2006.9.18(2019.9.2分離)
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/463.html
過去に目を閉ざす者はホロコーストの嘘を見抜けない
9月16日、今年の3月に亡くなった元日本ジャーナリスト会議(JCJ)代表委員、茶本繁正さんを偲ぶ会に参加した。
私は過去に、JCJの運営委員だったが、当時の事務局次長から、拙著『アウシュヴィッツの争点』を「JCJ主催の集会で販売するな」という「事務局会議の決定」(後に決定ではないと判明)を言い渡されて、JCJを「言論の自由を語る資格の無い組織」と批判し、脱退した。
茶本繁正さんには、拙著『湾岸報道に偽りあり』の出版記念会で、乾杯の挨拶も頂いた仲である。JCJの会員には、以下の著名なヴァイツゼッカーの言葉を、後生大事に捧げ持つ「優等生」が多い。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
ヴァイツゼッカー(ドイツ元大統領)
「ホロコーストを学ぶことは、それをふせぐことなのです」
JCJの会員がほとんどの「偲ぶ会」への参加には、いわば一種、「敵地に乗り込む」感があったが、私は、悠々と会場を闊歩し、旧知の知友に、近日発行の『ヒトラー・ホロコースト神話検証』の宣伝チラシを手渡しながら、静かなデモンストレーションを敢行した。
曰く、「相変わらず危険な本を書いてます」、「どこの出版社も逃げるから、自前のデスクトップ・パブリッシング、木村書店から出します」
そうやっている内に、ふと、気付いたのは、ヴァイツゼッカーの言葉の裏返しの解釈だった。「過去に目を閉ざす」という行為は、戦争と謀略の関係の歴史的事実に関しても、言わなければならないのである。
自国民が被害者となれば「報復」の権利が生ずる。ロシア革命に際しては、共産パルチザンによって日本軍守備隊と日本人居留民が虐殺されるという尼港事件が発生した。極東への共産主義の波及を怖れる日本は、同じくソビエトを敵視する英仏伊と歩調を合わせ、1918年1月に居留民保護を名目としてシベリア出兵に7万人以上の兵士を送り込んだ。
「被害」を言い立てるのは、狙いがあるからである。この歴史的教訓の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」のである。
ヴァイツゼッカーの言葉の場合、ホロコーストは、以下の「ア・プリオリ」(a priori)になっており、「疑問の余地のない前提」として使われているのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/s911-7.html
『9・11事件の真相と背景』
第7章 なぜアメリカとイスラエルだけが何をしても「許される」のか(その1)
[中略]
●虚心坦懐の理解を妨げる20世紀最大のタブー「ホロコースト」
●「ア・プリオリ」(a priori)「だいたいねえ!」の脅し
拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者は、フランス共産党政治局員として活躍したロジェ・ガロディである。彼は、「ホロコースト神話」の欧米における位置づけを、欧米ではラテン語でそのまま意味が通じる「ア・プリオリ」(a priori)であると皮肉る。
●「ア・プリオリ」(a priori)「だいたいねえ!」の脅し
「ア・プリオリ」は哲学の用語でもあるが、「先験的な前提」、つまりは、「神が与えたもうた前提」のようなことで、この前提を「夢々疑うことなかれ」というような意味である。
アメリカ人は、普段、この言葉を訛って大声で脅すような口調で、「エイ・プライ・オウライ」と発音する。日本語の慣用句なら「あんた、だいたいねえ!」という感じの常套句であって、疑問をのっけから封殺する狙いの脅し文句である。この「脅し文句」を私は、第2次世界大戦以来の思想謀略の決定版として位置づける。強固なアメリカ帝国の「正義」の神話であり、同時に、ナチス・ドイツ・ヒトラーの「600万ユダヤ人虐殺」計画の「被害者」、ユダヤ人、またはイスラエル人にとっては、決定的な意味を持つ「建国神話」なのである。ここにこそ、本書の副題、アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心の原点があるのである。
私は常に非常に単純に、歴史的事実に即して考え直すことにしている。アメリカが振り回す正義の御旗を疑い、パレスチナ人に対するイスラエルの仕打ちに憤激する人ならば、筋として、彼らの基盤を疑い、その背後の「ホロコースト」をも疑うのが当然ではなかろうか、と思う。ところが、これがなかなか、世間一般には理解されないどころか、疑問を呈したら逆にこちらが攻撃されてしまったのである。それほどに、この「現代神話」の催眠術の効き目は、あらたかなのである。特に優等生の言論人の場合、その思い込みの激しさは尋常ではない。
「エイ・プライ・オウライ」を再び、日本人向きに、くだいて言い直すと、鬼が島の鬼(ドイツのナチ)退治の英雄、桃太郎(アメリカ)こそが「正義の味方」であることを「夢々疑うことなかれ」となる。これが、アメリカにとっての「ホロコーストの大嘘」神話植え込みタブー教育の長年粒々辛苦の成果なのである。
「ホロコースト」「ジェノサイド」「大量虐殺」「ナチ」の脅し文句は、日本の講談型テレヴィ・ドラマに例えれば、水戸黄門の印籠の葵の御紋なのである。「どうじゃ、ものども、恐れ入ったか!」なのである。
特に日本では、私が「司法業界の商売人」と呼ぶ業界の司法資格者の間に多い現象なのだが、ニュルンベルグ国際軍事裁判所の規約を見たことすらないのに、この「実はシオニスト企画」の勝者によるリンチ裁判を「法の裁きの最高峰」と丸暗記し、その思い込みを「あんた、だいたいねえ!」と押しつける。その影響は、アカデミー業界全体にも、もともと「法」音痴の不勉強な権威主義のマスコミ業界にも、ず、ず、ずいっと及ぶ。
今回もほとんどの日本人、特に暗記秀才が多い主観的な平和主義者たちが、実に素直に無造作に、「米=日」マスコミ業界の意図的造語、「敵はアラブ」に即座に連結するパブロフの犬的条件反射用語、「同時多発テロ」を無批判に使い、モサドとアメリカCIAや軍情報部の謀略の可能性すらに、触れるのを避けた現象も、この心理的障壁の重圧を抜きにしては、理解し難いのである。
この心理的重圧下の唖然と言うしかない症状のひどさは、湾岸戦争の頃よりもさらに度を加えた。
時期的に重要な要素としては、その間のいわゆるバブル経済の崩壊がある。マスコミ業界の商売人にも他の業界と同様の顕著な症例として、逆らうと息の根を止められる恐怖が先にあり、それが以前にも増して、ことさらに強く働く。
長年の習慣の通称「マスコミ仁義」による内輪かばい、大手企業の社員同士の「武士は相身互い」の習慣が、さらにその度を強めて働くのだから、もう処置なしである。
私は、「ホロコーストの嘘」問題を、言論人の事実に関する理解力の程度を測るための一種の試金石と見なしている。メディアだけでなく、いわゆる知識人とか文化人とか、教授とかの対処の仕方にも、厳しい批判の目を向けなければならない。
[後略]