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『亜空間通信』610号(2003/06/09)
【凶暴ネオコン狂信の恐さに鑑み古今東西の思想犯退治に体験告白と調査協力求む】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
いやはや、先にも国会がらみで少し触れたが、このところ、俄に起こったネオコンの「人気沸騰」の勢いは凄まじく、世間的には「左」に分類されるTBSのニュースキャスター、筑紫哲也とか、元新聞労連副委員長とか、元新聞研究所の所長とか、元共同通信編集主幹とかの原寿雄大先輩から、世間的には「右」に分類される自民党の黒幕、野中某に至るまでが、「ネオコン云々」と一斉に吠えだした。
どうやら、余程凶暴な猫科の猛獣が、そこらを徘徊しているらしい。
ネオコンの分類に関する世間の取り沙汰は、これまた、舌っ足らずに、シオニストとか、元ヴェトナム反戦とか、元トロキストとか、元リベラルとか、キリスト教原理主義とか、クリスチャン・ザイアニストとか、実に、実に、耳元が、かまびすしきまでの状況で、昼寝の熟睡も叶わぬ状況になり到った。
そこへ、私自身までもが加わり、やはり元トロキストで、しかも、元共産党員で、現在は二足の草鞋なのか、民主党員らしくて、アメリカの大統領選挙への民主党内の予備選挙への立候補が7回目、元トロキスト日本支部の幹部とかで、「反ユダヤ主義」商売人の太田龍らも、希少かつ貴重な情報源とするリンドン・ラルーシュ、78歳(ぐらいかな)の運動組織のネオコン研究を紹介してみたりしている。
そこでは、ネオコンの源流を辿ればニーチェ哲学とか、ヒトラーと同系統のファッシストなりとか、「ヴォナパルト」(ナポレオン嫌いが「ボナ」に良い意味があるので、わざと「ヴォナ」と発音するらしい)一族に由来する神秘主義とか、シナルシーとか、シナルキーとか、「統一」の「権力」の意味だから、ありゃ、こりゃ、統一協会かな、反共の勝共連合かな、道徳再武装主義かな、とか、ああ、もう、化け物屋敷の乱立状況で、とうてい面倒見切れない。
要するに、自分では調べもせずに、「追っ掛け」の対象の簡単な「レッテル貼り」の説明を求める右顧左眄の「ミーハー」族の残骸が、年甲斐もなく、そこらじゅうに群れているのである。
その一方、イスラム何とかの方も、仏像を破壊してみたり、偶像崇拝を禁ずるのは結構だが、実際には個人崇拝の分派抗争を続けていたりして、刑罰は残酷だし、呆れたことには、無神論のはずのカール・マルクスの若気の至りの共産党宣言以来の暴力革命思想の阿呆な思い上がりを継承しているし、狂信の典型の人身御供の自爆攻撃などまでするし、「大イスラエル」実現への攻撃拡大のための格好の口実を求めるシャロンの後生大事な鴨葱組までがいる。
ソ連崩壊後も阿呆揃いの東洋鬼の生き残りの狂信者を多数従えて存在し続ける日本共産党ときた日には、アメリカの謀略に簡単に引っ掛かって、事実関係を調べもせずに、911のビン・ラディン犯行説を唱えてみたり、「同時多発テロ」などとNHKの命名を鸚鵡返しにさえずったりして、呆れかえるほどの馬鹿さ加減を露呈している。これも狂信のなせる業でしかない。
元ヴェトナム反戦とか、いわゆる左から右への転向は、日本でも珍しくない。要するに、根は同じ権力主義者なのである。
現在の世界の最悪の狂信は、イスラエルの「ホロコースト真理教」だが、それをしきりと宣伝するのが、日本共産党で、似非紳士代表の朝日、NHK、岩波書店、東京大学が、その周囲に阿呆連の親衛隊を形成している。
ええいっ、かくなる上は、これも禁句らしいが、片手落ちの批判では、かえって逆効果なり。この際、もう、簡単に、全部を権力主義の「狂信」として、まとめて始末するしかない。そうしないと、他の重要な問題を放置してしまう結果になる。クラウゼヴィッツも「精神」の重要性を強調しているが、「狂信」は、実に恐ろしい裸の猿の邪悪な習性なのである。
都合の良いことには、非常に分かり易く『バカの壁』と題する本が、急に評判になりだした。筆者の養老猛司は、裸の猿の脳の研究者である。書評には、「重大」なのは、人生の意味が自分の脳の中にではなく、「外部」にあるということだ、などとある。結構、分かっているらしい。
ああ、「馬鹿は死ななきゃ直らない!」「ペケ、ペンペケ、ペンペケペン!」ときたもんだ。ああ、懐かしい。三味線の伴奏入りの広沢虎三の浪花節の、ああ、実に懐かしい名文句である。小学校の声変わりの頃には、悪餓鬼の真似が流行ったものだが、当時はテレヴィどころか民放もなく、音が出るメディアはNHKのラディオ放送だけだったのだから、NHKが放送していたのだろう。実に科学的で、「重大な」真実を明確に簡潔に言い表しているのに、やはり、ここでもまた、狂信の一種の自称人権派が、せっせと、憲法にも違反する言論妨害に励むものだから、今では、これも「禁句」扱いになっている。
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.techno-create.com/topics/topic152.htm
ごきぶり日記149
平成の鬼平
この人の語録を聞くにつけ、なんだか日本人の「心」が退化してしまったように 感じ、恐ろしい想いがする時がある。
[中略]
広沢虎造の名文句に、差別用語丸出しの「馬鹿は死ななきゃ直らない」という 下りがあるが、もう一度敗戦のような振り出しに戻らなければ、日本人の心は 戻って来ないのかも知れない。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
戦後の当時の「馬鹿」の典型は、天皇崇拝の軍国主義者であった。その後に、アメリカ民主主義の盲信者が続き、ソ連社会主義の盲信者、中国文化革命の毛沢東「盲従分子」云々となった。ああ、みんなが、「死ななきゃ直らない!」馬鹿の揃い踏みだったのである。
至極簡単に言うと、「狂信」とは、「信仰」、または「社会思想」とかの類(たぐい)が、群生動物としての本能の機能を内蔵し、しかも、生後の「学習」までを経た裸の猿の粗末で軟弱な脳に染み込み、「思考停止」の「反射運動」の神経回路を形成する結果として生ずる現象である。パソコンの立ち上がり動作以上の立派な物質的根拠があるのである。この回路を刺激するのは「言葉」である。
だからこそ、わが新編著
には、以下の項目を設けたのである。「情報戦争の武器としての「言葉」の重要かつ決定的な機能の自覚が不可欠」
「言葉は被支配者が積極的に支配に従う「条件づけ権力」の武器」
群生動物の裸の猿の社会の中では、狂信者が集団を形成すると、暴力に及ばずとも、威圧的な勢力を形成し、社会的な強制力を発揮するので、始末に負えなくなる。暴力を発揮しない場合でも、群れると、その集団の目付きは一斉に、新宿歌舞伎町周辺などに群れる連中と同様の不気味な光を放ち出す。自力の思考を抛棄するからである。この現象を犯罪として括ると、「思想犯」に属する。
911からイラク「戦争」への経過は、実に残酷ではあったが、この「思想犯」の危険性を、改めて深く認識し直すための絶好の機会でもあった。
そこで、わが提案を具体化する。「狂信の対象の「偶像破壊」である。仏像を壊せなどとは言わない。あくまでも非暴力の言論行為としての概念的な破壊である。
狂信の対象は、まず、すでにイスラム教の評価で触れたように、偶像崇拝、個人崇拝、カリスマ化、などの仕組みとして表面化する。卑近で分かりやすい実例には、オウム真理教がある。何と、奴らは大胆不敵にも、発泡スチロールで作った巨大な「神像」を飾っていたとか。
もっと卑近で卑俗な例では、先頃の痴呆選挙での「事前運動」期間中、ソ連や中国とは違って「個人崇拝を禁ずる」はずの日本共産党が、武道館で予定すると称する「演説会」の宣伝と称して、地元痴呆議員候補の隣に麗々しく「ふわふわ党首」が並ぶ総天然色写真の巨大掲示をば、そこらじゅうに、ずっと貼り続けていた。「お代」は、議員の報酬と称する税金からの支出による公費からの横領で賄う仕組みである。ああ、薄汚い。
実は、「シンデレラボーイ」こと「ふわふわ党首」には、「カリスマ性が乏しい」とされている。陰のカリスマ、まだ死亡広告を見ない「ズルケン」こと宮本顕治の正体を、存命中に暴くことが、目下の急務である。
私は、古巣の日本テレビの職場の労組結成以来の行きがかりで、30年余も、日本共産党に所属していた。狂信の打破には、「山に入り山を出ずる者にして初めて山を知る」の故人の教えの通り、その組織に所属していたものが、率先して、狂信の対象の正体を暴く努力をする必要がある。それが最も有効な方法である。そのために私は、すでに以下を開始しているが、なかなか時間が取れない。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/pro-series.html
元共産党「二重秘密党員」の遺言 または 日本共産党犯罪記録
再び言う。目下の私の「狂信打破」の主眼は、ズルケンの正体暴露にある。これをしないと、ネオコン批判をしても、「あっちの水は苦いよ、こっちの水は甘いよ」式の既存組織の宣伝と間違えられ兼ねず、批判の意義が薄れるのである。そこで、別途、詳しい分析情報を、上記に収める予定であることを予告しつつも、ここでは簡潔を旨とする「正体暴露」を開始する。
ズルケンこと宮本顕治の「神話的伝説」には、「敗北の文学」入選がある。「宮本顕治、敗北の文学」で電網検索すると、直ちに、次が出てきた。
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.rengo-ilec.or.jp/text/monogatari/index5-6.html
ものがたり戦後労働運動史
宮本顕治(みやもと・けんじ)1908年~。山口県出身。31年東大経済学部卒。在学中に芥川龍之介を論じた『「敗北」の文学』が雑誌の懸賞論文に入選して名を知られた。卒業直後に共産党入党。プロレタリア作家同盟で活動、32年中条百合子と結婚。33年党中央委員。同年末、治安維持法などで検挙され、終身刑の判決をうけた。45年に釈放。12年間の非転向をつらぬいた。党政治局員、統制委議長、理論誌『前衛』主幹などをつとめたが、徳田球一らの主流派からは疎外された。50年のコミンフォルムの日本共産党批判による党分裂のさいは、徳田らの所感派にたいし国際派と呼ばれた。55年の6全協で指導部に復帰、58年の大会で極左冒険主義の51年綱領を廃棄、書記長に就任し、以降、30年余にわたる宮本指導体制を確立した。70年中央委員会幹部会委員長、82年中央委員会議長に就任し、不破現委員長らを育成した。77年~89年参議院議員。その路線は、外国の共産党にたいする「自主独立」と、国内での「議会主義」「自由と民主主義」などへの転換によって特徴づけられる。現在は共産党中央委員会名誉議長。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
ところが、同時に以下も出てきた。
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku_senzen.htm
補足(1) 「宮顕のはるかなる変態長征」(戦前編・党活動の端緒から釈放まで)
[中略]
【「敗北の文学」に見る排他性】宮顕の党運動の始発となった20歳の春の力作であっ た。これが当時『中央公論』と並んで最も権威ある総合雑誌と目されていた 『改造』の懸賞論文で一等当選となるという栄誉を受けることになり注目を浴びたが、芥川竜之介を評するに「排除の強権論理」を早くも垣間見せている。
なお、詳細は不明であるが、松山高校時代の文芸仲間より同観点の芥川論が為されており、オリジナル性が疑問視されている。(これについてはどなたかの資料提供を求む。残念ながら手元に資料がない)
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
うんにゃ、こりゃ、怪しいぞ、となって、さらに検索を続けると、以下の続編が出てきた。
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_2.htm
「敗北の文学」に現れた特殊感性について(後半)ここで少し疑義を述べれば、興味深いことであるが、宮顕のこうした芥川論の観点が宮顕のオリジナルなものであったのか疑わしい説があるようである。松山高校時代の文学サークル誌「白亜紀」に既に他の同人による同様の観点のものが見受けられる、との指摘が為されている。但し奇怪なことに今日、「白亜紀」が僅かに保存されている図書館で、該当個所のページが切り取られているとの伝であり確認が難しくされている。これが事実とすると、誰が何のためにこれを為すのか、闇がある。
なお、宮顕は「私の五十年史」の中で、概要「『白亜紀』の終刊号に短いエッセイでも述べており、それを本格的にまとめようと思ったのが『敗北の文学』執筆の動機となった。もう一つの動機は、一ヶ月三、四十円時代にあって魅力的な三百円の賞金にあった」とも述べている。こうなると、「白亜紀終刊号の短いエッセイ」の内容を確かめたいが、私にはその術が無い。問題はあくまで、「敗北の文学」の観点が宮顕オリジナルのものであるのか、「白亜紀」同人による芥川論の剽窃が為されたのかどうかであるが、確かめようが無い。これ以上のことは私にも分からない。この方面の考察は本筋から離れるので割愛することにするが、宮顕の芥川論に伏線となる基礎資料があり、観点の盗作であったということは十分に考えられる。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
私は、上記の「松山高校」こと、旧制松山高等学校の後身、愛媛大学の付属図書館に問い合わせたが、上記の「白亜紀」は蔵書リストにはないとの回答であった。
ここに、広く、「バカの壁」の狂信打破の一助として、日本共産党による迫害の体験者の告白への決起と、「白亜紀」の公開の捜査活動を提唱する。
以上。
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