雑誌『憎まれ愚痴』読者の鍼灸

『週刊金曜日』定期講読勧誘を受けて

週刊金曜日の定期講読勧誘に思う

ジタン(1999年)

 週刊金曜日から購読の勧誘が、見本誌を添え、本多勝一氏の名で来ました。

 以前に定期購読したことのある私を見込んで、また定期購読者になってほしいという内容の訴えで、不況の中、経営が苦しいんでしょう。

 かつての朝日ジャーナルの抜けを補うために、特殊な使命をもって出されている雑誌ですから、私なんかも支援していいのかもしれません。元はそんなつもりで定期購読したのでした。

 しかし、本多さんの名前を見れば、私は木村愛二さんの友人ですが、いつもかわいがっていただいて有り難うございます、とでも申し上げたい気になります。筑紫さんの名前はもっと気に入りません(中略)。

 見本誌をぱらぱらと見ていると、各地で愛読者の会など持っているのが目に入ります。

 私と似たような気持の人達がこんなに集まってくれて、しあわせそうな・・でも、そんな会など開いて、べたべたするよりも、雑誌そのものの内容をもっと充実させることを考えたほうがよくはないでしょうか。

 なぜああも薄くて高いのか。自分達はマイノリティなんだから、薄くて高くて当然だろう、と言いたげな甘えた姿勢を感じる、と言ったら、きついようですが、こういうところでだけマイノリティを気取りながら、自分自身はマジョリティにほかならない本多、筑紫は、どうしても不愉快です。

 そう、いかにもマイノリティ気取りだが、じつは単なる「マイノリティ(の味方)」であるに過ぎなくて、根は傲慢で横柄で権力志向の強いやつが、本多あたりのあの「文体」に惚れ込むのではないでしょうか。ちょうど、吉本や西部、あるいは小林よしのりなどの「文体」に惚れ込む連中のように。

 どうでもいいが、さいきん私が惚れ込んだ文体は、弁護士の後藤昌次郎さんの「野人弁護士が行く」(太田出版)の文体と、田中小実昌さんの、ひらかなの使い方のうまい文体と、です。

 とにかく、金曜日よ、内容で勝負しろ、と言いたい。あの雑誌で養ってやっている、あんまりいい記事のかけない年のいかない記者たちには、もっと記者として上達してほしい。これは、結局、本多氏(筑紫氏はout of question)が、そういう記者たちしか回りに集められないということじゃないでしょうか。これこそは、たいへん無責任なことであり、それで愛読者の会など開いているとしたら、悪徳新興宗教やいんちき政治家が信者や選挙区の取り巻きに守ってもらうのと、どれほど違うのか・・・

(後略)

(匿名投稿・本誌が便宜上付けた仮名:ジタン)


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