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イラク~湾岸戦争~イラク戦争空爆下のバグダッド目次

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緊急報告:空爆下のバグダッドにて・伊藤政子

(その6)バグダッドからアンマン(ヨルダン)へ帰る
1998年12月22日(火)

 朝7:00.a.m.バグダッドを発ちました。アンマンヘ戻ります。

 クリントンが「断食の間だけは爆撃を休止するがイラクの出方次第で再開する」と言ったと聞き、こちらの人たちは断食後に確実に攻撃が再開されると考えています。「だってイラクが何を言ったって、何をしたって、いや何もしなくても、アメリカはやりたいんだから」と言うのです。

 こんな人たちを、私は見捨ててイラクを出ていかなくてはなりません。無力な私などにできることは何もないけれど、それでもあの子たちの側にいてあげるだけで、あの子たちはどれほど勇気を出せるかを知っているのに、

私はあの子たちを無謀な攻撃の下に置き去りにして自分だけ安全圏に出ていくのです。くやし涙があふれて止まりません。

ヨルダン側の国境で

 ヨルダンへ出ていこうとする人々の車は、ほとんど見当たりません。反対に、「攻撃が終わった」と聞いて避難していた人たちが、ラマダーンをイラクの自宅ですごそうと大量にバグダッドへ戻って行きます。

 アンマンヘ出ていく人たちは、身なりや持ち物からは平均より少しお金がある人たちのように見受けられます。

イラクの家を引き払い、一家で外へ出ていこうとしています。クルド語で会話している家族たちやキリスト教徒の母子もいました。ヨルダン入国手続きの済むのを待つ間、彼らと話したのですが、口々に「アメリカが戦争を仕かけて怖いから逃げ出すのだ。いきなり爆弾が落ちてくる。もう沢山だ」と言っていました。

 引き上げる欧州の記者にも逢いました。「どこを見たか」と聞くと「ガイドに連れて行かれた産婦人科病院と被弾した住宅地の道路だけ」で「イラク政府は民間施設と言っているけれど」と付け加えます。「ジャーナリストたちが、イラクのプロパガンダだと思うのも無理はない」と彼らと話して思いました。特に今回初めて、しかも後からイラクに入って来た報道陣は、言葉もできない上良いガイドも残っておらず、ガイドの判断で制限をされてしまったようです。まず自分たちで情報収集をした上で、イラクのシステムを理解し彼らのルールを尊重して「何処へ行きたい」「何をやりたい」と出せば大概のことは通るのですが、彼らは「現場に飛び込む報道魂」を最優先し、他人の感情お構いなしに自分たちの時間を最優先し「知らせることが使命だ」と知らせる中身や対象の人たちの感情を無視してごり押ししようとするから通るものも通らないのだと思います。

 もちろんイラク側にも問題はあります。やましいことがないのなら、メンツになどこだわらず何でも見せてしまえば良いと私だって思います。イラクには、特にこんなことがあると CIAだって他のスパイだって沢山入ってきますが、味方になろうとしている人たちだって沢山いるのですから恐れずに出してしまえば良いと。

 また、情報省自身の問題もあります。報道の人たちは、一般に文化・情報省のプレスセンターの管轄下で動かなくてはならず、情報省勤務のガイドを付けなくてはなりません。(ちなみに、一般にイラク情報省といわれているのは、正確には文化・情報省、Ministry of Culture and Informationという名前で、世界の多くのジャーナリストたちが情報省と呼ぶのは文化・情報省のプレスセンターのことだけで、文化・情報省そのものをイラク政府の秘密警察が暗躍する政府直属の検閲機関というのは当たっていません)。ガイドたちは確かにタチの良くない人たちが少なくないのです。情報省のガイドの多くは、戦争以前は外国人観光客相手のガイドだったり外国企業を相手に仕事をしていた人たちで、外貨の余禄を一番取りやすかった人たちでした。制裁下で外国人が入ってこないイラクでは、一番外貨を持っている外国人と接触できる所が情報省なのです。ガイドをはじめ情報省の職員の中には、袖の下を要求するために「あれは禁じられている」「これはだめだ」と法律や規則以外のことも言い募り「自分が面倒を見てやるから」と外貨を得ようとする人たちも沢山います。

 実は、私の親しい友人が昨春から情報省の局長になりました。

 彼女はもともと小説家で、フランスでの生活も長く欧米にも沢山の友人を持つリベラルな人です。一方で平和運動に心血を注いでいたので、日本の平和行進やピースボートがイラクに立ち寄った折りにもその世話をしたりしていて日本人からは「平和おばさん」というあだ名で呼ばれてもいました。私は「イラクの土井たか子さん」と思っています。

 その彼女が今の地位に抜てきされたのは、彼女が新聞のコラムに辛らつな役所批判を書いたことがきっかけでした。

「今のイラクの窮状を打開するには、外国の人たちに理解してもらうことが不可欠だ。それなのに役所をはじめとして、わずかばかりイラクに入ってくる外国人から外貨を搾り取るしか考えていない。特に情報省は腐っている」という内容でしたが、それが大統領の目にとまり「中からの改革を」と公職に着くことになったのです。

 日本の役所だって中からの改革は大変ですからなかなか思うに任せませんが、それでも風穴は開いています。何処の役所でも中間管理職は、仮に運用でできることがあっても融通の利かない人が多いのですが、権限を持つ上の人たちはこちらが規則を踏まえた上で「イラクに害を為すつもりではない」との思いを分かってもらう努力をすれば、日本の役人よりはるかに柔軟に対応してくれます。

ヨルダンにて

 ヨルダンに戻ってから、バグダッドでも小学校、中学校、幼稚園なども被害を受けたと聞きました。イラクにいるうちに知っていれば駆けつけたのに。ここでは心配することしかできません。

 私は帰国までの間、私は誰彼なしに(タクシーに乗れば運転手に、買い物をすればスーパーの店員に)、バグダッドで見た惨状を私の写した写真を見せながら話しました。彼らの知ったニュースは、やはり CNNや BBCなど英米のTVが主だったからです。

 ヨルダンの人たちは、ニュースが近いだけに皆が皆、隣国イラクの人々を心配し、アメリカの横暴に怒っていました。でもそれ以上に、(和平合意後)ヨルダン政府がアメリカよりのスタンスしか取れなくなったことを、怒り、嘆いてもいました。「自分がヨルダン人だということが恥ずかしい。ヨルダン政府は無条件にアメリカの攻撃を支持した。何という恥知らずなのだろう。

 同じアラブ人として、イスラム教徒として恥ずかしい」とか「戦争反対の数千人規模の抗議デモをしたが、警備の兵士の隊列の方がデモ隊よりはるかに多く、沿道の人たちにデモをしていることを隠そうとした」「アメリカ大使館前を通るデモを計画したが、ヨルダン政府が許可しない。この国は自分たちの国だったはずなのに、いまやアメリカの顔色をうかがっているだけの飼い犬に成り果てた」などと話していました。

12月23日(水)

 ヨルダンのラジオニュースで、「バグダッド・アーダミーヤで爆弾が爆発した」と報じられました。アル・リファイ元駐日イラク大使のご近所の不発弾でないことを祈るしか、私には術がありません。

 以上。

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