木村愛二の生活と意見 2001年5月 から分離

他称「新右翼」一水会と自称「つくる会」教科書を語ろう/一部用語訂正の居直りの弁」

2001.5.1.(火)(2019.8.7分離)

 この「日記風」は、時折の備忘録的な意味で始めたのだが、予測し難い事件の続発により、ついつい長文を綴ってしまって、他の連載記事と入り乱れている。先月の4月にも、文部科学省とやらへのサイバーテロ(「西馬当てろ」と聞き取って、何じゃろと思った片仮名語音痴もいたらしいが)から、それと原因が同じ「NHK-ETV戦争を裁く」直前改変騒ぎが重なり、電子手紙広場への投稿を優先せざるを得なかった。

 今月の冒頭も、その続きとなる。


送信日時 : 2001年 5月 1日 火曜日 8:06 AM
件名 :[union 2878] 「新右翼」一水会と「つくる会」教科書を語ろう

 以下は、民衆のメディア連絡会の電子手紙広場(420人超過)に送ったものと同文ですが、ほとんどが、出版労連の最大の政治的または業種的課題、教科書のことなので、ぜひとも御覧頂きたく、ここにも送らせて頂きます。なお、本日、杉花粉は減少ぎみのようなれど、仕事の締め切りに追われ、関東組の飲み会にも行けません。皆様、飲み過ぎないように、お気を付け下さい。以下が同文です。

 文部科学省へのサイバーテロ(私は右でも左でもテロはテロ説)を巡る議論が、はっきり言えば、枝葉末節の揚げ足取りの応酬となり、まったく、斜め読みすらする気が起きません。

 そこで、話をもとに戻すために爆弾宣言をすると、私自身には読む暇も語る暇もないのですが、さる4月25日夜、新宿歌舞伎町ロフトプラスワン「右翼は終わってねえぞ!」の舞台の上で隣に座っていた他称「新右翼」の「一水会」元書記長、現顧問で評論家の鈴木邦男さんが、『朝日新聞』(2001.4.14)「オピニオン」欄に「歴史認識/違い認めて自由に意見を」と題する寄稿をしています。4月25日夜には、この件の話をする時間がなかったのですが、ともかく、「言論の土俵」を求める点では、意見が一致します。

 さて、これがスポーツなら、いやさ、戦争なら、孫子曰く、彼(敵)を知り、己を知る者、百戦して殆うからず。つまり、対戦の相手と同時に、味方または自分の長所と弱点を、徹底的に研究することこそが、次なる勝利への基本方針なのです。

 ところが、こと自称「科学的」社会科学となると、いわゆる「階級敵」への憎悪を掻き立てたカール・マルクスの秘めたる権力主義(別途、わが電網宝庫で徹底批判を連載中)の餌食となった人々が、相手の論説を詳しく読みもせずに、ナチの焚書同然の悪魔化をしてしまいます。

 私自身が「ガス室の嘘」を暴いたら、赤軍派紛いの自称左翼の有象無象によって同様の目に遭いました。実は、今もなお、いわゆる左翼ファッショ権力が、ジョージ・オーウェルの『1984年』さながら、何が何でも敵を作り、仮想の戦時中の恐怖政治によって足元の「大衆」を支配し続けようとする習性を、先輩の後ろ姿の刷り込みで身に付けたままで、しかも、それなしには地位を保てず、配下の虎の威を借る狐の輩を、いつまでも、のさばらせているのです。

 これはあたかも戦時中に、英語を「敵性語」として焚書し、日系人を中心にして日本語スパイ教育にいそしんだアメリカに、戦争に負けた後までしゃぶりつくされ、いまだに実質占領下、wimps(女々しい奴ら)などと嘗められっ放しの大日本帝国の阿呆官僚、つまりは、今の文部科学省の苔むす屍そのままのゾンビ横行状況なのです。日本のいわゆる右も左も、ほとんど「割れ鍋に綴じ蓋」状況の良い勝負、呆れるのを通り越して、憮然とする他ありません。

 結果としては、私を「思想差別」したような連中は、自らの論説をも切磋琢磨で君子豹変させる機会を失い、旧ソ連の崩壊に至るような、不様な実情を曝しているのです。昔から、他流試合こそが、剣士の腕の磨きどころ。道場破りもできないような内弁慶は、物笑いの種でしかありません。

 私には、教科書とかの子供相手の冊子にまで手を広げる気はありませんが、湾岸戦争でもカンプチアPKO出兵でも、さらには当然、「ガス室の嘘」でも、思想も立場も違うだけでなく、腐臭漂う「げてもの」にさえ、鼻をつまんで、目を通しました。これが孫子や満鉄調査部に学んだ「スパイ学」の基本です。

 鈴木邦男さんは、「保守派文化人の主張に危うさを感じてきた」と書いています。この発言には、これまでの実績から言っても、下手をすれば命に別条があるほどの覚悟が秘められているのです。

 サイバーテロ支持者とか「つくる会」粉砕論者の皆々様は、「自称革新派文化人」の主張に「危うさを感じ」たことがないのでしょうか。えっ、そちらも読んだことすらない、ですと、いやはや、これはますます重症ですな。呵々。


送信日時 : 2001年 5月 1日 火曜日 10:36 AM
件名 : 綴じ蓋のドジ踏み告白訂正?

 先程、「割れ鍋に閉じ蓋」としたのを、「綴じ蓋」に改めます。寝ぼけ状態で、あれっ、これでいいのかな、と思いつつ送ってしまったのですが、もともとは音だけの大和言葉と漢語の押し頂き送り仮名の関係については、これが絶対とはいえないまでも、歴史的事実と照らし合わせると、国語審議会的には、「綴じる」の方が正しい用法でしょう。念のために、安物「ことわざ辞典」を引くと「とじ蓋」なのですが、安物辞書にも「綴じ蓋」とあり、「修理」の説明です。

 ところが、これもほとんど安物で、近所の友人が「資源回収日」の出物を拾って届けてくれた「広辞苑」には、「縫い直した」とあります。これが正解でしょう。

 というのは、今はただ懐かしいとしか言い様のない風景なのですが、戦後の一時期まで、東京の郊外にも、鋳掛け屋のおじさんが回ってきました。電気仕掛けのドリルなんて物騒な道具ではなくて、棒に糸を巻いて引っ張ると、鋭い針が回転して、瀬戸物に小さな穴を開け、そこに秘伝のおそらくは動物の腸とか何かを引き延ばして干したような糸を通し、まだまだ使えるように縫い直していくれるのでした。当時はまだ小学生だった私は、魔法でも見るように、じっと眺めていたのでした。

 ああ、またドジ(なんでこの安物玩具は、これを一発変換で片仮名にするのか!)踏んじゃった、猫ふんじゃった、と思って、すぐ側の「どじ」を見ると、語源の説明がまったくないのです。庶民の言葉の研究不足、いかさま書店、岩波よ、反省せよ!