編集長の随時日誌 2008年9月 から分離

『南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策』を単行本として発行予定

2008.09.03(2019.9.13分離)

 木村書店発行の季刊『真相の深層』は、次号の第20号で休刊とする。多くの連載記事があったが、その中でもとりわけ大型の「米国上院議会公聴会議事録」、『南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策』は、別途、上下二巻の単行本として発行する予定である。

 以下、この議事録の決定的な重要性に関して、拙著、『湾岸報道に偽りあり』から、関連の記述を抜粋する。

 [前略]
 石油マフィア東部エスタブリッシュメント、新興のカリフォルニア・マフィア、少し斜に構えてユダヤ・ロビーの面々が描いていた政治的・軍事的青写真は、はたして完全に極秘だったのだろうか。その一端なりとも地上の正規ルートで入手できれば、 「謀略」の世間的判定は容易になる。特に重要なのは、アメリカの軍事計画であろう。

 ところが、いかにも象徴的ながら、「石油」ではなく「水」の確保を「戦争」の歴史的目的の筆頭に掲げるアメリカ支配層の中東戦略思想は、すでに湾岸危機の十数年も前から声高らかに表明されていた。克明な公式文書の数々も一般公開されていたのだった。それらがなぜ今回の湾岸危機に際して、大手メディアで報道されなかったのか。「平和のペン」の武器として活用されなかったのか。これもまた重要かつ決定的な反省点なのである。

 一九七三年に勃発した第三次中東戦争と、それに起因するオイル・ショック以来のアメリカの対中東戦略に関しては、すでに紹介ずみだが、湾岸戦争後(8・20)に出版された『石油資源の支配と抗争/オイル・ショックから湾岸戦争』の分析が、最も鋭い。著者は外資系石油会社に勤めた経験を持つ宮嶋信夫(本名は白石忠夫)であり、主にアメリカ当局側の資料とアメリカ国内の報道を綿密にほり起こして活用しているために、不気味なほどの説得力を発揮している。

 以下、同書の記述を、まず新聞報道関係にしぼって要約してみよう。

 一九七四年、フォード大統領は世界エネルギー会議の席上、石油価格上昇に関して、「各国民は歴史上、水や食糧、陸上・海上の交通路を求めて戦争に訴えてきた」と警告を発し、それを受けてアラブ諸国の新聞は「アメリカ、アラブに宣戦布告」などと論評した。二ヵ月後、アメリカはペルシャ湾で空母をふくむ八隻の艦隊による演習を、二週間にわたって繰り広げた。さらに、「一九七五年一月、フォード大統領にキッシンジャー国務長官は『OAPEC(アラブ石油輸出国機構)諸国が石油禁輸を行ない、自由世界、先進工業国の息の根が止められる場合には米国は中東で武力行使することを否定しない』と記者会見で明言した。その準備行動として、米国の中東砂漠に似た砂漠地帯で海兵隊の演習を行なう、と世界に向けて報道した」のである。このような対中東戦略は、一九七九年のホメイニ革命に対抗するカーター・ドクトリンに明文化され、「緊急展開軍」創設から「英雄」シュワルツコフの「中央軍」へと発展強化されていった。

 宮嶋は、「カーター・ドクトリンでは湾岸地域での脅威がソ連軍であるかのようなあいまいな部分があったが……」と、アメリカ当局のかくれみの作戦を指摘しつつ、「国防報告」などによって「敵は石油にあり」の本音を容赦なく暴いている。

 ペルシャ湾への米艦隊出動は、その後も、イラン革命におけるアメリカ大使館人質事件、イラン・イラク戦争におけるタンカー戦争と、機会をとらえては機敏に展開された。タンカー戦争では、クウェイトの要請に応じて出動するという手続きを取っているが、この時期からすでに今日のワシントン=リアド=クウェイト枢軸関係が深まっていたのである。

 テレヴィ軍事評論ではもっぱら、「もともとは対ソ連戦略の中央軍」とか、「砂漠に不馴れなアメリカ軍」とかいう論評になっていた。だが実際には、「米国の中東砂漠に似た砂漠地帯」として選ばれたカリフォルニア州のモハヴィ砂漠で、十数年もの期間をかけた猛訓練が続いていたのである。 「温度の違い」の指摘や、実例として、テヘランのアメリカ大使館人質事件での救出作戦失敗……砂嵐でヘリコプター墜落……をあげる例もあったが、「失敗は成功の母」の教訓として生かされたと考えるべきだろう。相手は戦争技術のプロである。テレヴィ軍事評論の大部分は、真相を知る関係者にとって、いかにも滑稽な話だったに違いない。
 [中略]

なぜアメリカ議会国防報告が論評されなかったか

 次の問題は、さらに決定的な「計画性」の証拠となる公式文書や、アメリカ議会の国防関係記録があったのか、なかったのかである。

 答えは「あった」であり、しかも、二重丸つきの「あった」なのだ。  最近のものだけではなく、十年ひと昔前の一九八〇年初頭の計画まであった。現在の「中央軍」につながる「緊急展開軍」編制と増強のために「軍拡」予算が請求された当時の何百ページもの公聴会議事録までが、いとも簡単に入手できたのである。内容もすごい。これら証言と報告が、湾岸危機の初期の段階に詳しく報道されていたならば、誰一人としてアメリカの戦争への意図と、それを可能にする謀略の存在を疑うものはなかったと断言できるほどのリアリティーがある。湾岸戦争は、十年以上前からの予定通りに実施されたといっても過言ではない。実物のコピーを見たとき、私自身、自分の目を疑うほどの驚きを禁じ得なかった。

 驚きは二重であった。どうしてこういう公開記録が、最も大事なタイミングで問題にされなかったのか。なぜどのメディアも、これらの十年にわたる議会記録の意味するものを、振り返って解明しようとしなかったのか。英米流の議会制民主主義がはらむ可能性と、その陰の反面をなすマスコミ・ブラックアウト、大衆的「隠蔽」の機能を改めて痛感せざるを得なかった。

 アメリカ議会の公式記録の重要性を私が再認識し、直接原資料に当たる気になったのは、本書の巻末付録の資料リストをほぼ整理しおえたのちのことであった。情報洪水との格闘に疲れはて、やっと一年後に訪れた谷間の休息のひととき。整理の合間に収集した資料をパラパラめくったわけだが、その際はじめて宮嶋以外には「だれもこれらの記録を引用しておらず、存在にもふれてない」という事実が、次第に浮かび上がってきた。あたかも、情報洪水を覆っていた霧が晴れてみると、突如、濁流の真中にそそり立つ巨岩が不気味な全容をあらわにしたような情景であった。

(2019.9.13野次馬追記)
 以下の通り翻訳中断し、単行本として発行されていない。
 ホームページ掲載もできていない。


(2019.9.13 季刊『真相の深層』より転記

1980年の上院外交委員会聴聞会議事録『南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策』(『U.S. SECURITY INTERESTS AND POLICIES IN SOUTH-WEST ASIA 』)

翻訳を8号・9号・10号・11号・14号・17号・18号に掲載、訳者都合により翻訳中断。
12号に『米上院「緊急展開軍」議事録の歴史的位置づけ』(木村愛二)を掲載。

イラクの政治的位置 その3:アメリカ上院議事録で“米帝国軍「中東安全保障計画」に石油確保の本音切々”と紹介。

既訳分はホームページで公開予定。