『亜空間通信』197号(2002/03/17) 阿修羅投稿を02.12再録

原爆呼び寄せ国体護持1945年秘話に体面が重要かと痛烈指摘のスイス仲介日記

送信日時 : 2002 年 3 月 17 日

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『亜空間通信』197号(2002/03/17)
【原爆呼び寄せ国体護持1945年秘話に体面が重要かと痛烈指摘のスイス仲介日記】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 以下に投稿を転載する「スイス・バーゼルでの日米秘密和平工作」なるものに関しては、すでに多くの記録と著述がある。題名は「球形の曠野」だったか、記憶が定かでないが、かなり早い時期の松本清張の小説もあった。

 私自身は、『逓信史話』と、それを基にした『NHK50年史』によって、別途、短波放送による同種の「腹の探り合い」が行われ、そこでの「国体護持」の妄念が「原爆呼び寄せた」との批判を、1981年発表の拙著『NHK腐蝕研究』、1982年発表の拙著『読売グループ新総帥/《小林与三次》研究』などで記した。

 今回の「全容」で特に新しい情報と言えるのは、仲介者の発言、「国家を救うよりも体面を保つことが重要なのか」である。ただし私は、日本側の関係者にとって一番大事だったのは、体面よりも敗戦後の自分の立場の維持だったのだと断言する。一語で言えば「保身」または「打算」である。

 今また、「保身」のために「9.11.謀略」を口にしない「打算」人種が、そこらじゅうに、じゃらじゃらしているのを見れば、この私の断言の確度が分かるであろう。

 以下、読み易くするために投稿の改行を変えたが、全文をそのまま紹介する。

http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/383.html
★阿修羅♪  Ψ空耳の丘Ψ17

1945年 スイス・バーゼルでの日米秘密和平工作の全容が判明 共同
投稿者 倉田佳典 日時2002 年 3 月 16 日 18:38:35:

03/16 16:52 天皇制維持早くから示唆 ダレス氏が対日説得 大戦 外信50

【ジュネーブ16日共同=藤井靖】

 日本と米国が第二次大戦末期、ペール・ヤコブソン国際決済銀行(BIS)経済顧問(肩書は当時、以下同)を仲介に進めたスイスでの秘密和平工作の全容が十六日判明。米側責任者のアレン・ダレス戦略事務局(OSS)欧州支局長が「危険を冒すことが最も安全な方策」と述べ、天皇制維持を容認する方針を早くから日本側に示唆していたことが明らかになった。

 日本は天皇制維持を降伏の譲れない条件としていたが、ダレス氏の示唆を受けて迅速な対応をすれば、原爆投下も含めて終戦前後の展開が大きく変わっていた可能性がある。

 ヤコブソン工作は米公文書などを基に一部が報じられていたが、スイス・バーゼル大学図書館にヤコブソン氏の膨大なメモや日記が保管されていた。

 同工作は、米側がスティムソン陸軍長官ら、日本側は梅津美治郎・陸軍参謀総長と東郷茂徳外相ら双方のトップクラスが把握してい
た。 

 メモなどを総合すると、米側はダレス氏とOSSスタッフが、日本側は横浜正金銀行の北村孝治郎BIS理事と吉村侃BIS為替部長が、一九四五年七月四日から八月初旬まで一カ月以上、ヤコブソン氏と接触を続けた。

 接触では北村、吉村両氏は天皇制と明治憲法の維持の確約を求めたが、ダレス氏は七月十五日のヤコブソン氏との第一回会談で「危険を冒すことが最も安全な方策だ」と述べ、天皇制維持を事実上容認するメッセージを送った。

 会談を終えたダレス氏は、ヤコブソン工作を「現段階で最も重要な案件」と位置付けた。 

 ダレス氏はポツダム会談開催中の七月二十三日、ヤコブソン氏と二回目の会談を行い、
(1)和平工作はヤコブソンルートに限定すべきだ
(2)これ以上の戦死者を防ぐため、工作を進めなければならない
―と語り、強い意欲を見せた。 

 しかし日本側はスイスに政府代表を送るかどうかなどでもたつき、米国は八月に入り広島と長崎に原爆を投下、さらにソ連が参戦し工作は失敗に終わった。

 終戦直後、ダレス氏はヤコブソン氏に書簡を送付。交渉が「日本の最新情勢を判断するに当たり有益だった」として、米国が日本の降伏条件を判断する際に役立ったことを指摘した。 

(了)  020316 1652  
[2002-03-16-16:52]


03/16 16:58 「最も重要な」秘密工作 和平達成の執念捨てず 外信51

【ジュネーブ16日共同=藤井靖】

 ヤコブソン国際決済銀行(BIS)経済顧問が仲介した日米の秘密和平工作は、米側責任者で戦後中央情報局(CIA)長官を務めたダレス戦略事務局(OSS)欧州支局長が「最も重要な案件」と表現した、重要な終戦工作だった。

 一連の文書を通じて伝わってくるのは、和平達成に向けたヤコブソン氏の執念だ。交渉開始を受け、米政府声明のトーンが変化したことに高揚し、ポツダム宣言の「屈辱的な」文面を知って日本側が激怒―。期待と落胆が交錯した一カ月間、ヤコブソン氏は最後まで無条件降伏の受諾を日本側に訴え続けた。

 日本側は、天皇制と明治憲法の維持にこだわった。同じ無条件降伏にしても「陸軍と海軍の無条件降伏」に限定し、天皇制存続に道を開くよう求めた。

 ヤコブソン氏はこれに対し、ダレス氏の意向をくみ、天皇制を維持したいなら無条件降伏が一番の早道だと主張する。「国家を救うよりも体面を保つことが重要なのか」と痛烈な指摘もした。

 日本の意図に懐疑的なダレス氏には、東京の意向が明確でないのに「(交渉は)日本の公式の立場だ」と述べるなど、米政府に「はったり」をかましつつ、トルーマン米政権が工作を重視するよう説得した。

 交渉当事者がいら立ちを感じたのは「東京の対応」だ。梅津美治郎・陸軍参謀総長と東郷茂徳外相に工作内容が逐一伝えられていながら、公式交渉に格上げするための訓令が届かない。八月に入り原爆投下、ソ連参戦と続き、事態が急展開する中で、工作は「自然消滅」した。 

(了)  020316 1658  
[2002-03-16-16:58]


03/16 17:11 「牧師」の身分で渡航も スパイ小説並みの工作 外信52

 【ジュネーブ16日共同】スイス北方の都市バーゼルを中心に繰り広げられた日米の秘密和平工作。仲介役を察知されてはならないヤコブソン国際決済銀行(BIS)経済顧問は、米軍から「牧師」と身分を偽った渡航許可証を発給されるなど、スパイ小説並みのエピソードもあった。

 バーゼル大学に保管されているヤコブソン氏関連の文書には、欧州戦線を当時統括していた米軍が一九四五年七月十七日付で発行した「ヤコブソン牧師」名の渡航許可証がある。米軍機が待機する飛行場に向かう車中では、運転を務めるダレス米戦略事務局(OSS)欧州支局長の部下と工作の進展状況を協議した。 

 ヤコブソン氏と最も接触回数が多いのは、横浜正金銀行出身の吉村侃BIS為替部長。頻繁にヤコブソン氏の執務室を訪ね、日本の動向を伝えている。業務の打ち合わせを装ったのか、ヤコブソン氏の秘書らに秘密交渉の事実が悟られることはなかった。  

 北村孝治郎BIS理事の述懐によれば、中立国のスイスは当時、さまざまな情報要員が北村氏ら日本の「当局者」を監視していた。ヤコブソン氏と日本側の接触は人目を避け、バーゼル郊外の小さなレストランや吉村氏の私邸が使われた。
 ヤコブソン氏は和平工作の間、昼食と夕食の大部分を日本側かOSSスタッフとの会談に充てた。「同じ釜の飯」を食べた交渉担当者の間には、友情が芽生えた。ヤコブソン氏は終戦後も、ダレス氏はじめ北村、吉村両氏と頻繁に書簡をやりとりしている。

(了)  020316 1711  
[2002-03-16-17:11]


03/16 16:58 終戦工作知る貴重な資料 秦郁彦日大教授の話 外信54

 秦郁彦・日大教授(日本近現代史) ヤコブソン氏の日記やメモ類が包括的に明らかになったのは初めてだ。ダレス氏が言った「危険を冒せ」とは、降伏交渉で最大の問題だった天皇制の維持について、非公式な形で「日本側の希望に沿うよう、好意的に努める」とのニュアンスを伝えたものだろう。ダレス氏が当時どれだけの権限を、トルーマン米大統領から与えられていたかは疑問が残るが、終戦工作の全容を知る上で非常に興味深い資料だ。(共同) 

(了)  020316 1658  
[2002-03-16-16:58]


03/16 17:24 秘密工作文書の要旨 外信53

【ジュネーブ16日共同】ヤコブソン国際決済銀行(BIS)経済顧問の文書の要旨は次の通り。

 ▽吉村侃BIS為替部長の一九四五年七月十三日付メモ

 ヤコブソン氏が次の点をダレス米戦略事務局(OSS)欧州支局長と協議するよう求める。ダレス氏の個人的見解として
(1)天皇制の維持はほぼ確実か
(2)明治憲法の維持はほぼ確実か―など。

 ▽ヤコブソン氏の一九四五年七月十五日付メモと十六日付日記

 ダレス氏は、(ヤコブソン氏を仲介とした秘密工作を)最優先すると語り「現段階で最も重要な案件だ」と述べた。ダレス氏は(米国の)適切な当局者に速やかかつ効果的に接触できる立場にある。同氏は天皇制について「危険を冒すことが最も安全な方策だ」と述べた。

 ▽ヤコブソン氏の七月二十三日付日記

 ダレス氏は、マッカーサー氏ら太平洋地域の司令官と接触するよりも、われわれのチャンネルを使った方が有益だと語った。ダレス氏は(工作内容を)ポツダム会談に参加している当局者に伝えた。感情を込めながら「工作を進めていかなければならない」「兵士たちが殺されるのを防ぐため、可能なことはやらなければならない」と述べた。 

 ▽在ベルン米代表部からヤコブソン氏あて八月二十二日付書簡

 ダレス氏から、貴殿に感謝を表明するメッセージを受け取った。ダレス氏は、あなたが日本側から入手した情報が日本の最新情勢を判断するに当たり、実に有益だったと述べている。 

 ▽ヤコブソン氏から在ベルン米代表部あて八月二十五日付返信

 ダレス氏の優しい言葉に感銘を覚えた。スイスの日本当局者たちは、接触を通じて東京に送った情報が、戦争継続に固執する日本陸軍の意見を転換させることに役立ったと確信している。  

 ▽北村孝治郎・元BIS理事からヤコブソン氏の娘あて一九六四年六月十二日付書簡

 日本側は交渉内容について、岡本清福・駐ベルン陸軍武官から梅津美治郎陸軍参謀総長に、加瀬俊一・駐ベルン公使から東郷茂徳外相に直接伝えていた。公電の写しは焼却処分されており、現在は手元にない。 
(了)  020316 1724  
[2002-03-16-17:24]


03/16 17:38 秘密工作主要人物の略歴 外信65

 ペール・ヤコブソン氏 1894年スウェーデン生まれ。スウェーデン経済対策委員会書記などを経て1931―56年国際決済銀行(BIS)経済顧問。56年国際通貨基金(IMF)専務理事。63年死去。

 アレン・ダレス氏 1893年米国生まれ。1916年、米国務省入省。第2次大戦中は米国のスパイ機関である戦略事務局(OSS)欧州支局長。53―61年米中央情報局(CIA)長官。兄のジョン・ダレス氏は国務長官を務めた。69年死去。

 北村孝治郎氏 1894年滋賀県生まれ。1917年に東大卒後、横浜正金銀行に入行。上海、シンガポール、ロンドン支店などを経て第2次大戦中はBIS理事。57年滋賀銀行頭取。69年死去。(ジュネーブ共同)  
(了)  020316 1738  
[2002-03-16-17:38]

 以上。


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