ラダイトからボルサまで

~労働組合運動の地域的&産業的組織の
国際的経験と原理を探る~
インターネット無料公開への序文
目次 はじめに

 

第1章:タテとヨコの組織関係の国際的相違
第2章:労働組合運動の発祥地…イギリスの場合
第3章:地方的ヨコ組織からの出発…アメリカの場合
第4章:革命の落とし子・ブールスは生き残った
第5章:商工会議所vs労働会議所…イタリアの場合
第6章:現代をリードするヨコ組織…CGILとカメラを典型に
第7章:意外史の分岐点…ロシア革命と社会主義国の労働組織

2007.12.4カウンター変更(813)2016.09.02カウンタ変更(1105)

第2章:労働組合運動の発祥地~イギリスの場合
(分割掲載2)

分割掲載版は2008年6月の訂正が未反映です。第2章一括掲載をご覧ください。

(分割1)1.史上初の団結禁止法との対決
(分割2)2.遠い親戚より近所の他人、3.ヨコ組織と一般組合の発達史
(分割3)4.トレイズ・ユニオンの複数形、5.ワン・ビッグ・ユニオンの理想
(分割4)6.労働組合評議会、7.ワーカーズ・ユニオン、8.TUCからの排除

2.遠い親戚より近所の他人

  ウェッブ夫妻は、さらに、当時の工業中心地の賃金労働者は、階級闘争への拡大をますます意識するようになったとしている。団結禁止法の撤廃と専制政治もしくはナポレオン戦争にひきつぐ戦時的支配を変更することなしには、「はるかに勢力的で機敏な労働者たち」が、「議会制度全体の徹底的な変革」へと突き進むことになったであろう。この事態を見通したイギリスの支配階級は、密やかに、団結禁止法の撤廃と労働団体結成の自由を認める法案を、通過させたのであった。

 支配階級が最もおそれたものは何であったか。そして、1825年以降に、彼らが育成しようとするものは何であったか。このこたえは、すでに団結禁止法下に、その初期の姿をあらわしていた。

 ひとつはラダイトのように「あらゆる種類の賃金労働者の広汎な」共謀であり、それと表裏一体の関係で進んだ「地方的諸職業の合同委員会をつくろう」とする傾向であった。この対極に、当時の一般労働者の3~5倍の賃金を獲得していたといわれる熟練手工職人の同職組合があった。ウェッブ夫妻は資料にもとづいて、この種の同職組合が1810~1820年のロンドンにおけるよりも完全に組織されたことはないと主張している。

 これらの労働貴族的同職組合は、たしかに、すべてが貴族的出発点を持つものではないし、1800年の一般団結禁止法ともある程度はたたかったにちがいない、しかし、わずか4分の1世紀の間に、彼らは労働組合運動の本流ではなくなった。系図の上でこそ前世紀の同職組合につながっていても、すでに似て非なる保守団体に成り下がっていた。労働組合運動史の今日的評価は、まず第1に、この点の明確化にある。

 一方、産業革命によって生み出された新産業労働者群は、より階級的な組織形態を生み出していった。その際、当時の社会の物質的基盤が、地域的なヨコ組織への結集を第1にするものであったことに、注目すべきである。当時の陸上交通機関は、馬、馬車を最高速度とするものであったし、それさえも労働者が日常に使用できるものではなかった。蒸気機関車としては、スチーブンソン父子の発明になる改良ロケット号の完成が1829年、1842年になってはじめて、ロンドン・マンチェスター間に1日2往復の列車が走るようになったという程度である。

 当然、労働者の闘争は、それぞれの産業中心地で、ありとあらゆる支援を求める他はなかった。このためにかえって、職業・産業を超えた労働者同志の階級的団結は、いやましに強化されざるをえない。労働者が本当に死活の闘争をする場合には、この時代に限らずまず、近所の他人とでもいうべき他産業の労働者に、必死の援助の要請をしているのであるが、その原型が早くも1800年代の初頭に求められることを特筆しておきたい。

 さらに、労働組合を闘争のための組織として確認するならば、その本流はすでにこの時期以降、同職組合ではなくなっているのである。

3.ヨコ組織と一般労働組合の発達史

 おそくとも1818年には、ラダイト以外にも、職業の枠を超える組織が作られていた。

「博愛協会」とか「博愛ハーキュリーズ」[ギリシャ神話の強力無双の巨人ヘラクレスに因む]とかいう名称の団体が、1818年にマンチェスターからロンドンまでの各都市に広がった。この団体は、孤立的な同職クラブの無力さを確認し、さまざまな職業を含む連合体として結成されたものである。12人の委員が投票で選出され、3分の1が毎月順番で改選されるようになっていた。弾圧に対しては、同一地方の全体的援助のみならず、各都市の組織からの援助も約束されていた。

 ロンドンでは、メカニクス(Mechanics)[注8.]の博愛ハーキュリーズという形であったようだが、のちにアメリカの例を示すように、このメカニクスという複数の用語には、実に多数の幅広い職種が含まれていたのであった。

注8.後出「アメリカの場合」:「大工、石工、石切り工、裁縫師、艤装工、沖仲仕、指物師」。つまり、現代の意味の機械工は含まれていない。よって、「機械工組合」と訳すのは、まさに機械的な誤訳であり、ましてや、現代の日本の金属関係の産業「別」労働組合の先駆けと位置付けたりするのは、我田引水の曲訳と言わねばならない。

 この種の試みは、何度かの失敗、崩壊をくりかえしながら、1820年代後半に向けて、次第に有力な潮流をなしていく。たとえば、1826年のも、やはりマンチェスターで、「地区内の新職業を幅広く組織しようとする企てがあった。さらに、それらは、明確な目的意識と理論に支えられた運動でもあった。

 1827年には、「有閑階級の一人」(One of the Idle Classes)と自ら名乗る知識人の執筆による労働者向けのパンフレットが発行されており、その中には、つぎのような箇所がある。
「周辺地区の諸職業における低賃金労働者の競争にたいして、手早い救済策は、国内の全職業のいっさいの一般組合を代表する中央組合である」

 この論文は、全部門における均一化された賃金率の決定とか、労働市場問題にかかわる主張を含んでおり、若干の補正を加えれば、現代にも通用する理論的な内容であった。

 このような前段階をへて、つぎの時代が切り開かれるのであるが、「諸職業」(trades)という複数の職業の枠を超えた組織運動は、のちの労働評議会などのヨコ組織と同時に、一般労働組合運動をはらむものであった。この点に関しては、のちにまた、フォスターが1927年のフィラデルフィアに世界最初の全市的規模の中央評議会(労働評議会)の起源を求めている例と合わせて、再び立ち返って考察する。

 以上で「2.,3.」は終わり、「4.トレイズ・ユニオンの複数形」に続く。

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