雑誌『憎まれ愚痴』1寸の虫の5分の毒針

メール論争の現状に関する観察材料を提供

口喧嘩マニアには「毒を以て毒を制す」

(1999.2.26)

「ガス室」問題に関しては、別途、連載「シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」でも取り上げているが、その内のamlメーリングリストでのmailのやりとりによる「論争」の経験を、コミュニケーション過程の一つの観察材料として、皆様に提供する。

 以下の私発のmailは、amlメーリングリストにおいて、高橋亨と名乗る人物(身元を聞いても明らかにしないので、人間かどうかを確かめようがない。もしかするとロボットかもしれない)が口喧嘩を挑んできて、やむなくそれに対応していたら、今度は、その後に「高橋さん、ごくろうさんでした」などとエールを送る別人の山崎カヲル(こちらは実物を見た人がいるようなので人間らしい)が、aml-stoveという別室に移れと言い出した。

 これ以上、同じ程度の口喧嘩マニアを相手にする気はないし、小人数の別室では意見発表の場としても無駄なので、すぐに断ったら、山崎カヲルは、かねてからこの対決に備えて用意したものか、1日に3本もの悪口mailをaml-stoveに投げ込んでいる。上空から観察すると、山崎カヲルは、いわば「自縄自縛」に陥り、井の中の蛙そのままの状態になっているのである。一人で悪口雑言を重ねている内に、「蝦蟇(ガマ)の油売り」の口上のごとく、「おのが姿の醜さに、タラリ、タラリと脂汗」でも垂らすのではないかと、受け取ったmailをファイルだけして、ほっておいたら、やはり相手のいない喧嘩では面白くないのだろう。今度は、自分の方から私に「出てけ」と言い出したamlに、のこのこ戻ってきて、また私への悪口mailを放り込む。困ったちゃんだなと思って、それでもほおっておいたら、今度は、下記mail記載のような事態に発展した。「毒を以て毒を制す」と言ったら、中宮さんはきっと怒るだろうが、この際、私を愚問から解放するために、中宮vs山崎「論争」に移行してもらいたいなどと、虫の良いこと考えてしまう。

 以下、1999年2月20日に、私が、amlに送ったmailを一部補正して再録する。

{ }内は追記の注。


 木村愛二です。

 中宮、山崎、安原、山下、各さんへのmailへのお答えと、小倉さんへのお願い。

 やっと愚問続出の口喧嘩マニアから解放されて、ああ今度は、誰かがaml-stoveで悪口書いてら、呵々、と笑っていたら、またまた、奇妙なことになりました。ここはaml管理人の小倉さんにも議長役を引き受けて頂いて、納得のできる整理をお願いしたいと思います。

 [aml 11174] RE: [aml 11168] で、中宮さんは、以下のように書かれました。

「えっと、aml-stoveでやってくれとおっしゃっていたのは確か山崎氏自身であったとおもいますが、他人に対して偉そうに言うことを自分自身では守らないというのは、AMLで一般的に見られる性質のようですので、こういう特定カルト集団の中で発言しても、ポアされるだけかもしれませんね」

 私は、amlが「特定カルト集団」だとも、「ポア」されるとも思ってはいません。しかし確かに、山崎さんは、[aml 11083] で、「ホロコーストはなかった、ガス室はなかったといいたてる人々」[中略][具体的には私に]、amlがそのような場のひとつを提供するべきではないと思います」と書いています。

 これに呼応して、[aml 11098] で安原さんが、

「この論争はaml-stove でやってください。特に木村氏にはこの話題をさまざまな形でしゃべりたい欲求がおありのようですが、必ず反論の出る話題ですので決められた場所で発言してください」

と書かれました。

 なお、一言だけして置きますが、安原さんのAPなどの紹介{ユダヤ人問題の記事の日本語訳}は、必ずファイルしています。参考にはなりますが、やはり、この際、欧米の大手メディアの記事の紹介でしかないこと、裏は全く取れていないことだけは指摘しないわけにはいきません。私も、altmedka:alternative medium by kimura aiji をアドレスにしていますが、alternativeとは、大手メディアに替わり得ることであり、私の強引な訳では「取って替わる」の意味です。アメリカ中心の大手メディアは、湾岸戦争を煽り、イラク爆撃を煽り、日本にTMDを押しつける情報操作をしているのに、なぜ、イスラエルに関してだけは、ホロコーストに関してだけは、同じ大手メディア報道を信ずることが正しいと思うのですか。

 また、ユダヤ人を引合いに出す{安原さんはユダヤ人の立場を強調}のなら、たとえば『ニューズウィーク』(89.6.15)「『ユダヤ人は自然死だった』で揺れる歴史学会」の主人公、メイヤー教授も、『マルコポーロ』廃刊事件の際、私が呼んだというよりも、本人が怒って{旅費全部自分持ちで日本での}記者会見にきたホロコースト見直し論者のコール{別途、わがホームページの「インターネット個人書店」デヴィッド・コール『ガス室検証』日本語短縮版を販売中}も、ユダヤ人なのです。

 ともかく私は、山崎さんの「amlがそのような場のひとつを提供するべきではない」という主張にも、安原さんの「決められた場所で発言してください」という意見にも賛成はできませんでした。しかし、これで愚問から解放されるなら、当面、それでも結構と思いました。

 メーリングリストは、基本的に管理者が編集長のような権限を握って運営するしかないもので、例えば西部の酒場で酔っ払いが拳銃を抜き合った場合に、腕っ節の強い用心棒が、双方の首を掴んで表に放り出すようなことがあっても、仕方ないと思っています。

 ところが、この時には同時に、aml管理人の小倉さんが、

 [aml 11103] aml管理人より(ガス室の件)と題して、

「すでに参加されている何人かの方からの提案がありましたので、もし今後この問題で議論を続けたい場合は、amlの討論用のメーリングリストaml-stoveをご利用ください」

と指示されると同時に、つぎのような見解をも示されたのです。

「amlと議論用のメーリングリストを分離しているのは、議論を密室化するためではありません。単純に、投稿数が増えることによる受信者の負担を軽減するためです。amlは、さまざまな市民運動や民衆運動の情報交換の場なので、論争のように投稿数が特定の課題で多くなるのは好ましくないと考えています。とはいえ、質問や問い合わせ若干のやり取りまで禁止するものではありません。『長くなりそうだな』とか『もっと徹底的に議論したい』という場合には、ぜひこころおきなく議論できるaml-stoveをご利用ください」

 私は、この場合、この相手と、「もっと徹底的に議論したい」などとは思いませんでしたから、異論を保留しつつ、aml-stove利用の「論争」の方は、お断りしました。

 個別の反論についても、小倉さんがホームページでと言われるのに従い、そこで自分なりの順序で展開する予定でした。それが正しいというよりは、その方が楽なのです。

 拙著『アウシュヴィッツの争点』についての山崎さんのデタラメな罵倒、言い掛かりについては、ここでいちいち反論しません。やはり、直接、その元の拙著の前後関係を確かめて頂くことを、お願いします。特に「ナチ関係者云々」には、誇張も曲解もありますが、私はまず、様々な立場の発言を、虚心坦懐に聞くことを心掛けました。それ以上に、裁判で言えば、というよりもニュルンベルグ裁判と称したのに、被告の弁明の機会を与えず、反対尋問を許さなかった経過があります。これでは事実が解明できるはずがありません。私は、拙著『アウシュヴィッツの争点』の「はしがき」に、こう書いています。

「人類数千年の歴史の文化遺産としての裁判制度は、現実はどうあれ、どのような極悪人にも自己弁護の機会を保障する建て前になっている。ヒトラーの自己弁護も、聞けるものなら直接聞いて吟味した方が良いのである。ナチズム擁護派どころか、そこにいささかでもつながる組織、個人には、絶対に発言の場をあたえるべきでないというような立論の仕方には、むしろ、シオニズムもしくはイスラエル建国支持派の方の、ファッショ的性格を指摘せざえるをえない」(p.30)

 非常におかしなことには、「ガス室」実在論者、または絶滅論者は、元親衛隊員が拷問に屈して「告白」した「証言」の方は、絶対に真実だと言い張るのです。実際には、ニュルンベルグ裁判で、そう決まってしまって以後は、言われた通りに認めた方が罪が軽くなったから、言われた通りに署名しただけのことなのです。その証拠の典型は、山崎さんが言い掛かりを付けるような「極右」「否定論者」の本ではなくて、拙著『アウシュヴィッツの争点』(p.188)で紹介した1949年のアメリカ上院「シンプソン陸軍委員会」の24頁にも及ぶ議事録です。数々の拷問の状況が、その調査報告書には、詳しく記されいます。国会図書館の議会記録専門の部屋に行けば、すぐ入手できますから、確かめて下さい。

 現在、ドイツなどの言論弾圧法の下で、「ホロコーストは嘘だ」と発言するのは、戦後の命乞いに「ガス室」を認める告白したのとは違って、実際にも命懸けの覚悟が必要なのです。ソ連支配下のマインド・コントロール「左」には、そういう弾圧を覚悟して真実を究明す勇気も理論もありません。そこで、「無謀」な「右」が「ガス室は嘘だ!」と主張するのです。そうすると、今度は、「右だ!」「右だ!」と騒いではパレスチナ侵略をごまかすシオニストの思う壺に嵌まるのです。このパターンは、戦後一貫して続いています。欧米崇拝の日本で、その真似をする人が出るのは、むしろ、当然でしょう。

 山崎さんは、その他にも、嘘を付いています。私が独自に入手した資料、たとえば全世界の見直し論者に先駆けて、私が、ポーランドの第2の都市、クラクフで国立法医学研究所を探し当て、帰国後に航空便で入手した英文報告書のことなどが、完全に欠落しています。おそらく、私が、「ある本に書いてあるから証明されたと思い込むのは小学生以下」という主旨の批判をしたので、「怒りで身が眩む」状態だったのでしょうが、そんなことで、私に、「嘘をつくのは泥棒の始まり」という主旨の罵倒を投げ付けるようでは、大成は望めませんね。

 なお、全体と関連することですが、[aml 11068] で山下さんは、拙著『アウシュビッツの争点』の後書きから引用して、意見を述べています。その一部について、答えます。

「フォーリソンは、国際電話でわたしが不用意に『否定』という言葉をつかったさい、即座に、『見直し』のほうが良い、言葉は重要だと注意してくれた。その意味では『見直し』の材料の存在を世間に知らせることが大事だろう。むしろこのさい、ひろく共同研究をよびかけることに、よりおおきな意義を見いだす心境である。そのために、できるだけおおくの資料探索の手がかりをのこすように心がけた。誤解や見落としもおおいと思うが、遠慮なく指摘していただければさいわいである」

 山下さんは、「この記述を見るかぎり、木村氏は決して『否定』論者ではなく,『見直し論者の主張がまちがいならまちがいで、それが検証され、真相がよりあきらかになればいい』という考えの持ち主であると思われます。そうであるならば、『誤解や見落とし』について具体的に指摘している高橋氏を煙たがる理由は何もないと思います」という疑問を投げ掛けています。

 山下さんの以上の疑問については、まず、山下さんが私の文章の中の「ひろく共同研究をよびかける」という部分を見逃していることを指摘しないわけにはいきません。

 基本的には、「見直し」の「共同研究」の土台作りのためにこそ、私は、一冊のハンディな本を作ったのです。つまり、拙著を読んだ上で「見直し」のために「遠慮なく指摘して」もらうことを目的として、この「あとがき」を記しているのです。当時は、自分がインターネットを始めるなどとは、まったく考えていませんでした。ですから、「指摘」してもらう相手の想定は、拙著を読み、たとえ、あら捜しの喧嘩腰の反論ではあっても、少なくとも雑誌記事以上を想定していました。一応の雑誌ともなれば、掲載には編集長の判断が必要です。本なら、なおさらのころです。

 結局は名誉毀損の提訴にまで至った『週刊金曜日』の場合でも、一番長い5回の連載の金子マーチンの場合には、一応、拙著を読んだという前提になっています。それは当然のことではないのでしょうか。本当の「共同研究」ともなれば、私が設けた「核心的争点」などの設定条件についても、まずは友好的な話し合いがなされてしかるべきです。

 こういう「議論の土俵」の設定では、裁判の手続きが典型的です。「訴状」「答弁書」「求釈明」「準備書面」の交換による「争点整理」「口頭陳述」などの手続きを経て、双方の主張の整理が行われ、一致点が確認され、争点が明確化され、それでやっと証拠調べに入るのです。「論争」の場合でも、討論会形式ならば、裁判長の位置に相当する議長や司会がいます。「激論」を売り物にする「朝生」にだって、司会がいます。

 そういう世間常識を踏まえてみると、高橋さんだけのことではありませんが、ネチケットとかなんとか、もっともらしい隠語を使うわりには、こういう基本的な常識を無視して、お前の本など読む必要あるかとばかりに、いきなり後ろから切り付けるような喧嘩マニアが、言葉だけ「論争」と称する世界には、とてもまともに対応する気にはなれません。

 なお、「見直し」と言う言葉に関してですが、その後、フランスでフォーリソンとも会い、ガロディの裁判も傍聴しました。その結果、「見直し」という言葉についての私の考え方は、いささか複雑化しています。ホロコーストに関する言論弾圧は、現場を踏んでみると実に厳しいものです。フォーリソンだけでなくて、ガロディの本の編集者なども、私が写真を取らせてこれと言うと、すぐに周囲を見回すのです。フランスでは公開するなと言うのです。刑事罰を食らうからです。ホロコーストを「否定」と言ったら、即有罪ですから、「見直し」と言う側面があります。しかし、「見直し」と言っても、「お前は否定している」と告発されるのです。

 ここは一丁、わが日本で、彼らの代わりに大声で「否定!」「嘘だ!」と叫ぶべき時期なのではないだろうかなどと「馬鹿は死ななきゃ直らない」愚考中なのです。呵々。

 以上。


ホロコースト神話
 木村愛二の『電網界迷走記』または ネット・ストーカー『傍迷惑一代記』

『1寸の虫の5分の毒針』
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