Edward Said Memoir | 遠い場所の記憶 |
「そうよ、ハムレット」と、母はハムレットにではなく、明らかにわたしに向かって言った。「その暗い喪服を脱ぎすてて、デンマーク(国王)に親愛の眼差しを向けておくれ」。 | |
Beyond 周辺性という普遍性 |
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最後に、もうひとつの重要な切り口として挙げておかなければならないのは、このメモワールの執筆が「白血病」という不治の病を診断されたことをきっかけに始まったという事実です。その前年に母親が癌でなくなったということもあり、いわばここで人生の総括を行う時期がきたという認識があったようです。この角度から見た最大のモチーフは、「両親との関係の再評価、父親との和解」ということになるでしょう。 このメモワールで明らかにされたことの一つが、サイードの極度なマザー・コンプレックスです。特別な絆でつながれていると彼が感じていた母親のヒルダは、実務一点張りの父親やカイロの生活一般にはまったく欠落していた文化的な方面への興味をエドワードに植え付け、後にはそれを追求するよう仕向けた人物でした。気質の全く異なるかなり年上の無口な実業家との不本意な結婚のためレバノンで送った幸せな学生時代から無理やり引き離されたヒルダは、その恨みを生涯克服できず、ある意味で息子を通じて自己実現を図ろうとしたのであり、それが後年の偉大な文学者の誕生に結びついたようです。この母親から細かな癖から不眠症に至るまで多大なものを受け継いだエドワードは、母が死んでもなお自分を支配していると感じていました。彼女の存命中は必ず週に一度は手紙を交わし、現在でも身の上に重大な事件が起これば(白血病の診断のように)彼女に報告しなければならないという衝動を抱えるエドワードにとって、このメモワールにはその空白を埋めるものという役割もあるようです。しかし、母親との密着は、父親との 距離感と裏表のものでした。このような母子の間柄を象徴的に描いているのが、二人でハムレットを読む場面です。 母とわたしは玄関側の応接間に座って一緒に「ハムレット」を読んだ。母は大きな肱掛椅子に腰掛け、わたしはその隣のスツールに座り、母の左側には暖炉の火が煙たくくすぶっていた。彼女は王妃ガートルードとオフィーリアのせりふを、わたしがハムレットとホレーシオとクローディウスのせりふを読んだ。母はポローニウスのせりふも引き受けたがこれは父との暗黙の連帯感を暗示するかのようだった。父はしばしばわたしへの忠告に「金は貸すも貸されるも禁物」というせりふを引用し、自由になる金を与えられることがわたしにとっていかに危ないことか注意したからだ。……わたしは半ば無意識にせりふを理解していたに過ぎなかったが、ハムレットが置かれていた基本的な状況や、父の暗殺と母の再婚に対する彼の怒り、彼のとめどなく冗長で優柔不断な繰言などは確かに理解できた。近親相姦や姦通が何を意味するのかわたしには全くわからなかったが、戯曲に集中している母はわたしから離れて劇に引き込まれてしまったかのようで、それについて尋ねることは憚かられた。なによりも鮮やかにわたしの記憶に残っているのはガートルードのせりふを読む彼女の声が普段の調子とは違っていた ことだった。ピッチが速くなり、滑らかになり、非常に流暢になり、うっとりするほど魅惑的で宥めるような音色になった。 この場面では、ヒルダは息子(王子)と父親(国王)との関係を取り持とうとしているかのようにも響きますが、実のところは父子の疎遠な関係も母親によって演出・助長されていたのではないかとサイードは勘ぐっています。父親ワーディーは実際的な才能にたけた有能な事業家でしたが、感情を言葉で表現することが少なく、気質的に正反対ともいえる一人息子に対しては二十歳を優に超えても威圧的な暴君として振舞い続けました。父親の存命中に親子の隔たりが埋まることはありませんでしたが、父の没後二十年も経ってから、精神分析療法を受けていたエドワードは突如として父親に対し別の見方ができるようになりました。 「…わたしは一種のエピファニー(物事の本質が露呈する瞬間)を体験した。わたしたちの両方に対する遺憾と後悔の気持ちから、わたしは涙を流していた──長年にわたりくすぶり続けた衝突のなかで、彼の横暴な獰猛さや感情を言葉で表現する能力の乏しさが、わたしの自己憐憫と防衛的姿勢と相俟って、わたしたちふたりをこれほど引き離してしまったのだ。わたしが感きわまってしまったのは、その年月を通じて、彼は彼なりに自分を表現しようと、自分の気性にも育ちにもまったく不向きな方法で奮闘してきたのだということが、忽然と理解できるようになったからである」 最初は抑圧的と思われた父親の行為も、長期的には息子の将来を見通した配慮に基づくものであったという最終章における記述にたどり着くまで、物語の進展とともに読者のワーディーに対する認識も徐々に深まっていくよう仕組まれているのは、語り手としてのサイードの巧みなところです。 だが、今になってわかるのは、かつてわたしたち家族を保護していた奇妙な繭は、将来の生活に活かせるようなモデルでもなければ、わたしたちが暮らしていたその世界で通用するようなものでもなかったということだ。父はそのことに感づいており、だからこそ彼はまったく前例のないようなことに法外な費用をかけ、子供たちの四人を合衆国に送って教育を受けさせた(妹たちはカレッジだけだが)のだと思う。それについて考えれば考えるほど、わたしが男として唯一希望をかけることのできる道は家族から切り離されることに他ならないと父は考えていたのではないかという気がしてくる。自由の追求、「エドワード」の裏に潜む、彼に覆い隠された自我を求めるわたしの試みは、このような断絶があって初めて発動したものである。従って、これほど長いあいだ孤独と不幸を味わったものの、最終的にはわたしはこのことを幸運と考えるようになった。このような両親との葛藤と和解という普遍的なテーマにおいては、サイードはごく普通の人間として表れ、前述のように極めて特殊なアイデンティティを与えられた「どこに置いても異質なわたし」は消滅する。実際、このメモワールを読み通すと、矛盾するようではあるが、サイードがむしろ多くの点で非常にオーソドックスな人物であるかという印象が残ります。少年時代のエピソードのなかには、訳者の子供時代の体験とさほど違わないものも多く、カイロと日本という地理的・文化的な隔たりにもかかわらず同時代性というものの強さに今さらながら驚かされます。例えば彼の子供時代の読書リストに登場する名前(ギリシャ神話、くまのプーさん、不思議の国のアリス、スタンダール、ドストエフスキー等々)は日本の子供が親しんでいるものと変わらないし、随所に現れる映画俳優の名前(かなりの映画ファンだったらしい)にも馴染みのあるものが並びます。もちろん傑出した学者・知識人であり(ずば抜けた才能に負けずとも劣らない超人的な克己心や、高尚な文化を身につけていることは本書にある通り)、その政治的な境遇と学問的な関心が見事に一体化した稀有な人物ではあるのだけれど、 その感性は非常に率直で気取りがないことを強く感じさせられます。 どのような場所にあっても過度にくつろがないほうがよいという態度は、けっしてみずからの差異を強調しようというものではなく、むしろローカルな差異を克服したもっと普遍的なレベルでの理解をめざしているように思われます。ここにおいて、彼はパレスチナの物語を語り、常に異質な存在であることについて語りながら、同時にそれは一人の人間としての普遍的な物語であることを証明しているのです。 ☆ Out of Place -top ☆ パレスチナ人のNarrative(物語) ☆ どこにも属さない「わたし」
< 『遠い場所の記憶』(みずず書房)からの抜粋 :Copyright
2001 Misuzu>
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