木村愛二・渡辺武達教授「ガス室」神話 公開質問と応答:2

「ガス室」神話に関する記事への民衆のメディア公開論争

承前。その2。98.4.8. 初入力

渡辺教授「ML公開文両方受け取り」挨拶


 Sent: 98.4.8 1:18 AM. Received: 98.4.8 7:53 AM

 木村愛二様

   1998年4月7日   From:同志社大学 渡辺武達

ナチ「ガス室」問題について

 私への私信と、MLでの公開文両方を受け取りました。これからはどうか私の関連するところは両者の文章は同文にてお願いします。私にかんするかぎりはかまいませんので・・・・お互いにこれから何回か文書のやり取りをさせていたいて、最後に実りあるように結論が出るようにしたく思います。たいていこの種の議論は最後は相互に罵詈雑言で終結というのがおおく、それでは「ラッシャー木村」と「ジャイアント馬場」のお笑いプロレスみたいですから・・・

 さて、本日、やっと木村さんのホームページをプリントアウトさせていただきました。早速に、私用にもページをつくっていただきましてありがたく思っています。そこで今後の議論の仕方でのお願いですが・・・・

1.私はものを学生に教えたり一緒に勉強したり、書いたりしゃべったりして暮らしている人間で、その意味では公人です。よって自分の書いたものには責任をとり、もし間違いがあれば訂正することにやぶさかではありません。しかし、今後はどうなるかわかりませんが、今のところ、木村さんの主張に説得されるような気がしません。けれども木村さんの提起されている問題は重要であることは認めるので、じっくりと私の考え方を今後のべさせていただくことになります。

2.木村さんがどこへどういう形で私との議論を発表されようとそちらの自由ですが、お願いですから、私の文章は途中のコメントなしでそのまま掲載していただけませんか。その後でご批判をいただければうれしいのですが・・・・

  たとえば、ホームページに掲載された『パンプキン』の拙文のうち、『マルコポーロ』西岡論文のタイトルについて「正確には・・・」などとあたかも私が不正確なように付記されておりますが、同誌170ページのタイトルは『ナチ」ガス室」はなかった』で、木村さんの引用文は、表紙目次で本文目次とは違います。どちらは正式かはもちろん本文のものです。木村さんもご承知のように雑誌は先に目次や表紙を電車の中吊り用などに用意しますが、それはいい加減なものなのです。そこからとって私の文章を不正確のように印象づけるテクニックは使うべきではありません。

3.それから一般紙に書いて、なぜMLでは答えないのかということですが、はっきり言ってこのMLでの私の知人は木村さんの論に賛成しているから黙っているのではなく、「うるさい人」にはかかわりたくないということなのです。私も他にやりたいことがあるので時間をこのことだけに使いたくはないのですが、私の場合は名指しをされているので逃げるわけにはいきません。また、たしかに私が講師の一人をつとめた会合で木村さんには一度だけお会いしご挨拶している関係で、まさかとって喰うようなひとではなく、まじめな方らしいと信じているし、後著作もファイトあふれるもので教えていただく資料や事実も多く、お相手させていただくのが筋だと考えたからです。

4.私は『マルコポーロ』の出た1995年の8月にこの件の調査にポーランドへ行き、アウシュビッツでも資料収集などをしました。またパレスチナ問題では、すでに1974年から75年にかけて、当時横浜の飛鳥田一雄市長に依頼されてアラブへ行き、パレスチナのスーラニ執行委員などを日本に招き、与野党の政治家と会談してもらい、その後のパレスチナ東京事務所の基礎づくりにすこしはかかわっています。そうした経緯からも少しは書物や聞きかじり以外のアラブ・イスラエル問題を経験しています。

  今度の木村さんとの件は、私がガス室の存在を証明するか、木村さんが「凶器のない犯罪はない」という程度のアプローチではなく、すくなくとも100万のユダヤ人をふくむ非ドイツ人がナチによって生命を失った事実はないことを証明するか、です。

  私の場合は、この問題を専門にしていないし、それを地理的時代的に現地で体験していないので、もっとも信頼する友人や資料で論を構成するしかありません。

5.木村さんはじぶんとちがうことをいわれるとすぐお怒りになられるようで、謝れ・・・などといわれますが、ご本人は他の方をそれ以上のいい方でご批判になられているのではないでしょうか。そういう方を相手にこれから議論するのは気が重いですが、なんとか相務めますのでなにとぞよろしくお願い申しあげます。

  ただ関係の書類などに目を通す時間をしばらくお貸しください。MLのみなさんもこれからどうなるのかと関心がもあるかもしれませんし・・・・(止め)


1998.4.8. 渡辺さんへ「ガス室」問題で若干のご注意

 木村愛二です。

 渡辺さんから、かなり長い挨拶が届きました。最後には、「MLのみなさんもこれからどうなるかと関心がも(ママ)あるかもしれません」とありますので、いよいよ「ラッシャー木村」のリング入りかと期待される向きも多いでしょうが、私も還暦を過ぎ、少しは気が長くなっているので、渡辺さんが夜中の午前1時18分に送信されたことを健康管理上心配しています。じっくりやって下さい。

 ほかにも、若干の補足的ご注意を申し上げる必要があるでしょう。

1。上記の(ママ)にはまったく他意はありません。私もよくやるミス、いや、決して私の不注意のせいではなく、機械が間違えているに違いないワープロミスです。「が」を取るか「も」を取るか、他人が勝手に決めるわけにもいかないでしょう。

2。『ナチ」(これもママ)ガス室」はなかった』の部分は、こちらが「戦後史最大のタブー」というサブタイトルを付け加えたために誤解されたようですが、渡辺さんの記事の方では「ナチにガス室はなかった」となっていたので、「ナチ『ガス室』はなかった」と訂正したまでのことです。渡辺さんの「文章を不正確のように印象づけるテクニック」などでは決してありません。カッコ付き引用文に正確を期すのが私の主義でして、別に「いじわる爺さん」を気取ってきるわけではありません。そちらで原文をご確認下さい。

3。「うるさいひと」と思われるのは結構ですが、私の場合は、たとえ相手がどれだけ「うるさいひと」であろうと、自分の信念に対立する意見を公表しているけしからん相手に対しては、時間の許す限り、断固、論争を挑む主義です。ただ、私にもやはり、渡辺さんと同様に「他にやりたいことがあるので時間をこのことだけに使いたくない」場合には棚上げにすることもありますが、特に「名指しをされている」場合には、「逃げるわけにはいかない」ではなくて、断固、許さずに反撃・追撃する方針です。ただし、最近は件数が多くて、これも時間の関係で後回しが増えています。

4。ポーランドに行ったり、パレスチナ問題に関わっている人は沢山います。問題は、「見れども見えず、聞けども聞こえず」、という「予備知識不足」の思い込みにあります。

5。「ガス室の存在を証明する」方針は大いに結構です。存分にやって下さい。

  ご参考までに言うと、フランスの主流・官許歴史家たちは、「議論してはならない」という声明を連名で発表しています。本多勝一被告は、私のホームページの「陳述書」に入れたように、卑怯未練にも、この点の態度表明を避けて逃げ回っています。

6。私が「『凶器のない犯罪はない』という程度のアプローチ」しかしていないと言われるのは、それだけで、拙著『アウシュヴィッツの争点』を読んでいない証拠なのです。その点は、すでに指摘しています。当時の知識で考えられる限りのすべての角度から、このシオニストの大嘘を検討し直しているのです。

7。私が「すぐ怒る」のは問題によっては事実です。私は嘘を付いて自分の利益を図ったり、ずるい言い逃れをする人を許しません。この性格のせいで、日本テレビ相手に不当解雇反対闘争を16年も経験しました。しかし、労組の全面支援を得られたのは、私が、事実を指摘されて「怒る」ような、ずるい人間ではないことを組合員がよく知っていたからです。別に正義派気取りではなくて、最近つくづく感じるのは「三つ子の魂百まで」という諺の深さです。この問題では、いずれ自伝を書きたいと願っています。また、私に率直な批判をされて、逆恨みをし、陰でこそこそ悪口を振りまいている小物が多いことも、よく承知してます。渡辺さんに「謝れ」と求めたのは「売り物」という表現のことだけです。

 以後、順次追加しますので、また御訪問下さい。ヒット、ヒットね!