木村愛二の生活と意見 2001年4月 から分離

「市民運動向け」JCA-NET内でのサイバーテロ被害経験者として単なるサイバーテロか否かを問う

2001.4.2.(月) (2018.5.30分離)

電子手紙の一部訂正、増補。2001.4.5.部分修正。
送信日時 : 2001年 4月 2日 月曜日 9:39 AM
件名 : 単なるサイバーテロか否か

 JCA-NET内でのサイバーテロ被害経験者の木村愛二です。

 その経験をも踏まえて、韓国からの日本政府への抗議行動に関して、一言します。

 私は北京と都下の北多摩郡調布町(現・市)で、今は韓国人と呼ばないと誤解され兼ねないのですが、当時は「北も南」も区別しようがない隣国人と近所の仲でした。子供同士の喧嘩で「バッチキ」を食らったことが、むしろ、懐かしいものですから、今度の事件で、これまた旧知の萩谷さんが理解を示そうとするのは理解できます。

 しかし、私は、1960年安保闘争の当時、「政治嫌い」でありながら参加した学生ですが、その当時とその後の実体験を通じて、いかなる意味でも、物理的、暴力主義的な行動は、「好まない」とすることにしました。さらには、政治を論ずる人々について、右も左も、まずは「政治屋」、「政治破落戸」と思って、十分に警戒して付き合うことにしています。

 1960年当時、国会周辺で敷石を割って警官や右翼のデモ隊を襲撃(順序は逆だった!)した一部学生については、正確な情報を得ていませんでした。このような統制ができない行動を煽った連中の無責任さについては、その後の労働組合運動での「いわゆる左翼」との深い付き合いを通じて、痛切に理解し、現在、その暴力主義の根源を、遥か人類史、近くはカール・マルクスに辿り、徹底批判を始めています。

 そこで、今回の事件と議論についての私見を要約します。この電子手紙広場への事件の登場の発端から、疑問があります。

 最初に事態を報じたのは、「こんにちは、ずっと投稿もしていない小倉です。すいません」だったようです。なぜ、ことさらに「すいません」などと言うのでしょうか。特別な「義務」でも背負い込んでいるのでしょうか。

 私は、この人物が管理人の電子手紙広場、amlで、個人としてサイバーテロの被害を経験し、パソコンを壊されました。その際の管理人の言動には、大いに疑問を呈しました。わが 電網宝庫にも記してあります。結論的に言うと、この管理人は、本質的に心情テロリストです。本質的にテロリストの心情を抱えている連中が、自分ではテロを行えない癖に、どこかの権力と戦う被害者を支援することで、自分の正統性を主張して自分の存在意義にすりかえるという現象は、そこらじゅうに溢れています。半気違いの暴力主義者、赤軍派を懐かしがったりする傾向は、その一種です。彼の本音は、『サイバースペースからの挑戦状』と題する河上イチロー著、雷韻出版(いかさま右翼)、1998年初版を読めば、良く分かります


 2001.4.2. 20:30.追記:この怪し気な本で彼は、日本のインターネット界に意図的な悪餓鬼として売り込んだ河上イチローのメール対談申し込みに、実名の小倉利丸として応じています。「『タフであれ』ということかな」、が最後の言葉ですが、その前に、彼は、自分が名を挙げたペルーの日本大使館へのゲリラ(トゥパク・アマルナ革命運動[MATA])の襲撃、大量人質事件に関して、次のように語っています。

「[MATAに]まったくなんのシンパシーもない、ということではありません。彼らの主張することには一理あると思います。とはいえ、ゲリラ闘争のあり方として非常に魅力的であるともいいかねますね。むしろメキシコのサパティスタ(5)のような戦い方の方に僕はシンパシーを強く感じます」

(5)サパティスタ:サパティスタ民族解放軍(EZLN)。94年1月1日にメキシコ南部チアパス州で武装蜂起。先住民差別や貧困の解消を主張している。

 つまり、微妙な発言によって、逃げ口上を張れるようにしてはいるものの、場合によっては、武装闘争も支持すると、明確に表明しているのです。

 以上で追記終わり。電子手紙に戻る。


「アクセス阻止の行動を短絡的に『反社会的』とみなしてしまうことが危惧されます」などと主張するのは、自分の行状の弁護でしょう。

 この発端を受けて、(法政大学)坂本さんが、「これは単なるサイバーテロであって、表現の自由とは何の関係もありません。インターネットユーザーとして、こんなことは二度とやめてもらいたいものです」と書かれました。私は、韓国人の行動と、他のサイバーテロを一緒に論ずるのは、誤解を生ずるとは思いますが、ともかく、とばっちりの被害を受けた人が、苦情を申し立てる権利は保証すべきだと思います。感情に走らないように注意して議論したいものです。

 次に、(JCA-NET事務局)安田さんが、「『これは単なるサイバーテロ』と言い切ってしまうほど、モノゴトは単純ではありませんし、『インターネットユーザーとして』という特殊な立場から今回の行動を非難するだけというのは一面的に過ぎると思います」と、さすが長年韓国問題に関わってこられ、JCA-NETの運営に苦労されている立場らしく、冷静に応じられました。以下、安田さんの長い手紙の中から、私が重点を置く問題のみを抜粋します。

 今回の行動は、さまざまな局面があります。簡単に整理すると以下のようなものになります。

1. 統制された行動と、統制されない行動
2. 示威行動に関する韓国内での意識と日本国内での意識の差
3. 日本での抗議受け付けの体制の不備
4. 抗議の対象となったサイトの問題
5. 攻撃プログラムの使用の問題
6. 言論の自由の問題

まず、1.について、統制された抗議と、統制されない攻撃の二種類がありました。[中略]統制された抗議を呼び掛けるグループも、統制外の行動にあえて異議を唱えませんでした。[中略]

3については、日本の文部科学省をはじめとする標的となった機関が、インターネットを通じた抗議や要望を受け付ける十分な体制を整えず、単に自分たちの都合のいい情報を垂れ流すだけの一方向メディアとしてしかインターネットを使っていないことを指摘したいと思います。[中略]

4の抗議の対象となったサイトの問題としては、今回の行動は予告があり、十分に対策を取ることができる時間があったのに、それを怠ったということを指摘します。「攻撃されたからサービスがダウンした。悪いのは攻撃側だ」という一方的な悪宣伝は、俗耳に入りやすいかもしれませんが、なぜ事前に対策をしなかったのでしょうか。[中略]

5つめに、攻撃プログラムの使用の問題があります。個人的にはこれは完全なルール違反であり、攻撃プログラムを使用した攻撃は非難されるべきだと思います。[中略]

6番目の言論の自由の問題は、今回の行動が単なる「いやがらせ」なのか、正当な抗議行動と受け止めるのかによりますが、韓国の人々は正当な抗議だと信じて実行し、日本の利用者はそれをいやがらせと受け止めた、ということです。[中略]

 性急に、攻撃があった、サービスが利用できなかった、犯罪だ、という短絡的な結論を導くことは、差し控えていただきたいと思います。今回のような行動について、たとえば上記のような点を十分に検討した上で、いかなる場合も許されないのか、それとも一定の条件が整えば許されるのか、許されるとすればその条件は何か、などの議論を積み重ねていくべきです。

 以上で抜粋を終わりますが、ここでの最大の問題点は、「許されるとすればその条件は何か」なのです。誰が、その「条件」を決定するのでしょうか

 たとえば、aml管理人は、おそらく、以上の内の、「4の抗議の対象となったサイトの問題としては、今回の行動は予告があり、十分に対策を取ることができる時間があったのに、それを怠ったということを指摘します。『攻撃されたからサービスがダウンした。悪いのは攻撃側だ』という一方的な悪宣伝は、俗耳に入りやすいかもしれませんが、なぜ事前に対策をしなかったのでしょうか」という主張を、私への攻撃に関しても援用するのではないでしょうか。

 同様の歴史は、何度も繰り返されたのです。典型はギロチンです。アンジェイ・ワイダの『ダントンとロベスピエール』でしたか、題名に自信はないのですが、ほかにも、カミュの『正義の人々』があります。後者はまさに、「純情な」テロリストの物語りです。私は、1960年安保闘争の前後に、この芝居の舞台装置を作りました。今では、若者を「純情」と規定することにも、疑問を呈しています。