我が愛しの函館 

2001年 8月に再訪


高田屋嘉兵衛像。
彼にまつわる資料館へ行きました。
函館の宝来町には、大きな彼の銅像がありました。
これはその鋳型だと思われます。
商人でしたが、苗字帯刀を許された人物です。

今年のお正月頃、竹中直人主演・司馬遼太郎原作の
「菜の花の沖」というドラマがNHKでありました。
私も少しだけ見たのですが、この主人公が江戸時代幕末の
頃の人物、高田屋嘉兵衛です。



(サイトは↑こちら)
淡路島に生まれ、函館を拠点に択捉航路を開き、
たった一人で大国ロシアとの国境紛争をも解決した
大商人・高田屋喜兵衛の波乱万丈の物語










< 高田屋資料館 >
高田屋関連の資料館は2つあります。
こちらは内部撮影禁止。



珍しい地図の書き方です。
日本は上の方に弓のように描かれています。
下がロシアや韓国。よく見ると左端の下には、
「天明 仙台 林子平」の文字が読み取れます!
(林子平に関するサイトはこちら

赤坂憲雄さん編集の「東北学」の本にも
これに似たような「環日本海諸地図」(富山県作成)
が載せられていましたが、この地図はもっと前のもの!

しばし興奮してみつめちゃった・・☆

●赤坂憲雄さんのプロフィール等はこちらのサイトです。


さらに私を驚かせたのは、アイヌにまつわる本や絵巻物が
数多く展示されていたことです。
昨年東北地区学生YMCAの会合で、アイヌを学ぶ集会を持ちましたが
その時の講師もして下さった宮島利光牧師の本には、
アイヌの人々は、国を越えてロシアや樺太の人々とも
自由に大胆に交易をしていた・・と書かれていました。
その文章が頭の中に、さっとよみがえりました!




●幕末のアイヌや蝦夷地図に関するサイト
(北海道大学付属図書館)

●市立函館博物館  1998年特別展のサイト
北前船と蝦夷地 〜和人とアイヌのくらし〜

●0から始めるアイヌ語入門のサイト


日本古代史とアイヌ語(&自作MIDI紹介)のサイト
風土記や日本書紀、古事記などに表れる神名、
人名、地名や縄文語について詳しく考察。



● アイヌ・・・ ●

 私は北海道札幌の生まれである。これまで北海道や札幌は私にとって、
懐かしくそして憧れの土地であった。それは現在住んでいる東北地方のような
ある種古い伝統やしきたりがあまりなく、新しく自由な土地であるように思っていた。
 時おり弟たちと「北海道って、いいよねー。Countryって感じだよね
(=英語が似合うということ)」などとつぶやいていた。

 今回東北地区学生YMCAでこれまでの「東北学」の延長として、
いよいよ北海道やアイヌについて少しでも触れてみようということになった。
私もほとんど初めて「アイヌ」に向き合ってみて、
あまりにも何も知らなかった自分の姿に呆然とした。
 アイヌは北海道において、「先住民族」だったのである。豊かな北海道の大地で、
自然と文字通り共存しながら静かにつつましく生活をしていた。
しかし「本州」から私たちの先祖が、「開発・開拓」のために北海道を侵略・植民地化
していった。奇しくも私の祖父母や連れ合いの祖父母も「開拓」組である。
 「開拓・開発」と言った時に、誰のための何の開発なのか? 
それは日本がアジア諸国に対しても全く同じようなことを行っている。

 私が衝撃だったことは、アイヌが「先住民族」であったことと(今までも漠然とした知識は
あったが、明確な自覚がなかった)、それから朝鮮の人々を「皇民化政策・教育」する
何100年も前から、アイヌに対して日本の中央政府からの「同化」政策が始まっていたこと!
 それに反抗しての蜂起は、15世紀中ごろから既に始まっている。
そんなにも昔からアイヌは、「本州」の人々に侵され続けてきたのだ!!

 宮島先生の本によれば、そもそも北海道と本州は歴史的にも異なった時代を歩んでいる。
北海道では縄文文化の後に続縄文文化、その後擦文文化とオホーツク文化が
並行して鎌倉時代まで続いている。その後鎌倉中期あたりから、
アイヌ文化へと独自の展開をしてゆく。
 また自由に北方の大陸や民族との交易・往来があったようである。
彼・彼女らのどこが「未開な土人」なのであろうか!?

 アイヌ民族の苦難の歴史は、「在日朝鮮人」の方々や沖縄の歴史と、
まっすぐにつながっていく。本当に恐ろしいほどに。
 日本の端と端は距離的には遠いが、空間的・歴史的には直結している。
これからも「端から見る」という視点を大切に、地方からの視点・発信を
続けたい・・と強く願っている。

(竹佐古真希:2000年7月の文章)



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