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『亜空間通信』344号(2002/08/18)
【シオニストのやらせ?英大手紙報道:独ネオナチ党首は英諜報機関スパイが発覚】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
昨日(2002/08/17)のこと、これまた夏のお化けか、911事件の余波か、極右振りをむき出し中のイスラエル首相シャロンの暴虐の藪蛇効果か、かねてより「シオニストのやらせではないか」との疑いが濃かった「ネオナチ」に関して、かなり決定的な暴露情報が、阿修羅戦争14掲示板に出現した。
「やらせ」の意味は、今更、言うまでもないことである。「極右」「偽」イスラエルの建国神話、「ホロコーストの大嘘」を守り抜き、イスラエルへの同情、アメリカまたは英米の「正義の神話」、または誤解を維持するためには、「ナチズムの亡霊」が必要不可欠だから、是が非でも「お化け屋敷の興業を続けさせる」ということである。粗末な「ネオナチ」を育成し、泳がせ、叩くのが、この種の情報操作興業の常套手段である。
当然、この暴露は、「ホロコーストの大嘘」を断固主張して、あろうことか「ネオナチ」呼ばわりまでされ、7年越しの苦闘を余儀なくされてきた私にとっては、画期的な朗報である。
「英諜報機関」に関しては、もともと欧米の諜報機関の元祖、ロスチャイルド家が、5人の息子を欧州の主要各国に派遣して拠点を築き、情報を収集し、ナポレオン戦争で巨利を博して以来の伝統を引き継いでいるので、シオニストの手先というよりも、むしろ、中核機関であったと言うべきであろう。
以下、まずは、阿修羅戦争14掲示板の投稿の日本語の部分だけを紹介し、「ホロコーストの大嘘」を追及した拙著『アウシュヴィッツの争点』と拙訳『偽イスラエル政治神話』から、関連部分を抜粋紹介し、最後に、8月13日付けのイギリスの大手紙、『ガーディアン』の記事を全文、英語のまま紹介する。
訳出したいのは山々だが、なにせ、時間も脳内微少物質も極度に欠乏中ゆえ、原文を読むのも辛いので、勘弁されたい。上記のごとく、訳出は大歓迎である。
http://www.asyura.com/2002/war14/msg/529.html
ドイツの有力ネオナチ政党の党首は英国諜報機関MI6のスパイだった! 投稿者 佐藤
雅彦 日時 2002 年 8 月 17 日 07:36:46:●1960?70年代にドイツで大きな勢力を誇ったネオナチ政党NPD(国家民主党)の指導者が英国の諜報機関MI6のエージェントだったことが発覚しました。
●戦後日本の「民族派」を自称する勢力が米国企業に買われた売国奴だったことはロッキード疑獄のときに次々と暴露されましたが、それを連想してしまいます。
●“ネオナチズム”と呼ばれてきた動きの実態を再検討する必要があるでしょうね。どこかの国にインチキな国粋主義を増長させることは、その国に外交攻勢をかけるうえで有利なカードとして使えるわけで、そうした策略が働いていたのかも知れません。[後略]
aus-30.html
『アウシュヴィッツの争点』(その30)
裁判官の解任までおきた「ホロコースト」否定の「民衆扇動罪」[中略]
「解任」された「裁判官二人」とは、ミュラー判事とオルレット判事のことで、原因となった事件は、さきの訴訟をおこしたとおなじドイツ国家民主党のデュッケル党首が一九九一年末におこなった発言にたいする「民衆扇動罪」の刑事訴訟である。つまり、ドイツ国家民主党はみずから行政をうったえるのと並行して、受け身で刑事事件をも争っていたのである。[後略]
nise-14.html
『偽イスラエル政治神話』(その14)
2章:20世紀の諸神話(その5)
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その2)[中略]
[六百万人という数字の証言者はイギリスのスパイ][中略]
六百万人のユダヤ人絶滅という神話について、その徹底検証に取り掛かろう。[中略]
この数字を支える証言は、たったの二つしかなかった。一つはホェトル証言であり、もう一つはヴィスリツェニー証言である。
最初の証言は、つぎのようなものである。
《ニュルンベルグの判事に対して、ドイツ国中央保安局第4課の上級突撃隊司令官、ヴィルヘルム・ホェテルは、つぎのように答えた。〈一九四四年四月のことだった。一九三八年以来の仲の親衛隊の上級突撃隊司令官、アドルフ・アイヒマンと、ブダペストのアパートの私の部屋で話し合ったことがある。……彼は、自分が同盟国から戦争犯罪人に指名されていて、その理由は身に覚えのある何万人ものユダヤ人の命のことだと知っていていた。私が、どのくらいの数になるのかと聞くと、彼は、この数字は極秘だといいながら、彼が受けた報告から到達した結論として、様々な絶滅収容所で約四百万人のユダヤ人が殺され、他の方法で死んだユダヤ人が二百万人に達すると語った〉》(ニュルンベルグ裁判記録)
六百万人という数字に関する]最も重要な「証言」への付記として、この上なく完全で正確なのは、「秘密情報機関」の手先だったホェトルに関する実録である。イギリスの評論雑誌『ウィークエンド』の一九六一年一月二五日号は、ホェトルの写真を表紙に飾って、つぎの題の伝説を掲載した。《“あるスパイの生涯”、事実は小説よりも奇なり、このナチの指導者の友人のボスは、イギリス秘密情報機関の長官だった》[後略]
【英文記事】http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4480651,00.html
Neo-Nazi leader 'was MI6 agent'
John Hooper in Berlin
GuardianTuesday August 13, 2002
Germany's most notorious postwar neo-Nazi party was led by an intelligence
agent working for the British, according to both published and unpublished
German sources.The alleged agent - the late Adolf von Thadden - came closer than anyone to
giving the far-right real influence over postwar German politics.Under his leadership, the National Democratic party (NPD) made a string of
impressive showings in regional elections in the late 60s, and there were
widespread fears that it would gain representation in the federal
parliament.Yet, according to a report earlier this year in the Cologne daily, the
Kolner Stadt-Anzeiger, the man dubbed "the New Fuhrer" was working for
British intelligence throughout the four years he led the NPD, from 1967 to
1971.However, a former senior officer in German intelligence told the Guardian
this week that he had been informed of a much longer-standing link between
Von Thadden and British intelligence. His recollection raises the question
of whether the German far-right-winger was under the sway of M16 when he and
others founded the NPD in 1964.Dr Hans Josef Horchem, who was the head of the Hamburg office of the
Verfassungsschutz - the West German security service - from 1969 to 1981,
said he received regular visits from British intelligence liaison officers."We held general discussions on security. At one of these - I think it was
towards the end of the 70s- they said, 'Adolf von Thadden was in contact
with us', and that that was in the 1950s". Mr Horchem did not know whether
the links between the German and British intelligence had continued into the
60s and 70s.According to the Kolner Stadt-Anzeiger, whose report passed virtually
unnoticed when it was published, the neo-Nazi leader met his British contact
at a hotel in Hamburg.Germany's government is currently trying to ban the NPD on the basis that
its policies violate the constitution.But the government's case is in danger of collapse after the disclosure that
some senior NPD members were agents of the Verfassungsschutz. This has
sparked debate about the extent to which counter-intelligence officers were
sustaining the far right in their efforts to monitor it. Similar issues
arise in Von Thadden's case.The question also arises of whether MI6 was seeking help from the neo-Nazi
movement when far-left militancy was sweeping Europe after the uprising of
May 1968 in Paris.Von Thadden left the NPD in 1975, and died at the age of 75 in 1996.
His younger sister, Barbara Fox von Thadden, said she had had no reason to
suspect her brother worked for British intelligence. But she added that they
had very different political views and steered away from political
discussion.They had an English grandmother, and Ms Fox von Thadden said her brother
"did like coming to Britain, and did like Britain very much".
以上。