ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料
『週刊ポスト』Bashing対応反撃資料:ホロコーストは嘘だ! 3
近代造語「ジェノサイド」の驚くべき真相
1999.11.20.mail再録・増補。
このところ、ユーゴ侵略のデマ宣伝でも使われた「ジェノサイド」という造語に関して、違法・無法・侵略・殺戮国家イスラエルの思想的指導者、政治的シオニストのプロパガンダそのままの解説が、いくつかのMLにまで流されて始めているので、急遽、拙訳『偽イスラエル政治神話』(ロジェ・ガロディ、れんが書房、1998)から、該当部分を無料送信します。
第2章第3節
“六百万人”の神話(ホロコースト)
《ジェノサイド…個々人の絶滅による一民族の組織的破壊》(『ラルース辞典』)
《ジェノサイドは、聖書の物語の神の約束を真似て、イスラエル国家の創設をイデオロギー的に正当化した要素の一つである》(トム・セゲフ『七番目の百万人』93)
ナチがユダヤ人に加えた虐待を定義するために、三つの用語が、しきりに使われている。ジェノサイド、ホロコースト、ショアである。
訳注1 ジェノサイドは、ポーランド生れのユダヤ人、法律家、ローズヴェルト大統領の顧問、シオニスト、ニュルンベルグ裁判の企画者の一人、ラファエル・レムキンによる一九四四年の造語。この新造語は、ニュルンベルグ裁判の背後で「ガス室」に関する世論形成に威力を発揮した彼の名の本、『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』によって急速に広まった。ラテン語系のジーヌス[種]とサイド[殺人]を組み合わせているので、いかにも法律用語的な響きがある。巻末資料収録の『ジェノサイドを発明した男』に詳しい。
拙著『アウシュヴィッツの争点』でも簡単に紹介した。
ホロコーストは、普通の英和辞典で「ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に捧げる」儀式の用語などと説明しているが、大型の『オックスフォード英語辞典』(OED)によると、ギリシャ語からラテン語、フランス語を経て英語に加わった単語。いかにも宗教的で厳かな響きがある。
ショアは、イスラエル国家が公用語にして復活させたヘブライ語。ユダヤ人「絶滅」の特別な恐ろしい響きがある。
“ジェノサイド”という用語は、語源そのものからして、正確な意味を持っている。一つの人種の絶滅である。ユダヤ人という“人種”が存在するという仮定は、ヒトラーの人種主義の主張そのままなのだが、同じ主張をイスラエルの指導者が支持しているのである。
だが実際に、戦争の最中に、ユダヤ人の“ジェノサイド”が行われたのだろうか?
“ジェノサイド”という用語には、あらゆる辞書で、正確な意味が与えられている。『ラルース辞典』[フランスで最も有名な辞書]では、たとえば、こういう定義している。
《ジェノサイド…個々人の絶滅による一民族の組織的破壊》
このような定義が字義通りに当てはまるのは、ヨシュアによるカナンの征服の場合をおいて他にない。ヨシュアは、あらゆる町の征服に関して、《一人も生き残らせなかった》(たとえば『民数記』21章35節)と語っているのである。
つまり、ニュルンベルグでは、この用語が、まったく間違った方法で用いられていたことになる。なぜならば、そこでは、この用語が、アモリ人に対して行われたような“聖なる絶滅”や、カナン人やその他に対してヨシュアが行ったような、たとえば、エグロンからヘブロンに至る進軍では、《一人も生き残らせなかった》(『ヨシュア記』10章37節)とか、ハガルに至る進軍では、《人は皆、剣を持って滅ぼし尽くし、息のある者は一人も残さなかった》(同11章14節)と語っているような、すべての成員の全滅を意味してはいなかったからだ。
反対に、ユダヤ教徒(“人種”としての定義はヒトラー主義の語彙として登場したもの)は、一九四五年以来、世界中で目覚ましい飛躍を遂げた。
[中略]
[“ガス室”騒ぎに紛れて列強の犯罪を雲霧消散]
神話は、皆にとって都合が良かった。《史上最大のジェノサイド》を語ることは、すなわち、欧米の植民地主義者たちにとっては、アメリカ・インディアンの大量殺戮やアフリカの奴隷貿易という彼ら自身の犯罪を忘れさせることであり、スターリンにとっては、自分が行った野蛮な弾圧を消しゴムで抹殺することであった。
英米の指導者にとっては、一九四五年二月一三日のドレスデン爆撃による大量虐殺の直後のことであった。ドレスデンでは、燐爆弾の炎が、数時間で二〇万人の民間人の命を奪ったのだが、この爆撃には、何らの軍事的な必要性もなかった。ドイツの軍隊は、すでにソ連軍の猛攻を前に壊滅し、すべての東部戦線から敗走しており、一月にはソ連軍がオデル川に達していた。
アメリカにとっては、さらに、広島と長崎で原子爆弾を投下した直後のことであり、そこでは、《二〇万人以上が殺され、約一五万人が長期にわたって苦しむ傷を負った》(『一九三九~一九四五・知られざる戦争』95)
目的は、軍事的ではなく、政治的だった。チャーチルは、著書、『第二次世界大戦』(第四巻)の中で、こう書いている。《日本の運命が原子爆弾で決まったと考えるのは間違っている》
アメリカの提督、ウィリアム・A・リーヒは、著書、『私は、そこにいた』の中で、つぎのように断言している。
《誓って言うが、この野蛮な兵器の広島と長崎での使用は、日本に対する戦争への重要な助力ではなかった》
事実、日本の皇帝ヒロヒト[裕仁]は、すでに一九四五年五月二一日から、当時はまだ日本との戦争状態に入っていないソ連を通じて、彼の国の降伏に向けての交渉を始めていた。仲介役は、日本の外務大臣と駐日ソ連大使のマリクだった。《公爵コノエ[近衛]は、モロトフとの直接交渉を行うために、モウクワに行く準備をしていた》(前出『一九三九~一九四五・知られざる戦争』95)
《ワシントンでは、日本の意図を、誰しもが完全に知り尽くしていた。“マジック”[暗号解読機関]が、日本の外務大臣と、モスクワにいる日本の通信員との間の通信内容を報告していた》(同前)
だから、追及された目的は軍事的ではなく、政治的だった。アメリカの空軍長官、フィンレターは、原子爆弾を使用した理由について、《ロシアが参戦する以前に日本を“ノック・アウト”するための》手段(『土曜文学批評』94・6・5)として説明し、その使用の政治的な意図を認めている。
アメリカの海軍提督、リーヒは、前出の著書、『私は、そこにいた』の中で、つぎのような結論を下している。
《原子爆弾を最初に使用することによって、われわれは、中世の野蛮人の道徳水準にまで身を落とした。……この新式の恐怖の兵器を戦争で使用することは、非文明的であり、キリスト教徒には相応しくない現代の野蛮行為である》
以上の事実から見ると、すべての列強の指導者たちは、本物の“国際裁判所”が中立国の代表によって構成されていたと仮定すれば、ゲーリングおよびその徒党と並んで戦争犯罪者として被告席に着かなければならなかったのである。ところが彼らは、やれ“ガス室””だ、やれ“ジェノサイド”だ、やれ“ホロコースト”だという騒ぎに紛れて、これをもっけの幸いのアリバイに仕立て上げ、彼ら自身が犯した人道に対する犯罪を“正当化”とまではいかずとも、雲霧消散させることに成功してしまったのである。
[中略]
[ユダヤ人迫害を特別なものに仕立て上げる意図]
[中略]
ホロコーストの聖なる性格を、正当化するためには、全体の絶滅と、前例のない組織的かつ工業的な処刑法と、火葬が必要となる。
全体の絶滅に関しては、ユダヤ人問題の最終的解決が、果たして、絶滅を意味していたのか否かの検討が必要となる。
ところが、ユダヤ人問題の“最終的解決”が、ナチにとって絶滅を意味していたということを証拠立てる書証は、これまでにまったく提出されていないのである。
[後略]
取り急ぎ以上。