『亜空間通信』141号(2002/01/14)

ビンラディンも心情テロ擁護も自衛権主張の偽善系左翼も総べてモサドやCIAの絶好の鴨

送信日時 :2002年 01月 14日 月曜日 10:38 AM

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『亜空間通信』141号(2002/01/14)
【ビンも心情テロ擁護も自衛権主張の偽善系左翼も総べてモサドやCIAの絶好の鴨】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 今回から、「911分解方程式」連載を開始する。

 承前、さるI月9日19時30分から23時まで、休憩15分を挟んで正味3時間15分間、新宿歌舞伎町情報発信基地こと討論酒場、ロフトプラスワンにて、「9.11.モサド謀略説徹底検証」の興業を打った。

 前回、簡略に記した通り、

「私の説に賛成をためらう向きは、私が提出した証拠の吟味をしようとしなかった。やはり彼らも、まだまだ右顧左眄の状態」

なのであった。これは当然のことであった。私は、こうなることを十分に予期していた。なぜならば、基本的な条件と状況は、まるで変わっていないからだ。今から11年前にも、私は、次のように記していたのである。

 以下の拙文の「イラク」を「鬢ちゃん」とか「アルカイダ」とか「タリバン」などに読み替えれば、基本的な状況は、今回も見事に一致している。興味のある方は、下記のわが電網宝庫無料公開頁で、前後の論旨の展開を見て頂きたい。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-04.html
『湾岸報道に偽りあり/隠された十数年来の米軍事計画に迫る』
序章:帝国主義戦争と謀略の構図(p.15-18)

立証困難を承知で挑戦したが、意外にも材料続々

[中略]

 もともと謀略とは「機は密なるを要す」という隠密作戦なのだから、確実な証拠を握るのはむずかしい。

[中略]

 湾岸戦争で最も象徴的なのは、世界中でお馴染みの「アメリカ帝国主義」という用語の使用さえ、遠慮する向きが多かったという事実である。イラクの政治体制が独裁型だということは議論の余地がない事実である。国境を越えた軍事行動、侵略には、だれでも反対だ。だがそれだけで、相手側のアメリカの行為がすべて免罪されるわけではない。アメリカも同じことを各地でやってきた。イスラエル「建国」以来の問題もある。挑発の疑いは最初から匂っていた。それなのになぜ人々は口ごもったのか。

[中略]

 謀略の舞台としては、非常に複雑な要素をはらんでいたわけで、数学でいえば難解な高等数学である。こういうケースの場合、単純な○×思考で回答を求め、簡単に一般受けを狙う論法では、真相を解明することは不可能である。

[後略]

 そこでいよいよ今回からは、上記の湾岸戦争、その後にはユーゴ戦争(こちらはわが電網宝庫の下記参照)でも行った「総集編」形式の事件分析に取り掛かる。

 http://www.jca.apc.org/~altmedka/yugo-series.html

 分析するとか、または「分かる」とかするためには複雑な要素を「分ける」作業が必要である。いわば「911分解方程式」を組み立てるべきなのである。

 第一は、歴史的構造である。

 ロフトプラスワン興業の目玉の舞台装置としては、地元武蔵野市のスーパー「いなげや」にて定価980円で買い求めたる真っ白いシーツに、目一杯描いたアフガン周辺の色付き地図、実は、1980年のアメリカ上院小委員会の議事録の付録「ペルシャ湾へのアメリカ軍の接近図」を掲げ、私が立って舞台の上を歩きながら、そこここを指差しては、簡略に、19世紀以来の中央アジア石油資源争奪戦の有り様を説明した。

 この最初の自ら動く演技の前段では、映写幕をも使った。第一と第二の世界大戦の時期の色刷り歴史地図3枚を映写幕に映し、アラブ諸国と中央アジアの石油資源地帯を巡る主にイギリスとフランスによる植民地化の進行を示した。そこにはまだアメリカは登場しない。

 次には、イギリスの公共放送BBC作成の『世紀の黒幕・CIA』(1時間物4回分あり)からの抜粋映写によって、第二世界大戦以後、1979年までのアメリカの石油謀略の当事者による回想を示した。いわゆる中近東の石油資源地帯は、CIA工作の檜舞台であった。

 閑話休題:

 さてさて、この問題の複雑さは、古今東西、稀に見ると言うべきであって、とても、とても、これだけの時間で説明し、議論し切れるはずがない。しかし、私に1週間ほどの連続講座を開かせてくれる組織はない。

 それどころか、偽善系左翼諸流派の愚か者どもらは、世界有数のユダヤ系アメリカ人の言語学者、チョムスキイが、あれは戦争ではなくてアメリカによる国家テロと呼ぶ湾岸戦争からカンプチアPKO出兵までの時期には、週平均1回の講演やらパネラー出演の依頼を受けたこともある私に対して、「ガス室の嘘」または「ホロコーストの嘘」の主張開始以来、背を向けるばかりか、こともあろうに「ネオナチ」かぶれに堕落したかなどと利いた風な陰口を叩く阿呆さえ輩出している。

 腹が立つよりも、その惨めなテープレコーダー以下の頭脳程度の有り様露呈に対する親心の憐れみが先に立つので、時折、注意してやると、さらにギャーギャーと逆らうものさえいる。呆れたことだが、それが偽善系左翼小児病患者諸流派の水準である。こいつらの生態については、呉智英著『サルの正義』をも御参照されたい。まずは、常に常にモサドやCIAの絶好の鴨でなのである。

 で、ロフトプラスワンにて、話が、あちらこちらを飛んだ中で、まずは、鬢ちゃんことビン・ラディンの評価と、そこに象徴される「テロ」「暴力」「武力」「軍隊」「自衛権」などの基本的な問題に関して、長年の持論を展開して置く。

 第二は、つまり、歴史の主役、いやさ、悪役と、いわば三枚目のチンピラ仇役どもの性格と役割の分析、位置付けである。

 先に引いた旧著の論旨で言うと、主役の悪役の「アメリカ帝国主義」およびその仇役の「イラクの政治体制が独裁型だということは議論の余地がない事実」と同様の問題点である。

 最初から言い直すと、モサドやCIAの絶好の鴨であるのは、偽善系左翼諸流派だけではなくて、鬢ちゃんことビン・ラディンや、タリバンやらアルカイダやらイスラム聖戦士やらアラファトやらハマスやら、甚だしきは私があえて半気違いと呼ぶ日本の赤軍派も、まったく同じ役回りなのである。

 彼らは、繰り返すと、いわば三枚目のチンピラ仇役である。彼らの共通の弱点は、これから証拠を提出するが、私が少なくとも11年前にはすでに文章化し始め、さらに具体化していた「積極非武装論」を、数多くの前例があるのも関わらず、理解しようと努力していないことである。

 この論の基本は、世界史の上では、インドの植民地から解放を勝ち取った理論的指導者、ガンディの「非暴力抵抗」と同様の主旨なのである。

 以下は、改行などを読み易くした他は、私が今から11年前に、日本共産党の中央委員会に文書として意見提出したままのものである。

緊急意見

積極非武装への政策転換を求める

伊東市委員会所属 木村愛二(党内ペンネーム 徳永修)
住民登録 〒414 伊東市瓶山2~21~8  電話 0557(38)8416
現住所  〒180 武蔵野市中町1~38~5 電話 0422(54)7476
著述業。53歳。

 この件に関しては防衛大学校3期生、ただし中退を特記事項とする。

 過日小生は本部に電話をし、党員だがと断って、党の自衛中立政策に変更はないか、変更の検討はしていないのか、そういう議論を大衆的にする機会がふえているが、自分の長年の意見を党外で述べると規律違反で処分されるか、と確めた。すでに検討をしているのであれば、小生が無駄骨を折る必要はないし、遠慮なく議論できるからである。

 ところが電話に出た相手は、いつものことながら、こちらが党員だと名乗ると急に上司風のノドを潰したウナリ声に変わり、これもいつも通り、中央が出した方針をちゃんと勉強しろ、という態度で頭ごなし。こちらも別件で何度か経験しているから、好みとは逆にハリウッド製映画のナチ将校をへこます手法で強硬姿勢に出る。

 こちらはそんな方針どころか、孫子もクラウゼヴィッツもリデル・ハートも、マキャベリ以来のその他もろもろも読んだ上で聞いているのだ、と。これですこしは対応は穏やかになったが、要するに検討はしていない、変更の必要を認めない、党外で話すのは好ましくないとのこと、処分の対象になるとまではいわれなかった。

 概略以上の経過の後、やはり自重して党員と判明している友人たちだけに小生の意見を聞かせたが、非常に説得力があるという批評を得たので(反論はない。理解力不足の友人も多い)、やはり、文章化して意見を提出すべきであろうと思い定め、無駄骨を折ることにした次第である。

1。従来の党方針に関して。

 戦後の憲法論議の域を出ていない。当時から誤っていたのだとまでは断言しにくいが、率直な感想をいえば、当時の指導部は政権を奪取し、日本赤軍を閲兵する夢を見ていたのであろう。世界的な傾向に関しては省略するが、その直後の朝鮮戦争の発端事情、日本の党の一部の軍事方針と無関係ではないだろう。社会主義国の軍隊という単行本もある。

2。国家の自衛が必要か。

 クラウゼヴィッツの時代でさえ、ナポレオン(ドイツ人にとっては憎むべき侵略者)も平和を口にしたと評している。

 吉田茂は野坂参三議員の質問に答えて現行憲法第9条を擁護し、自衛のためと称して侵略軍が形成されるから、そもそも軍事力を否定するのだという趣旨の答弁をした。今や海外派兵(ワープロの内蔵辞書に入っていないのに)が問題になっている。国家の自衛権の辿る道は、これ一つなのである。

3。近代の国民軍時代の始まり。

 ナポレオン一族の侵略を最初に打破ったのは、正規軍降伏以後の戦いで民衆がゲリラの名を世界に広めたスペインである。これに着目したクラウゼヴィッツらはフリードリッヒ大王の許可を得てロシア軍に身を投じ、モスクワ放棄を頂点とする長期焦土作戦を敢行した。3。現代。 中国の抗日戦争でも、この教訓は生かされている。赤軍は不正規の民衆ゲリラを基盤としている。レジスタンスしかり。ベトナムしかり。アフガンしかり。世界の大国正規軍は、正規軍を握る政府を屈伏させた後に、民衆ゲリラに敗れているのである。

4。日本。

 自衛(中立)の政策は、結局、正規軍に国を守らせようとするものであって、現行憲法の戦力不保持原則遵守の主張を弱めるだけである。

 まさかの侵略には、民衆の正当防衛権の行使で足りるし、それしか真の独立回復の道はないといってもいいぐらいなのである。国家の自衛権を認めることは、現代日本において、結局、自衛隊の欺瞞を援護することにつながるのみである。

 現に、非武装中立を掲げている社会党が、あれだけの票を集めている。いかに社会党に弱点が多かろうとも、この事実は動かせない。つまり、日本国民のかなりの部分が、非武装政策を支持しているのである。共産党たるもの、さらに先の道を示さなければならない。

5。そもそも、完全な世界平和を実現するには、どこかの大国が範を示して完全非武装を実行する以外の道はないのだ、という現実的理解が必要である。

 誰かが始めに率先して武器を捨てる以外に、真の平和は実現し得ないのである。宗教者が実践し始め、医療者が続き、今や人類の全てが希求している非武装平和の実現は、戦後日本では、天皇さえも含めた全国民の悲願だったはずである。

 戦後一時期の党方針を今更云々する積りはないが、今こそ日本の戦後の原点を確認し、根本的な方針転換を内外に明確化すべき絶好の時期ではなかろうか。

 以上。

 以上で上記意見書の引用終わり。

 以上の文章はワープロで作成し、日本共産党中央委員会に提出すると同時に、複写を手許に保存していたはずであるが、フロッピしか発見できない。提出の日付けはフロッピには入っていないが、手書きしたはずだ。

 残された手掛かりから推測すると、引っ越し中の双方の住所電話番号が並記されており、年齢は53歳と記載している。伊東市から武蔵野市の仮住まいに転居し始めた1990年の9月以降で、かつ1991年1月17日のわが誕生日以前、つまりはその同じ日に勃発した湾岸戦争またはアメリカによるイラクへの国家テロ武力行使の開始以前であることが、確実である。

 その時期はまだ、いわゆる「湾岸危機」の時期であり、いわゆる多国籍軍の形成、日本の海外派兵の是か否か論の日本列島挙げての右往左往時代でもあった。

 そのためもあってか、上記意見書では「自衛権の放棄」を求めることに重点を置いており、「民衆の正当防衛権」からゲリラ闘争、つまりは武装闘争の是認と受け取られ兼ねない表現を用いていた。

 以上の意見書をまとめた直後に、湾岸戦争が勃発し、私は日本の「国際貢献」と称する軍資金拠出を違憲とする平和訴訟の原告に加わった。その市民運動の周辺での様々な流派の議論を聞く内に、私は上記意見書の弱点の認識を深めた。

 そこでその反省をも含めて、1994年夏、以下の「緊急提言/平和のために血を流す覚悟/NGO(非政府組織)・熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊結成」なる一文をまとめて発表した。この時期には最早、日本共産党への意見具申などは時間の無駄と心得、手作り個人新聞として広くは配付していた。

NGO(非政府組織)・熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊結成
初出:『フリージャーナル』23号(1994.7.8)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/hibusou.html

 以上で旧文の引用終わり。

 昨年の911事件以来、日本共産党の去就については、呆れることが多いが、その象徴が海上保安庁法の「改正」への賛成投票であった。この賛成投票に関しては、大手メディアが「驚き」を報じ、日本共産党員が運営していると思われる「さざ波通信」の批判論文の発表もあり、この論文は本通信でも以下に再録した。

2001.11.26:111号
【共産党員運営「さざ波通信」が海上保安庁法「改正」案賛成の中央を噴飯と批判】

 この批判論文は、なかなかの力作ではあるが、やはり、私が11年前に文章化した「自衛権」の欺瞞には切り込んでいない。つまり、私の目には、まだ本式の筋が通っているとは見えない。

 自衛権を放棄しない、つまりは国家の正規軍保持と国家の名による大量殺人を是認する思想は、チャップリンの「殺人狂時代」によって痛烈に批判されているにも関わらず、いまだに横行し続けている。しかも、私が上記の意見書で「社会主義国の軍隊という単行本もある」という控えめな表現で戒めた「社会主義国の欺瞞」が、いまだに消えていないのである。

 私は自称「徹底した唯物論者」であるから、殺人を悪と決めつける「正義の旗」などは振り回したく無い。しかし、論理的に考えるなら、平和を実現したいと主張する者は当然、常に平和的な手段、言論で勝負すべきなのである。そうしなければ、とにもかくにも筋が通らない。

 それなのに、「復讐するは我にあり」などと旧約聖書の神の御言葉を振り回したりするのは、矛盾も甚だしいのである。矛盾に満ちた心理で、常に「初めに結論ありき」の御都合主義の議論を展開するのが、実は、裸の猿どもの習性である。

 偽善系左翼小児病患者諸流派の思想水準は、そこに依拠している。これを自覚しない限り、歴史と目の前の現実の真相に迫ることなどは、できっこないのである。


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