その1:初期作品からの捏造癖
1998.12.07
JCA-NET関係者には、私の知る限りでのことですが、『週刊金曜日』の読者が多いようなので、眉をひそめる方もおいででしょうが、まあ聞いて下さい。
私自身も本多勝一氏(以下、敬称略)から直接頼まれて、「だれが水鳥を殺したか/湾岸戦争報道操作は続いている」(掲載は第9号、1994.1.14)を寄稿し、その原稿料(「書き手育成」の宣伝にも関わらず世間並の安さでガッカリ)を当てにして「3年分の購読予約金」を払い込み、トントン勘定の関係だったのです。
ですから、「騙された」と思っていますし、皆さんにも「騙されないように」と忠告せざるを得ないのです。
別掲の『噂の真相』記事では、「本多勝一のこれまでの業績に敬意を表して、[中略]正面きっての反論を手控えてきた」としていますが、実は、その「業績」全体にも重大な疑問があり、徹底的に洗い直すべきなのです。
まず、なぜ多くの善意の若者が騙されるかという秘密の鍵については、次のふた通りのアングロ・サクソン格言が、最も適格に表現しています。
「公然たる敵よりも偽りの友の方が悪い」
(Worse a false friend than an open enemy)
「偽りの友よりも公然たる敵の方が良い」
(Better an open enemy than a false friend)
「読売」「産経」よりも、場合によっては「朝日」の方が悪質なのです。
「朝日」には、最近の「サンゴ」事件もありますが、レッドパージ地下潜行中の共産党幹部(故)「伊藤律記者会見」デッチ上げ、シベリア抑留の吉村隊長「暁に祈る」処刑虚報の頬っかむり、などなど、ピュリッツァ-賞記事がデッチ上げだったイエロージャーナリズム発祥の地、アメリカにも負けず劣らず、冤罪、誤報の限りを尽くして、まるで反省の色なしの「商業紙」の典型なのです。
「墓碑銘」はきつい、という受け止め方もあるでしょう。
しかし私は、本多勝一編集長時代の『週刊金曜日』の連載「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」と題するデタラメ記事によって、名指しの誹謗中傷を受け、やむなく、株式会社金曜日(代表者:代表取締役・本多勝一)及び執筆者を相手取っての裁判中なのです。
「レクイエム」には「鎮魂歌」などという気取った訳もありますが、古代のラテン語では単なる「葬式の歌」の意味です。
「墓碑銘」は、正体がばれて『噂の真相』の個人欄「悪口雑言罵詈讒謗講座」という最後の発言の場を追われた本多勝一への、とてもとても軽い、お返しでしかありません。
本多勝一個人は、実に下らないヤクザ記者でしかなく、相手にするのは、昔の表現で言えば「刀の汚れ」なのですが、日本の大手メディアの分かり易い悪の象徴でもあるので、「一罰百戒」の材料とせざるを得ません。「水に落ちた犬を打て!」というのが、日本人から酷い目に遭った中国人の言葉です。ヤクザ記者は、完全に放逐しなければ、またぞろどこかで悪さをします。
以下は、自称「ガリ版ビラ」こと「リソグラフ印刷」『歴史見直しジャーナル』第21号(1998.9.25)記事の改訂増補です。
揺れる「ショア・ビジネス業界」
注1:「ショア・ビジネス」(Shoah Business)は、ブロードウェイの大当たりショーの題名、日本語訳で『ショーほど素敵な商売はない』(There is no business like show business)のもじり(One word change) で、「ホロコースト記念館」などの「恐怖の館」(The Chamber of Horrors)、日本ならさしずめ「お化け屋敷」を作っては、金儲けをする連中のへの軽蔑的な呼び名です。
裁判相手「社長」本多勝一を『噂の真相』連載コラムは追放。直接のきっかけ『ヴューズ』(97.1)「株式会社朝日新聞社の正体」「リクルートの『接待旅行』」真偽論争は、今や、誇り高い「朝日人」の内輪庇いの習性を揺るがす。『テーミス』(98.8)「社員・OB株主が相次いで糺した朝日新聞の株主総会で出た『あの問題』」と題する内部告発的記事で、本多の方が「朝日の恥。こんな野郎がね、ゴタゴタいっている」と汚い表現で罵倒した「同期」の元朝日新聞研修所長、本郷美則は、「『ゆるふん』に放置しておいたから、どんどん腐敗が進んできた」と批判。いかにも男優位社会の新聞界らしい下品な言葉の応酬だが、実感が溢れている。テーミス記事は「ウミを徹底的に洗い出すべきである」と結ぶ。
朝日の威を借る捏造記者の末路
私はすでに『歴史見直しジャーナル』3号の『週刊金曜日』誹謗中傷記事問題特集で、「試金石」による「本多の条痕色」は「黒」、つまり、本多勝一は「偽者」と喝破した。それまでの自称「省力取材」の結果に基づくだけでも、この判断には十分な確信があった。ところが、その後、出るわ、出るわ。呆れを通り越して寒気がするほど、お粗末至極な記事デッチ上げの前歴が各地の各氏から寄せられた。
ベストセラーで冒険記者の名を上げた「極地 3部作」でも、同行の先輩写真記者、藤木高嶺氏(現大阪女子国際大学教授)が呆れて「決裂」宣言。ヴェトナム「戦場の村」連載では、現地の各社の先輩記者が「来たばかりでヴェトナム語も知らずに、あんな取材ができるわけがない。昼は政府軍、夜は解放軍の乱戦状態で、政府軍に疑われれば爪を剥がれる拷問。半端じゃない。しかし、『嘘を書いた』立証もできないから、そこが付け目」などと、その他の本多勝一流の勝手放題を告発している。
以下はまた「本多勝一の墓碑銘2」にて。
とりあえず以上。
2018.10.15追記:「朝日の三ホンダ」wikipedia 南京事件報道したことなどで有名な本多勝一、1989年の朝日新聞珊瑚記事捏造事件を起こした本田嘉郎カメラマンと本田雅和記者をあわせて「朝日の三ホンダ」と呼ばれている。