インターネット週刊誌 “I.eye.愛” (aiaiai!)

『憎まれ愚痴』

1999.3.19.発行:12号

目次


時事論説:「1寸の虫の5分の毒針」

ある自由人の死/ユダヤ人メニュ-イン逝く

 AFPも含め、政治的な話はちっとも書きません。ある新聞は、彼が戦後スランプに陥ったと書いていますが、戦争中、ナチスの弾圧を受けてから数年間の演奏活動停止状態を余儀なくされた時期があったとは書きません。
 私たちは、たんなる天才音楽家ではなく、きわめて自由で公正な精神をつらぬいた人の死を悼むものです。
 訳者の大野純一氏は、クリシュナムルティの影響を受けた著名な人物の一人として、メニューインの名をあげています。クリシュナムルティも終戦直後、戦勝におごる連合軍の態度を批判した数少ない人の一人でした。
 ユネスコ親善大使でもあるメニューイン氏は、自身、ナチの迫害を受けたれっきとしたユダヤ人だが、大戦後、指揮者フルトヴェングラーの対ナチ協力の嫌疑を晴らすべく、米国のユダヤ人たちとの対立を辞さなかった。⇒全文を読む

さくら銀行株主総会で日本経済再生策を提言(その1)

 「末端株主」とは何ごとか、資本家を目指したのか、と疑念を抱く向きもあろうかと杞憂し、その事情を簡単に告白する。私は、日本テレビ相手の不当解雇撤回闘争の際、それまでの実績から見て、何らかの解決に至った際には、厚生年金が全年数つながると判断し、失業者でも入れる国民年金にも加入しなかった。ところがまず解決までに、なんと、16年半も掛かってしまった。しかも、その間、すでにバブル経済の崩壊が兆し、労働行政も反動化し、それまでは、いわゆる玉虫色解決でも2年溯って納めれば争議期間すべてが雇用され、厚生年金の積立をしていたと見做される「行政指導」が改悪されてしまった。⇒全文を読む


長篇連載記事

●連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態 (その12)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(換気扇編1)

 『レクスプレス』の国際版(1995.1.26)を振り上げて、フランスではホロコースト見直し論に反対の立場のエリック・コナンが「アウシュヴィッツ・メインキャンプのガス室を嘘だと書いている」ことなどを紹介した。「嘘」の原語はfouだが、この日本語訳には「デッチ上げ」も入っている。コナンは、そこで、博物館の従来の説明、「生き残りの記憶に基づく再現」を記しているのだが、その「記憶」には、どうして「換気扇」が入っていなかったのだろうか。コナンは同時に、以上の「嘘」の暴露に関して、ホロコースト見直し論者で自分の終生の敵、フォーリソンの業績を認めざるを得ず、つぎのように記していた。
1970年代の終りには、ロベール・フォーリソンが、この変造を見破って、博物館の責任者たちを渋々ながら事実を認めざるを得ない立場に追い込んだ。 ⇒全文を読む

●連載:本多勝一"噂の真相"同時進行版 (その12) 裁判長を不機嫌にした本多流「罵倒」擁護論

 唖然とした。私は、高見沢と個人的な会話を交わしたことはあるものの、良く考えてみると、実際の闘争現場で顔を見たことはなかった。市民派弁護士とは言っても、ピンからキリまである。非常に程度の低い「三百代言」並みのも沢山いる。どうやら、雇主の都合に合わせ何でもかんでも、しゃべりまくるだけの程度なのかもしれない ⇒全文を読む

●連載:仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記 (その12)「市民が選んだ統一候補」を称する再分裂「革新」

 「統一テーブル」は私の予言通りに崩壊した。本来、日本共産党関係を呼んだのであれば、好き嫌いは別として、日本共産党も賛成できる候補を選び直す以外に方法はないのである。そういう候補として「統一テーブル」に日本共産党が推薦したのは、元国鉄職員、当然、元国労組合員の市議会議員、小川将二郎の彦だった。小川将二郎の彦は、「さきがけ」「21クラブ」といった中間的な会派に所属して、曲りなりにも土屋正忠の彦への反対派として筋を通してきた。もう一人、民主党の元市都議落選候補、水野某の彦が「統一テーブル」に名乗りを上げた。ところが、「統一テーブル」とは言うものの急ごしらえの危なっかしい場に、「よくする会」ビューローは「予備選挙」を提案し、強行したのである。
 8人の内の5人は「よくする会」の常連会員が占める「統一テーブル呼び掛け人」こと「8氏」が、最後の判断を下すというのだから、故アチャコ曰く「目茶苦茶でござりまするがな」である。ともかく、小川将二郎の彦は「子供でも分かる不公平」と怒って降りた。水野某の彦は「賭けてみます」と付き合ったが ⇒全文を読む

●連載:元日本共産党『二重秘密党員』の遺言 (その12)(中央)に私が厳しく反論、関係幹部の総退陣を要求

 増田氏の文章は、私と山本氏(北海道)の意見をまとめて切って捨てるという、いわぱ十把ひとからげの非礼な構成であり、しかも、紙幅の関係などの考慮で私がいささかも論及していない問題を「誤解」だの「十分に理解しない」だのと難癖付けながら、当方が中心的な論点とした証拠資料(資料のマテリアルには唯物、の訳もある)間題には言及せずというおよそ唯物弁証法(弁証法はギリシャの対話術に起源)のイロハさえわきまえぬものである。⇒全文を読む