送信日時:2002年 01月 2日 水曜日 10:34 PM
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『亜空間通信』138号(2002/01/02)
【禁我慢信念の挨拶:真相暴かぬ戦争屋の手先「増すゴミ」ペンペン草御一同様へ】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
以下は一応、2002年の年頭所感である。
昨年末、12月29日には、私の緊急呼び掛けに応じてくれた旧友が我が家に集まり、10人の研究討論の場を開くことができた。私の「9.11.モサド謀略説」も展開できた。元旦には別途「日記風」に記したごとく、吉祥寺駅前北口広場で約2時間の個人演説を行ったが、それでもまだやはり、機嫌の悪い年明けである。
昨年末にはまた、ついに、いや実は、またしても、またしても、ヤクザそこ退けの「マスコミ仁義」とやらの内輪かばいの悪臭紛々の悪習をぶち破って、以下に抄出する「憎まれ愚痴」記事を放った。この「マスコミ仁義」という言葉は、大手企業同士の「武士は相身互い」の習慣への批判として言われ続けているが、私は、この批判を個人間の関係にも広げて使用している。
もっと「お上品」な表現としては、「ナレアイ性」があり、これは1971年の『放送学研究』に出ていた。これを私は敷衍して、1994年発行の拙著『電波メディアの神話』に収録し、「マスコミ研究の弊害」(p.135-138)として厳しく批判し、「金魚の糞のような無批判の連鎖」を戒めた。しかし、この弊害の除去は、政界の「自浄作用」とやらと同様で、「百年河清を待つ」の類いであろう。
以下、上記の「憎まれ愚痴」記事の抄出。
『亜空間通信』135号(2002/12/29)
【ソマリア侵攻企む破落戸アメリカの動機に「石油」疑わぬ記者修行の悲しい性】
破落戸国家アメリカが、またぞろソマリア侵攻を企んでいるとの風評しきりの折から、以下の題名の記事が転送されてきた。
[ 田中宇:ソマリアのやらせ戦争 ]
田中宇の国際ニュース解説
[中略]
★ソマリアの和平を壊す米軍の「戦場探し」
[中略]
以上の題名紹介のみで引用終わり。
田中宇さんは若手の著名人で、テレビ朝日のスーパーモーニングにも出ている。「タリバン通」とか「アフガン通」とかである。共同通信出身だそうだ。
ところが、というよりも、それだからこそ、かなり長い記事なのに「石油」の「セ」の字も出てこない。私は最早、まるで驚きもしない。真相追及マニアのような私とは違って、新聞記者とか通信社記者とかには職業上の癖が付く。この手の手軽な学生論文並みの記事を、手っ取り早く器用にまとめる修行を積んでいるから、多くの大手メディアがこれまでに間違って伝えてきたことを、必ずと言って差し支えない程、踏襲してしまうのである。悲しい性である。
ついでのことに、同じ共同通信出身の著名人についても、同様の問題点を指摘せざるを得ない。社長にもなった原寿雄さんは『放送レポート』で、私とは高校の同窓生の仲の坂井定雄は『しんぶん赤旗』で、ソ連のアフガン侵攻の6ヶ月前にアメリカがCIA工作を開始していたことを知らずに、疑わずに、従来通り、またはアメリカの宣伝の通りに記していた。
なお、この件は、本通信、2001.10.17:47号【ムジャヒディン援助はソ連の侵攻以前のCIA謀略と大統領補佐官が認めてた】で報じたが、耳情報によると、『軍縮資料』の最新号にも同様の記事が載ったそうである。
[後略]
以上で上記通信記事の抄出引用終わり。
その前にも、この「憎まれ愚痴」を放つ準備の助走、または地ならしとして、以下に抄出する記事を放った。
『亜空間通信』119号(2001/12/09)
【満州事変の温故知新:真相暴かぬ「増すゴミ」ペンペン草御一同は戦争屋の手先】
[中略]
中国人が「偽満」と呼ぶ人造国家、満州国は、典型的な傀儡国家で、日本というよりも日本軍、それも事あればすぐに居直って「独立するぞ!」と脅す関東軍の謀略によって、1932年3月1日に建国され、敗戦の1945年8月15まで形式的に存続した。つまり、13年半近く続いたのである。
その前段の重大事件としては1928年6月4日の張作霖爆殺があるが、この時から数えると17年2ヶ月余となる。関東軍の高級参謀、河本大佐が主犯で、現地政権の元首を殺し、犯人は中国人と偽り、一挙に満州国独立を計画していたのだが、上司の参謀総長には「知らせていなかった」(?)ので、この計画が不発に終わったと「されて」いる。
ともかく、この謀略の計画の事実は漏れ、翌年の1929年には、議会で野党の民政党が政府を追及し、「満州某重大事件」として「のみ」ではあるが、新聞で報道もされた。昭和天皇を含む上層部は、当然、事実を知り、真相の公表を求めたが、陸軍の強い反対で「関係者の行政処分」と軍部出身の田中首相への天皇の「食言叱責」で済み、内閣総辞職で責任が「うやむや」にされた。
関東軍は、それゆえ、懲りもせず、1931年9月18日に、やはり鉄道爆破の「柳条湖事件」を起こし、満州事変、満州国の建国へと走った。
「満州某重大事件」の真相が広く日本国民に知らせられていたら、関東軍の暴走は食い止められたかもしれない。ともかく、真相は知らせられるべきであった。ところが、寡聞にしてか、事実を知る当局者はもとより、「野党」の民政党の議員も、「満州某重大事件」と報じた新聞関係者も、誰一人として当時、真相暴露に踏み切ったという事実がないらしいのである。
しかも、私が「寡聞」と称するのは、これでも、かなりの新聞の歴史の研究書を読んでいるのに、一度も、「真相暴露に踏み切った」「勇気のある新聞記者」についての記述を見たことがないからなのである。あれば、身内の自慢の好きな新聞記者らが、必ずや、大々的に記していると思うのであるが、やはり、ないのである。
であるから、ここで私は今、温故知新として、真相暴かぬ「増すゴミ」ペンペン草御一同は戦争屋の手先と断じるのである。「ペンは剣より強い」という格言の源のラテン語では、「筆は剣より惨い」だったのだそうだが、実に「惨い」沈黙の共犯なのである。今もなお、同じ状況が続いている。しかも、今は、治安維持法もないし、憲兵もいないし、特高警察もないのであるから、命に別条はない。それなのに、首筋を撫でて黙っている卑怯者が、「増すゴミ」と「野党」などの多数派だということになるのである。
以上で抄出引用終わり。
以上の【満州事変の温故知新:真相暴かぬ「増すゴミ」ペンペン草御一同は戦争屋の手先】に対しての応答として、わが通信の読者でかつ同時に日本の大手新聞関係者から、次の本が出ているとの知らせを受けた。
http://comcom.jca.apc.org/hi-hu-war/books/books.html
■comcomのイチオシ!books■ 記者たちの満州事変 日本ジャーナリズムの転回点
池田一之:著
人間の科学社:刊
215ページ
2,000円+税[木村愛二註:表紙写真省略。横帯に「日本のジャーナリズムは二度死んだ」とある]
「全身の筋肉が衰える難病の筋萎縮性側索硬化症に侵されながら、戦時下の新聞ジャーナリズムを研究した故・池田一之さんの遺稿『記者たちの満州事変-日本ジャーナリズムの転回点-』が人間の科学社から出版された。柳条湖事件(1931年)から終戦までの新聞の足跡を、中国への取材やさまざまな史料で丹念にたどった。
(中略)
池田さんは元毎日新聞記者。83年に退社後、明治大学政経学部の担当教授となった。戦時下のジャーナリズム研究でたびたび中国を訪れ、当時の新聞社の特派員の足跡をたどっていた。」(毎日新聞2000年の記事)
この切り抜きを部屋に貼ったままにしていましたが、紀伊国屋のネットショップで購入。
中国への侵攻の口実にされた柳条湖事件の報道を手始めに、軍の謀略に気づきながら紙面化できない、またははっきり扱えないでいるうちに戦況報道を使っての拡販競争にはまっていく新聞各社。そして、同時に大新聞の寡占化、言論規制へとつながっていく戦時体制。言論の戦争加担は、けっして外からの圧力だけではなかったことがつづられていきます。
そして、終戦。
新聞の、言論機関としての責任を感じて廃刊を進言し、8月16日の紙面を裏面白紙発行という形で残した毎日新聞西部本社編集局長は、進言を入れられずに辞表だけが受け付けられる。
あとがきでつづられた、明治大学同僚教授の文章の池田氏のことばがとても印象に残りました。
「日本の新聞は、結局、先読みなんだね。いい悪いでなく、現実がどこに向かうかを先読みしてしまう。君ね、満州事変がそうでしょう。関東軍の謀略であることを見抜いて出稿した記者はいたんだ。でもその時にはすでに既成事実化して、関心はもう関東軍の次の行動に移っていた。」
今の報道にこの内省を求めます。
以上で上記の本の紹介頁記事の引用終わり。
私は、昨年9月11日の事件、「アメリカ攻撃」に関して、翌日、モサド謀略の可能性大と打った。その証拠は、ますます増大している。
「増すゴミ」ペンペン草御一同様が、これからどう動くか。上記の『記者たちの満州事変』の横帯表現、「日本のジャーナリズムは二度死んだ」の「二度」は過小評価であり、むしろ「死にっ放なし」だと思うのだが、いかがであろうか。