わがまま音楽紀行(連載第12回)★韓国編その2
大阪市職労 宮本雄一郎
ぞうの背中に乗る男、エレファントファーム
1 大阪の春
春がやってきます。音協会員の皆さんのところに、春はどのように訪れますか。私は、大阪市内にある城北運河という河に沿って毎日歩いて職場に通っています。毎朝、五歳のこどもと一緒に保育所まで行き、それから運河に沿って歩きます。いつも歩いて目にしているはずなのに、見逃していたことにふと気付きました。それは季節の転換する時です。
河沿いに植えられた柳の並木は、冬の間はまるで枯れ木のように生気のない様相なのですが、初春のある日、突然、うす化粧をしたように小さな青い芽を出します。今年、それに気付いたのは3月9日の朝のことです。
朝の零度近い気温の中で、柳の木が芽を出しているのを発見したのです。まるでごまつぶのように小さな青い芽が、柳の枝から一斉に生え出して、朝の光に息づいています。小さな若葉の突然の発芽を見るとき、いつのまにか空に春の光が溢れていることに気が付きます。私の春はいつもこのように突然訪れます。皆さんの街ではいかがでしょうか。
2 バンコクの月
いつものことですが、話は変わります。前号の「わがまま音楽紀行」は韓国の慶州放浪でした。今回は、韓国から東南アジアに飛びます。これまででアジアを一回りして、新世紀の幕開けはタイに戻ることになります。「月が…、ほら、うーん、出てるね…」
常夏の国、タイの首都バンコクの夕暮れ時です。ふと見上げる頭上に白い月が静かに浮かんでいます。月から少し離れた空間に、ひときわ明るい星が助演女優賞の名優のようにきらりと輝いています。メロンを半分に切った一片をガラス板の上に置いたときのように、タイの月は夜空に真横に「
」のように横たわっています。友人が、「うーん、この月は珍しいなあ…」と言います。日本で見る月は、メロンの断片の一方の端を上から釣り提げたように、「ノ」の字を書いて空に浮かんでいたはずです。
「ノ」の字の月に慣れ親しんだ目には、バンコクの月は不思議なかっこうに見えます。月を見ていると、太陽を中心に地球と月がくるくると回転しながら引き合っている宇宙空間が、旅ぼけの頭の中にふと登場します。自分は今、地球の赤道近くに立って横倒しのかっこうで月を見上げているのです。日本にいる時の私は、北緯三十五度付近で地球に斜めに立った位置から月を見ていたのでした。
アジアの旅先でこんな地動説的「発見」をして喜んでいる自分に気が付いて、心の中でふと、『俺はいったいこんなところで何をしているんやろ?』とつぶやきます。考えてみると、私には「旅の目的」などというものがもともと存在していないのに気付きます。旅に出て、行きあたりばったり、気の向くままに放浪してみる、というのが旅の真実の姿なのです。こんな旅に目的をこじつければ、未知の国の言葉や文化を自分の眼と耳で実際に確かめてみたい、ということにでもなるのでしょう。月を眺めることは日本でもできます。旅の目的とは、水平に空に浮かぶ三日月もあることに気付くかどうかです。自分が普段眺めている月を、逆立ちして眺めてみることに何らかの意味があるのかもしれません。
3 ロックと日本語の リズム
またまた話は飛びます。日本語の言葉のひとつひとつの音にはすべて母音がくっついています。言葉のリズムからいうと、日本語は原則として一音一拍です。「もしもし亀よ、亀さんよ」と歌えば7拍と5拍で七五調になります。日本のこどもなら指を折って「もしもしかめよかめさんよ」と、ひとつひとつの音を拍として数える、ということができます。日本語の「一音一拍」という特徴は単純明快であるとともに単調さにもつながります。簡単で分かりやすい。けれどもそれが続くとリズムが単調に感じられるのです。
坂本九の歌った「上を向いて歩こう」で、実際に彼が歌っているのを聞くと、日本語で書かれた歌詞と彼の歌とはずいぶん違うことに気付きます。彼の歌を無理を承知で文字に写してみると、冒頭の「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」という節は、「うーえーうぉーむーうーいーてへ、あーはーるーこーおーおーほお、なーみーひだーがーは、こーぼーれーなーいーよーおーおーにひ」というように聞こえます。永六輔は、純日本語調の美しい歌詞を書いたのですが、そのままでは4ビートのメロディーに乗らなかったのです。日本語のリズムとビートとのずれを、坂本九は無意識に彼独特の唱法で埋めていたのかもしれません。
ロック音楽と日本語のリズムの関係は、ロック誕生のときから常に緊張をはらんできました。メロディーやリズムが複雑になればなるほど、ことばとのずれは大きくなっていくからです。
六十年代末の日本独自のロック音楽の登場は、歌の日本語にも変化を引き起こします。 日本ロックの創生期に登場した「はっぴいえんど」の歌詞には、それまで見られなかった「です・ます」調の歌詞が登場します。彼等の代表作「風をあつめて」を例にとると、「それで僕も風を集めて
青空を飛びたいんです」という「です・ます」調の独特の文体を創り出したのです。そして、その誕生から、ロック音楽と日本語は格闘を続けていきます。
現在を概観すると、既に日本語はばらばらに分解されて単なる音の素材と化し、分解したことばの破片からあらたにメロディーとリズムに沿った意味の最構築がなされているように見えます。ことばの区切りとメロディーの区切りは無関係に進行するように見えるのです。宇多田ヒカルの「Automatic
」の冒頭を例にとると、「七回目のベルで受話器を取った君」という節は、「なー/なかいめのべー/るでじゅわきーをとったきみ」と歌われます。ことばの破片の集まりから何らかの意味を最構築しようとする過程は、私には興味深いものです。
日本語のリズムとロック音楽との緊張関係はこれからも永遠に続いていきます。そして、この緊張こそが新しい音楽を生み出す源なのかもしれません。
(続くかも)
インド洋の夕暮れ、プーケット島にて
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