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『亜空間通信』303号(2002/07/15)
【日本の戦力放棄出発点8月を目前に言論関連業界の職業的犯罪を厳しく問う意味】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
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最初に、最近の実に簡単で面白い意見を紹介しておく。
http://terasima.gooside.com/
寺島研究室「本館」
http://terasima.gooside.com/lecture011018.html
ノームチョムスキーとの夕べ、
テロに対する新しい戦争
2001年10月18日
MIT(マサチューセッツ工科大学)における
「技術文化フォーラム」での録音筆記0 はじめに
皆さんがご存知のように、テレビが世界を動かしています。(聴衆の笑い)[後略]
以上で引用終わり。
ノーム・チョムスキーに関して私は、911事件以後、以下で簡略に論じておいた。
http://www.asyura.com/2002/war11/msg/645.html
『亜空間通信』244号(2002/04/28)
【チョムスキーら米左翼911謀略不感症批判の遠方の友を支持し更なる追撃を要請】
アメリカ国籍のユダヤ人の言語学者としてのチョムスキーは、確かに、貴重な存在である。しかし、彼はホロコーストの嘘を主張していないし、ホロコーストの嘘を主張するフランス人、フォーリソンの言論の自由を守る発言に関しては、腰砕けのままである。しかも、今の今、911事件を謀略と見ていない。だから、先に引いた記事で、アメリカの内部でも批判ありと紹介したのだった。
私の分類では、彼は、いわゆる体制内左派の限界に止まる無意識の技巧に長けた「偽の友」である。しかし、それでもなお、アメリカの言論界では「良識派」である。だから、日本の同類の「良識派」は、好んで彼の言辞を引く。
さて、最初に「面白い意見を紹介」すると言っておきながら、ああ、またもや、厳しい言葉を使ってしまった。ああ、「とかく、この世は住みにくい」のである。
本日(2002/07/15)は15日だから、日本の敗戦(終戦は誤魔化し表現)記念日の8月15日を1ヶ月後に控えており、自分勝手ながら、「1ヶ月間の喪に服すべき月間」の始まりの日と心得る。
しかも、今は、またもや戦争中なのである。日本は、インド洋に軍艦を送り、補給艦などと称するものの、昔の軍歌なら「ああ、ああ、堂々の輸送船」が、アメリカの軍艦に石油を供給し、アフガニスタン侵略戦争に参戦しているのである。
で、この時期、さる7月12日には、地元の武蔵野市の中央コミセン(ああ、条例の字句までが、「公民館」でも「寄り合い所」でもなく、敗戦後の亡国植民地根性片仮名語の「コミュニティ・センター」になってしまっている)にて、「911事件の真相と背景」の講演と質疑応答の場を開き、その勢いを駆って、8月12日には同所で同時刻、「敗戦と戦力放棄」を論ずる予定である。
さて、そのような折りも折り、私が先に、5日前、以下の通信で展開した批判に対して、「厳しすぎて敵を増やす」との主旨の意見を頂いた。
http://www.asyura.com/2002/war13/msg/483.html
『亜空間通信』297号(2002.07.10)
【911テロ呼ばわりした言論人は戦争屋ウィルスを自覚せよ、わが反攻の秋近し】
[中略]
以上で引用終わり。
そちらの投稿には同じ掲示板で直接に私見を述べておいたが、別途、特段の意見としては、「言論職業人」を別格に扱うことへの疑問もあった。
本日、最初に、「テレビが世界を動かしています」というチョムスキー発言を紹介した目的は、この「言論職業人」の処遇の意味を強調するためであった。「テレビ」を象徴とする言論商売は、いつの間にか、そういう位置づけとなり、権力の座に収まっているのである。メディアは、戦争の重要な部分、思想戦争の武器なのである。
専門性を持つ職業として言論人を見る時には、その社会的責任が問われなければならないのは、当然のことである。職業と言っても商売と言っても、同じことである。
比較のために他の専門的な職業の例を取ると、まさにこの911事件の前日に表面化した日本の狂牛病問題では、自分の責任を「痛感し過ぎた」女性の検査官が自殺した。昔なら切腹である。
私は、死ねとまでは言わないが、人命に関わる問題で失敗した専門職は、それ以後、失職するのが常識である。そうでなければ、命が危ない。
ところが、こと、それこそ大量の人命が奪われる戦争に関して、となると、まか不思議まことに、軍人が責任を取らされることも少ないし、政治家は逃げ隠れするのが普通であり、戦争を煽った言論人となると、まるで素知らぬ顔で、復活するは、図々しくも、のし上がるは、が、これが当ったり前となる。
日本の大手メディアの代表格、NHK、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、実はすべて戦犯企業と、その系列出身の言論商売人、教育商売人などが、その典型である。個人としての典型は、戦前は読売新聞社長、戦後は日本テレビ放送網社長、A級戦犯だった正力松太郎である。
このような有様は、いわゆる「戦争責任」論にもなっているが、私は、もっと厳しい。第二次大戦後の世界の「正義」の基準、ニュルンベルグ裁判をシオニストによる「大嘘」の猿芝居と批判しているのである。日本で行われた東京裁判こと極東軍事裁判は、その猿芝居の付け足りでしかなかった。
ここからずるずると、現在に至る戦犯の追放解除、戦犯企業メディアの復活、即席民主主義者、有象無象の右左の偽善系言論人輩出となる。だから、911事件の判断にも、偽善系の特徴、右顧左眄、権威主義、もろもろの思考停止、結局は、力の世界の再現と、相成ったのである。
しかり、しこうして、つらつら思い見るに、メディア業界とかアカデミー業界には、医事法などに類する処罰の基準は、まったくない。だから、私は、勝手ながら、自分で考えた厳しい基準を設けて、自らにも課し、個人として全体に挑戦しているのである。
その私とは、誰なのか。わが電網宝庫によれば、自称「閻魔大王」である。昔は、教師が出席簿を持って生徒の出席を取っていたが、その出席簿を「閻魔帳」と通称した。「マスコミ閻魔帳」と称する雑誌のコラムもあったが、いい加減なものだった。あれでは効果がない。いわゆる大衆欺瞞に堕する。
私、木村愛二は、これでも、自分に鞭打って、「厳しく批判」しているのだが、この「愛の鞭」の意味が分からぬらしい当世風の「優しい」若者が増えているのである。ああ、「とかく、この世は住みにくい」のである。ああ。
以上。