東北朝鮮学校
2000年 5月 学生YMCA
活動推進協議会のエクスポージャー
< 下見の報告 > 東北大学YMCA 古谷雄一郎さん 今回の活推協では、エクスポージャーとして東北朝鮮学校を訪問しました。 エクスポージャー本番を含めて古谷は四回、朝鮮学校を訪問しました。 ・4月26日(水) 真希さんに連れられて、飛び込みで訪問。 ・4月29日(土) 朝鮮学校創立35年記念イベントに遊びに行く。 ・5月10日(水) 真希さんに連れられて、打ち合わせに訪問。 ・5月20日(土) 活推協のエクスポージャー エクスポージャー本番で感じたことも多かったのですが、 そこは原さんの原稿におまかせ(?)ということで、 飛び込みで訪問したときのこと、35年記念イベントに遊びに行ったときの ことなどを簡単に書かせてください。 まずは4月26日の初めての訪問の時ですが、 とても緊張しました、というのも紹介状の類も一切なしの、 本当に「飛び込み」での訪問だったからです。 そんな感じの訪問にもかかわらず、 校長先生の李先生にお会いすることができました。 校長先生=お年を召されている?かも=気難しい?かも= 不用意なことを言って怒られたらどうしよう……、 と勝手に想像して(←想像しすぎ)、かなりどきどきしていたのですが、 実際にお会いしたら、穏やかな話し方をされる、 話している言葉の内容がすごく正確で、 でも正確過ぎる言葉にありがちな冷たさみたいなものが全くなく、暖かい、 「ああ、自分がこんな話し方をできたらどんなにかいいだろう」 というようなかたでした。すごく感激しました。 ここから先は、そのとき教えていただいた、 創立35年イベントに4月29日にお邪魔した時のことを書きます。 近くのバス停から、細い道に入って歩くこと15分。学校に着きました。 会場に入ってすぐのところに授業案内などの掲示がありました。 小学校低学年で「国語(ハングル)」が週に9コマあるというのをみて、 祖国から離れた土地で、自分の言葉を伝えていくのは 大変なんだなあとおもいました。 (それ以外はそれほど日本の学校の時間割と違いはありませんでした。) 言葉って、考えてみれば人が思ったことを形にしていくときに必要なもので、 だから、ある文化とかそういうものを伝えていくには、 言葉を伝えることが、必要不可欠なのだろうなと思いました。 やはり、親は子供に自分の言葉を伝えたいだろうし、 子供は親やそれにつながる人の言葉を知りたいだろうなと思います。 自分が外国で生まれ育ったとしたら、やはり日本語を学びたいと思ったでしょう。 あと、ここの学校には東北6県から生徒さんが来ていて、寄宿舎もあるそうです。 (東北地方には、ここと以外には福島県に初級朝鮮学校があるのみで、 民族教育を受けるにはここに来ざるをえないそうです。) そのあとで、チャンゴ(朝鮮太鼓)の体験やチョソンチャンギノリ(朝鮮将棋) などの体験をしました。小学生から中学生くらいの子に相手をしてもらいました。 将棋はルールがややこしくて、けっこう頭を使いました。 それからチャンゴの感想ですが、打楽器ですからリズムの取り方が ポイントになるわけですが、うまくたたけると、それだけで、 彼らとの距離が一気に近づいたような気がしました。 |
東北朝鮮学校。仙台市の八木山にあります。仙台駅から、バスに乗って40分ぐらい。 なんと東北大学渓水寮にわりと近いところにありました! バス通りから1.5キロの道を歩くとやっとたどりつきます。その道も、朝鮮の「同朋」の方が開墾した道だそうです。 |
玄関を入ったところ。 華やかな絵がお出迎え。 |
校長の李先生。「在日」の2世にあたる方だそうです。はじめ私と渓水寮の古谷くんとで、全くアポなしでドキドキしながら学校を訪れました。 その後2回ほどお会いして、今回のエクスポージャーのための話し合いをしました。話し方がとてもステキな先生です。深くてあったかい方・・♪ |
李先生と対談。 活動推進協議会のメンバーが、長崎・熊本・鳥取・関西・・などから集まりました。 |
東北朝鮮学校は、設立35周年を迎えたそうです。その経緯は、主に戦争中に強制連行などで日本に連れて来られた朝鮮の方が、祖国に帰れなくなってしまった。いつか帰る日のために、寺子屋を始めたそうです。 やがてそれが北朝鮮からの支援の元に、学校設立にもつながったそうです。 |
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そんなわけで、北朝鮮の金 親子の写真が飾ってありました。でも学校に来ている人は、「南」側出身の人も多く、それぞれの政治思想などを強制するものではないそうです。 |
どうしても日本から見ると「韓国/北朝鮮」と2つに分けてみてしまいがちですが、「私たちにとっては両方あわせて『朝鮮』なのです。」と言っていた李先生の言葉が、とても印象的でした。 |
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