『最高裁長官殺人事件』

第四章 処刑のタイムカプセル

「影森さんの無事を祝って、まず乾杯を」

 翌日の《お庭番》チーム打ち合わせの冒頭、冴子が嬉しそうにシャンパンを注ぐ。

「昨日の件につきましては、ただちに官房長官にご報告し、3日後に《いずも》の緊急臨時会議を招集することが決まりました」

「この件が唯一の正式な議題ですから」絹川が含みのある笑顔。「それまでに私も、検事らしい準備の仕事をしておきますよ」

「そうです。今時風に」冴子が〈イ・マ・ド・キ〉を強調して、いささか自虐的な皮肉を飛ばす。「ベテランの簡にして要を得た冒頭陳述の成功を期待致します。では、小山田デカ長さんに、乾杯の音頭をお願いします」

「それでは皆さん。僣越ながら」小山田が重々しくグラスを持ちあげる。「Xデイ・幻のクーデター計画事件の消滅、ご苦労さま。本事件の今時風解決を前もって祝すと同時に、影森参謀総長兼神風特攻隊長の無事帰還を祝って、乾杯!」

〈今時風解決〉の中身は、すでに打ち合わせ済みの線に沿っていた。

 事件の概要は、塾の不正経理をめぐる内輪もめとして処理する。浅沼巡査部長と長崎記者は、この不正問題を調査中に殺害されたこととし、それぞれ殉職扱いとする。主犯の久能松次郎老人は脳卒中で入院中なので、そのまま様子を見る。興亜協和塾の幹部数名を銃器不法所持などで送検。すでに〈防衛庁の悪徳7人組〉として世間に名を知られたメンバーは別途の名目で引責退職させる。老人に射たれて死んだのは角村丙助だけとし、もめごと中の衝動的殺人として扱う。清倉誠吾は天心堂病院に預け、1週間後に別途、心臓発作で病死の発表をする。

「昨日から今朝にかけて、陣谷先生がシャカリキで連絡を取られたようですわ」冴子がシャンパンをおいしそうに飲みほしてから、涼しい声を響かせた。「マスコミ関係は大日本新聞の正田竹造さんが押さえる。警察関係は下浜安司さん。政財界は江口克巳さん。皆さん、自分の名前が出ては大変ですから、それはそれは積極的でした」

「問題は今後の興亜協和塾の運営ですよ」絹川がニヤリ。「藤森官房長官がことのほかのご心配で、私に相談したいと……」

「下心あれば、いえ、魚心あれば水心、でしたか」智樹は内心、角村との10年越しの確執の意外な結末に重苦しいものを覚えつつも一言追加する。「今までの関係者は肝を冷やしている最中でしょうから、表面立っては動けない。対岸の火事を見ながら、やきもきするだけ。この際とばかり、利権に割り込みを図る向きも多いでしょう。うちの瀬高さんがしっかり状況判断すると思いますが、あれだけの資金源だけに、理事の後継志願者をさばくのは大変でしょうね。ハハハハッ……」

「オホホホッ……」しかし、一同の笑顔はそこでストップ。

「残る問題は道場寺満州男です」小山田がギョロリと目をむいた。「例の車のナンバーを当たると盗難車でした。東京に向かうところを直ぐに発見しまして、それだけでも逮捕できたのですが、事情が事情ですので、監視を続けました。ところが、道場寺が逃げ込んだ先が大変なんです」一同の顔を見回してから、おもむろに、「なんと、元首相の下浜安司の事務所なんです。……しかし、これは私におまかせください」

「お願いしますわ」と冴子。「でも、……道場寺満州男は一体なにを考えているのかしら。もう動きは取れないでしょうに……」

 

 残りのシャンパンを飲みほしながらの雑談中、智樹は小山田に質問した。

「小山田さん。北京でヴィデオを見たときから気になってるんですが、弓畠耕一の額の傷ですね、引っ掻いた方の劉玉貴の爪先にはなにも残っていなかったんでしょうか」

「お考えどおりです」小山田は答えた。「劉玉貴の爪先に残っていた皮膚の切れ端と血は、弓畠耕一のものと完全に一致していました。しかし私としても、あのヴィデオを見るまでは、殺害そのものとの因果関係が決定的とは断言できませんでした。彼ら2人がしばらく一緒にいたことは明らかですから、それ以外の争いのときのものかもしれません」小山田はしばし沈黙ののち、ニヤリとした。「影森さん。ついでにもう1つ、爪の物語をお教えしましょう。弓畠耕一と劉玉貴の場合は、爪先の汚れだけでは決定的といえませんでした。ところが、弓畠耕一ともう1人の被害者の場合には、かなり決定的だったんですよ」

「もう1人というと……」智樹はその名を口にしかけて喉元で押さえた。

「はい。海老根判事の場合ですよ。あれは、監察医がよくいう〈死体は物語る〉の典型なんです。海老根判事は、最高裁の正面ホールのフロアに落下し、頭部の右側がコンクリートの床面と衝突した。ところが、反対の左側にも打撲擦過傷と内出血があったんです。左側だけでは致命傷とはいいがたいが、気絶するには充分な打撃が加えられたと考えられる。つまり、殴られて気絶したあとに突き落とされたというのが、最も自然な説明になる。だから他殺の線で捜査しようという意見も出たのですが、上から潰されて自殺の処理になった。検死と行政解剖のデータはそのまま倉庫で眠り、私も細かいことは忘れていました」 絹川と冴子も口をつぐんで、小山田の次の言葉を待つ。

「ところが、弓畠耕一の死体を見たとき、左手の手首に白い線が見えたんです。わりと新しい傷跡のようでした。監察医に聞くと、新しいとはいえても正確に時期を特定するのはむずかしいという。そのとき、ふと気になって、海老根判事のデータを引っ張り出して見たんです。そしたら、やっぱりありました」

「爪の先にですか」絹川がテーブル越しに身を乗り出さんばかり。

「そうなんです。爪も結構馬鹿にはなりませんよ。皆さんもダイイング・メッセージを残したかったら、日頃から深爪はしないことですね。海老根判事の爪に残っていた断片の鑑識記録は、弓畠耕一の血液型と、ABO,Rh,HLAで完全に一致。そのうえに念のため、近く公開する予定の技術ですが、遺伝子のDNAまで比較してもらいました。これもぴったりでした」

「それじゃ」冴子の目もキラリ。「通常の捜査原則に従って、海老根判事の死亡推定時刻に最高裁庁舎にいたものすべてを被疑者として調べれば、弓畠耕一長官が最も疑わしいとなったわけですね。そのときなら、傷はできたばかりなんですから」

「はい」小山田は厳粛な顔。「もう1つ、頭部の左側の打撲の凶器については、表面が硬いものではなくて、表紙が軟らかい厚めの辞書のようなものが考えられる、という鑑定意見が添えられていました。辞書、六法全書、判例集……」

「法律書も凶器になりうるか」絹川がうなる。「しかも最高裁で長官が殺人。これはもう大変な国際的スキャンダルでしたね」

 

 翌朝6時、智樹は訪問客用のチャイムで起こされた。パジャマのまま玄関に出て、のぞき窓からうかがうと、小山田警視であった。なにごとかとただちにドアを開ける。

「朝っぱらから済みません。このあと9時からは1日中抜けられない会議なので、影森さんの早朝水泳の前に朝駆けをしようと……」

「おや。それはかえって恐縮です。まあ、どうぞ、どうぞ」

 応接間ソファに座るやいなや小山田は、用件を切り出した。

「影森さん。急なことで申しわけないんですが、実は昨晩あれから上司に呼ばれました。例の道場寺満州男が時限爆弾をチラつかせているというんですよ」

「時限爆弾?」

「ええ。興亜協和塾の政治献金や、特にヤバイのは株の操作によるヤミ献金のリストなんですがね。道場寺が従来から管理していて、彼になにか起きれば公開される仕掛けになっているとか。ああいう連中がよくやる手です。身の安全の保障ですね。それを条件にして要求を突きつけてきました。道場寺に対する警察の監視態勢を解くこと、興亜協和塾の事務局長への昇格を確約すること、それから、影森さんの身辺警護を止めること……」

「私の警護ですって」智樹は驚いて問い返した。

「はい」小山田は苦しげにうなずく。「私の独断で申しわけありませんが、あの襲撃以来配置してあります。華枝さんの方にもつけました。道場寺が今その解除を要求しているということは、取りも直さず、彼の手下が影森さんへの襲撃のチャンスを狙い続けていたというなによりの証拠です。こちらの警護を誰かがさらに見張っていたわけです」

「そうでしたか」と智樹は深い息を吐いて、頭を下げた。「ありがとうございます」

「いや、なんの、なんの。これが私の商売ですから」と小山田は静かに微笑む。「で、問題はその限界です。影森さん。これから私がいうことに、いちいち腹を立てないでくださいよ」

「どうぞ、どうぞ。遠慮なく事実どおりに話してください」智樹はうながした。

「私の上司……誰かということは勘弁していただきますが、……ある上司のいうことには、影森さんの調査のやり方を問題にする向きもあるとか。今度のXデイ《すばる》事件では独断専行が過ぎたという意見もあるとか。失礼!」小山田は顔を赤らめ、両手で首をゴシゴシこすり、遠慮しいしい続けた。「済みませんね。影森さんに尻ぬぐいを押しつけるようで、……結論から申しましょう。私が必死になって考えた妥協策です。影森さんにはしばらく、わらじをはいてもらいたいんです」

「わらじ、ですか」と智樹は苦笑する。

「はい。ながのわらじ、とやらですね。ただし、できるだけ期間が短くなるように、私もがんばります。近いうちに必ず、道場寺の時限爆弾の信管をはずしますよ。これも実は上から一緒に頼まれているんです。そうしないと、おちおち眠れない関係者が多いもんですからね。今のところはまだ、あの久能老人が生きているので手が出せません。道場寺満州男に興亜協和塾の事務局長のポストを継がせるというのが老人の意思です。脳卒中の後遺症でしゃべることはできませんが、文字盤を使って意思疎通が可能なんだそうです。老人には、下手なことを口外されては困るという力関係が残っています。しかし、それも長くはないでしょう。道場寺は所詮、下っ端です。私の見るところでは時限爆弾の脅しも、本音はポスト確保でしかありませんね。影森さんの警護を止めろなんてのは、格好を付けているだけですよ。こういう最後の手段を直ぐにちらつかすようでは、先が知れています。結局、自分で墓穴を掘っているんですよ」

〈そうか。道場寺満州男もいずれは誰かに消される運命か……〉

 智樹は小山田の目を見上げて、深く首を縦に振った。

「分かりました。それが最善の策でしょう。それで、いつ姿を消せばいいんですか」

「《いずも》の緊急会議終了後ただちに、ということでどうでしょうか。あと3日ですが」

「結構です」

「それまでは警護をばっちり付けます」

「お願いします。華枝の方にも」

「もちろんです」小山田は安心したように頭を下げたが、すぐに普段のとぼけた顔にもどると、「影森さん。あなたも念のために、自分の時限爆弾をつくっておいたらどうですか」

「えっ」智樹は虚を突かれた。

「ハハハハハッ……。私も連中を少しは脅かしてやりたいんですよ。影森さんだけでなく、私ら《お庭番》チームを消したら恐いぞってね。ハハハハッ……。冗談、冗談……」

 

「お忙しいところを妙な場所に付き合っていただきまして」

 広江は座ったまま、ゆるやかに背をかがめた。

 智樹の頭の中にはまだ鼓の音色が響き続けている。能と狂言の舞台がはね、国立劇場の隣の和風レストランに落ち着いてもなお、異次元世界に迷い込んだような気分から抜け出せなかった。「いえいえ。おかげさまで、少しは教養を広げることができました。ありがとうございます」

「ここへ来ていただいたのは、ほかでもございません」案に相違して広江は能の話をする気はないようだった。「お気づきのように、私は、あの公邸が盗聴マイクで監視されているのではないかと疑っています。ここなら安全だと思いますので、勝手に場所を指定させていただきました。誰かが尾行していても、能の話をしているとしか思わないでしょう」

「盗聴の恐れがあるとすれば、先日のお話も、聞かれては具合が悪かったのではありませんか」「いえ。あれは個人的な問題で」広江は大胆に目を上げた。「盗聴したい人の目当ての秘密ではありませんから、構いません。かえって目くらましになればと思いました」

「目くらまし、ですか」智樹はいささか鼻白み、唖然とした。

「私が影森さんをお呼びするのには格好の話ですし、もちろん、本当にこのことも知りたかったものですから」

「分かりました」智樹はいったん話を切って、用意した資料コピーを取り出した。「お尋ねの矢野島菊治郎さんはご存命です。奉公義勇隊から脱走したのち、現地の独立闘争に加わり、現在はイスラム教徒独立派の技術顧問としてジャングル地帯に潜伏中です。ただし、この情報はフィリピン国防軍経由の部内情報ですから、絶対に口外はしないでください」

「ありがとうございました」

 広江は資料コピーを大事に捧げ持ち、深々と頭を下げた。やはり感慨無量の面持ちであった。智樹の胸にもジーンと響くものがあった。今度の事件のような家族の悲劇を経てみれば尚更のことである。若く輝いていた日々の想い出は、今後の生きるよすがとして貴重このうえないものであろう。だが、広江はこの件についても、なにも語ろうとしなかった。

「ゆっくり読ませていただきます。……では、先ほどの話にもどりますが、これが影森さんへのお礼にもなろうかと考えているのです。実は私、主人が残した大事な品物を発見したのでございます。その品物をなんとしてでも入手したい人たちがいるようなのですが、私は、影森さんに差し上げたいのです。そして、正しく役立てて欲しいのです」

「その品物を欲しがっている誰かが、盗聴器を仕かけたということですか」

「はい。それだけでなくて、実際に探しに来たのだと思います。なぜかと申しますと、主人の告別式が行なわれた翌日、私は、誰かが留守の間に忍び込んだ形跡を発見したのです。泥棒ではありません。その証拠に、なにも盗まれてはいませんでした。ただ、主人の部屋や応接間の本棚とか書類箱とかの周囲が、微妙に違っていました。本の並び方などがいつも見慣れていたよりもそろい過ぎているし、良く見ると、しばらく整理も掃除もしたことがない部分なのに、ほこりが綺麗に拭かれていたり、逆に、いつも掃除をしているジュウタンの上にほこりが散っていたりしました。しかも、その日、つまり告別式の翌日でございますよ、急に最高裁の事務総長が弔問に見えられまして、そのあとで、いいにくそうに切り出されました。〈ご主人が最高裁の書類や書物を所持しておられると思われるので、近く職員を寄越すから探させてほしい〉とおっしゃるのです。お言葉は遠慮がちでしたが、どうしても、という強い感じがありました。こちらはまだ、そんなことにまで頭が回わりません。〈いずれ公邸を引き払わなくてはならないことは分かっていますから、引っ越しの準備のときに一緒に整理させていただけませんか〉と申したのですが、それでは納得なさいません。こちらもそれ以上は断わりにくくなりました。でも、そんなに急ぐのなら、事件名とか書物の題名とか、急いで探したいだけの特別な事情をおっしゃるのが自然だと思いますが、それもありません。そのときふと、私、思い出したのでございます」

 智樹の背中がゾクリとした。〈なにが出ても驚くなよ〉と心の中でつぶやいた。

「あの公邸に移った直後に、主人が応接間の暖炉の壁をいじっていて、隠し扉を発見したのです。面白がって私にも見せてくれました。寄木作りの一部が箱根細工のようになっていました。板を1枚ずらすと掛金がはずれて、暖炉が動きます。暖炉の裏側は廊下です。裏側にはいってから、ずらした板を元にもどして取っ手を引くと暖炉は元どおりに閉まって、掛金が再びかかります。中には照明がありませんから、懐中電灯が必要です。狭い廊下の先に階段があって、地下に降りると4畳半の部屋がありました」

「戦争中の防空壕にしては手がこんでいますね」

「そうです。もっと古いもののようだと主人は申しておりました。あの屋敷は財閥の別宅だったとかで、右翼がしきりに財閥を襲ったりした頃、まさかのときの避難用に作ったものではないかというのです。地下の4畳半からの出口の扉もありました。扉を開けるとトンネルがあるので、主人が懐中電灯で照らしながらはいって行きましたが、途中でふさがっていたそうです。裏には今、マンションが建っていますが、昔は竹薮だったらしいので、外へ出られる逃げ道があったのではないでしょうか」

「なんだか、お化け屋敷のようですね」

「オホホホホッ……。まだお若いのに、古臭いことをおっしゃいますね」広江の笑顔を初めて見た。目がいたずらっぽく輝いている。新たなる変身の模様だった。「せめてスリラーとおっしゃってくださいな。私などもこれで、戦前からの推理小説ファンなのでございますよ。江戸川乱歩、野村胡堂、岡本綺堂、最近ではアガサ・クリスティー……。007シリーズも読んでますので、影森さんたちのお仕事にも大変興味を持っておりますわ」

「アハハハッ……。これは失礼致しました。すべてお見透しですか」

「いえいえ。とんでもございません。ただ日頃から、主人の過去にはなにかまだ重大な秘密がありそうだと感じておりましたので、ふと、ひらめいただけでございます。どなたか存じませんが、忍び込んだ方や最高裁の事務総長さんなどが欲しがっているのは、あれではないかと。そして、主人がどこかに重要な品物を隠していたとすれば、きっと、あそこではないかと……」

「隠し部屋に、その品物があったのですか」

「はい。見覚えのある軍用行李が1つしまってありました。私どもは何度か引っ越しをしましたが、あの荷物は、その度に主人が黙って書斎に運び込んでいたものです。きっと中国から持ち帰ったものでしょう」

「中身はなんでしょうか」

「書類です。タイプやらガリ版やら手書きやら、軍法会議の資料という感じでした。私が持ち出したのは、これ1冊だけです」広江はいかにも意味深長な表情で紫のふくさ包みをハンドバッグから取り出し、テーブルの上で智樹の方にすべらせた。「あとでお読みください。これで事情がすべてお分かりになるかと存じます。……そこで、私、ますます気になったのです。あれだけ巧妙に忍び込んで探すくらいなら、きっと盗聴マイクでも仕かけて様子をうかがっているのではないかと。それで、影森さんに来ていただいて、その一味の裏をかこうと考えました」

 広江の目は輝いているといっても良いくらいだった。智樹はすっかり食われてしまった。書類の性質については、おおよその予測がつく。死んだ夫の過去を暴くことにつながりかねない書類の処理について、広江はすでに、自分なりの決断を下しているのだ。〈さすがファースト・レディ。大したものだ〉と妙に感心してしまった。

「分かりました。その軍用行李の中身の処理を私にまかせる、とおっしゃるのですね。場合によっては亡くなったご主人の名誉にかかわる問題になるかもしれませんが、……」

「はい。覚悟はできております。主人の罪状は永久に隠しおおせるものではないでしょう。お陰様で息子には本当の父親を教えてやれそうですし、娘は結婚して他家の姓を名乗っております。もちろん、私も、世間から爪はじきされるのを好むわけではありません。個人名が出ない方が助かりますが、そのために大事な事実が埋もれてしまうのは申しわけないことです。そのあたりの扱いも含めて、すべて影森さんのご判断におまかせします」

〈主人の罪状〉という言葉で、智樹の脳天にビリビリと電流が走った。

「お気持ち、良く分かりました。では、大任ですが、お引き受け致します」

「では明日、あなたの車で来て、車庫に入れてください。そうすれば、荷物を運び込むのが外から見ても分かりませんから。念のために応接間では、今うかがった矢野島菊治郎さんについてのご報告を、もう1度繰り返してください」

 広江は、そういって智樹の目をジッとのぞき込んだ。智樹の背筋は再びゾクリとした。