はじめに
被告人は無罪です。
検察官は、本件審理を通じて、被告人が本件の真犯人であるとする直接証拠は何ら提示できませんでした。そればかりか、状況証拠とされる証拠も、被告人の犯行を立証するものではありません。
検察官が提出した状況証拠は、「現場に残された精液」、「K荘101号室の鍵の返還をめぐる問題」、「S田らの目撃状況」、「被告人の所持金」等ですが、いずれも被告人の犯行の裏づけとはなりえないのです。
とりわけ、検察官は、精液を本件の最大の物証と考えたようですが、これは、本件の審理の過程でその存在が明らかとなった被害者の手帳が、これを否定する重要な根拠となっています。
むしろ、被害者の「定期入れ」が、被告人とは全く関係のない巣鴨の民家の庭先から発見されているなどの事情は、被告人が本件の真犯人でないことを明確に示しています。
被告人は、検察官の厳しい取調べに関わらず、捜査段階から一貫して本件犯行を否認し続けています。
あこがれの地であるわが国を訪れ、まじめに働いていた被告人が、突然、冤罪の惨禍にまきこまれ、2年以上に亘って身柄を拘束されたくやしさは筆舌に尽くしがたいものであります。
他国から訪れた者にこのような苦しみを与えることは、国際社会の中に地位を占めようとするわが国の司法のなすべきことではありません。
裁判所は、本件審理に際して、弁護人の数が多いことを理由に、私たちを国選弁護人として認められませんでした。このため、弁護人は、これまで無報酬で弁護活動を行ってきました。これもわが国の司法に汚点を残さないための動機からでたものであります。
裁判所においては、是非とも本日の被告人や弁護人の訴えに耳を傾け、適正な判断をなされるよう、弁論の冒頭にあたって、まず切望するものであります。
第一 現場に残された精液について
一 問題点
検察官は、被告人と本件の真犯人を結びつけるほとんど唯一の物証として、本件現場の便器に放置されていたコンドーム中の精液をあげています。
この精液中のDNAが、被告人のDNAと一致する、というのがその根拠となっています。
しかし、仮にこの精液が、被告人のものであるからといって、これをもって、被告人が真犯人であるということはできません。被告人と真犯人が結びつくためには、少なくとも、このコンドームが被害者が殺害された日に使われ、そのときの精液であることが立証されなくて.はなりません。
しかし、検察官は、かかる立証をなしえていないばかりか、かえってこの精液は、関係証拠からすれば、事件当日のものではないことが明らかなのです。
つまり、被告人は、本件事件以前に、K荘101号室(以下「101号室」といいます。)において、被害者と性交したことがあり、この精液は、その折りのものなのです。
そうである限り、この精液の存在をもって、被告人が本件の真犯人であるとはとうていいえないのです。
被告人は、本件犯行を否認するとともに、便器に放置されていた精液が、同人のものであるとしたら、それは、別の機会、つまり、2月下旬ころに、本件被害者と性交したときのものであると弁解しています。
そして、取調べられた客観的証拠等は、右弁解と矛盾せず、被告人の右供述は十分に信用できるものといわなくてはなりません。
それは第一に、被告人が本件事件以前に、本件現場で、性交した事実があること、そして第二に、精液の状態から見ても、そのときに放置された精液であることと矛盾しないことなどからして、明らかなのです。
二 事件以前に被告人は、被害者と本件現場で、性交したことがあること
1 性交の日
前述のとおり、被告人は、本事件以前に、被害者と本件現場で性交したことがあると供述しています。
すなわち被告人は、被害者と101号室において、2回性交したことがあること、1回目は、平成9年1月下旬、2回目は、平成9年2月25日から3月1日あるいは2日までの間であったと供述してしています。
一方、被害者は、売春の状況を自己の手帳に詳細に記録していました。
確かに、この手帳には、2月下旬ころ、被告人と性交したことを示す明確な記載はありません。
しかし、2月28日の欄に「?外人0.2万」との記載があります。この記載は、同日、外国人を売春の客とし、2000円の報酬を得たとの記載と理解できます。
問題は、これが、被告人との性交を意味するか否かです。
2月28日という日付については、この被告人の2回目の被害者との性交に関する供述に符合しています。
この点に関し、検察官は右記載は、被告人との性交を示すものではないと主張し、その根拠として、記載の冒頭に「?」が付されていること、支払われた金額も被告人の供述とは異なること、101号室という場所の記載がないことを挙げています。
しかし、場所の記載がないのは、この日に限らず、むしろ記載がある方がまれであり、記載がないからといって、同室で、売春行為が行われなかったことにはなりません。
確かに、被告人も供述するように、被害者とは、このときが初対面ではなく、その意味では、「?」がつけられるのは、不自然と考えられるかもしれません。しかし、被告人は、被害者に対して、自分の名前を告げていなかったのですから、被害者は、名前のわからない外国人という趣旨で、ここに、「?」をつけたことも十分考えられるのです。
さらに重要なことは、被告人の右弁解は、本件手帳が弁護人に開示される以前である平成11年4月26日の第26回公判から行っていたものであり、この手帳の記載を知った後、右記載に符合させるために考えついたなどというものではないという点です。弁護人は、右手帳開示後も、被告人には、その内容を明らかにしておらず、従って、被告人の右供述は、同人の純粋な記憶に基づくものであり、きわめて信用性が高いといわなくてはなりません。
2 被告人が支払った対価
被告人は、同日、被害者に支払った対価につき、持ち合わせていた金が、3月1日に購入した4640円の定期券に満たない金額だったので、最大限4500円であった、従って、もしかすると、4500円より少なかったと思う、と供述しています。
一方、被害者の右手帳の記載は、「外人」から受領した金額は、「0.2万」つまり、2000円ということになっています。
検察官がいうように、4500円と2000円という点だけをみれば、被告人の供述と手帳の記載とでは矛盾しているかのようです。しかし、重要な点は、被告人には当日、1万円札を除いては、被害者から提示された売春代金5000円の持ち合わせがなかったという点です。
被告人は、被害者に5000円を支払おうとしたものの、1万円札の他には、5000円以下の小銭しか持ち合わせていませんでした。このため、被告人は、被害者に1万円札を差し出して、釣銭をもらおうとしました。ところが、被害者は、釣銭がないので、あるだけでよい、足らない分は、次回会ったときに精算すればいいと応えたため、被告人は、その小銭を渡したのです。被告人は、その金額が、「千円札だけではなかった」つまり、売春代金が1000円という少額でなかったことは記憶しているのですが、それ以上に、具体的な金額は、記憶していないのです。そして、このように具体的な売春の代金額を記憶していないからといって、それは事柄の性質上、無理からぬことであり、このことをもって、被告人の供述全体に信用性がないとはとうていいえません。
むしろ、被告人の2月28日当時の金銭の所持状況からしても、被告人の右供述は十分信用できるといわなくてはなりません。
すなわち、被告人は、2月末になって、定期券を買う必要に迫られていましたが、賃金の支払い前で、その代金4640円の持ち合わせがありませんでした。
そこで、被告人は、2月25日頃、勤務先である「幕張マハラジャ」の同僚、Aから、勤務から帰る電車の中で、1万円を借りています。その日が、2月25日であったことは、Aの被告人の休みの次の日に貸したという具体的な証言からして、ほぼ特定することができます。そして、被告人は、連休になる3月3、4日の前に、Bから再び1万円を借りることになるのですが、被告人と被害者との101号室における最後の性交は、この2月25日から3月2日までの間で、1万円札の他、定期券代金に充たない金額しかもっていなかったときであるとの明確な記憶があるのです。
そして、被告人の右供述と、被害者の手帳の2月28日の欄の記載とは、日付の点からも、支払い金額の点からしても大筋において一致しており、したがって、被告人の右供述には、高い信用性があるものといわなくてはなりません。
3 売春代金の猶予
検察官は、右の点に関して、被害者の性格からして、売春代金の支払いをを猶予するはずはないと主張しています。
しかし、手帳の記載からも明らかなように、被害者は、外国人ら金を持たない客を相手に売春を行うときには、2千円、3千円といったきわめて低額で行っており(たとえば、平成7年12月13日、12月16日、平成8年1月6日、1月23日、2月13日)、この日、被告人を相手にしたときも、特に次回の支払いを期待することなく、場合によっては、2千円でもよいとの考えから売春に応じたと考えられます。
したがって、被害者との間で、被告人の供述にあるような交渉が行われたからといって、被害者の性格に反することにはとうていならないのです。
三 精液は事件当日のものではないこと
被告人と真犯人が結びつくためには、さらに、この精液が、被害者殺害の日である平成9年3月8日のものである必要があります。
本件被害者は3月19日に発見され、実況見分によりこのコンドームが発見されていますから、もし、事件当日ものであるとすると、この精液は、11日前のものということになります。
検察官は、押尾意見書等からして、事件当日のものであることは、明白であると主張しています。
しかし、この精液は、そのように新しいものではなく、少なくとも20日を経過したものなのです。
本件精液は、被害者が発見された3月19日、実況見分に際して、現場の便器の中から発見されました。便器のブルーレツトを含んだ水のなかに、コンドームが捨てられていて、その中に精液が存在していました。この精液は、その後、ガーゼに付着させ、冷凍保存されたことになっています。
問題は、この精液が、放置後、どれくらいの期間が経過しているか、つまり、2月28日に放置された精液であることにまちがいないかという点です。
押尾意見書によると、残置された精液中の精子の形状は、頭部のみの精子であり、尾部は、存在していてもほとんど痕跡程度であったとされています。押尾証言によると、観察できた精子は、全部で、200個、この全部について、右のような状態であったというのです。
ところで、押尾証人は、警察の鑑定嘱託に応じて、4名から採取した精子をブルーレット溶液に混入させた場合の精子の経時変化につき鑑定を行っています。
その結果、放置10日後の精子の頭部と尾部が分離した割合は、19〜44パーセントで平均値が、約35パーセントであるのに対し、20日間放置したものは、61〜100パーセント、平均約80パーセントという高率を示しています。
この数字を見る限り、200個の精子について、精子の尾部を観察できなかった残置精液は、20日間以上放置されていたとの強い推定が働くはずであります。
ところが、押尾意見書は、「本資料では、精子頭部の形態は、正常に保たれていたが、嘱託鑑定においては、放置後10日まで頭部形状は、正常であったが、20日後には崩壊をきたしたものが観察された。同鑑定は、すべての操作を清潔な環境下に行ったものであり、資料2から判断する限り、採取された資料は、便器内の不潔な条件下にあることから清潔環境下で、放置後20日に観察された頭部と尾部の分離現象が当該の環境下では、放置後10日で生じても矛盾しないと考えられる。」などとしています。
検察官は、右記述をもとに、精子頭部の形態が正常に保たれていたことだけを強調して、20日間も経たものではないと主張しています。
しかし、これは、頭部と尾部がすべて分離しているという事実を無視した客観的な資料に基づかないこじつけ的な結論といわなくてはなりません。
押尾証人は、その証言からも明らかなとおり、本件精液が、どのような環境下におかれていたか、自らは、全く見分していません。単に、便器内に放置されていたとの一事のみから、「不潔な環境下」であるとして、右結論を導き出しています。
しかし、このような結論は、とうてい科学者の実証的態度であるとはいえません。
コンドームの長さは22センチメートルで、これは、ティッシュペーパーにくるまれて捨てられたと考えられます。そして、右コンドームを現場から採取した金光証人の証言からも明らかなとおり、コンドームの口は、水面に浮いた状態にあったのですから、その形状等を考えると、たとえブルーレット水溶液中にこれが捨てられたとしても、水溶液は、ほとんどコンドーム中には入らないと考えられます。つまり、精液は、コンドームの先端の「精液たまり」にたまり、その先端は、重さで水中に沈み、口の部分は水面に浮く形になりますから、水溶液はほとんど浸入しないと考えてよいのです。また仮に、水溶液が入ったとしても、押尾証人が、前記鑑定に際して行ったように、試験管の中で水溶液と精子とを攪拌するといった極端な状況にはとうていなりえないことは、右状態からして、明らかといわなくてはなりません。
押尾証人の前記意見は、大腸菌の存在に注目したものですが、鑑定時に採取されたものでも、尿道等を通る際に大腸菌が混入するなどするのであり、本件精子の状況と、大腸菌の存在においては、有意的な差があるとはいえません。
しかも、コンドームの中に入った精子は、精液の中にある、つまり、精漿に包まれており、精漿は、押尾証言のように水より重い(比重が1以上)のですから、仮にコンドームの中に水溶液が入ったとしても、精子は、精漿に包まれたまま保存されることになり、むしろ鑑定の方法より、保存状態がよい環境下で、放置されたということになります。
押尾鑑定によれば、精液のままで放置された精子の頭部と尾部が分離した割合は、10日で約12パーセント、20日放置でも約44パーセントにすぎないのですから、むしろ、コンドーム中の精漿に包まれて、200個も存在する精子のすべてにつき、尾部がなくなり、頭部しか残されていなかった事実は、この精子が、20日以上放置されていたことを示すものです。
20日間放置されていたということは、まさしく被害者の手帳に記載された2月28日頃ということになり、かかる客観的事実は、被告人の弁解が正しいこと、そして、精液の存在は、何ら被告人と真犯人とを結びつける証拠とはなり得ないことを示すものに他なりません。
(一) 確かに、検察官が主張するように、Cの捜査段階の供述調書には、被告人との口裏合わせの存在を認める供述記載があります。
しかし、これらの供述記載は、長期間に亘る捜査官による強制的な取調べ及び利益誘導の結果作成されたものであり、任意性、特信性がないばかりか、その内容は、きわめて不自然で、とうてい信用できません。
このことは、Cの捜査段階における供述の経過を時系列的に見れば、明らかです。
(二) Cが、鍵のことで、最初に捜査官から事情を聴取されたのは、3月27日のことでした。この日の取調べに対してCは、「かぎは見たことはない、ゴビンダさんが持っていきました。」と答えています。Cが、このような供述をしたのは、同人は、密入国による不法滞在中で、警察に出頭すること自体回避したい状況にあったからでした。このため、Cの存在が警察等に知られないことにしようと、真実は、Cが返しに行っているのに、被告人が返しに行ったということにしたのです。
Cは、結局警察から事情聴取を受けることとなりましたが、当初は、右のとおり、被告人が返しに行ったという虚偽の供述を行ったのです。
もし、Cと被告人との間において、検察官主張のような口裏合わせが行われたというのであれば、Cは、当初の取調べの段階で、その口裏合わせの内容に沿った内容、つまり、「自分が3月6日に返しに行った」との供述を行うはずです。しかし、Cは、そのように供述しませんでした。右内容の供述をしなかったのは、その内容こそが真実であるに関わらず、右のような事情があったからに他なりません。
このことは、被告人もオーバーステイに関する初期供述で、101号室の鍵を返したのはCであると供述しなかっただけではなく、Cが401号室の同居人であることすら隠していたこととも符合します。
(三) しかし、3月29日の取調べでは、Cは、101号室の鍵は自分が返却したと答えました。これが、真実であったからです。
Cは、鍵のことについて聞かれているうちに、被告人も自分と同様に聞かれていると思い、そうであるとすれば、被告人もCが返却をしたとの真実を述べていると考え、自分も「正しいことを言わなければ駄目だというふうに考え」て、本当のことを供述したのです。
(四) ところが、3月30日になると、「被告人から、Cが返したことにしてくれと頼まれたのであり、真実は自分が返却したのではなく、被告人が返却した。」との趣旨の警察官調書が作成されています。
しかし、この供述には、信用性のみならず、任意性自体存しないものといわなくてはなりません。
Cに対する取調べは、前日の29日から長時間に亘って続けられ翌30日午前3時にまで及び、警察署内で一旦寝かされた後午前7時から再開されるという過酷なものでした。しかも、この頃Cは、極度の下痢に悩まされ、体調が極めて悪い状態にあり、心身共に疲弊しきっていたのです。加えて、警察官から暴行を受け、罵声を浴びせられるという過酷な状況の中で、Cは、自分を守るために、取調官の強要に屈して、タ方、取調官の言うとおり、鍵は被告人が自分で返却したことや、口裏合わせをしたとの虚偽の内容の警察官調書に署名させられたのです。
検察官は、警察病院作成の照会回答書に、「臓器腫大もなく、他の身体的所見に異常を認めず」との記載があることをもって、取調官の暴行やCの体調に異常はなくCのその旨の供述は信用できないと主張しています。しかし、Cが病院に行ったことは事実であり、取調中に警察病院で治療を受けたということは、取調官が連れて行ったとしか考えられず、Cの体調は取調官が放置できないほど悪かったことを.うかがわせます。また、臓器腫大などという重大なことが発見されなかったからといって、体調が正常であるとは言えないのであり、右記載は内科的診断結果にすぎないのであって、そのことから暴行がなかったとは言えないのです。臓器腫大が起こるほどの暴行はかなりひどい程度ですから、右記載から暴行がなかったとは言えないことが明らかです。
Cは、3月26日に取調べを受けてから5月20日に逮捕されるまでの間、警察に呼ばれなかったのはわずか2、3日だけであり、連日取調べを受けていました。そして、大声で怒鳴ったり、テーブルを叩くなど威圧的な取調べが続けられたのであり、とうてい自由な意思のもとに供述しうる状況ではなかったことが明らかです。
(五) そして、4月5日には、同内容の供述記載がある検察官調書が作成されていますが、これは、警察の取調担当者から、「検事には我々にした話と同じ話をしないといけない。」などと脅され、このため、Cは、検察官による取調べで真実を述べてもすぐに警察に暴行を受けると思い、検察官の面前でも、真実を話すことができず、警察で採取されたのと同内容の検察官調書となったのです。
このように、4月5日の検祭官調書は、警察による強引な供述録取の結果採取された内容をそのまま維持させられたものであり、その内容には任意性も信用性もないことは、明らかです。
(六)4月14日、Cは、改めて、101号室の鍵は自分で6日に返却した旨の真実の供述に変更しています。
このように再び真実の供述をしたのは、4月13日、同居のネパール人であるDとEから、同人らが弁護士と会ったことを聞き、自分も.弁護士の助言を得て、真実を話そうと決心したからでした。
ところがその後、警察からは、再び供述を変更させるべく働きかけが始められました。
その第一は、警察による仕事と部屋の斡旋です。
Cは、警察による連日の取調べにより、従前働いていたカフェレストランを解雇されてしまっていました。取調官は、そのようなCの経済的苦境につけ込み、4月17日、Cに仕事を斡旋しています。しかも、その仕事は、ほとんどただ座っているだけで2時間3000円も稼げるというものでした。さらに、Cは警察から無償の住居さえも与えられているのです。これらは、警察が思い通りの供述を得ることを目的として、Cに対して、利益供与を行ったものであることが明らかです。
その第二は、警察は、Cに対して利益供与を行う一方、連日に亘って取調べを続け、ついに5月20日には、外国人登録法違反により同人を逮捕し、執拗に鍵の件に関する供述の変更を迫ったのです。
そして「弁護士を付けると長くなるぞ」等と脅迫・欺罔して弁護士との接見を妨害する一方、警察に協力をすれば日本に来て働けるようにする、もし協力しなければ2度と日本に来られないようにする等の働きかけを行ない、Cに対し、警察が完全に生殺与奪の権利を有することを誇示して虚偽供述を迫ったのです。
(七) このように、利益誘導と威迫、また、連日の取調べによる疲弊により、Cは「誰も自分の話を聞いてくれない」、「ここで真実を言っても自分は釈放されない」とあきらめの境地になり、ネパールに帰ってから自身に起こった数々の人権侵害行為を告発しようと考え、真実を述べることをあきらめ、取調官が言うがままに、5月24日付け及び同月29日付けの各供述調書が作成されたのです。
このように、Cの右各供述調書には、信用性のみならず、任意性自体存在しないものなのですから、本来裁判所は、これらを証拠排除すべきであり(なお、証拠保全証人尋問が実施されている場合には憲法37条2項の趣旨からも刑訴法321条1項2号前段による証拠採用はできないのであって、この点からも証拠排除されなければなりません。)、まして、これを根拠に、被告人が3月10日まで101号室の鍵を保有していたことや、Cとの間で検察官主張のような口裏合わせが行われたとすることは、とうていできないのです。
(一) Mは、当公判廷で、家賃と鍵を待ってきたのは被告人自身で、これを受け取った日にちは、事務員Iが金員を銀行に入金しているのが3月11日であることを警察から聞いたために、警察の取調べの中で3月10日だと思うようになった旨証言しています。
右の証言でも、Mは、鍵の返還を受けたのが、3月10日であると明確に述べてはいません。しかも、Mは、死体発見直後の最初の取調べ時点では、鍵をいつ、誰から返してもらったかについての記憶すらなかったのです。
それにも関わらず、Mが当公判廷における検察官の主尋問に対して、前記のような証言をしたのは、取調官による不当かつ意図的な理詰めの取り調べがなされたからに他なりません。
渋谷警察署の警察官は、事件直後からMが法廷で証言するに至るまで、頻繁にMの勤務先であるカンティプールを訪れており、山崎健雄に至っては、被告人の逮捕後1日も欠かさず同店を訪問し続けていました。このことから明らかなように、Mは、実質的に渋谷警察の管理下にあったのです。
このようなもとで、M証言は、警察官の意図に沿うよう作り上げられたと言わなくてはなりません。
そうであるからこそ、Mは、当公判廷での反対尋問に際して、実際には、誰からいつ、鍵の返還を受けたか、その状況につき全く記憶がないことを吐露せざるを得なかったのです。
Mは、証言に先立って、弁護人と会った際、弁護人に対しては、鍵を「いつ返されたのか、どういうふうに返されたのか、自分は覚えていない」旨答え、鍵と家賃とを一緒に持ってきたのか別々に持ってきたのかも全く状況として記憶にないと答えています。
また、鍵を返してもらった状況につき、(3月に家賃を被告人が)「持ってきた状況は覚えていないんですけども、持ってきたと思ってたんですね。今も思ってますけどね。でも、分からない。」などと全く意味不明なことを述べ、その挙げ句、Cが持ってきた可能性を認めているのです。
さらにMは、鍵を「持ってきた情景というのは全然頭に入ってない」、「とにかく、持ってきてる情景が全然頭に残ってませんから」と、記憶がない旨を率直に吐露したうえ、その時刻についての記憶も全くないと証言しているのです。
また、Mは、被告人が鍵や家賃を持参したとの主尋問での証言の根拠として、「とにかく、ゴビンダが持ってきたとずっと思ってましたからね。」と証言しています。これは、3月分だけでなく、それ以前も、いつも被告人が家賃を持ってきたということを根拠にするものですが、しかし、その前提自体誤っているのです。現に、平成8年12月分の家賃は、被告人ではなく、同居人のGが持参しているのであり、このことからしても、被告人が3月10日に鍵を持参したというMの証言には、信用性がないと言わなくてはなりません。
(二) 事務員Iは、3月11日入金分の家賃をMから受け取ったのは、3月10日の夕方から3月11日に入金するまでの間であると思われ、3月10日にも銀行に行っているので、その時点ではまだMから家賃を受け取っていなかった旨証言しています。しかし一方では、I自身、3月入金分の家賃をMからいつ受け取ったかについては、具体的な記憶がない旨証言しています。
Mは、家賃を受け取ってもそれを何日も自分の手許に置いておくことがある旨証言し、1月と3月に受け取った家賃をすぐにIに渡したかどうかにつき、「間違いなくそうかと言われると困る。」旨述べています。
このように、仮にIが家賃を受け取ったのが3月10日であるとしても、このことから、Mが家賃を受け取った日を同日であるとすることはできません。
1月の家賃の入金日は1月13日となっていますが、これより前の被告人の休日は1月7日で、同日、家賃が渡されたとしか考えられないことからすれば、家賃を受け取ってもすぐに銀行に入金されるとは限らないのです。このことからしても、3月11日に銀行に入金されているからといって、3月10日に被告人が家賃を持参したということにはなりません。
また、Mが、家賃を受け取りながら、売り上げを入金するときに家賃を持っていくのを忘れる可能性や、I自身の仕事の都合で受け取った家賃をすぐに入金できないことも考えられます。
(三) 当時カンティプールでアルバイトをしていたネパール人Fは、鍵の返還の件に関する検祭官からの主尋問に対し、Cがカンティプールに来て「Mさんを呼んでくれ」と言った記憶は「ありません」と証言しています。
しかし、右証言は、あったかもしれない、つまりCが来ているかも知れないということである旨反対尋問で認めているのであり、検察官の主尋問におけるF証言は、Cが鍵を返還していないことを証明するものではありません。
F自身、同店には、1日150人もの客が出入りし、また、当時は1人従業員が休んでいて非常に忙しい時期だったため、Cが店に来ている可能性があり、また、FがCと接触しながらこれを覚えていない可能性も非常に高い旨、認めているのです。
このようにそもそもFは、Cにせよ被告人にせよ、家賃や鍵を持ってきたこと自体、全く記憶していないのですから、右証言には、何らの意味もないものといわなくてはなりません。
(四) ネパール人のHは、401号室に滞在していた3月3日から同月7日までの間に、同室の住人の間での金員のやりとりは、CがJから5000円借りた以外には見ておらず、被告人とCとの間の金員のやりとりも見ていない旨供述しています。
しかし、Hは、被告人らの動静の一部始終を見ていたなどということはないのみならず、401号室の住人のうちJ以外はすべて初対面で、Cの氏名を「C・ライマジ」と完全に異なる名前を述べるなど、同人らのことを十分に把握してはいなかったのです。
しかもHは、Cが同日、被告人に1万円を支払った事実など実際にあったことまで、見ていないと証言していること、被告人が持ってきた鶏肉を食べた日についてEやDの供述と食い違っていることなどからも明らかなように、その証言には信用性がなく、これをもって、被告人がCに対して、鍵や家賃を託したという事実を否定することはとうていできません。
1 被告人は、1966年10月21日に、ネパール王国イラム市に生まれました。
家は地区で一番多く水田を持ち、多くの人を雇って農作業を行っている篤農家です。被告人は、学校に10年通った後辞めて家業を手伝い、21歳のときに結婚をし、2人の女の子がいます。
被告人の家はヒンドゥー教の最高位ブラーマンの階級です。
被告人の父は、地元の長を勤めたり、ネパーリ・コングレス党の代表を努め、地元の行政上の処理やもめごとの仲裁などをする人望家でもありました。
被告人は、学校で日本の豊かさや美しさ、日本人の勤勉さなどを知り、日本にあこがれていました。そして、姉や兄が来日して金をためてカトマンズに家を作ったことに触発されて、姉ウルミラを頼って平成6年2月28日に来日しました。
その後、姉に探してもらった職場でまじめに働いてきました。来日して10日か15日ころから、Mが支配人をしている渋谷の「カンティプール」で、Mに仕事を教わりながら働いた後、別の「カンティブール」で1ヶ月くらい働いていましたが、コックに叱られたことが原因で同店を辞め、1、2ヶ月後から浦安のインド料理店「ゴングール」で皿洗いとして働きました。同店では、勤勉な仕事振りが認められて、表参道の店に移り給料も時給750円から800円に上がり、ウェイターもするようになり、やがてウェイター専門になっています。しかし、平成7年8月か9月ころ、同店の経営不振から他の2人のネパール人と一緒に辞めさせられてしまいました。
その後しばらくして、姉の紹介で海浜幕張の「マハラジャ」でウェイターとして本件で逮捕される直前まで働いていました。給料は最初時給800円でしたが、まじめな仕事振りが認められて途中から850円に上がっています。
このように被告人は、極めてまじめに働き、来日以来約3年の間に、姉への返済も含めて、300万から400万円を送金しています。
被告人が送金した金は、姉からカトマンズ市内の土地を購入する代金やその上に建物を建てる資金に使われ、建物は平成9年2月ころには2階が完成する直前でした。そして、被告人が逮捕された後、父が被告人名義の水田を売却して作った金で2階まで完成させ、現在は他人に賃貸しているとのことです。
被告人の家庭環境、経済状態、宗教、及びまじめな性格などから考えて、人を殺害して金を盗ることなど考えられないことです。
2 検察官は、被告人が国に無理な送金をしていたため、常に金に困っていて同居人や職場の同僚からいつも借金をしなければならないほど金に困っていた、と主張しています。被告人が国へ送金した金は、約3年間の間に300万円から400万円です。月平均にすると10万円前後であって、被告人の前記収入から考えて決して無理な金額ではありません。
被告人が国にできるだけ多くの送金をしていたのは、前述したように所持金を少なくして足りない場合には借金でやりくりすれば、余り無駄使いをしないで済むという考えによるものであり、現に被告人は、そのようにして長年日本での生活をしてきました。
日本での被告人の生活は、休みの日以外は、午前9時50分ころ401号室を出て午前11時10分ころ海浜幕張駅に着き、駅前のプレナデパートなどで時間をつぶした後、午前11時50分ころ「幕張マハラジャ」に入るというのが日課でした。
食事は勤め先で取っており、休日の前日には勤め先から残り物を持ち帰るなどして休日の食費も節約していました。被告人は、家賃や光熱費、特別な買い物代を除いた純粋な小遣いは多くて月2万円程度あれば十分でした。平成9年に入ってからの収入は、前述の通り、401号室の家賃差額も含めて月25万円以上あったのであり、2月に一時的に30万円の送金をしても、2、3ヶ月のやり繰りで簡単に調整ができるものでした。
被告人の本件事件の直前の経済的生活状態も、従前となんら変わるところがなく、被害者を殺して金を盗らなければならないような状態ではなかったことが明らかです。
第四 被告人は犯行時刻に間に合うか
一 問題点
1 検察官は、「被告人は、仕事を終えて自室に帰る途中の平成9年3月8日、午後11時30分ころ、売春客を捜して徘徊していたところ、顔見知りの被害者と自室近くの路上で出会い、売春の相手となるように誘われてこれに応じ、被告人が鍵を所持して出入りが可能であった101号室に同女を誘い込み、同所で同女と性交したことがたやすく認められる」と主張しています。そして、検察官は、被告人がK荘付近に午後11時30分ころに到着することが十分可能であったことの根拠として、被告人が海浜幕張駅午後10時7分発の電車(以下「7分発の電車」といいます)に乗ったことを強調しています。
なぜ被告人がK荘付近に午後11時30分ころに到着していなければならないのでしょうか。それは、S田がK荘前で目撃したアベックの男性が被告人であると言いたいからなのです。
本件捜査を担当した警察官の石井証人は、アベックの男性が被告人であることを前提にして、被告人が海浜幕張駅午後10時22分発の電車(以下単に「22分発の電車」といいます)に乗った場合には、S田のアベック目撃時刻にはK荘前に到達できないことを認めています。ところが、起訴検事の宇井証人は、S田の車は午後11時40分ころまでの間にK荘前を出発しているので、その時刻まではS田がアベックを目撃することが可能であり、被告人が22分発の電車に乗った場合でも、K荘付近に午後11時40分近くに到着できるので、「許容範囲だろうと認定」していたと述べています。
検察官は、S田は「平成9年3月8日午後11時30分ころから午後11時50分ころまでの間、K荘前の前に車を止め、父親が『まん福亭』から出てくるのを待っていたところ」、K荘前の路上にアベックを目撃し、そのアベックの女性は風体からして被害者であることが認められる、その男性は被害者と「ほぼ同じ身長の浅黒く彫りの少し深い顔の東南アジア系の男」である、そのアベックが「101号室の玄関方向に歩いて行くのを目撃した」と主張し、アベックの女性が被害者であることは断言していますが、アベックの男性が犯人であること、そして被告人であることを明言することを避けています。しかし、それを前提にしていることは、石井、宇井両供述から明らかですし、論告もそのことを前提にしています。
以上のことから本件における重要な争点は、
第一に、そもそも被告人は、7分発の電車に乗ることができたか、
第二に、被告人は、午後11時30分ころに、K荘付近に到着することができたか、
第三に、S田が目撃したアベックの男性が被告人であったのか、
という3点であることが明らかです。
検察官の主張は、この3点が証明されない限り成り立たないことが明らかです。
証拠を精査すると、被告人が7分発の電車に乗ることが不可能であったこと、被告人が午後11時30分ころに、K荘付近に到着することが不可能であったこと、S田が目撃したアベックの男性が被告人ではないことが、いずれも明らかです。
2 S田の供述と、当時K荘の別の部屋に居住していたT子の供述から確定的に特定できる時刻は、S田が車で「まん福亭」前に到着した直後に、コンビニエンスストア「トークス」でガムを買った時刻が同月8日の午後11時14分であること、S田が帰宅後に車に給油した時刻が翌9日の午前零時23分であること、T子がK荘2階の203号室の自室から友だちのO田に2度目の電話をした時刻が同月8日の午後11時32分であることだけです。
従って、その他の時刻の特定及び犯人の特定は、右両供述の検討によって推測する外はないのです。
3 S田のアベック目撃供述は、犯人特定にとって重要な直接証拠です。
本件捜査では、S田が目撃したアベックの男性が被告人であること、それを前提にして被告人が午後11時30分ころにK荘付近に到着できたことを裏付けるための捜査に重点がおかれていました。また、検察官は、公判でもその為の立証活動に精力を費やしてきました。
しかるに論告では、S田供述は前述した程度でしか採用されていないのです。これは、検察官が、S田供述を被告人が犯人であることを裏付ける重要な証拠として十分評価できなかったことを意味しています。
その通りなのです。S田の供述録取の経過からは、捜査側が捜査当初から被告人が犯人であるとの予断と偏見を持ち、意図的にS田供述を誘導したことがうかがわれます。それにもかかわらず、S田供述は、検察官の意図に反して、被告人が犯人ではないことを裏付ける証拠なのです。
二 S田のアベック目撃時刻の特定
1 S田は、被害者と犯人が殺害現場の101号室に入っていく直前の状況を目撃した唯一の証人です。しかし、S田供述は、供述経過から見て、被告人を犯人であるとの予断を持っていた捜査側が、意図的に誘導したものであることが明らかです。
3月19日に、テレビのニュースで事件を知って、母にアベックを目撃したことを話したが、男性については「黒と白のジャンバーを着ていた」と話しただけであり、髪型や皮膚の色、外国人であることなどは話さなかった、
2日後の21日夜11時過ぎに、「まん福亭」で、そのことを警察に最初に話したが、「(男性を)はっきりとは見ていない」と話しただけで、東南アジア系の男性とか顔のことは話さなかった、
次の日も渋谷警察署で取調べを受け、「左後ろからなら見た」と述べて、髪にウェーブがかかっていてそんなに長くなかったこと、肌の色などについて話したが、東南アジア系の人と言ったかは不明であり、この日までに調書は作成されなかった、
その次に警察で取調べを受けたのは同年5月で、1回だけである、
時期は特定できないが警察官が自宅に来たことがある、
冬ないし寒いときに、取り調べで被告人の写真を見せられた、その後に警視庁で被告人を直接見たことがある、
現場説明は同年5月16日であるが、その前に警察官と1回現場に行った。
ことが明らかになっています。
そして、弁護人に開示された同人の供述調書は、平成9年5月4日付け警察官調書と、同月25日付け検察官調書のみです。
(二) ところで、捜査側は、同年3月27日及び28日の2日にわたって、K荘1階に入る階段の路上で、S田がアベックを目撃した場所付近の照度計測を実施しています。この照度測定は、S田の目撃供述を補強するために実施したとしか考えられません。従って、捜査側が極めて早い段階からS田の目撃供述を重視していたことが明らかです。しかし、S田の供述調書が作成されたのは、2ヶ月も経ってからです。
この点について、宇井証人は、「(目撃供述を)初期の段階で早く固めてしまうのがいいのかどうか、ほかの目撃者がいた場合はどうか、いろいろな要素」があるので、「一般に、犯人がある程度特定されない限り、いなくなる参考人は別としまして、供述調書というのは後の段階になってきます」、と述べています。
しかし、犯人が特定された後に目撃供述を調書化するということは、捜査側が、特定された犯人に似せた目撃供述を誘導する危険性が強くなります。また、他の目撃者が出てきた後に調書化すると、目撃供述を一致させるように、捜査側が誘導する危険性があり.ます。このような目撃供述は信用性が極めて薄いことはいうまでもありません。目撃供述が信用できるのは、まず目撃供述が調書化され、後に犯人が特定されて、犯人の風体ないし供述が目撃供述と一致した場合です。右宇井供述は、S田供述を捜査側の意図通りに誘導したことを、はからずも露呈しています。
(三) 被告人は、オーバーステイで逮捕された以降、主として本件事件の取調べを受けており、前述した通りCも同月29、30日に101号室の鍵のことを厳しく調べられています。従って、捜査側は、この時点で、被告人を犯人と断定していたのです。
このことは、宇井証人が、本件事件の担当となった4月2日には、被告人を重要な容疑者であるとの心証を持っていたと述べていることからも明らかです。
捜査側が警視庁で被告人の写真や被告人自身をS田に見せた(前記)時期は、被告人が東京拘置所に移監される前としか考えられず、被告人の東京拘置所移監が同年4月25日ですので、それ以前で寒い時期といえば同年3月、即ち被告人がまだオーバーステイで勾留されていた時期しかありえません。このことから、捜査側が記憶の曖昧なS田に対して、被告人を犯人であると思いこませ、前記〜の事実によって念入りにS田に被告人を印象づけ、被告人に似せた目撃供述を誘導し、2ヶ月も経ってから初めて供述調書を作成したことが明らかです。
そして、公判供述も捜査段階の供述をそのまま引き継いでいます。
(四) 当時K荘の別の部屋に居住していたT子は、101号室内の喘ぎ声を聞いたことを、被害者の死体が発見された翌日ころには警察に話しています。しかし、明らかになっているT子の供述調書は同年5月31日付け検察官調書2通だけであり、警察官調書は「4月過ぎ」(5月になってからの意味)に作成されたことになっていますが、開示されていないので弁護人にはその存否は不明です。
T子の供述調書も、捜査側が知ってから2ヶ月近く経って作成されています。捜査側は、S田のアベック目撃時刻を、被告人がK荘付近に到着する可能性を考慮しながら、信用性のあるT子供述と整合させるために、即ち、S田の車の出発時刻をT子が電話をかけに出た時刻ぎりぎりまで延ばし、アベック目撃時刻に幅を持たせるよう整合して誘導したために、調書の作成が遅れたと考えられます。S田供述が捜査側の誘導によって歪められてしまったことは、T子の供述調書作成経緯からもうかがえるのです。
このような誘導によって作り上げられたS田供述は、捜査側の描いた筋書きによって歪められており、その信用性の吟味は慎重でなければなりません。
2 S田のアベック目撃時刻は、午後11時30分より前であることが明らかです。
(一) 前述したとおり、S田が「トークス」でガムを買った時刻は午後11時14分です。「トークス」から「まん福亭」までは1分もあれば十分ですから、S田が同店に入った時刻は午後11時15分ころということになります。S田は、同店内でマスターらとマスターが購入した車のことなどを話した後同店を出ました。S田は、同店内で話をしていた時間が5分〜10分程度で、5分くらいの感じであったと供述しています。すると、S田が同店を出たのは午後11時20分ころということになります。
(二)同店の外に出たS田は、同店から北側に2軒隔てた駐車場に行き、マスターの車を一周して見た後同店前に戻り、道路を挟んで同店の向いにある自動販売機で飲み物を買ってから自分の車に乗り込みました。
S田が右駐車場に行く時間は1分もかかりませんし、車の回りを1周して見た程度ですので、S田が同店を出てから車を見て自動販売機の所に来るまでの時間は2、3分で十分です。また、飲み物を買って車に乗り込むまでの時間も1分もあれば十分です。従って、S田が自動車に乗った時刻は午後11時25分前後ということになります。
S田は、その時にはまだアベックを見ていません。
(三) S田は、車に乗り込んでから運転席で買った飲み物を飲み、カーラジオの選局を始めた時、前を見たらK荘に入る階段前の路上にアベックを目撃しました。S田は、乗車してからアベックを目撃するまでの時間はだいたい5分くらいであったとか、選局していた時間は3分くらいであったとか、お茶を飲んで選局している2、3分の間にアベックを目撃した、などと供述しています。
飲み物を買って車に乗ったのですから、乗って直ぐに飲み物を飲み始めると考えられますし、単に選局するだけで2、3分もかかるとは考えられません。
従って、S田がアベックを目撃した時刻は、午後11時30分より前であることが明らかです。
3 しかし、S田は、右目撃時刻の始期を午後11時30分ころ、終期に至っては同50分ころまでの可能性あるような供述をしています。
(一) まず、S田がアベックを目撃した時刻の始期を午後11時30分ころと述べているのは誤りです。
前述したとおり、「まん福亭」前に車が到着した以降の行動に関するS田供述を、素直に検討すれば午後11時30分ころではなく、午後11時30分より前であることが明らかです。アベック目撃時刻が午後11時30分以降であるかのような表現は、捜査側の誘導の結果です。
(二)次に、アベック目撃時刻の終期を午後11時50分ころまでであるという供述は全く根拠がありません。
これは、車の出発時刻を午後11時50分ころとして、いかにもアベック目撃時刻がその時刻直前までの可能性があったかのような錯覚を起こさせるために、捜査側が苦肉の誘導をした結果の供述にすぎません。
即ちS田は、S田が車に乗ってから5分位して父が「まん福亭」から出てきたので直ぐ車を出発させたとか、父は同店を出てから直ぐ車に乗らず、同店のマスターと同人の車を見に行って4、5分で戻り、さらに路上で話をしてから車に乗った、従って、父が車に乗ったのは同店を出てから10分前後してからであったなどと供述しています。
この供述で重要な点は、父が同店を出た時刻が、S田が車に乗り込んでから5分くらい後であることに変わりがないということです。前述の通り、S田が自分の車に乗り込んだのは午後11時25分前後ですから、車の出発時刻が、前者の場合には午後11時30分ころ、後者の場合には同35分ころということになります。しかし、S田のアベックの目撃時刻は、S田が車に乗り込んでから父が同店を出るまでの間なのですから、車の出発時刻とは無関係なのです。車の出発時刻を遅らせればアベック目撃時刻にも幅が出るなどというのは、単なる目くらましにすぎないのです。
なおS田は、右出発時刻について、帰宅したのが翌9日の午前零時10分ころで、給油した時刻が前記の通り午前零時23分であるから、K荘前を出発した時刻は午後11時50分ころであると述べ、右出発時刻がいかにも根拠のあるもののように供述しています。論告は、この供述を根拠にS田の車が「まん福亭」前に留まっていた終期を午後11時50分ころまでと主張しています。これは、右目撃時刻を少しでも遅い時間まで幅があるようにしたい、そうでないと被告人の帰宅時刻の矛盾を回避できないという捜査側の意図によって、誘導されたとしか考えられません。
S田がアベックを目撃した時刻は、S田が飲み物を買って車に乗った時刻より後で、それから5分位して父が同店から出てくるより前、即ち午後11時25分以降で、同30分ころより前以外にはあり得ないのです。
4 T子供述は、右事実を裏付けています。
(一) T子は、O田に2回目の電話をした10分後くらいに、友だちのA山に試験の範囲を聞くため、神泉駅に公衆電話をかけに行きました。すると、T子が部屋を出た時刻は午後11時42分ころ、即ち、遅くとも同45分ころまでということになります。
この点について、検察官は8日午後11時45分以降と主張し、起訴検事の宇井証人もそれに添う供述をしています。しかし、それを裏付ける証拠はありません。
(二) T子は、部屋を出た時、S田の車や、路上で話しているS田の父及び「まん福亭」のマスターなどを見たかは記憶していません。
S田の車はK荘2階から降りる階段の真正面の3、4メートル先に止まっていたのですから、T子が階段を降りてきた時にS田の車がいて、S田の父と右マスターが杉田の車の傍で話していたなら、T子がこれに気づかないはずがありませんし、記憶に残らないはずがありません。また、S田も、真ん前の階段を下りてくるT子に気づくはずですが、T子を見たという供述はありません。
従って、T子が外に出て来た時には、既にS田の車は出発していたことが明らかです。宇井検事も「40分前後に立ち去っている」と認識したと供述しています。
さらに、前述したS田供述の検討結果によると、S田が車を出発させた時刻は、遅くとも午後11時35分ころより前ということになります。
S田の車が午後11時50分ころまでK荘前に止まっていたという検察官の主張は、証拠に基づかない主張です。
その結果、被告人が22分発の電車の乗った場合にK荘付近に到着できる最短時間が午後11時42分ころですので、被告人がその電車に乗った場合は、S田が被告人を目撃できないことが明らかであり、被告人が犯人でないことが明らかです。
右22分発の電車に乗った場合でも許容範囲であるという右宇井供述は明らかに誤りです。
三 被告人はS田の目撃時刻に間に合わない
1 被告人は、3月8日、幕張マハラジャに出勤していて、被告人のタイムカードの退社時の打刻時刻は午後10時でした。但し、同店のタイムレコーダーは2分40秒進んでおり、右打刻時間は、実際には午後9時57分〜同58分ころでした。
また、被告人の帰宅経路と帰宅方法は、JR海浜幕張駅から東京駅まで京葉線の電車に乗り、東京駅で品川回りの山手線の電車に乗り換え、渋谷駅で下車し、同駅から401号室までは徒歩でした。
被告人が犯人である可能性は、被告人が7分発の電車に乗ったこと、及び被告人が捜査側の実験通りに帰宅したことが前提であることが明らかです。
以下、その2点について詳述します。
2 被告人は、当日の勤務状態からして、7分発の電車に乗ることは不可能でした。
(一) 同店から海浜幕張駅のホームまでの所要時間は、普通の速度で歩いて6分〜6分20秒です。従って、被告人が7分発の電車に乗るためには、同店を遅くとも午後10時1分に出発していなければなりません。
被告人の3月8日のタイムカードの打刻時間は、前述した通り、実際には午後9時57分〜58分ころです。
同店の従業員は、地下の更衣室で制服を脱いで私服に着替えてから退出していました。手洗いなどに行く時間などを考慮する必要があり、着替えを済ませて手洗いに行って店を出るまでの時間は少なくとも5分程度が必要です。
以上の事実から、被告人がタイムカードに打刻する前に着替えを済ませ打刻と同時に同店を出ていれば、7分発の電車に乗ることは可能です。しかし、タイムカードに打刻した後に着替えをした場合には7分発の電車にはとうてい間に合いません。
(二) 同店では、平成8年2月、インド人の従業員が早く帰っていたことが経営者に発覚し、労働時間の管理が厳しくなりました。従って、従業員は、全ての作業が終わって、着替えの時間が十分ある場合にのみ、着替前にタイムカードに打刻していました。被告人は、午後10時の閉店時聞より10分〜15分前に作業が全て終わった場合にのみ、先に着替えを済ませてからタイムカードに打刻していました。
被告人は、オーバーステイの外国人で、いつ解雇されても文句を言えない弱い立場にありました。また、被告人は、同店での勤務状況が評価されて、途中で時間給を800円から850円に上げてもらっています。同店の従業員であるS口、K田、Y野らの被告人がまじめに勤めていた旨の供述、従業員が何の不安もなく被告人に金を貸したりしていたことなどから、被告人が職場で信頼されていたことがうかがわれます。
そのような被告人が、たった5分や10分の帰りを急いで、仕事を途中で放り出してタイムカードに打刻する前に着替を済ませ、打刻と同時に退出したとは考えられません。
(三) 3月8日は土曜日であり、同店のオーダーストップは午後9時30分で、レジを閉めた時間は午後9時40分であり、午後9時以降に精算をした客が8組おり、売上額合計は約42万円であって、その売上額からして「そんなに暇な日ではなく、レジを閉めた後も客が残っている可能性があり」、客が帰った後に片付け作業が開始されていました。
通常の日の片付け作業は、客が使った食器の片付け、18あった客用テーブルと5、6個のカウンターの席の上にセットされている未使用の食器類の片付け、テーブルの上の調味料やナフキンを一箇所にまとめて補充したり整理する作業、77ある店内のイスを机の上に乗せる作業、店外のイスを店内に収納する作業、食品類にカバーをかける作業、ゴミを地下のゴミ収納場に持っていく作業、店内の飲料保管用冷蔵庫を調べて翌日の営業に必要な数量の飲み物を地下倉庫から運んで補充する作業などがありました。特に、最後の2つの作業は、ビル内の全飲食店の閉店時間が一緒で、同時にエレベーターを使用し混乱するため、エレベーター待ちで手間取るのが常でした。
(四) 同日は、右作業に加えて、翌日昼のバイキング料理の準備作業がありました。同準備作業は、地下の倉庫からバイキング用の何台もの温熱器や多数の食器、デザートの杏仁豆腐などを台車に乗せて運び、それらを店内のカウンターの上にセットし、重い生ビールのボンベも含めて飲み物は普段より多く用意しておかなければならず、そのため、運ぶだけで店と地下の倉庫を台車で2回くらい往復する必要がありました。右作業はかなりの力仕事であり、男性従業員が主に行っていました。
被告人は、忙しいときにはタイムカードを午後10時に打刻した後も5分程度そのような作業を続行することがありました。特に、土曜日と日曜日は仕事がたくさんあり、午後10時前に着替をしたことはありませんでした。
(五) 同店では、当時、接客担当者の中で、長時間(長期間の意味か)働いていて、勝手が分かっていた従業員は被告人しかいませんでした。当日、閉店まで残っていた従業員は、S口以下8人であり、男性は5人いました。
しかし、長時間働いていた者は被告人とS口とBだけですが、S口とBはキッチンの作業をしていたのでフロアの片づけ作業を行っていませんでした。従って、ウェイターで長時間働いていた者は被告人だけであり、被告人が中心になって前記片づけ作業及び準備作業を行っていたという被告人の供述は信用できます。
(六) 以上の事実から明らかなように、被告人は、3月8日、どんなに手際よく作業をしても、午後9時57分〜58分より10分前に前記作業を全て終え、タイムカードに打刻する前に着替などを済ませる余裕がなかったことが明らかです。
被告人は、この日、タイムカードに打刻した後に着替などをしたのであり、7分発の電車に乗ることが不可能であったことが明らかであり、K荘付近に午後11時30分より前に到着できなかったことは明らかです。
検察官は、「被告人の同僚らの公判供述によると、被告人が平成9年3月8日午後10時前に同店を出たことは明らかである」と主張していますが、これは証拠に基づかない主張であり、明らかな誤りです。
3 被告人が午後11時30分より前にK荘付近に到着するには、被告人が、7分発の電車に乗ったことに加えて、捜査側の実験通りに電車の乗り換えをし、ラブホテル街の経路を通り、どの地点でも全く道草をせず脇目も振らずに帰ったことが必要です。
(一) 被告人の帰宅経路及び時間は、捜査側の実験結果によると次の通りです。
同店から海浜幕張駅のホームまでの所要時間は、通常の速度で歩いて6分〜6分20秒。
右駅から東京駅までの所要時間は36分〜37分。
東京駅で山手線に乗り換える所要時間は6分35秒〜6分50秒であり、東京駅から渋谷駅までの所要時間は品川回りで24分。
但し、東京駅での乗り換え時間は、別の捜査員の実験では7分〜8分。
ホテル、街を通った場合の渋谷駅からHビルまでの所要時間は、徒歩で10分〜10分35秒。
但し、別の捜査員が別ルートで実験した時は12分程度。
以上の結果、被告人,がK荘付近に到達できる時間は、7分発の電車に乗り、渋谷駅から直ちにラブホテル街を道草もせずに歩いて帰った場合が最短時間で午後11時28分以降、渋谷駅から右以外の経路を右同様に帰った場合が最短時間で午後11時30分以降ということになります。
(二) S田が目撃したアベックは、K荘前の道路から同荘1階入り口に通じる階段を上がって行きました。
このことは、アベックの男性が被告人であるとすると、被告人はラブホテル街を通って帰らなかったことを意味しています。
即ち、被告人がラブホテル街を通り、その途中で被害者と遭遇したとすると、Hビル北側の階段を降りて来るはずであり、S田が目撃した道路の裏側からそのまま101号室に入るはずです。わざわざS田が目撃した道路まで出て来てから101号室に入るとは考えられず、S田が目撃できる状況にはならないと考えられるからです。
また、被告人がラブホテル街以外の道を通って帰ってきたとすると、前述の通り、K荘前に到達できるのは、最短時間で午後11時30分以降ですからS田の目撃時刻には間に合いません。
仮に、被告人がラブホテル街の経路を取り、直ぐ401号室に帰らずに一旦右道路に出て被害者と遭遇したとすると、被告人は前記「トークス」で飲み物などを買うためか、セックスさせてくれる女性を捜していたと考えざるをえません。飲み物を買ったとするとその時間が必要ですし、女性を捜していたとするとそのために歩く速度も遅くなったはずですから、どちらの場合も右目撃時刻には間に合わないことが明らかです。
(三) 次に、被告人がどこで被害者と遭遇したとしても、被害者から売春の誘いを受け、売春の値段や場所などについて交渉し合意に達する時間が少なくとも数分は必要です。そうすると、被告人は、仮に、ラブホテル街を通ってきたとしても、午後11時30分より前にK荘前に到達することは困難ですし、他の経路を通ったとすればもっと遅い時間になってしまいます。
検察官の主張には、この時間が全く考慮されていません。
(四) 被告人は、右実験の場合のように、道草をしないで迅速に帰宅したとは考えられず、帰宅時刻が実験結果より遅かったことが明らかです。
(1) 3月5日以降の被告人のタイムカードの退出時刻はいずれも午後10時ないし同1分です。これらの日は土・日の忙しい日ではないので、片づけ作業が早く終わったと考えられますし、バイキング料理の準備作業もありません。従って、被告人が7分発の電車に乗ることが十分可能で、401号室に最短時間で午後11時30分前に到達することが可能であったはずです。
ところが、被告人の帰宅時刻は、同居のネパール人のDによると、3月5日が夜の12時ころであり、翌6日が同人が帰宅した午後11時半以降であり、同じく同居のネパール人のEによると、6日の被告人の帰宅時刻が夜の12時ころでした。このことから、被告人は、5日も6日も、午後11時30分ころに帰れるにもかかわらず深夜零時ころに帰宅していたことが明らかです。
しかるに、店が忙しくて片づけ作業が多く、バイキング料理の準備作業もあった3月8日だけ、被告人は午後11時30分より前にK荘付近に到達できたと考えるのは極めて不合理です。
(2) 被告人が、東京駅で、京葉線から山手線への乗り換えを7分〜8分で行なったという根拠は全くありません。この時間は、実験をした捜査官が、目的意識をもって歩いた場合に要した時間です。京葉線のホームは深い地下にあり、しかも山手線のホームとはかなり離れています。前述した通り、被告人は、3月8日、大変忙しかった上に翌日のバイキング料理の準備作業もするなど、退勤時刻一杯まで働いていて疲れていたことがうかがわれます。また、山手線の電車は短い間隔で来るので電車の時間を気にする必要もありませんでした。従って、捜査官のように脇目も振らずに迅速に歩いて乗り継ぎをしたかは疑問です。山手線の電車が1台遅れると渋谷駅到着が数分遅れることになります。
(3) 被告人は、渋谷駅に着いてからハチ公前広場で時間をつぶしたり、途中で飲み物を買ったりすることが多かったと述べていますし、特に、ラブホテル街を歩いて帰るときには、セックス相手の女性を捜しながら歩くことが多く、立ち止まったりするし、歩く速度も遅くなったと述べています。従って、被告人が、当日、右広場で時間を潰した可能性がありますし、ラブホテル街を通る場合には捜査側の実験のような時間より多くの時間を費やしていたと考えられますので、S田の目撃時刻には間に合いません。
同居人のEは、渋谷駅のハチ公前広場で時間を潰したり、Hビルに帰る道でもぶらぶら歩き、飲み物を買って飲みながら帰るのが日課になっていた、渋谷駅からHビルまで15分くらいかかる、と述べています。
(4) 被告人が、渋谷駅を出てからHビルまでの経路をラブホテル街を通り、まっすぐに普通の速度で歩いて来ないとK荘前に右時刻に到達できないこと、被告人がラブホテル街を通ったとすると矛盾があることなどについては前述した通りです。
(5) 同居のネパール人のEは、同月8日の夜、午後11時27分ころと、同50分ころの2回、自分の携帯電話で401号室に電話していますが留守番電話になっており、右広場で時間を潰して翌9日の午前1時ころ帰宅しましたが、その時被告人は部屋でテレビを見ており、その後2人でテレビを見ています。
しかし、いつもの通り被告人が午前零時前後に帰宅したため留守電話になっていたと考えれば、何ら不自然ではりません。また、この時の被告人の状況からは、直前に強盗殺人をした様子は微塵もうかがえません。
(6) 以上の諸事実は、被告人が、3月8日に、午後11時30分より前にK荘付近に到達できなかったことを裏付けており、被告人が午後11時50分ころ401号室に帰っていなかったとしても、被告人が犯人である状況証拠とはならないことが明らかです。
四 アベックの男性は被告人ではない
1 前述した通り、論告は、S田が目撃したアベックの女性は被害者であることは断定していますが、その男性が犯人であるのか、被告人であるのかについて明言することを避けています。にもかかわらず、そのアベックの男性が犯人であり、被告人でなければ成り立ち得ない主張をしています。
S田が目撃した状況は、アベックがいた場所とS田がいた場所の距離が約7メートルであり、S田が止めていた車から約3.7メートル先に80ワットの水銀灯があり、道路を隔ててアベックの約4.7メートル後ろに2台の自動販売機があってその明かりがあり、南側からは神泉駅の明かりが届いていた、というものでした。S田も「背中側から自動販売機の光が少し当たっていた」、「街灯があったかもしれない」と述べています。このように目撃状況は、かなり明るく、至近距離であったことが明らかです。
しかし、S田の供述は、右状況で目撃したにしては余りに曖昧です。
2 ジャンバーについて
(一) S田は、ジャンバーについて、「黒と白のジャンバーを着ていました」、「左脇の方に赤いものが見えました」、「(ジャンバーは)色しか覚えていない、黒っぽいものが主体で、あと、白が入っている、柄というよりも、白いものがあったのは分かりました」、「完全な背中の部分に白いものがあったという記憶である」、「赤は左の脇のほうで、赤いのがちらちらしている感じが見えた」、「それは横腹の辺り」、「左の肩か脇のところに赤いものが見えた」、などと供述しています。
また、S田は、被告人所有のジャンバーのうち、ハーレーダビットソンのジャンバー(以下「ハーレーのジャンバー」といいます。)と、黒地に白色が肩から脇の下に沿って入っているジャンバー(以下「黒と白のジャンバー」といいます。)が目撃した男性のジャンバーに近いが、そのどちらに似ているかははっきりしないとも供述しています。
(二) 被告人は、本件事件当時、被告人所有の右2つのジャンバーを全く着ていませんでした。
(1) 被告人は、事件当時もっぱら片面が空色で他方が黄色のリバーシブルのダウンジャケットを着ており、黄色を表にして着ていた方が多かったと述べています。
(2) 被告人は、ハーレーのジャンバーについて、それを着ていたとき警察官に職務質問をされた経験から、そのジャンバーを着ていて警察官に目をつけられるとオーバーステイが発覚すると恐れたこと、重たいこと、小さくなってチャックが閉めにくいことなどから、ネパールに帰ってオートバイに乗るときに着ようと思って普段は着なかった、などと述べています。
また、被告人は、黒と白のジャンバーについて、姉の所有物で被告人の所有物ではなく、姉が401号室に残していったものである、姉はそれが安いもので見栄えも良くなかったので家で家事をするときなどに着ていたが外出の時には着なかった、被告人も家にいるとき普段着として着たことはあったが、外に着て行ったことは全くないと述べています。
これらの供述には不自然な点はなく信用できます。
(3) マハラジャの従業員であるK田は、被告人が本件事件発生当時着ていた上着は、もっぱら片面が黄色、もう一方の面が濃紺のリバーシブルのダウンジャケットで、黄色を表にして着ていた、ハーレーのジャンバーは見たことがあるがリバーシブルの方が多かった、黒と白のジャンバーは見たことがない、と述べています。
同じくマハラジャの従業員であるY野は、被告人がハーレーのジャンバーを着ていたのを見たのは、忘年会の時1回だけである、と述べています。
これらの供述は、被告人の供述を裏付けています。
(4) 従って、被告人は、事件があった当時、右2つのジャンバーのいずれをも着ていなかったことは明らかであり、S田が目撃したアベツクの男性が被告人ではないことを裏付けています。
(三) S田の目撃したジャンバーと被告人所有のジャンバーとでは、次に述べるとおり明らかに異なっています。
(1) 被告人所有のハーレーのジャンバーは、背中に、中央が赤の炎のような模様で、その周りを白地の帯状の中に赤と黒が混じった字で、上段に「HARLEY」、下段に「DAVIDSON」と印字された大きくて特徴的な模様があります。そして、両腕の内側には赤い炎のような大きな模様があります。
ハーレーのジャンバーの背中の右模様は、極めて派手で目立つものです。S田の前記目撃状況からして、右模様に真っ先に気づくはずです。しかし、S田は。その特異な模様について全く述べておらず、単に、黒と白の色を述べているだけですし、同ジャンバーの背中にある炎状の赤については全く述べていません。そして、肩の所に白い筋があったと供述していますが、同ジャンバーにはそれがありません。
従って、S田が目撃したジャンバーがハーレーのジャンバーでないことは明白です。
(2) 黒と白のジャンバーは、背中には全く模様がなく、脇の下から肩にかけて両側に白い帯状の模様が入っています。
S田は、黒っぽい中に「完全に背中の部分」と腕に白が入っているジャンバーであったと供述していますが・同ジャンバーには、「完全に背中の部分」や腕には白い色はありません。
同ジャンバーもS田が目撃したジャンバーと明らかに異なっています。
(3) なお、S田は、「左脇のほうに赤いものが見えた」とか「左の肩か脇のところに赤いものが見えた」と述べていて、赤いものがジャンバー自体の模様なのかどうかが判然としていません。
仮に、赤いものがジャンバー自体の模様だとすると、ハーレーのジャンバーの両腕前側に赤い炎のような模様がありますがこれは後ろから見えませんし、肩や脇には赤はありません。黒と白のジャンバーには赤は全くありません。いずれのジャンバーとも異なっています。
(4) 従って、S田が目撃した男性のジャンバーと被告人所有の右2つのジャンバーは明らかに異なっており、この点でも、被告人は犯人でないことを裏付けています。
(一) 検察官は捜査段階において、前記現場立会の際、アベックの男性役にわざわざ赤いウェストポーチを持たせて確認していることから見て、S田が見た赤い色を、被告人が持っていたウェストポーチと同じ物であることを印象付けようとしています。
しかし、S田は、「ああいう鞄とはっきり分かるような物はなかった」と述べています。
(二) S田の公判供述では、「赤い色は左脇の方」とか「左肩か脇」などと述べており、ジャンバーの模様なのかどうか判別できない内容になっていて、ジャンバーではない別の物、即ち、ウェストポーチであることをうかがわせる内容ではありません。
被告人のウェストポーチは大きな物で、肩に担いでいれば明らかにそれと分かりますし、脇に抱えていても鞄ないしは袋と分かるはずです。S田がその判別ができなかったのは、暗かったり、遠かったからではなく、「そこまではちゃんと見ていなかった」からであることが明らかです。
(三) 被告人は、ウェストポーチの中にウォークマンと大きなヘッドフォンを入れていました。また、被告人は、背中の方の腰の当たりにバックの部分がくるような状態で身に着け、その上からジャンバーを着ているのが常でした。従って、通常の着装状態だと赤い色はジャンバーに隠れて見えないし、仮に見えたとしても、お尻の当たりにジャンバーからはみ出した赤い色が見えるだけであり、S田の目撃状況とは全く異なります。
S田供述から、S田が目撃した男性が、被告人所有の赤いウェストポーチと同じものを持っていたとすることはできません。
(一)S田は、目撃したアベックの男性の風体について次のように述べています。
3月19日に、ニュースで事件を知って、母に話した内容は「男性は黒と白のジャンバーを着ていた」と言っただけで、男性の髪型、皮膚の色や外国人であるということなどは話していない。
同月21日夜、「まん福亭」で警察官に話した際にも、東南アジア系の人ということや、顔のことは話しておらず、「はっきりとは見てないと」答えただけである。
翌22日になって、警察官に「左後からなら見た」と答えて、髪形はウェーブがかかっていてそんなに長くなかったとか、肌の色などを話したが、東南アジア系の人と言ったかは不明であり、供述調書は作成されなかった。
男性の風体に関する公判供述は、「(体格は)ちょっと肉付いた感じ」、「(顔)は左後ろから見た」、「左にいる女性に話しているような感じで、左側を向いたときにちょうど見えた」、「浅黒い感じで、彫りの少し深いような顔」、「ウェーブがかった髪型」、「束南アジア系の人だと思った」、という程度のものである。
「(法廷で被告人を見て)正確には見覚えがありません」、被告人を「警察では見たことがあります」、と供述している。
「(目撃したときは顔に)余り光が当たっていなかったし、鼻がちょっと見えるくらい」だし、「見たのはほんの何秒か位」にすぎない、K荘前にアベックがいたことが印象に残っただけで、東南アジア系の人というのは日本人ではない、外国人であるという程度の意味であり、「人についてはそんな印象的ではないです」と供述している。
(二) S田の供述が、捜査側の誘導によって歪められていることは前述しましたが、アベックの男性の風体に関する供述は、それが特に顕著です。
(1) 第一に、右〜の点です。S田は、被害者の死体が発見された直後には、目撃したアベックの男性の特徴について、母にはジャンバーのことしか言っておらず、警察官にははっきりとは見ていないと答えただけであり、最も記憶に残るはずの「インド人のようなアジア系の外国人」ないしは「東南アジア系の男性」であることなどについては話していません。しかも、公判供述では、右とは逆に、ジャンバーについての記憶が曖昧になり、風体についての記憶の方が明確になっています。
S田は、捜査当初から、右男性の風体に関する記憶が極めて曖昧であったことが明らかです。
(2)第二に、S田の右のような供述は、被告人の写真を見せられたり、警視庁で被告人に会わされたり、捜査官が何回もS田の家を尋ねたり、現場に同行を求めて、東南アジア系の男性を使って現場再現をしたりした後に作られたものであり、捜査側に誘導された結果であることが明らかです。
(3)第三に、右、の点です。このような弁解は、S田が自分の目撃供述に全く自信がないこと、そして目撃供述は捜査側の誘導によるものであることを図らずも吐露したものです。
(三)以上の通り、アベックの男性の風体に関するS田供述は、捜査側の2ヶ月にも及ぶ誘導によって作られたにもかかわらず、極めて曖昧であり信用できないものであります。
このことは、検察官が、論告において、S田の右目撃供述に基づいて、アベックの男性を被告人であると明言できなかったことが顕著に物語っています。
第五 陰毛及びショルダーバッグ取っ手の付着物について
検察官は、101号室の便所の便器内から発見されたコンドーム内の精液とともに、遺体の右肩付近の下から発見された陰毛のABO式血液型及びミトコンドリアDNA型が被告人と一致すること、及びショルダーバック取っ手の付着物から被告人と一致する血液型物質が検出されたことをもって、被告人と犯行とを結びつける主張をしています。
しかし、陰毛もショルダーバック取っ手の付着物も、被告人と犯行を結びつける証拠価値をもっていません。むしろ、現場から発見されたその他の陰毛の存在、ショルダーバッグ取っ手のミトコンドリアDNA型等を総合して検討すれば、それらの証拠は、被告人以外の真犯人の存在を示しています。
一 現場から発見された陰毛
1 石山鑑定及び久保田鑑定によれば、遺体の下から陰毛4本が発見され、うち1本は被告人と、1本は被害者とABO式血液型及びミトコンドリアDNA型が一致したとされています。
ABO式血液型及びミトコンドリアDNA型が一致したとしても、ともに同じ型を示す人間はいくらでもいるのであって、
B型、223T‐304Cが被告人
O型、223T‐362Cが被害者
であると断定することはできません。
仮に、前者の陰毛が被告人のものであったとしても、被告人は公判廷における供述のとおり犯行と無関係に101号室に出入りし、女性とセックスもしているのであって、被告人と犯行を結びつけることにはなりません。
検察官は論告において、コンドーム内の精液と合わせて陰毛の存在を指摘していますが、陰毛も右精液と同様に犯行と無関係に存在する可能性がある以上、陰毛によって被告人と犯行を結びつけることができないことはもとより、陰毛の存在がコンドーム内の精液の証拠価値を高めることにもなりません。
2 むしろ、検察官が遺体の下から発見され被害者と同じ型の陰毛といっしょにあった状況から、犯行との結びつきを推測するというのであれば、
O型、223T‐290T‐319A
B型、223T‐278T‐311C‐362C
の陰毛も、十分に真犯人の遺留物であるという資格があるということになります。
検察官は論告において、この2本の陰毛について何ら言及していません。しかし、この2本の陰毛が犯行と無関係であることを示す証拠は何もありません。
少なくともこの2本の陰毛の存在は、2名の被告人以外の人物が101号室において、被害者とセックスをしていた事実を推測させます。
3 検察官はふれていませんが、石山鑑定及びその他の証拠によれば、遺体が発見さ
れた101号室からは少なくとも陰毛が16本発見されています。これとABO式血液型、ミトコンドリアDNA型の検査結果を比較すると、少なくとも、被害者でなく被告人でもない陰毛が
O型、223T‐290T‐319A
B型、223T‐278T‐311C‐362C
B型、189C‐266T‐304C‐325C‐356C
O型、150T‐185T‐223T‐260T‐298C
の4本存在します。
このうち、「B型、189C‐266T‐304C‐325C‐356C」の陰毛は、ミトコンドリアDNA型が一致しているところから、以前101号室に住んでいたPのものだとしても、他に3人の人物が残ります。
このことは、少なくとも未知の3人の人物が101号室に出入りしていたばかりか、陰毛であることからすれば同室内でセックスしていたことを示しています。
検察官は論告において「101号室に出入できたのは、被告人だけである」と主張していますが、現場から発見された陰毛は、検察官の主張が誤っていることを客観的に示しています。
二 ショルダーバックの取っ手の付着物
1 石山鑑定によれば、被害者の所持していたショルダーバックの取っ手から、混合凝集反応(セロテープ法)によりABO式血液型でB型の反応が検出されたことになっています。
検察官は、この結果を被告人がショルダーバックに接触した証拠であると主張するようですが誤っています。
2 まず、「B型の反応が検出された」という検査結果の信頼性に大きな疑問があります。
石山証人自身、「このショルダーバックに付いている血液型を、先生、スクリーニングしてくれませんかというようなレベルのものだったんです」、「これ、先生ちょっと血液型を見てくれませんか、というようなことだろうと思ったもんですから、初めからそういうようないわゆる鑑定をするなんてことを、全然考えていなかったわけですよ」と証言しているとおり、そもそもこの検査は正式な鑑定嘱託を受けた検査ではありません。
そのことは受領した資料の現況が説明されず、保全されていない、検査資料の採取の、部位、大きさ、個数が特定されていない、凝集反応の有無、程度について証拠化されていない、という結果の正確性を担保するために当然備えなければならない要件の不備となってあらわれています。
石山証人自身、「私のほうは、一番初めからいわゆる鑑定嘱託書を添付してくれれば、まずハンドバッグをちゃんと写真に撮りまして、この場所を撮ったという矢印をつけて、それでやれなければおかしいんです。私は自分でそれを作ると思いますよ。ところがそうではなかったんですよ。この話というのは」
と証言し、この検査結果は、正式な鑑定としてはだめなものであると認識しているのです。
以上のことから、弁護人は、そもそもこの石山鑑定には刑訴法321条4項の要件がなく証拠能力がないと考えますが(裁判所は一旦弁護人の異議申立を棄却して証拠能力を認めましたが、刑訴規則207条により証拠排除をすべきです)、仮に最終的にも証拠能力が認められるとしても、検査結果の正確性を検証するデータが何もないという意味において、検査結果の信頼性は極めて乏しいものです。
3 さらに、「B型の反応が検出された」という検査結果自体は正しいとしても、そのことからB型の人物がショルダーバツクに接触したということを断定するものではありません。
第一に、混合凝集反応は極めて感度の高いものであり、人間の汗や人間の細胞以外にもB型の血液型物質の反応を示す物質はたくさんあることから、本件検査結果が人間の汗や細胞以外の物質による反応であった可能性があります。
第二に、真実はB型の血液型物質の他にA型の血液型物質も付着しているにもかかわらず、採取の状況、反応の状況により、B型だけが検出されたという可能性もないことでぱありません。
すなわち、石山鑑定の結果だけからは、B型の反応が人間由来のものでない可能性、A型の血液型物質の付着があった可能性のいずれも否定できないのです。
以上のことを当然の前提にして、石山証人白身、「本件ショルダーバック取っ手にB型の人物の接触があったと判断しても矛盾は生じていない」という結論を述べ、その趣旨について、「それはBの人もあるだろうし、Aの人もいるでしょうし、Oの人もいるでしょうし、ABの人もいるでしょうから、まとめてみて、Bはありましたよということを言っているだけです」と述べています。
4 いずれにしろB型の血液型を持つ人間はいくらもいることであつて、
検査結果が正しく
その反応が人間由来のものであって
かつA型の付着は存在しない
ということが証明されたとしても、B型の反応をもたらしたのが被告人であるという根拠は何もありません。
5 ところで、石山鑑定によれば、ショルダーバックの取っ手に付着している皮膚片から、ミトコンドリアDNA型の分析で223T‐362Cという型が検出されています。ミトコンドリアDNA型の検査結果が正しいとすると、これは、ショルダーバックの取っ手から被告人のDNA型は検出されなかったことを示しています。
このことは、被告人がショルダーバックの取っ手を引っ張ったのではないこと、ショルダーバックの取っ手から検出されたB型が被告人由来のものではないことを示しています。
検察側の証拠によれば、ショルダーバックの取っ手は約40キログラムfの力で引っ張らなければ引きちぎれないものです。また、40キログラムfの力というのは、40キログラムの重量のものを垂直に持ち上げる力であり、これは取っ手をしっかりと握り相当強く引っ張ったことを示しています。そうであれば、取っ手に引っ張った人物の皮膚片が付着しているはずです。この結果は、「ショルダーバックの取っ手には引っ張った人物の皮膚片の付着はなかった」という想定があり得ないことを明らかにしています。
石山証人自身、汗を付着されたB型の人物がショルダーバックの取っ手を素手で引っ張るというような行動をしたとすれば、「汗を付着された人物の皮膚片も残っていると思う」とはっきり述べています。
そのことからショルダーバックの取っ手に接触した人物は
ABO式血液型でB型
ミトコンドリアDNA型で、223T‐362C型
を持っている人間であることを否定できないと述べています。
6 さらに、遺体の下から発見された4本の陰毛のうち1本が、
B型、223T‐278T‐311C‐362C
を示していることは、ショルダ-バツクの取っ手から
B型、223T‐362C
が検出されたことの関連で極めて重要です。
まず、この陰毛の存在は、ショルダーバックの取っ手にB型の血液型物質を付着させ得る人物が被告人以外にいたことを示します。
そして、さらに注目すべきは、ショルダーバックの取っ手から検出されたミトコンドリアDNA型と符合することです。被害者、陰毛、ショルダーバックの取っ手の関係は次のとおりになります。
ABO式血液型においてO型とB型が混合した場合、B型が検出されることはいうまでもありません。
ミトコンドリアDNA型においても、混合量が同じ程度であれば両方の型が混ざって出てきます。
ショルダーバックの取っ手の検査結果は、被害者の皮膚片と陰毛の人物の皮膚片とが混じり合って採取された結果、ともに存在する223Tと362Cの型が強く検出されたと考えられます。石山鑑定の検査結果が正しいとして、現場から発見された陰毛との関連を踏まえてショルダーバックの取っ手に接触した人物を考察すれば、ショルダーバックの取っ手は、
B型 223T‐278T‐311C‐362C
の陰毛の人物が接触したと考えるのがはるかに合理的です。
なお、現場6畳間からは少なくともその他に2本B型の陰毛が発見されています。
これらについてはミトコンドリアDNA型の検査結果は明らかになっていませんが、さらに検査すれば、ズバリB型で223T‐278T‐311C‐362Cを示す陰毛である可能性もあります。
7 検察官は論告において、取っ手の付着物についてのミトコンドリアDNA型の結果を無視しています。
しかし、右結果を無視することは真実を歪めることです。ショルダーバックの取っ手には、取っ手を引っ張った人物の汗と細胞片等の付着物が残るのです。従って、取っ手を引っ張った人物はABO式血液型でB型、ミトコンドリアDNA型で223T‐362Cを示し得る人物でなければなりません。それは被告人ではあり得ないことです。
また、検察官は現場から発見された多くの陰毛の存在も無視しています。
しかし、右存在を無視することも真実を隠すことです。現場から発見された陰毛との関連を踏まえ、ABO式血液型とミトコンドリアDNA型の結果を総合的に判断すればショルダーバックの取っ手を引っ張った人物は被告人ではないと言うべきです。
三 審理不尽の違法
以上述べたとおり、現在提出されているショルダーバック取っ手の鑑定結果及び陰毛の鑑定結果からも、ショルダーバックの取っ手を引っ張ったのは被告人ではないことが明らかです。
ところで裁判所はショルダーバックの付着物の鑑定講求を却下しました。これは、鑑定をすれば、被告人が真犯人でないことをより明確にし得たのにその道を奪ったという意味で、審理不尽の違法を犯しているものです。
以上述べた他にも、現場に遺留された物からも、遺体に残された精子等からも、犯行と被告人へとを結びつける物的証拠は全く存在しません。
結局、客観的には、犯行と被告人との結びつきは全く立証されていないのです。
このような証拠状況の中で、ショルダーバックはこの取っ手を真犯人が引っ張ったとされており、真犯人を特定するために極めて重要な物的証拠です。
しかるに、石山証言からも明らかなとおり、ショルダーバックの付着物については、正式な鑑定嘱託がないことから検査資料を採取した部位すら明らかでなく、極めて重要証拠であるにもかかわらず現在まで十分な鑑定がなされないままになっています。
ショルダーバックに付着している皮膚片等が新たに発見、分析されれば現場に遺留されている陰毛等との対比により、より明確に真犯人を特定することが可能になります。
一方で、ショルダーバックの鑑定は、被告人とショルダーバックの関連性を完全に断ち切る証拠でもあります。ショルダーバックについて十分な鑑定を尽さず、審理を終えることは、真実発見に目をそむけた違法と言わなければなりません。
第七 捨てられていたコンドームについて
一 問題点
1 T子は、101号室内の喘ぎ声を聞いた際、同部屋の道路側の窓が4、5センチメートル開いており、その窓の下に、「使われた後のように伸びきって」いたコンドームが複数個落ちており、「中には精液と思われる液体が入っているように感じた」、また、その他に、「丸まったティッシュも一緒に捨てられて」おり、「使ったコンドームが入っていたような包み」も複数個破られて落ちていたと供述しています。そして、右部屋の窓が開いていたことなどから、そのコンドームなどは101号室から捨てられたものであると思った、とも述べています。
窓の下のコンドームは、K荘の2階の住人であるS島が、翌朝掃除をした際に確認し廃棄しています。そして、右S島は、毎朝、K荘の周りを掃除していました。従つて、右コンドームは、3月8日の朝に右S島が掃除した以降で、同日午後11時45分ころにT子が見る前までの間に捨てられたものであることが明らかです。
宇井証人は、101号室の窓の下に捨てられていたコンドームについて、「被害者は一晩に何人も客を取り」、「路上でも、駐車場でも売春を」するが、「彼女は非常に几帳面でして、それらのコンドームをバックにしまって、本来なら駅で処分していたんじゃないかと、ところが、そこへ行く前にあそこに着いた、そしてコンドームを取り出す、その際に邪魔になったものは捨てたという推測が、一番合理的かなと考えた」と述べ、また、被害者が101号室から捨てた可能性があることも認めています。
なお、検査官は、喘ぎ声を聞いたことと、コンドームを見たことについて、同じ日にT子を取調べたにもかかわらず、わざわざ別々に調書を作成し、コンドームに関する調書は当初証拠請求しませんでした。T子の尋問によって右事実が明らかになり、弁護人の開示請求があって初めて開示し証拠請求しました。このことは、検察官も、窓の下に捨てられていたコンドームの存在を、被告人を犯人とする障害と考えていたことをうかがわせます。
論告は、101号室の窓の外に捨てられていた複数のコンドームについては全く無視しています。
2 また、101号室の便所の便器の中にも、精液が入った使用済みのコンドームが、陰毛のようなものが付着したティッシュペーパーと一緒に発見されました。
検察官は、右便器に捨てられていたコンドームは、被告人が3月8日深夜、101号室内で被害者と売春行為をした時に使用して捨てたものであると断定しています。
しかし、この主張が誤りであることは、精液に関する項で前述した通りです。
3 被害者は、毎晩、売春行為のために、不特定の客を4人以上とっていました。
しかし、3月8日の客は、甲野と犯人の他には明らかになっていません。前述したとおり、被害者を殺害した者はこの夜の最後の客であったことは明らかです。殺害された時間は、T子が喘ぎ声を聞いた午後11時45分から50分ころの直後であると考えられます。
被害者の3月8日深夜の行動は、午後10時30分前に馴染みの客である甲野と別れてから、直ぐに路上で客を誘っているのをサンドイッチマンをしていた乙山に目撃されており、その直後に八百屋の丙田に神泉駅の方に向って歩いている姿を目撃されています。被害者は、売春の客を捜しながら神泉駅の方、即ちK荘の方に歩いて行ったことになります。しかし、その後、午後11時30分より前にS田に目撃されるまでの約50分間の被害者の行動は不明ですが、被害者は、神泉駅付近で客を捜して徘徊していたと考えられます。この時間内に、被害者が複数の客を捕まえて売春行為をすることが十分可能です。
すると、前述したように101号室には被害者と被告人以外の陰毛も複数あったこと、被害者の客の敢り方、及び窓の下に捨てられていたコンドームなどから見て、この夜、被害者は、甲野と犯人の外に、複数の客を101号室で相手にした可能性が強いと考えられます。
二 窓の下のコンドームは101号室から捨てられた
1 宇井証人が言うように、被害者が101号室ではなく路上から捨てたとすると、被害者は、その日、101号室以外の場所で売春した際に使用したものを、バックに入れて持ち歩いていたことになります。
駐車場や路上で売春をしていた被害者は、いくら几帳面だからといって、駅のゴミ箱に捨てるためにいくつもの使用済みコンドームをバッグに入れたまま持ち歩いていたなどと推測すること自体が不自然です。
また、使用済みのコンドームをそのままバックに入れて持ち歩いたとすると、コンドーム内の精液がバック内に零れ出しバッグ内が汚れてしまいます。これを防ぐためには、コンドーム内の精液を出してしまうか、コンドームの入り口を結わえて精液が漏れないようにしなければなりません。しかし、T子が見たコンドームの状態は、そのような状態ではありませんでした。
さらに、仮に精液を出したり、コンドームを結んで精液が漏れないようにしていたとしても、使用済みのコンドームをむき出しのままでバックに入れるとは考えられません。袋に入れるか、ティッシュペーパーで包むかするはずです。その場合、コンドームはティッシュペーパーに包まれて一塊りになっており、それを捨てた場合、ティシュペーパーに包まれた一塊りのままの状態で落ちていると考えられます。それを見た場合、一塊りのゴミが捨てられていると思うだけで、その塊りを開いて見ない限りコンドームだと認識することはあり得ません。
2 そして、コンドームとは別に、「丸まったティッシュ」が捨てられていたということは、そのティッシュペーパーはコンドームを包んでいたものではなく、性交渉直後に汚れなどを拭き取るために使われたものであると考えられます。また、コンドームの袋も、その捨てられ方からして、使用直後に単独で捨てられたと考えられます。
3 以上の通り、窓の下のコンドームなど捨てられ方、T子の見た状況などからして、そのコンドームが袋に入れられたり、ティッシュペーパーで包まれたりしていない、即ち、一旦バックに入れられていたコンドームが捨てられてたものではないことを証明しており、宇井証人の推定とは明らかに矛盾します。
従って、被害者が通りすがりに捨てたという右宇井供述は誤りです。同様の理由で、被害者以外の者が通りすがりに捨てたとも考えられません。101号室で性交した者が窓から捨てたと考えるのが合理的、かつ自然です。
三 被害者は101号室に入れた
1 S田が目撃したアベックの女性、即ち、被害者は、相手の男性より先に、客を先導するようにK荘に入る階段を上がって行きました。その男性が被告人であったなら、被告人が先導するはずです。ましてや、101号室が鍵がなくても入れることを知っていたのは被告人だけであるとすると、被害者は被告人が鍵を開けると思うはずですから、被告人を先に行かせて被害者は後ろでそれを待つ形になるはずです。
宇井証人は、「男性が先に立って、女性を案内する形で入っていった状況も分かりました」、そのことが犯人特定の重要事実であったと供述していますが、明らかな誤りです。
また、前述の通り、101号室には、被害者と被告人以外の陰毛も複数の残っていました。これらのことは、被害者が被告人以外の者を101号室に連れ込んだことをうかがわせます。
2 101号室は、神泉駅の近くではありましたが、「入り口が変わっておりますし、簡単には空き室とは分からない場所」でした。
被害者は、被告人と2回101号室に入っていて、空き部屋であることを知っていました。
既に述べた通り、被告人が最後に101号室に入ったのは、2月25日から3月2日までの間に、被害者の売春行為の客になった時です。そして、その時、101号室の便所の便器に使用済みのコンドームを捨て、部屋の鍵をかけないままにしていました。
被害者は、被告人と最後に101号室に入ったとき、被告人が鍵をかけなかったのを見ていて、101号室が鍵がなくても入れることを知っていた可能性があります。
また、被害者は、毎夜、路上で複数の客を拾い、素性の分からない客と、金だけを目当てに、しかも極めて低額で、ビルの影、公園、駐車場などですら売春行為をしていました。そして、K荘周辺は被害者の売春のテリトリーでした。このような被害者は、この付近に、売春客を相手にするために、人目につかず安全で使い勝手のよい場所をたえずさがしていたと推測できます。
従って、被害者が、K荘付近を俳個していたとき、前に被告人と入った101号室が使えないかを試し、開いていることに気づいた可能性もあります。
Mが被害者の死体を発見した際も、101号室の鍵は開いていました。
3 検察官は、被害者の手帳には101号室を使用したことをうかがわせる記載が一切ないこと、被害者が前日の7日に「現場近くの駐車場で遊客丁野と性交した事実があるが、被害者が101号室を使用できることを知っていたのであれば、その際に同室を使っていてもおかしくないのに、そのような事実がないこと」から、被害者が101号室の鍵が開いていたことを知っていたはずがないと主張しています。
しかし前者の点は、前述した通り、検察官の主張は誤りです。
また後者の点は、検察官の主張とは異なり、被害者が丁野を101号室に連れ込むだけの余裕など全くなかったこと、あるいはその必要もなかったことが明らかです。即ち、丁野は、午後10時過ぎに、道玄坂上交番の一つ手前の道あたりで被害者に遭遇し、被害者に売春行為の誘いを受けたが断って歩き出したところ、被害者が後を追ってきて「しつこく誘い、私が歩きながら、金がないんだと繰り返すと『いいから』などと言って、私の体を押すようにして駐車場に入っていったのです」という状況だったのです。丁野が押し込まれた駐車場は、円山町5番地にありK荘とは200メートル以上離れています。右状況からして、しつこい誘いを断って帰ろうとしていた丁野をK荘まで連れて行こうとすれば、途中で逃げられてしまう状況だったのです。101号室まで連れて行く余裕などなかったことが明らかです。
また、丁野は、何回か被害者の客になっていますが、最初の時を除いて、後は全て駐車場の車の影で性交をしており、別に部屋などを探す必要もなかったことも明らかです。
以上の事実から明らかなように、仮に被害者が101号室を使用できることを知っていたとしても、丁野を101号室に連れ込むことは不可能であったし、その必要もなかったのであり、検察官の右主張は誤りです。
4 以上の事実から、被害者は、毎夜、K荘付近を徘徊して不特定の売春客を相手にしていたのであり、被告人とは無関係に101号室に入って、売春行為をしていたことが強く推測されます。
四 被告人は窓の下のコンドームと無関係
1 検察官の主張によると捨てられていたコンドームの数から見て、被告人はその夜、20分から30分の間に、被害者と3回以上性交渉を持ったことになります。
しかし、被告人は、以前に3回被害者の売春の客になつていますが、いずれも同一機会に1回の性交渉があつただけでした。長い期間馴染みの客でホテルで3時間も被害者と過すのが常であった甲野ですら、同一機会に1回しか性交渉をしていないこと、被告人は被害者にとって初めての客でなかったとしても、路上で拾った安い金で売春させた客にすぎないことなどから、被害者が被告人に同一機会に複数回も性交渉をさせることはありえません。
また、被告人が20分〜30分間に3回以上も性交渉を持つことは、生理的に不可能です。
2 被告人が犯人であるとすると、コンドームを窓の外に捨てたり、便所に捨てたりするはずがありません。T子がコンドームを見た状況からして、便所に捨てられるより窓の外に捨てられた方が時間が早いことが明らかです。被害者を殺して金を奪ったはずの被告人が、殺害前には窓の外に捨てているのに、最後の一つだけ、わざわざ部屋の中の便所に捨てるのは不自然です。水で流してしまうならともかく、それもしていないのですから、あえて部屋の申に証拠を残すようなことをしたことになり、極めて不自然です。
3 以上の事実は、既に述べた、101号室の便所の便器に捨てられていたコンドーム内の精子の状況、101の鍵をMに返したのが3月6日であること、101号室内に被害者と被告人以外の陰毛が複数あったこと、3月8日は被告人が午後11時30分ころより前にK荘付近に到達できないこと、などの事実を総合して検討すると、3月8日、被害者は被告人と無関係に101号室に入ることができた、被害者は101号室で複数の客と売春行為をした、そして、最後の客に殺害された、ということが合理的に推測されます。
そして、被告人は、3月8日、被害者と会っていないし101号室に入っていない、被告人が101号室の便所にコンドームを捨てたのは別の日である、ということが明らかです。
第八 事件発覚前後の被告人の言動について事件発覚後の被告人の言動
一 事件発覚後の被告人の行動
1 事件発覚直後の被告人らのとった行動は、関係各証拠から、大要、以下のとおり認定できます。
3月19日午後5時ころ、Mが被害者の死体を発見し、午後6時50分ころから警察の実況見分が開始され、101号室及び401号室の周りの路上にはパトカーが停まっている状況でした。
その頃、401号室に帰宅した同居人のDは、Eとともに部屋にいたところ、警察官がやって来ました。オーバーステイでないEが対応したところ、パスポートや仕事に関して職務質問を受けましたが、本件殺人事件のことは一切聞かれませんでした。
同じ日の深夜、勤務先であるマハラジャから401号室に帰宅した被告人は、101号室付近にパトカーが停まっており、人がたくさん集まっているのを目にしました。そして、コンビニエンスストア「トークス」に寄りウーロン茶を買った後、Hビルの階段を上がろうとしたとき、2人の警察官から呼び止められ、名前、勤務先、勤務内容について質間を受け、所持品検査を受けました。警察官は、被告人とともに401号室に入り、部屋の中を検査した後、パスポートの提示を求めてきましたが、オーバーステイであった被告人は、提示をすることができませんでした。そして、警察官は、女性の写真を示してこの女性を知っているかと聞いてきたため、被告人が知らないと答えたところ、警察官は、この女性が101号室で殺害されたことに関して一切尋ねないまま、「また来る」と言い、さらに、「オーバーステイはだめですよ」と言って帰っていきました。
そこで、被告人は、Jの勤務先に電話を入れ、Jに、部屋の周りに警察官が来ているから帰ってこないほうがいいと伝えました。さらに、ネパールにいる姉ウルミラに電話をかけ、警察官が来て、ビザがないことがばれてしまった旨相談をしたところ、ホテルか友人の家に行った方がよいとアドバイスされました。
Dも、ウルミラから、「もしかしたら家主があなた達を追い出そうとして、密告したのかもしれないので、そこから逃げたほうがいい」との助言をされました。
その後、Cの勤務先であるカフェレストランに行くこととなり、ばらばらにそこへ向かいました。C、Jと合流した被告人らは、もっばらなぜ警察が来たのかということを話し合い、警察はオーバーステイで捕まえに来たという結論に達しました。このとき、被告人は、警察に自分の勤務先まで言ってしまったため、仕事先に警察が来るかもしれないので、仕事に行けないことを心配していました。
そして、被告人、C、Jの3人は、Cの友人宅に泊まりました。
被告人は、翌3月20日午前11時過ぎ、マハラジャに電話を入れ、電話に出たS口に対して、部屋に警察が来たので欠勤する旨伝えました。そして、被告人らは、西小山にあるウィークリーマンションを借りました。
(一) まず、右〜の点ですが、被告人はK荘付近にパトカーがいることをはっきりと認識しています。検察官の主張を前提にすると、被告人は、101号室の被害者の死体が発見されてしまったこと、それはMが発見し警察に通報したに違いないこと、従って、その日の9日前にMに返すまで101号室の鍵を持っていたのは自分であること、殺害直前に101号室の便所に自分の精液入りのコンドームを捨てたこと、などを思い巡らし、殺人罪で逮捕される恐怖を持つはずです。
従って、被告人は、パトカーを見た後にトークスに寄ってお茶を買うなどの余裕などないはずですし、401号室に戻ること自体躊躇するでしょう。また、電話で同居人にどのような理由でパトカーが来ているのか聞き出す等の行動に及ぶのが自然でしょう。
しかし、被告人は、何らの警戒もせずに401号室に戻っており、しかも突然に声を掛けてきた警察官に対しても不審な態度を全く見せることなく対応しています。
(二) 被告人は、401号室で、警察官から職務質問を受けた際、女性の写真を見せられ、それがかつて101号室で性的交渉を持ったことがあった被害者であることをはっきりと認識しました。従って、犯人であれば、警察に被害者の殺人事件が発覚してしまったと、慌てふためいたはずです。
しかし、被告人は、警察官に「知らない」と答えたものの、特に変わった様子も見せずに警察官に対応しています。また、その後、Cに女性の写真を見せられたことを話したことがあるだけで、警察に勤務先を言ってしまったために、オーバーステイが発覚し仕事に行けなくなることを心配していただけであり、欠勤する旨マハラジャに電話した際にも、特に大きな事件に巻き込まれたという様子もありませんでした。
なお、被告人は、職務質問をした警察官に被害者の写真を見せられ、「知らない」と答えていますが、これは、正直に認識を述べれば、性的交渉があったことについてまで話をせざるをえなくなって恥ずかしいと思ったこと、殺害された被害者の売春客になったことを知られると疑われると思ったからであるなどと述べていますが、このような気持ちからためらいが生じたことはもっともであり、この事実は何ら被告人の犯人性の認定に影響するものではありません。
検察官は、被告人が、捜査段階において被害者と面識があった事実を否認し、公判に至ってそれを認めたことを捉えて、Cが被害者の売春客になったことを認めていることと比較して、もし被告人が犯人でないのであれば、Cと同様、被害者の売春客になったこと自体を隠す必要があったとは考え難いとして、右弁解が不合理であるかのように主張しています。
しかしながら、401号室においてのみ被害者と性的交渉を持ったCとは異なり、被告人は、401号室に加え、被害者の死体が発見された101号室で被害者と性的交渉を持ったのです。疑われると考えるのは当然であり、事件と係わり合いになりたくない、そのために被害者との面識すら否定してしまったとしても決して不自然ではありません。
(三)また、右〜の点も、警察に氏名、勤め先が知れてしまったのですから、被告人が犯人であれば、同居人に電話する余裕はないはずですし、姉に国際電話をして相談する間もなく直ちに身を隠す行動に出るはずです。
被告人が同居人らと行動を伴にして知人の家やウィクリーマンションに泊まったことも、居場所が直ぐ発覚する恐れがあり不自然です。また、前述した通り、被告人は、その時、殆ど所持金を持っていませんでした。Jから1万円を借りていますが、借りた倍の20万円を返済した直後で被告人を信用していたJから、1万円などという少額ではなく、もっと多額の逃走資金を借りる算段をしたはずです。
その後の行動も、他の同居人と同じくオーバーステイで捕まることの不安以外の言動は全く見受けられないのです。
(四) 以上のとおり、被告人の事件発覚直後の行動は、あくまでオーバーステイの発覚を恐れての行動であったにすぎず、本件の犯人であることをうかがわせる言動はなにもないことが明らかです。
二 被告人が警察に出頭した経過
1 被告人の当初の行動が、あくまでオーバーステイの発覚を恐れての行動だったものであり、本件被害者の死体発見とは何ら関係のないものであることは、渋谷署に自ら出頭することとなった経緯からも明らかです。即ち、3月21日午後7時30分ころになって、Jは、友人であるNから、Fが探しているので電話した方がよいと言われ、電話をしたところ、Fから、隣のアパートの1階で女性が殺されていたこと、警察がみんなを捜していること、とくに被告人を探していることを知らされました。Jは、このとき、初めて本件殺人事件のことを知ると同時に、3月19日に警察が401号室にやってきた理由を理解するに至りました。
そこで、Jは、ウィークリーマンションに戻り、被告人に右事実を詳しく伝えました。被告人は、殺害されたとされる女性、即ち、警察官から示された写真に写っていた女性が101号室などで性交渉を持った被害者であることを明確に知ることとなったのです。そして、被告人は、自分がオーバーステイではなく、殺人事件の嫌疑を掛けられていることを知り、警察に出頭して説明をすることにしたのです。この際の被告人には、殺人犯人であることをうかがわせるような言動は全くありませんでした。
そして、翌3月22日、被告人らは、ひとまずカンティプールに行き、警察の到着を待って、渋谷署に出頭しました。
2 以上のとおり、自分が殺人事件の嫌疑を掛けられていることを知らされたにもかかわらず、躊躇することなく自ら渋谷署に出頭しているのです。しかも、CやDは出頭をしなかったにもかかわらず被告人は出頭しているのです。
被告人は、本件の犯人であるなら、何らかの理由をつくり出頭しなくてもよい方策を模索したでしょうし、Cたち以上に躊躇するはずです。しかし、被告人は、そのような考えを一切持つことなく、自ら進んで出頭に及んでいるのです。かかる経緯は、被告人が何ら本件事件に関与したことがない事実を如実に物語るものです。
3 このことは、出頭直前に、カンティプールで警察の到着を待っていた被告人の様子からも明らかです。被告人が真犯人であれば、自らが犯した犯行が発覚することを恐れ、その不安を隠すことはとうてい不可能でしょう。異国で、殺人の嫌疑をかけられているのですからなおさらです。しかし、このとき、被告人に、一貫して変わったところはなく、むしろ他の2人(J、E)同様、非常にノーマルな状態で警察の到着を待っていたのです。
なお、出頭にあたり、Cとの間で罪証隠滅行為に及んだ事実がないことは別に論じたとおりです。
三 逮捕後の取調状況
1 被告人は、出頭後、オーバーステイで逮捕されましたが、取調べは、主に本件殺人事件について行われていました。このことは、3月22日にオーバーステイとはおよそ関係のない被告人のだ液採取が、また、4月1日に同じく被告人の頭髪採取が、さらに、4月4日には同じく被告人の血液採取が行われていることからも明白です。
しかし、被告人は、まず、前記だ液採取の際は、血液型を調べるのでだ液を出してほしいという警察官の要求に対して、拒否することもなくそれに応じ、前記頭髪採取の際には、犯行現場にあった資料とDNA鑑定をしたいからという説明を受けながら、極めて素直な態度で、「自分は事件に関係がないからいいです」と言って採取に応じ、さらには、前記血液採取の採取のときには、DNA型を分析する説明を受けたうえで、これに応じていたのです。また、本件殺人事件の容疑で再逮捕された後の5月23日の血液採取についても、その採取に応じています。
2 このように、被告人は、逮捕直後から、各採取が犯行現場に遺留された物的証拠と被告人白身との結び付きを裏付けるために行われるものだという説明を受けながら、これらに素直に応じています。このような態度は、およそ被告人が犯人であるとの推認と矛盾するでしょう。
ましてや、被告人は、2月下旬に、101号室において被害者と性交渉を持った際に、自らの精液が入ったコンドームを捨てたままにしています。このコンドームが本件犯行に関係するものという認識があれば、前記各採取に素直に応じるわけがありません。少なくとも捜査官の目に不安、不審な態度が写らないわけがありません。しかし、被告人は、そのようなそぶりすら見せることなく、各採取に応じていました。この事実は、前記情況と併せ、被告人が本件殺人事件に関与していないことの証左といえます。
なお、検察官は、被告人が、だ液採取につき口を閉ざして頑強に拒否して抵抗したことを挙げて、被告人の犯人性を一層強く推認させる犯行後の特異な行動であると主張しています。
右だ液採取の拒否は強盗殺人容疑で再逮捕された直後のことですが、その拒否は被告人が自ら主体的に取った行動ではなく、専ら弁護人の指示に基づくものです。
また、被告人は、前記の通り、既にオーバーステイでの逮捕・勾留中に、だ液、毛髪、血液採取に応じているのですから、この拒否自体はなんら意味がなく、犯人性を推認する事実でもないことは明白です。
四 事件発覚までの被告人の様子
1 被告人は、本件事件が起きたとされる3月8日以降同月19日に至るまで、マハラジャに通常どおり勤務していました。また、3月10日及び3月17日には、職場の同僚のZ山を自宅に招くなど、普段どおりの生活を送っていました。このことは、被告人の周辺にいた者すべてが皆異口同音に認めています。
2 本件における検察官の主張は、被告人が3月8日未明に101号室で被害者を殺害したうえ、101号室に死体を放置したまま、3月10日に101号室の鍵を閉めないで101号室の鍵をMに返還したというものです。
しかし、仮にそれが真実であれば、鍵の返還後直ちにMないしは大家の方で被害者の死体を発見し、大騒ぎとなる可能性があったはずです。したがって、被告人にとってみれば、死体が放置されている101号室に隣接する401号室にいるときも、またマハラジャで働いているときも、犯行が発覚してしまうのではないかと大きな不安に苛まれるはずです。死体を隠した犯人であればいざ知らず、自ら殺害した死体を放置したまま鍵を返した者が、不安におびえないはずがないのです。しかし、前記のとおり、被告人は、全く普段どおりの生活を送っていたのです。この事実も決して看過することが許されない事実といえます。
おわりに
一 検察官が被告人を犯人であるとする証拠は、ことごとくその証拠価値が否定されました。
第一に、101号室の便所の便器に捨てられていたコンドーム内の精液は、被告人のものである可能性が強いことは弁護人も争いませんが、被害者の殺害とはなんら関係のないときに被告人が捨てたものであり、精子の状況は検察官の主張にではなく、被告人の供述に合致することが明らかです。
第二に、被害者が所持していたショルダーバックの取っ手から検出されたB型の血液型物質は、それに関する鑑定は裁判上の鑑定と呼べるようなものではなく、また、現場には被告人以外のものであることが明らかなB型の陰毛などがあり、B型であるからといって被告人のものであると言えないことが明らかです
第三に、本件犯行現場である101号室の鍵を巡る問題は、検察官の主張の唯一の根拠とも言えるM供述は全く信用ができないものであり、また、被告人が犯人であるとすると、検察官の主張は基本的な点で明らかに不自然・不合理です。
第四に、検察が主張する犯行の動機である、被告人が金に困っていて401号室の賃料の支払いができない状態にあったという点も、被告人は金に困っていませんでしたし、検察官の主張とは逆に、被告人が被害者の金を盗ったとするとかえって不自然な点があります。
第五に、被告人が犯行時刻に間に合ったかどうかという問題も、検察官自身が、唯一の目撃証人であるS田供述を信用していないこと、被告人の勤務状況及び帰宅状況からして、被告人がとうてい犯行時刻に間に合わないことも明らかです。
第六に、被告人の事件発覚前後の言動も、何ら不自然ではないし、特に口裏合わせにいたっては、捜査側が作り価した虚構であります。
二 検察官が有罪の根拠としている証拠は、有罪の証拠にならないだけではなく、逆に、被告人の無罪を証明しているのです。
そればかりか、被告人が犯人であることと矛盾する証拠がいくつか存在しています。
その一つは、101号室内に残っていた、被告人以外のB型の陰毛であり、その二つは、101号室の窓の下に捨てられて使用済みの精液の入ったコンドームであり、その三つは、巣鴨に捨てられていた被害者の定期入れと、その中に入っていたイオカードの使用のされ方です。
これらを総合すると、犯人は、捜査機関が把握し切れなかった、被害者の一見の売春客であったことが明らかです。
三 被告人は、オーバーステイのネパール人です。捜査においては、そのことによる偏見がなかったとは言えない点が垣間見れます。
当裁判所におかれては、日本の裁判が公正かつ平等であり、外国人であると日本人であるとを間わず、また不法滞在者であると否とを問わず、あまねく刑事被告人の人権擁護の砦であることを、国の内外に知らしめていただきたいと存じます。
被告人の無罪は明白です。
以 上