総行動11年の原点に立ち返って教訓を学ぶ
[1983.12.10-12.東京地方争議団共闘会議:第22回総会議案書]
[第3章(続)私たちをめぐる動き:副議長・法廷闘争対策担当・木村愛二執筆]
四、《新ニッポン》ファシズムの正体、司法反動の恐怖の土台を暴く闘いを
2000.11.4 WEB雑誌『憎まれ愚痴』60号掲載
その間の独占側の考え方を端的に表わしたのがロッキード疑獄発生直後の日経連会長、桜田武の発言です。
一九七六年・七月、日経連トップセミナーにて、「むしろ本命は捕った方がよい。経営のトップか職場を中心とした労使関係を安定させ、警察、裁判所および官僚組織が健在であれば、この政治混迷期は乗り切れるのではないか」
桜田のこの発言は、ロッキード疑獄をめぐる自民党内部の混乱にふれてのものでした。つまり、政権党が混迷状態にあっても、「経営のトップ」「警察」「裁判所」「官僚組織」が健在であれば、「乗り切れる」というのであって、「議会」や「野党」は対象外、いわば敵側という認識です。そして、「労使関係を安定」させるためのパートナーは、いわずと知れた御用組合幹部。イエローヒトラーこと塩路某を典型とする暴力団そこのけの労働ボスたちです。
だが、これらの「本工」労働ボスによる「企業ファシズム」の権力構造は、日本独特の二重、三重、いやいや五重、六重の、臨時・下請・社外工制度、子会社・系列支配・かんばんシステム、さらには海外へのそれらの差別制度輸出によって、始めて成り立つものです。また、アメだけではなく、この差別制度の下部への「転落の恐怖」が、本工組合員の右傾化を方向づけています。マスコミ・文化共闘の争議対策会議でも、さる九月四~五日の第八回泊りこみ討論集会に坂本修弁護士を迎え、講演をもとに討論。平凡ながらも「本工主義への厳しい自己批判」を再確認しました。
日経連の手足としての「警察」「裁判所」「官僚組織」が、いま、最大の目的としているのも、まさに、この差別支配です。「総行動敵視」、「使用者概念の拡大許さず」、ここに焦点が定まっています。臨時工・下請工の解雇事件で、つぎつぎに判例が逆転しています。テレビの長時間ドラマの買い切りスポンサーとして、目立グループ、トヨタグループ、等々のスーパー文字が延々と映され、「この樹なんの樹………、」などという歌がバックに流れる一見平和でのどかな風景とはウラハラに、独占のコンクリートの本丸は、十重、二十重の無表惰な制服の私兵に守られ、非情の壁ばかりを高くしています。
公務員労働者の争議権についても、全農林警職法事件の最高裁敗訴以来、なんと一〇年間、すべて負け続けです。民間労働者にとってもー般国民全体にとっても、行政の民主化は、一人一人の生きる権利の擁護につながる問題です。その行政民主化を支えるべき公務員の労働運動が、手足を縛られ、分断されることは、ますます国家独占資本の癒着と反動化を押し進めることにつながります。
独占の本丸がつぎつぎに新築されていくのと同時に、最高裁が「あの石の砦」にたてこもったのも、象徴的な出来事でした。
司法権力については、「権力の司祭」「権力の神官」という表現をする文学者もいます。古代の神権君主に仕え、その王権の由来を「カシコミ、カシコミ、………」シモジモに教えこんでいた神官と同様、現代の法学「屋」たちは、独占の意のままに、差別支配を擁護し、弱者を切り捨て、健常者にも転落の恐怖を吹きこんでいます。[冤罪事件の当事者]免田栄さんは、「日本の司法制度は二世紀遅れている」と慨嘆していますが、労働事件の当事者としても、他人事ではありません。
結果として肝心なのは、職場の「合理化」と労働強化です。わたしたち争議団は、これらの十重、二十重の差別に閉じこめられ、闘う労働組合から隔離された職場の仲間と連帯し、勇気付けていくものでなくてはなりません。すでに、解雇争議が職場の差別争議を励まし、争議団に差別事件の原告団が加入し始めてから七年余。さらに深い連帯の場づくりが、勝利の要件として求められているといえるでしょう。
以上で「 四」終わり。「五」に続く。
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