卒実おたより(仮)

― 1998年度 No45 ―

発行:卒業記念祭実行委員会

発行日:1999年3月23日(火)


(Web管理者記)

             白熱の校長交渉<卒業記念祭編>ウラへ 卒実おたより                    第45号 両                            1999 3/23発行 面 ---------------------------------------------------------------------刷 入学説明会で生徒からの説明が        できなかった  3/19に行われた入学説明会。今年もマスコミ等で話題になったりしたので、 きっと新入生は色々不安に思うはず。そう思って卒実では説明会で次のことに注意 して祝う会のことを説明しようと決めました。   ┌────────────────────────────────┐   │○入学式(校長先生のおっしゃる)に出るなと言わない。      │   │ (そのようなニュアンスのこともダメ)             │   │○少しでも不安を取り除ける説明をする。             │   │ (どちらに出ても出なくても2・3年生に冷たくされることはない)│   │○今までの事実経過を説明する。                 │   │○なぜ式に反対するか説明。                   │   └────────────────────────────────┘  それで話し合った結果、3/8発行の卒実おたよりと昨年発行された四者だよりの 2枚を使って説明をしていこうということになりました。 ところが… 「生徒は入学説明会で説明する必要はない」というようなことを校長先生がおっしゃ たのです。あぁビックリ。 そこで卒実では急きょ校長先生のところに事情を聴きに行きました。そして卒実では どうして説明したいのか自分達の意見を主張しました。  ┌─────────────────────────────────┐  │            *校長先生の意見*            │  │○入学式にでなくなるか心配。                   │  │○校長・先生・生徒の考えがかみあわない。             │  │○新入生はまだ所高生じゃないから、生徒が説明するのは入学してから。│  │○説明会は事務手続き。質問には校長が答えられるものは答える。   │  │ 答えるのは先生も一緒にやる。                  │  │○混乱のもと。言ってもらちゃ困る。                │  │○選択をせまりたくない。                     │  │○何を言っても生徒は責任をとれない。               │  └─────────────────────────────────┘  ┌─────────────────────────────────┐  │             *卒実の意見*             │  │○生徒に対する質問に答えられるのは生徒だけ。           │  │○自分達の今までの活動を自分達で説明するのが礼儀だし、責任。   │  │○生徒がどう思っているのか新入生にはわからない。         │  │○不安を少しでもとりのぞきたい。                 │  │○新入生の気持ちが知りたい。                   │  └─────────────────────────────────┘  結局話し合いは平行線のまま時間の都合で終了。入学説明会を混乱させたくないし、 去年の竹永先生のようなことが起きてほしくないので、仕方なく説明会での説明はあ きらめました。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ┌──────────┐ │校長先生との話し合い│ └──────────┘                 ─卒業記念祭編─ 第3弾!                 3/15(月) 応接室  〜シリーズ全4回〜 【卒実】校長先生は、卒業式が卒業記念祭には代われないと言います。その理由が、    1つは日の丸君が代のこと。自分の国の国旗国歌に尊敬の意を抱くことで国際    社会の中で他の国の人たちの国旗国歌も尊敬できて、相互理解につながり、国    際交流になるだろうという事をあげられました。     もう1つ、校長先生は「私は(卒業証書を)卒業式で授与したいと思ってい    る。“校長”というのは学校の最終責任者だから、私がそういうふうに思って    いるから理由になる。」というようなことをおっしゃったと思う。     あと、厳粛であるということと、名称をあがられた。ぼくらが聞いた理由は    それだけ。日の丸君が代は思想・信条の問題で、学校で公権力でやるのはおか    しい。証書授与は記念祭の中でやってもらってもかまわない。名称というのは    あまり関係ないと思う。厳粛さも記念祭でカバーできる。     つまり、卒業式に代わって卒業記念祭をやることはできるだろうと思う。や    らせてほしい。今言ったように、日の丸君が代と証書授与に関して納得できな    い部分がある。 【校長】日本の社会の中で卒業式入学式というのは1つの文化として、外国でも同じ    だと思うが、学校教育の場で儀式として位置づけられている。それをわざわざ    やめて卒業記念祭をやる理由はないと思う。入学するときにお祝いで、卒業す    るときにお祭りで、それも必要だが、だけれども学校教育の中で儀式ってもの    が1つの文化ですよね。そういうようなものをが求められている。それをわざ    わざやめるというのは今回の問題をふり返ってみれば国旗国歌のこと以外何も    のでもない。式ということをやらないで記念祭や祝う会をやれば指導要領に書    いてあるようなことは、やらなくてもいいということから始まっていると思っ    ている。くり返しになるが、日の丸君が代については、どこの国でも国旗国歌    がある。また全部じゃないが調べてみると国旗国歌というものは歴史の中でそ    の国のいろいろな事情があってそれぞれの長い歴史の中でできあがっているも    の。ある国では戦争から、あるいはいろいろな国の中の状況でかわったりする    国もある。日本の場合はそういうことじゃなく、長い歴史の中で不幸な戦争を    体験した旗ではあるけれどもそういう反省のもとに新しい国民主権の憲法のも    とに国旗や国歌が反省しながら新しい平和のシンボルと、前私は言ったと思う。    そういう形で戦後戦前から同じ国旗国歌で続けてきてるわけだ。国旗国歌を拒    否するって言うならまた別問題だが、そういう話し合いのもとに50数年経っ    て現在をむかえてるわけで、もちろんそういうことは忘れてはならないけど、    だからといって国旗や国歌に対してあれは戦争に使われたからだめだというの    は私は成り立たないと思う。卒業証書を式で授与するということですけど、や    はり卒業式というものが位置づけられているのだからそこのところで私は証書    を授与したい。記念祭もやりましょう。その中で多くの生徒の自発的な計画が    盛り込まれているわけですから、両方あわせて式と記念祭あわせてやっていき    ましょう。と言い続けているわけだからそのへんのところ理解していただきた    い。厳粛さというのはどちらにも求められていますよ。だけどやはり儀式とい    う1つの文化で、そういう場面があって、そこの中に厳粛さを求めて、そうい    う場面も必要だってこと。現在は厳粛・清新さっていうものを儀式の中に求め    られている。学校生活の中に限らず社会一般、全体を見て人の話を黙って聞く    なんてことが非常に最近なくなってきている。やっぱり聞くときは聞く、とい    うような一種の厳粛さっていうかそういうものも必要だということで学校教育    の中に儀式的ってのが求められていると思う。で、自分の国の象徴である国旗    国歌に対する思いっていうものはそれぞれ国民全員が持って国際社会での姿勢    として、やはり国旗や国歌に対する気持ちというのはきちっと学ばなければな    らないと思う。 【卒実】文化として儀式的なことをやるべきだっていうんなら学習指導要領にあるよ    うな「生活に有意義な折り目をつけ」ってことなので、そのことならば記念祭    でも補える。なので厳粛さで言ったら式も記念祭もかわらない。日の丸君が代    のことは、強制に反対する人の意見で、例えばキリスト教なら神様は1人だけ。    でも過去に、戦前、明治時代に日の丸が天皇の象徴で、天皇は神だ、という教    育がされたのは事実であって、そういうことあったから神である天皇を象徴す    る日の丸を拝むことはできないという意見を聞いてああそうか、と思った。戦    前の事実があって戦後コロッと手のひらを返したように平和の象徴である、と    いうふうにはできないと思う。このように思想信条の理由でどうしても日の丸    君が代を拝むことができない人が少数でもいる中で、全体の場として、指導要    領にあるから、とか法的拘束力があるからといった行政とかの権力による強制っ    ていうのはされてはならないことだと思う。それは決議文のとおり。で、学習    指導要領にも反さず日の丸君が代の強制にも反対できる両方の手だてとして記    念祭しかないと思った。                          (約1/2の要約版です。) 【校長】学校教育の場で、国旗・国歌をして、一国民として自国の国旗・国歌に対す    る思いを指導する、育てていくということが求められている。だから、1人1    人の思いの中に、思想・信条の中に入っていって、言うようなことではない。    教育上の問題として、そういう指導を我々は求められている。したがって校長    としてはそういう場をつくることが求められている。思想・信条の自由に立ち    入ることではなくて、あくまでも教育的な問題として考えている。 【卒実】でも実際、思想・信条の自由まで入り込んでいる。     (と具体例(→キリスト教の話)をあげた。) 【校長】長い歴史の中で、戦争したという時期があるわけですよ。その反省をもとに、    これからは、かっての戦争の状況にならないように我々が見守っていくという    か。将来は1人1人がいろいろな立場で国旗や国歌に対する思いを外に表して    いくという場面があるだろうが、学校の教育活動の中で、基本的には、自分の    国の国旗や国歌には敬意をはらうということで、どこの国だって教育の場でそ    れを求めている。かってそういうの(戦争)があったからもう国旗・国歌はな    しなら別だが、反省して、平和のシンボルというか、日本の象徴として考える    ということできたのだから、それを教育の場で子ども達に教えるというのは当    然だと思う。 【卒実】どうして、国旗・国歌ってそんなに敬意を表す必要があるのか? 【校長】それはいろいろな考えがある。社会生活で国?っていうのは1つの単位になっ    ている。それぞれの代表が集まって国連とか組織をつくって世界の…という束    で、やはりそれぞれの国で大切にしながらそういう人達が集まって世界が広が    る…と思いますけどね。 【卒実】国旗・国歌を尊重するということで、国が1つの単位としてまとまるってこ    と? 【校長】それを象徴というのではないか。1つのシンボルなんですよ。ユーロとかド    ルとか、国を越えての動きがありますけど、自分達の国だけでなくて、周りの    国も含めて安定した生活ができるような努力をしているのだと思う。かといっ    て、国が無くなったわけではないが。 【卒実】学習指導要領を読んでいると、どうしても自主的活動を一番にもってくるべ    きだととれる。前回、校長先生は、(【学】の)全体をみれば、それだけでな    く、学校の一貫した指導が必要だとおっしゃった。しかし、学習指導要領で、    前回校長先生が理由にした部分の少し前に「高等学校段階の生徒はすでに中学    校における経験を基礎にして自発的・自治的に活動する能力を身につけてきて    いる。」とある。やはり、自主的、実践的という意味でも記念祭一本化を認め    て欲しい。みんなの気持ちを考えて。 【校長】生徒総会で、多くの生徒の考えが生徒会の考え1本でまとまって、正確には、    出席者の過半数いってますから決まった、ということでしょうけど、その辺の    ところに疑問を感じてきている生徒もいますよね。みんな疑問を感じて、卒業    式と記念祭両方やるというふうになってくれればいいのだが。私なりには、で    きるだけ、いろいろな機会に話しをしてこようと思ってきた。現在どれだけの    人が卒業式をやるべきだ、記念祭だけじゃできないんだと思っているかわから    ないが、卒業式についても、50%以上の人が賛成してくれればと思う。ぜひ、    両方やるということで。卒業式で、卒業証書を授与したいという考えは変わっ    ていない。    ――― 実務的な話に移行 ――― 【卒実】校長先生の考えている卒業式は、今年はどれくらいの内容か? 【校長】考えがまとまっているわけではないが、昨年の卒業式は最初国歌斉唱で後の    方で何もなく終わってしまったが…。式にふさわしい歌を1つだけでもいいか    らと思っているんですけどね。あと時間の長さ。この時期にきて、難しいとは    思うのだが。決まってないからよく言えませんけど。後の記念祭はどれくらい? 【卒実】2時間27分。 【校長】そうなると、卒業式を先にやるとお昼をすぎてしまう。あまり長く式はでき    ない。1つ呼名の問題がある。卒業式で呼名してその後記念祭で呼名してって    ことがある。そうするとあとの記念祭の呼名が盛り上がらなくなるかもしれな    い。でも、卒業認定宣言として卒業式で呼名するのと、記念祭で呼名するのと    意味が違うと思う。呼名についてよく考えてみたい。卒業式もチャラチャラと    サッと終わりにするのも、式をやるからにはきちんとやりたい。今現在は、こ    う考えている。もう少し時間を頂きたい。 【卒実】今まで意見書で色々理由をつけて記念祭一本でやらせてくれと言ってきたが、    校長先生は最初から考えは変わらないようですね。 【校長】両方やってくださいということでは変わらない。                                    【完】    ――― こうして次の日の卒実全体会で記念祭の時間を式に重ねないことを        決定した。結局校長先生を説得できなかったのだ……。                             次回最終話! 続く… 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓                                   〈広告〉             有志大募集          理科講3がつ23にち             有志ぼしゅう             10:30                火曜日           入学を祝う会
(Web管理者記)  内田達雄校長とに話し合いの記録(全4回)です。  第1回/全4回:「卒実おたより(仮) No26 校長先生と話したよ!」。  第2回/全4回:「卒実おたより(仮) No31 プリント第2弾」。  この資料には、全4回の中の第3回目が掲載されています。 【校長】日本の社会の中で卒業式入学式というのは1つの文化として、外国でも同じ    だと思うが、学校教育の場で儀式として位置づけられている。それをわざわざ    やめて卒業記念祭をやる理由はないと思う。入学するときにお祝いで、卒業す    るときにお祭りで、それも必要だが、だけれども学校教育の中で儀式ってもの    が1つの文化ですよね。そういうようなものをが求められている。それをわざ    わざやめるというのは今回の問題をふり返ってみれば国旗国歌のこと以外何も    のでもない。式ということをやらないで記念祭や祝う会をやれば指導要領に書  「わざわざやめて」という言葉が何度もでていますが、「わざわざやっている」と いう見方もあります。  ちょっと古いのですが「日の丸に関する校長会配布資料(1987.11.05)」といった 資料もあります。 【校長】学校教育の場で、国旗・国歌をして、一国民として自国の国旗・国歌に対す    る思いを指導する、育てていくということが求められている。だから、1人1    人の思いの中に、思想・信条の中に入っていって、言うようなことではない。    教育上の問題として、そういう指導を我々は求められている。したがって校長    としてはそういう場をつくることが求められている。思想・信条の自由に立ち    入ることではなくて、あくまでも教育的な問題として考えている。  ここでは何度も「求められている」という言葉が出てきますが、誰から求められて いるのかが問題ですね。  また、「思想・信条の自由に立ち入ることではなくて、あくまでも教育的な問題と して考えている。」とありますが、式で日の君を実施すること自体がすでに「思想・ 信条の自由に立ち入ること」ではないかと思うのですが、どうも内田達雄前校長はそ のようにはお考えにならないようです。実際、生徒もこの発言の直後に 【卒実】でも実際、思想・信条の自由まで入り込んでいる。 と言っております。 【卒実】どうして、国旗・国歌ってそんなに敬意を表す必要があるのか?  この質問のすばらしさ!!!  さらに、次の 【卒実】国旗・国歌を尊重するということで、国が1つの単位としてまとまるってこ    と? もいいですねぇ。これを表現を変えてみましょう。例えば、 「国旗・国歌を尊重させることで、国民を1つの単位としてまとめる」 などはどうでしょう。この場合も「誰が、何の為に」というのが問題ですね。
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