダーバッグが、取っ手のちぎれた状態で放置されていました。取っ手がちぎれるには少なくとも40kg以上の力がかかる必要があり、犯人がバッグを奪おうとした際に、被害者が抵抗した様子がうかがえます。このバッグ取っ手には、B型の血液型をもつ人物の体組織片が付着していました。被害者ともみあった際に付着したと考えられるこのB型体組織は、当時の鑑定技術ではDNA検査が不可能であったとされています。しかしそれより進化した現在の鑑定技術ではDNA鑑定が可能だと考えられます。弁護団は、このB型付着物のDNA鑑定を行うことを主張しています。
ゴビンダさんにはアリバイがある
午後10時までJR海浜幕張駅近くのレストランで働いていたゴビンダさんが、犯人らしき人物が目撃された午後11時半前後までに現場にたどり着くのは、相当の無理があります。
閉店と同時に駅まで駆け込み、脇目もふらずに早足で歩き続けなければなりません。普段の帰宅時刻は午前0時を回ることも珍しくありませんでした。警察は、計算上何とかつじつまを合わせて目撃情報のある午後11時25分から45分くらいまでに現場までたどり着けたと主張していますが、この日に限って、一目散に帰宅する理由があったとでも言うのでしょうか?また、たとえぎりぎりに現場付近まで戻り得たと仮定しても、被害者と出会って売春の交渉をした後、一緒にアパートに入る余裕などありません。この点でも検察側の主張は机上の空論と言わざるを得ません。
押尾鑑定意見書の非科学性
事件現場のトイレにはコンドームが捨てられており、その中の精液は、ゴビンダさんのものとDNA型が一致しました。彼は2月末〜3月始めに被害者とこの部屋で性的関係をもったことを認めており、被害者がつけていたメモも、これを裏づけています。つまり、このコンドームはその際に捨てられたものなのです。
しかし、検察はこれが事件当日(3月8日深夜)、ゴビンダさんが被害者と101号室で会って殺害した際に遺棄したものだと主張しました。そこで、現場で採取されたコンドームが、捨てられてから何日くらい経過していたのかが重要な争点になりました。
精液中の精子は、時間が経過するにつれて、頭部と尾部が分離していきます。検察が依頼した鑑定(押尾鑑定)は、この分離の進行状況を観察することで、精液が遺棄されてからの経過時間を判定する方法をとりました。
押尾氏は、鑑定実験用の精子が入ったコンドームをブルーレット溶液の中に放置し、時間経過に伴う、頭部と尾部の分離の進行度合いを観察しました。その結果、10日後では、頭部と尾部が分離した割合はほぼ30〜40%、20日後には、分離の割合は60〜80%を示しました。一方、現場で採取された精子は、すべての尾部がなくなり、頭部しか残されていませんでした。この結果を素直に見れば、現場で採取されたゴビンダさんのものと考えられる精液は、少なくとも20日以上経過していたこと、つまり事件発生よりも10日以上も前のものであることが分かります。
しかし押尾氏は、トイレの水が汚かったから、清潔な水を使用した実験より分離が早く進んだ可能性があり、(検察の主張どおり)10日前と考えても矛盾しない、という意見書を提出しました。現場の状況と実験で条件が異なっていたから結果に影響が出た、と主張するのであれば、現場と同じ条件を作って実験するのが科学者として理にかなった方法ではないでしょうか。汚水の中では劣化が2倍の速度で進行するというのは、まったく何の裏づけもない押尾氏の憶測以外の何ものでもありません。
一審判決は、このような押尾鑑定によっては、コンドームが遺棄されてからの経過時間を認定することは出来ないと判示しています。ところが控訴審では、押尾氏の何の根拠もない「10日前でも矛盾しない」という説を無批判に踏襲し、事件当日遺棄されたものと考えても矛盾はない、と有罪方向の証拠と決めつけました。
弁護団が提出した新鑑定(押田鑑定)は、事件現場のトイレと同じ条件を再現して実験したものですが、結果は水の清潔さの度合いを変えても、精液の劣化速度に有意な変化はないというものです。押尾氏の詭弁を強引に採用した高木裁判長の有罪判決の破綻は明らかです。