卒実おたより(仮)

― 1998年度 No26 ―

発行:卒業記念祭実行委員会

発行日:1999年2月16日(火)


(Web管理者記)
 長いですが、最後までお付き合い下さい。

 所高生のビラを読んでいくと、「生徒を信頼する」というところから、教育を考え
ていく必要があるのではないかと思います。「管理教育」とか「生徒に教え込む」と
いう考え方には、疑問を持ちます。

 尚、文中の【協】などの記号について説明します。
【協】…協議会、【学】…学習指導要領、【式】…卒業式、【記】…卒業記念祭、
【門】…門出式、【決】…「日の丸・君が代」に関する決議文


       ↓いかした題名ボシュウ中!! 卒実おたより(仮)                  第26号                              1999 2/16発行 --------------------------------------------------------------------------         記念祭まであと10日 !!!    校 長 先 生 と 話 し た よ !  1/12                                     1/18 1/12(火)応接室にて *記号説明* 【校】…校長先生   【卒】…卒実委員   ???…わからないところ --------------------------------------------------------------------------    意見書って何? ┌────────────────────────────────────┐ │ 卒実が校長先生に記念祭1本になるように説得するために作ったもの。判例や│ │学習指導要領、法律書等を調べて理論立てた文章になっている。総会の決定を受│ │けた内容になっているが、生徒全体の承認は時間がなかったのでされていない。│ └────────────────────────────────────┘ 【校】意見書について、まず最初に自由についてって書いてありますけども、所沢高   校は自主・自由・自立という校風だと書いてありますが、昨年度あたりから、も   ともとはその所沢高校の校風とはどういうものかというのになりまして、よく耳   にしてきたのが自主・自立ということ。途中から自主・自立・自由と、自由が入っ   てきたと思いながら聞いていたわけで、今度は自主・自由・自立となり、自由が   2番目にきて、題名が自由をとって「自由について」となっているわけなんです   けれども、自由がポンx3とトップに出てきた。という感じをこれを見て思いまし   た。今、話したように、自主・自立、それから自由が途中から出てきましたが、   これを見ると所沢高校の校風は自由である、でそういう見出しであり、???   〈校長先生資料をくばる〉で、確かに、服装などのきまりは特にないですけど、   生徒の自主的な判断でいいとあるわけですけれども、私が前に本校の教員として   勤めたころを思い出してみると、そんなに自由、自由…っていうようなことを言   わなかったような気がする。私が勤めたのはS42年度から5年間なんですけど、   その前を見ても教育方針・目標これにもとづいてみなさんをまめに教育している   ようなわけです。その中にS42年度までを見ますと良い個人という所は『健康   明朗自主向上をはかり努力する人』というのがありまして、自主的な自主・自立   の自主、それから少したってしばらくの間『自主的精神に充ちた健康な国民の育   成を期する』ということで、さらにS48年度から(1973年度から)になる   と『自主的精神と健全な身体を養い』ということで自主・自立を教育目標あるい   は教育方針うたっている。その後、学校の校風というものがしだいに作られてき   て、この頃は学校の教育としては自主・自立だというような形で、現在皆さん、   あるいは先生方こう思っている…だろうと思っています。どうですか?    もう1つは、みなさんが書いた文章の中(意見書のこと)の、自由のところの   真ん中の一行目ですが『所沢高校に入学してから』この言葉を何度も耳にします。   そして『自由について考える機会がたくさんあります』『私達も自由について考   えてきました。まだ自由について完全な考えはまとまっていません』とでてます   ね。だから自由というのはいったいどういうことなのかということをこの文章を   読みながら考える。一つの校風として順序逆かもしれないけれど、所沢高校は自   由である。ということでいいんだろうか。同時に、自由っていうのはどういうこ   とをもって自由っていうのか。というような2つのことをこのページの文章を読   みながら考えたということなんです。 【卒】自由については、何で一番上にきたかというと、生徒会権利章典ってあるんで   すが、僕去年生徒会本部やってて、いろいろ調べたんですけど、歴史とか。 【卒】そういうのを見る限り、学園紛争の時代まではそんなに「自由」っていうのは   なかった。権利章典が初めて承認されたのが1990年だと思うんですけど、そ   こに「自由を守るための自治」っていう風に書いてある。その言葉が出てきたこ   こ10年くらい、2年くらい前まではまわりから「所高温泉」と呼ばれるくらい   自由な校風だったと言える。校風は「自由」っていうのが一般的なんじゃないか   と思います。 【校】ここ10年くらいの流れの中で考えられると。そうですよね。 【卒】たぶん入試の時の志望理由が「自由について」それくらい「自由」という校風   が一番前に出てくるはずだと思います。 【校】最初にね、何がどこにくるかなんてのはそんな問題じゃないのかもしれないけ   ど、これを覚えるというか自然にこう、ね。あんまり考えないで自主・自立とか   ね、出てくるんですよね。みんなで校風っていうのは作り上げていくものでしょ   うし、自由っていうのはどういうのを自由っていうかなと思うんですけど、そう   いう話なんてあんまりしないですね。私も特別考えたりなんてないんですけど。 【卒】ここで自由について話したのは、今回の問題が権利章典の1、2番に関わると   思ったからなんですが、自由って言葉について色々な考えがあるんですが、所高   でこの問題に限定して言うなら、僕達の民主的な活動、意見、思想が尊重される   ということだと思う。 【校】意見っていうことでね、この日に考えたんだけど、子供の権利条約ね。児童の   権利条約。この中に自由って言葉がたくさん出てくるわけだけど、教育における   自由ていう立場で考えることが大切。我々はですね、いわゆる外の要因で自由が   束縛されるのではない。本当の自由っていうのは外側からの拘束、あるいは内側   からの拘束から解放されなければならない。と私は思ってる。で、外的な束縛か   らの解放、これは身的な自由、内的な束縛からの解放は精神的な自由というふう   に言われると思う。いわゆる外的な束縛からの解放っていうのは憲法にうたわれ   ている政治的・社会的自由であり、教育における自由とは違うとゆうふうに私は   思ってます。で、教育、道徳的な自由っていう風に言っていると思うんですが、   精神的な自由ですね。これはまさに教育における自由だと考えています。精神的   な自由ということなんだけど、自分を縛っている固定観念というか、それから解   放されて、その自己矛盾に気がついたとき、それを克服したときに初めて真の精   神的な自由とかね、そういうのが得られると思う。    その次の所高システムについて、例えば今【協】が開かれているが、【協】も   所高のシステムということだが、所高のシステムっていうのは特別なシステムで   はないと思う。学校の教育活動の中で先生と生徒が話をするというわけだが、や   はり学校の教育課程がある。先生が生徒を教育する、そういう場であると思って   いる。そこで決まったことがそのまま学校の決定になるわけではない。生徒会は   【学】にもあるように学校行事の計画や実施に協力するということが大切であっ   て、学校の教育課程をそこで決定するということではないと思う。教育活動を決   定するのはあくまでも学校であって、最終的な決定をするのは校長である、と。   今回も言っている通り、【式】と【記】ということ、あるいは文化祭、体育祭と   いうような色んな行事の中で、生徒会活動として十分自主・自立・自由ですか?   そういうような校風というか活動をですね、する場が与えられていると思う。 【卒】「【協】の決定は学校の決定ではない」という意見ですが、【協】というのは   生徒と教職員が話し合いをする。で、校長先生は指導していくことが大切だとおっ   しゃったが、それだったら、【協】でできると思う。教職員が指導するなら【協】   で生徒を納得させないといけない。納得させないような指導っていうのは正しい   指導とは言えないんじゃないですか。 【校】【協】でね、学校の教育活動の中でこれどうなんだろうということで生徒に話   をしてあげる場である。どういう【式】をやるとかそういうことを、【協】の場   だが、【決】のことについても生徒に話をして、指導力がないんじゃないかとい   う話もやっぱり色んな生徒がいる。僕はそうじゃないというような生徒のいた場   合にはくり返し指導してあげる。 【卒】正しい指導だったら必ずそれには生徒を説得できるだけの正しい理論があるは   ずで、生徒を説得できないのであれば、その理論は正しいものではない、つまり   正しい指導ではないと思う。 【校】それにむけて最善の努力をするという。それだったら強制って言うが、強制と   言うのは根拠のないことを無理にすること。根拠があって指導しているわけです   けどね。 【卒】根拠があれば生徒は納得するはず。だから【協】の決定は根拠のある先生の指   導だから、【協】の決定は先生が指導したことになると思う。ここで校長先生に   わかってもらいたいんですが、【記】って言ったときは【式】に代わるものとし   て考えたもので、【式】をやるならば今までの門出式という形に戻る。だから   【式】が1部、【記】が2部というのは考えられない。 【校】【式】に代わるもの、それが【記】。みなさんそういう風に言うが、私はそう   は思わない。去年からずうっと言っているわけだが、【記】で十分【式】をカバー   できるんだと。 【卒】はい。だから校長先生が2部制とおっしゃいますが、それは僕らにとっては   【記】ではなく、門出式なんです。 【校】意味分かりません。 【卒】2部に持ってきたっていうことは僕らの主張している【記】はならない。 【校】【記】の中で私の方は卒業証書授与はない。と終始一貫している。みなさんの   言っている【記】は授与がないと。 【卒】【記】の中で校長先生がやってくれるんでしたら、3年生の意見の中でも【記】   で証書授与をやりたいっていう意見があったので、そういう形もこちらでは考え   られるが、校長先生がだめなら【記】ではやらない。 【校】授与することを【式】という。 【卒】だから、卒業証書授与式を行なわなければならないとは書いてありませんし、   こちらの【記】のプログラムを考える中で、【記】の意義というのは、卒業生が   卒業する感をふみしめてとかそういうこと。 【校】【式】の中で卒業証書を授与したい。というふうにう校長が考えているという   ことで、【式】で授与しなければならないとは書いていないね。 【卒】校長先生の意見は裏づけがないので「【記】は式の代わり」は可能。それを卒   業証書授与式と言わないのも可能。 【校】校長が【式】で授与をしたいって言った場合に、根拠がないから、なんてこと   はない。すべて法律に成文化されているとは限らないですよね。校長がただ言っ   ているだけで根拠がない、単に校長が言っているだけだからというふうに書いて   あるが、校長は公務を司る、教員を監督するというそういう位置づけがある。   だから、最終的な責任者である。 【卒】意見の裁量権のところに裁判官の言った言葉を載せたんですが、校長先生の考   えで行うにしても、その範囲は僕らにとって利益があるという理由がなければ校   長先生が何を言っても、それは最終決定権を逸脱した行為。 【校】校長の裁量権というのは当然、憲法や教育基本法に……(B面へ) 【校】教育基本法や憲法をやぶって、範囲外のことであれ、校長の裁量権は当然逸脱   した行為になりますけどね。そうではないと思いますよ。 【卒】今の学校で【式】を行なうのは【学】にそわないっていうことや、日の丸・君   が代は思想・信条に反するっていう考えを僕らは持っているので、逸脱している   と思います。 【校】終わりの言葉の前のページの1行目の最後から、日の丸・君が代のある式を行   なうことは【学】に反している。結論がまるっきり逆になっているわけですね。 【卒】今の所高で、ということです。【学】に「意義をふまえて」とある。この部分   で今の所高で日の丸・君が代のある式を行なうのは【学】に反している。で、   【記】をやれば、【学】に反すると考えるところはない。 【校】そこの言葉だけで言うと、【式】と【記】をというふうに私は考えている。だ   からその場合には【記】って言った場合には【式】に代わるものだから【式】は   ない、という考えなんですよね。私の考えている【記】というのは従来の【門】   ですか、予餞会みたいなもの。心を込めて卒業生を送り出すという行事である、   と考えてるが、作り出した人達はそうでないということですね。【式】をやると   いうことについては、みなさんの調べたその解説に書いてあるように、儀式的行   事の代表として、例示されていると。あるいは社会通念的にどこの学校でも【式】   をやっているから、そういう意味で前提になっているというか、定着していると   かそういう言い方をしてきたと思う。何でもかんでも法律に書いてあるわけでは   ないから、「【式】をやらなければならない」という部分がないからやらなくて   もいいと。そういう理論は適切ではない。 【卒】社会通念的というのに関しては、他の学校がやっているから所高も。というこ   とにはならないと思う。【学】の内容の“指導計画の作成と内容の取り扱い”の   方に「学校や地域、及び生徒の実態に応じて、各種類ごとに行事及びその内容を   精選して実施すること」とあるし、解説の方にも「特色のある活動をする」と書   いてあるので、まわりがやっているからそれにあわせるということはないです。   そういうことで考えていくと、やはり【記】の方がいいと思う。      卒実おたより   26号   2枚目GO!! 【校】今言ったようなことがあるわけだが、【式】の中で卒業証書を授与する、とい   うことを考えて【式】をやるということなんです。 【卒】だから僕らは校長先生の言うものは裁量権の逸脱だって言ったんですが。 【校】逸脱しているとは思わない。 【卒】意見書も【学】にも書いてあることだが、今の所高で日の丸・君が代をやって   【学】の「意義を踏まえ」っていうのは達成できるのか? 【校】達成できるように努力していきたいと。 【卒】その努力は日の丸・君が代を行なわないという生徒の議決がなった今の所高で、   生徒を納得させないまま【式】に日の丸・君が代を出すということですか? 【校】去年からの流れで先生方の御指導は生徒にだんだんわかってきてるんじゃない   かと思う。生徒総会であのような形になったが、昨年度に比べればずいぶん変わっ   てきてる。やっぱり【式】はやって【記】もやって、そして【式】の前日の生徒   は式に来てる、そういうふうな気持ちになってきてくれてると思う。 【卒】日の丸・君が代に関しては、去年から変わってきているかもしれないが、今年   日の丸・君が代を校内で行なわないという【決】がなっている。これから先変わっ   ていって、最終的に承認されなくなったとしても、今年それをやるのはまだ早い   んじゃないか。変わってきているからといって、意義を達成できるところまでは   きていない。 【校】みなさんは高校3年間で終わって、いつまでも高校生でいるわけではないから、   その中で国旗・国歌の意義を【式】という行事の中で教えていくということになっ   てからですね、私が勝手に考えたわけではないから、私の校長としての仕事かな   と思う。 【卒】だから今言ったように日の丸・君が代をまだみんなが納得していないうちにやっ   ても意義を達成できないと思う。そういう面から見ても校長先生の言う日の丸・   君が代のある【式】っていうのは【学】にそっていない。権限を逸脱している。 【校】私は【学】にそってやっている。 【卒】だから今言ったように日の丸・君が代を校内でやることに反対とでているわけ   だから、校長先生の考えはなし… 【校】と思うわけですね。私はそうは思わない。 【卒】思うとかじゃないんです。数字で出ているんですから。実際に。 【校】みなさんが国旗・国歌を【式】でやることに賛成できないというふうに意思表   示したとしてもね、私はそれに対してそうじゃないんだよ、とね。 【卒】その中でやって意義が達成できるんですか。 【校】わかってもらいたい。 【卒】わかってもらいたいっていううちは達成できない。   「達成してもらいたい」じゃ… 【校】全員が賛成するまでこういうことはやっちゃいけないってことですか。 【卒】理想は全員ですが、実質… 【校】過半数以上。 【卒】せめてそれだけ。【決】が通らない時代になったらってことです。 【校】そしたら先生はどういう仕事をするんですか。生徒の言う通りにするんですか。   生徒が納得しないと何事もできないわけですね。 【卒】何事もという訳ではない。【学】に書いてあるように授業に関しては僕らは口   を出せない。で、【式】・【記】に限っては【学】にあるように、僕らの自主的   な意見が考慮されると書いてある。ここの部分に関しては納得しないうちはやる   べきではない。だから何事も生徒の言うなりってわけではない。 【校】例えば、ある教科の授業の意義を認めない。そういう生徒がいても、その授業   をとりやめることはできない。そういう教科の意義がわかるように教えなければ   ならない。それと同じ。 【卒】授業の意義に関しては裁判の判例をいくつか見ても、意義について正しく説明   されているし、僕らはそれに納得する。   授業は「生徒の大多数がこういったから」って変えられるものではないが、行事   に関しては授業とは異なる。 【校】国旗掲揚、国歌斉唱についても同じだと思う。意義が理解できないという人が   いれば理解できるように指導していくっていうのが学校に求められているから、   校長はそれに従って指導する義務がある。と私は考える。 【卒】国旗・国歌に関しては、やるのが行事であるというところ。【学】のところに   書いたように内容の部分に法的拘束力がない、つまりそれだけ絶対にやらなきゃ   いけないという理由がない。 【校】いや、そうじゃない。国旗・国歌に法的拘束力はある。 【卒】【式】で日の丸・君が代を行なうと言う法的拘束力はあるかもしれないが、   【式】を行なわなければならないというのはさっき言ったようにない。 【校】【式】をやらなければならないというのがない。それがなぜわかる。というの   を3回もくり返して、これで3回目なんですけど、校長が【式】で証書を授与し   たいということです。で、それは越権行為なんじゃないかということだが、そう   ではない。 シリーズ !?                    1/18 in 応接室 校長先生と話そう  〜 その? 意見書「校長の裁量権」編 〜 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【校】儀式的な行事のよいところを指導していきたいと私が言ったとあるが、儀式的   な行事の良いところ、じゃぁ悪いところがあるのかってことですけども、儀式的   行事っていうのはみんな良いところ。悪いところはない。そういうような儀式的   行事として卒業式を考えている。 【卒】卒業記念祭よりも卒業式の方が良い理由を知りたいのだが。 【校】卒業式の中で卒業証書を渡すと考えている。 【卒】卒業式の意義を考えてみると、卒業式のいいところは記念祭でもその役割を果   せると思う。そういうことは考えられないか? 【校】記念祭っていうのはどういう行事なんですか? 【卒】卒業にあたって別れを惜しんだり、学校生活に有意義な折り目をつけ、新しい   生活の展開への動機付になるとか…。 【校】学習指導要領(以下【学】)で言うと「学校行事」?「生徒会行事?」    ⇒ オモテメンカラノツヅキ。 Don't miss it !! 【卒】「学校行事」と「生徒会行事」というと?    (【学】には「生徒会行事」という言葉はない。)   「生徒会活動」と「学校行事」はあるが「生徒会行事」ってのはない。 【校】そう、その「生徒会活動」。 【卒】「学校行事」でも「生徒会活動」との関わりを深くとあるので、「学校行事」   でもあり「生徒会活動」でもある。 【校】「学校行事」(【学】で行事として4種に分類されたものの一つ。)の中に文   化祭などある。すると生徒会行事のところ、P55です。新入生歓迎会や卒業生   送別会、ゆうような行事か? 【卒】新入生歓迎会…まぁそういう分け方なら(記念祭は)「学校行事」。新歓は生   徒会本部中心。記念祭は文化祭と同様、“実行委員会”中心。「学校行事」。 【校】…の学芸的行事の中に位置していると。 【卒】いや、学芸的行事というわけではない。あまりどれに位置しているってのはな   いが、儀式的行事の学校生活に有意義な折り目をつけてとかそういうのを目指し   ているので内容はまたがる感じ。学芸的行事にもかかるかも。 【校】何回も言っているように儀式的行事として卒業式・入学式っていうのにつきる。   やはり所属感という観点から儀式的な行事の中で国旗・国歌を行なうことによっ   てさらにその意義を、所高生として卒業していくとか、あるいはここから卒業し   ていくだとか、そういうことを考えると同時に日本人としての自覚、国を愛する   心を育てる、将来国際社会において信頼されるとかを考える場にしてもらいたい。   よく国際人としてとか、国際社会においてとか言うが、自分の国の歌・旗という   ものに対して敬意を払うとか、これが日本人の旗・歌だとかゆうことを思う、そ   ういう気持ちを持って国際人としてやってかなければと思っている。 【卒】日の丸・君が代(以下“日の君”)をいきなり卒業式の場で行なうのではなく、   例えばHRを使って人権教育とかと同じようにちゃんと教育してからというよう   なのは考えられない? 【校】いろんな勉強する場があると思う。そういういろんな場の中で学んでいくこと   は大事なことだと思うし、学校というそういう場の中で若い人達に学ぶ場を作っ   ていこうということになっている。日本はいろんな国と信頼関係の下に交流して   いる。そうゆう中で自分の国の国旗・国歌に対してきちんとした考えをもってこ   れが自分の国の国旗・国歌なんだということをもちながら外国の人に接していけ   ば、同じように外国の国旗・国歌に対しても同じような気持ちを持って接するこ   とができるだろうと考える。そうゆう姿勢は他の国の人だって同じだし、どこの   国でも国旗や国歌っていうのはあるわけだし、お互いにそういう関係の中でやは   りそういうような状況の中でやはりそういうことを学校の中で教育していくたい、   大事なことだと私は思っているし、【学】にも同じようなことが書いてあると思   います。    ⇒ コノプリント作ルノチョータイヘン。ミンナ読ンデネ。 【卒】ぼくらが言いたいのは卒業式に代わって卒業記念祭は同じ役割を果せるんじゃ   ないかってコト。今の校長先生の話は日の君以外の部分、【学】で言えば「学校   生活に有意義な折り目をつけ新しい生活の動機付け…」   っていう部分は記念祭も卒業式も同じ役割を果すことができると思う。 【校】じゃあその中で、卒業式じゃ何故だめなんですかってのと同じ。同じことをこ   ちらから質問すれば同じことになる。 【卒】今、“日の君”抜きっていう仮定の話。それなら同じ役割を果たせると思う。 【校】他にもいろんな要素がある。中心となってどこがやるかとか、今まで卒業式は   学校側が最終的に聞くということで、卒業式・門出式あった。記念祭は先生の…   いろいろな下にだけど生徒の方が動いてやっている。そういうようなこととか、   あと儀式的行事の中に卒業式・入学式というのがやらなきゃならないとは書いて   ないが代表的な行事として載っている。 【卒】【学】「特別活動 目標」に書かれているのも「自主的・実践的」だが、校長   先生の言うのだと儀式的行事は教職員が中心になってやらなければならないよう   だ。 【校】中心となってという言い方が悪ければ自主性を育てるとかいろんな言い方があ   る。 【卒】記念祭もぼくらが中心となってやっているが、顧問もいて、教職員の指導の下   にやっていることなので中心となってどこがやるというのは式と記念祭と同じ役   割を果たせるか、というのとは関係ない。 【校】そうですね。 【卒】それならやはり問題は国旗・国歌だけでは。 【校】内容とか、名称とか違う。どちらともイコールだって考え方もあるかもしれな   いが、それだったらさっき言いましたように卒業式が何故いけないんですかって   ことになる。そしたらそれは卒業式では国旗・国歌をやるからとらないってこと   ですね。                    ウラにまどわされるな! これは続きだ!!      卒実オタヨリ   No26   3枚目 【卒】ハイ。その他の内容なら卒業式も記念祭も同じ役割を果たせると思う。 【校】それには、国旗・国歌のこと以外に、厳粛だとか、名称とか、あるいは主催、   ていうのもおかしい。主催ってのは全部学校。最終的に言ったら校長ってなこと   になる。学校の教育活動は全てそう。いろんな視点があるが根本に戻れば従来の   卒業式と、門出式、それに代わって卒業記念祭をやるというふうに来たわけです   よね、みなさん。それに対して代わることはできないんじゃないかと、校長。      (次の「校長の裁量権からの校長への意見書」へ移る。)   式に出なければ入学を許可しないっていう内容の文章は、こういう言い方はして   いない。 【卒】これはインターネットに載っていた。第3者の意見。その人がこう取ったって   ことはこうもとれる言い方。 【校】入学式で入学を許可しますって言い方。 【卒】入学生の保護者からも、入学式に出なければ入学できないのか、というような   心配の声が多くあった。そういうふうに取れるってことではないか。 【校】入学を許可しないと入学許可候補者(以下【候】)のままになってしまうとい   う考え方。【候】っていう呼び方はみなさん聞いたことありますよね。だから   【候】のままである…までは考えられるけども、式に出なければ入学を許可しな   い、取り消すっていうそういうふうなつもりはない。なかった。    インターネットにこういう意見が載っていたということだが、みなさんの意見   と一致しているのか、似ているのか。 【卒】きっかけ。完全に同じではない。ただ入学式に出ないと入学取り消しもありえ   るととれるというのは同じ。そのあとのことはあえて同じだとは言わない。    じゃあ、校長先生は入学式に出ないと入学できないっていうのは出していない   と言ったが、ということは入学式に出なくても入学できるのか。 【校】これまでも言ったように、入学式を控えて、入学式に出て是非私の入学許可を   受けてもらいたいという気持ちでいっぱいだった。だから出なかったからどうだ   とか、そういういろんなことを考える余裕ってのはなかなかああいう状況の中で   はなかなか難しい。とは言いながらいろいろ心配する。だから当日まで非常に考   えて、やっぱり是非出てもらいたい、みんな出てくれるんじゃないかとそういう   願いを、そういう想いを強くしながら、入学式の日を迎えた。 コノツヅキハ2/15日ツマリキニウ行ッタ。プリント出スのでコウゴキタイ! 【卒】じゃあ出なきゃ入学取り消しになるわけではない? 【校】取り消しにはならない。入学を許可しますってことを言わなきゃ入学にはなら   ないのでは? 【候】のまんまだから。 【卒】確かにそうだが、ここに載せた判例の中に校長のする入学拒否の決定は「自ら   が定立した前記のごとく利用条件に合致する場合、特段の事情がない限り、入学   不許可処分にすることは許されないこと」とある。【候】になったっていうこと   は、学力試験と合否判定会議も通ったあとの話で、その「利用条件に合致してい   る【候】」を入学式に出なかったというだけでは入学を許可することはできない   んじゃないか。入学式に出なかったと言うのが特段の事情とは言えないと思う。 【校】判例でもあればそうですけどね。入学式のことも卒業式のことも、例えば卒業   認定をするのは校長。入学式で入学を許可するのは校長。で、卒業の認定が意思   決定された後に、それが有効にされるには相手側である生徒に対して校長から意   思表示されなきゃいけない。これが入学式のときには入学許可であり、卒業の場   合には卒業証書授与。それが必要。だから、それがないと入学の場合は【候】の   ままでいくということになると思う。だからといって入学式に出なかったからと   いって即入学取消とはいかない。と私は思う。      [今回の話はココマデ。次回プリントこうご期待!] キネンサイマデ ガッコウに来るのは ナント   10 !!                 時間がない!                 みんなガンバロウ!                 有志 → 1−7                      1−8                 2/18 LHR!
(Web管理者記)  「意見書って何?」??? ですね。「判例や学習指導要領、法律書等を調べて 理論立てた文章」ということなので、読んでみたいです。 ---------------------------------------------------------------------------- 【卒】これはインターネットに載っていた。第3者の意見。その人がこう取ったって   ことはこうもとれる言い方。 ----------------------------------------------------------------------------  ドキッ、これって私? 気になるなぁ。(^^;)ゞ  私のwebに記載した経過から拾うと、 ----------------------------------------------------------------------------  4月8日○PTA保護者の集会があり約80名ほどが集まる。       「入学式に参加しない場合はどのようになるのか」といったことの       県教委・校長の考え方を沼尾PTA会長からの報告されたが、校長       の回答は「基本的には入学式に全員出てほしいが、そうでない場合       は速やかな対処を考えたい」ということのみである。 ---------------------------------------------------------------------------- と記載しています。PTAの役員が「入学式に参加しない場合はどのようになるのか」 と内田校長に聞きましたが、最後まで ---------------------------------------------------------------------------- 【校】入学を許可しないと入学許可候補者(以下【候】)のままになってしまうとい   う考え方。【候】っていう呼び方はみなさん聞いたことありますよね。だから   【候】のままである…までは考えられるけども、式に出なければ入学を許可しな   い、取り消すっていうそういうふうなつもりはない。なかった。 ---------------------------------------------------------------------------- なんてことは、分からなかったようです。  それから、「コノツヅキハ2/15日ツマリキニウ行ッタ。プリント出スのでコウ ゴキタイ!」とありますので、期待しましょう。(^-^)  さて、実は3枚目の裏に「校長先生と話しましたよ!」という記事とは別の内容の ものが記載されておりす。「SotujituotayoRi」というもので、卒業記念祭の 「Tシャツとかヘキガのデザインが決まりました」という内容です。これについては 別の文章として掲載します。
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