木村愛二の生活と意見 2000年9月 から分離

言霊の国ならずとも祭事トリックの騙しのキーワード「民主主義」

2000.9.16.(土)(2019.6.10分離)

 別途掲載中の「武蔵野市不祥隠し事件独自捜査」シリーズでも、市議会と「民主主義」に関する問題が続出している。この捜査シリーズを含む「仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記」の最新記事では、「民主主義」の1変種としてのオンブズマン運動への批判を記した。できれば、そちらも見て頂きたいが、これと並行して、政治改革問題を論ずるとの主旨のメーリングリストにも、誘われまま参加し、いささか波紋を投げ掛けた。まさに八方破れのインターネット剣法、武者修行中である。

教室「民主主義」優等生が教員で優等生増殖の恐怖に対抗

 私に直接メールを寄越して、上記「政治改革」メーリングリストに参加を呼び掛けてきた主宰者は、「政治学」専攻の教員と称している。いわゆるオンブズマン運動のOmbusmanjapanメーリングリストにも同名で同文メールを投げているから、おそらく、そちらの方で私の存在を知って呼び掛けてきたのであろう。インターネットの世界では、相手が本物かどうか確かめることは不可能に近いから、適当に相手になって様子を見るしかない。これまでのメールの内容で診断すれば、この「政治学」専攻の教員は、民主主義について、教科書通りの教条主義的理解、実は誤解の固まりの優等生のようである。

 メーリングリストと称する井戸端会議には、これまでにもいくつか参加してみたが、ほとんどが、昔は女子供と言ったが、それは遠慮するとして、子供の遊び程度で、まるで物の役に立たない。しかし、1%ぐらいは私のホームページに誘い込めるかもしれないので、適当に付き合ってみて、面倒になれば、さっさと通り抜けてきた。それ故か否か、最近は特に宣伝しなくてもヒット数が1日40を下らず、100突破に迫っている。道場破りならぬメーリングリスト破りなどと陰口を叩かれているかもしれないが、優等生増殖の恐怖に怯える常識人よ、わがホームページにきたれ! 呵々。

元の元のフランス語のParlementは「諸侯会議」

 その「政治改革」メーリングリストでも、「民主主義」に関する青臭い議論が展開され始めたので、私は、このところ痛感することの多い武蔵野市議会の実態とも合わせて、この際、長年の懸案に取り掛かろうかと思い立った。

 私の結論、または否応なしの立証の目標を先に言うと、天皇制のトリックが崩壊した敗戦後の日本で、いとも恭々しく学ばされたアメリカ式「民主主義」なるものも、その本質は、ブルジョワ独裁の隠れ蓑、ゼニゲバ祭事トリックの騙しのキーワードに他ならないということである。

 言葉だけではなくて実態として存在する「物」は「議会」であるが、日本の「議会」の手本の英語、Parliamentは、フランス語のParlementの田舎訛りであり、語源はparler(話す)、parlor(客間)である。王家の客間でペチャクチャしゃべるのが、事始めである。手元の安物仏和辞書でも、Parlementの冒頭の訳語は、「[史]諸侯会議」となっている。何のことはない。「並び大名」の熟語は現在も使われているが、日本でも徳川幕府時代には、江戸城の大広間で「諸侯会議」が開かれていたのである。最新の研究によると、平安朝後期には「陣定め」(じんさだめ)と呼ばれる公卿会議をはじめ、かなり合理的なシステムが敷かれておたことがわかってきている」(『日本経済新聞』2000.9.16.「文化」欄)ようである。物理的存在としての議会は、それらの[史]の範囲を超えていない。

 次は中身の検討だが、封建時代の「諸侯」が宮廷貴族となる経過が、近世の中央集権確立の歴史として語られている。封建諸侯出身の宮廷貴族に、金権ブルジョワ貴族が加わり、労働貴族が加わった。イギリスでは労働党の幹部が「サー」(sir.騎士爵、準男爵)になるのは日常風景である。労働党出身のトニー・ブレア首相が、アメリカのユーゴ侵略に悪乗りし、地上戦を煽ったのは、つい昨年の夏のことだった。やってることは中世の十字軍による東方侵略と何ら変わらない。それなのに、「民主主義を守るために戦う」と叫べば、結構、通用してしまうのが現代なのである。

ミイラ取りがミイラになる「ブルジョワ独裁の外被」

 上記のような私の表現は、いささか露骨に述べたに過ぎないのであって、今や日本共産党のシンデレラ・プリンス上がりの党首、フワフワ頭の不破哲が批判を始めたとか漏れ聞くレーニンの自称「概略」パンフレット、『国家と革命』にも、議会制度は「ブルジョワ独裁の外被」とあった。不破哲がズルケンこと宮顕の個人秘書だった頃、日本共産党は、とりわけ、餌場を同じくする社会党を批判する目的で、この「ブルジョワ独裁の外被」論を日本の実情に合わせて具体化し、『国家と革命』よりもさらに薄いパンフレットを発行した。総評の労働貴族、社会党の議会貴族、などなどの「取り込まれ」実情を、それなりに鋭く批判した面白い論文だったのだが、日本共産党自身が議員数を増やし、社会党は自民党に抱き付く政権入り後に雲散霧消し、日本共産党も後追いで民主党に媚び、政権入りを狙う醜態を演ずるに至った。

 資本主義国における社会党や共産党の政権入りは、イギリスの労働党の歴史の繰り返しに他ならない。フランス、イタリアでは現在、共産党が政権入りしている。このラテン国家群を典型として、ソ連崩壊後の今、共産党も、「ミイラ取りがミイラになる」人類史の一幕を、悲劇か、はたまた喜劇か、後追いで繰り返しつつあるのである。大はソ連から日本共産党に至るまで、ミイラ化の基本的条件は、組織維持の「経営問題」にあるが、この「経営問題」の実情は、別途、詳しく論ずることとする。

 労働党、社会党、共産党、そして今、武蔵野市周辺では、大衆党から護憲リベラルを経て「市民の党」へとカメレオン改名を続けるパフォーマンス好きの若者集団が、新たな「ミイラ取り」志願者を集めている。武蔵野市議会では、一時は6名の議員を抱えていた日本共産党が3名に減り、日本共産党から近親憎悪に激しい攻撃を受けていた大衆党の1名が改称「市民の党」の3名へと増え、拮抗関係にある。市民の党も、経営問題を抱えるようになるのは理の当然なので、今後は、どうなることやら………。

『自由原論』と民主党と共和党と自由党と民本主義

 私自身は、何時も先に身体が動いて何度も騙された方である。1960年安保闘争で「民族派」を自称してアメリカの占領継続に反対する立場から参加して以来、いくつかの曲折を経て、30年も日本共産党の党員になっていた。

 しかし、私の好きな山に関連する格言がある。手元の安物『ことわざ辞典』には載っていないのだが、「山に入り、山を出ずる者にして、はじめて山を知る」、と記憶している。なにごとも経験である労組と争議団と日本共産党と市民運動を経験して、「はじめて組織運動を知る」想いである。

 アメリカ式「民主主義」なるものについては、福沢諭吉が日本語訳題『自由原論』で知ったとされるフランスの貴族出身、トックヴィル(1805-1859)の大著『アメリカの民主主義』を必読文献として推奨する。トックヴィルは、1830年代のアメリカの実情を視察して、その政治制度が「民主主義」と呼ばれたり、「共和主義」と呼ばれたりしていると記した。今、アメリカでは、民主党と共和党が大政党で、大統領選挙に血道を上げている。どちらも「デモクラシー」の擁護者と称している。『自由原論』では、当然、デモクラシーを自由と理解したのである。民本主義の訳もあった。自由、民主、共和、民本、すべて「デモクラシー」、以上、言葉、キーワードの問題である。歴史的実態としての「デモクラシー」についての「憎まれ愚痴」は、またの楽しみとする。