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『亜空間通信』974号(2005/02/22)
【ホロコースト狂信者「山崎カヲル」ド馬鹿教授の乱心・誤魔化し・遁走の惨め極まる卑劣な正体】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
阿修羅掲示板に「ホロコースト」板が設置された。
言論の場が広がったことは大歓迎だが、早速、ホロコースト狂信者の崇拝者、コピペ・ネット・ストーカーも潜入してきた。
私は、こういう下品な連中には厳しく振る舞うことにしている。だから、遠慮無く罵倒する。
ホロコースト狂信者「山崎カヲル」こと、実に不愉快な、ド田舎の三流落ちこぼれ怠け学生からゼニむしり、名ばかり大学のド馬鹿教授のサイトの紹介があったので、覗いて見れば、何と、この糞悪餓鬼は、以下のような、下劣極まる抽象的な誹謗中傷を書き連ねていたのである。
大量虐殺を計画・遂行する人々は最悪ですが、その虐殺をなかったといいたてる人間も最低です。
日本でも、南京虐殺ばかりでなく、ナチス・ドイツによるユダヤ人たちの大量殺戮(ホロコースト)も存在しなかったと、恥ずかしげもなく主張する連中がいます。
ただのナチス賛美者やネオナチのシンパだったら、ここで相手にするつもりは毛頭ありません。しかし、ナチズムには反対だが、ホロコーストはシオニストのでっちあげた神話だと述べて、より巧妙に大量虐殺の歴史を抹殺しようとする人々が、Webのなかで発言権を確保しようとうごめいています。具体的には、西岡昌紀さんと木村愛二さんです。
私はある事情から、彼らとかかわることになり、その議論の中味をチェックしました。ここで吟味の結果の一部を公表します。
誠実さをいちじるしく欠く人々とのやりとりですから、私の言葉遣いも少し荒くなったところがありますが、ご容赦下さい。
ふざけるな!
こっちの方が、怒り心頭に発しておるぞ!
まだ、生きているならば、正々堂々、応答せよ!
そこで、仕方なく、以下の旧稿を披露する。こげな下らぬことで、疲労はしたくないから、コピペの抜粋である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/d-1-3-29.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
2001.3.29.(木)私が厳しく批判する電子手紙広場amlで低級極まるホロコースト妄想患者の記事歪曲発生
送信日時 : 2001年 3月 29日 木曜日 11:17 AM
件名 :[pmn 14057] 低級極まるホロコースト患者の記事歪曲
いやはや、呆れているだけで、最早、論評する気も起きないのですが、ことがことだけに、一言せざるを得ません。
2001.5.23.追記:この電子手紙は、急ぎしたためたもので、材料を切り縮めたために、意を尽くしたとは言い難い。いずれ、総ての関係資料をまとめて、詳しい長文の論評を加える予定である。当面は、本文書館にも収めた4月8日付け、「ベイルート『歴史見直し論とシオニズム』会議中止を求めたアラブ知識人14人連名は偽造の告発」と合わせて、御理解頂きたい。ここで、「ホロコースト妄想患者」としたのは、次の電子手紙の末尾に署名している東京経済大学の山崎馨である。amlの中でも、もっとも悪質な「左翼政治破落戸」、電網ファッシスト、サディストである。
以下、発端の電子手紙、『マルコポーロ』廃刊事件の渦中の人、西岡さんが私に転送してきたものの一部だけを紹介する。この電網ファッシストは、私が後の4月8日(注:後述)の電子手紙で暴くことになる「連名は偽造」の事実を知らず、かつての失敗を巻き返す好機と思い込み、まさに「鼻血ブー」となったのである。
送信日時 : 2001年 3月 26日 月曜日 5:30 PM
件名 : [aml 21426] ホロコースト否定派の末路[前略]
さて、レバノンで開かれるはずだったホロコースト否定派の集会が、レバノン政府によって禁止されたというニュースについて。
[中略]
このような公然たる反ユダヤ主義集会に対して、アラブ世界の知識人たちが立ち上がり、反対声明を出しました。
『ル・モンド』3月15日号によると、声明には「私たちアラブの知識人は、このような反ユダヤ主義の企て(cette entreprise antisemite)に憤激している。私たちはこのテーマに関して、レバノンおよびアラブの世論に警鐘を発し、レバノンの責任ある当局に、こうした許しがたい示威行為のベイルートでの開催を禁止するよう呼 びかける」とあります。
14名の署名者のなかには、『オリエンタリズム』の著者として名高いエドワード・サイード(彼はパレスティナ議会の議員でもあります)、詩人のアドニス(レバノン)やマームード・ダルウィシュ(パレスティナ)といった、日本でもよく知られた名前があります。
ネオナチたちが振りまいているように、そして木村愛二さんが素朴に(?)信じ込 んでいるように、否定派の集会はシオニストの圧力で中止になったというようなものではありません。
アラブ世界の良識ある人々の批判を受けて、レバノン政府が最終決定を下したのが真相です。サイードたちはイスラエルの国家政策に対して厳しい批判を行ないながらも、今回のようなネオナチの薄汚い反ユダヤ主義策動にも断固として 反対しています。
このような知的誠実さは、木村さんや西岡さんには絶対に理解できないでしょう。ホロコースト否定派は、アラブ世界からも放り出されたのです。
[中略]
とにかく、amlをネオナチのプロパガンダに使わせないために、こうした情報を出 します。
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Kaoru Yamasaki (山崎カヲル)
Tokyo Keizai University
ykaoru@tku.ac.jp
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/
以下、先の私の電子手紙に戻る。
pmnには、この電子手紙広場と同じ市民運動向けJCA-NETを使うaml (altelnative movement mailinglistでしたでしょうか)に参加している方もいらっしゃるので、pmnにも、早とちりで私の時間を無駄にする人が出現しないよう、事前に警告するのです。
というのは、amlに、以下のごとく、外国の記事の記述の順序を入れ替えて、厳しく言えば、換骨奪胎して、私を攻撃する文章が出現しました。そこで、御参考までに、原文(ただし、フランス流の鬚は削除)と比較できるよう、並べて紹介します。詳しくは、のちほど、わが「電網宝庫」(と改称)に入れます。
なお、この投稿の主は、かつて、『マルコポーロ』廃刊事件の渦中の人、西岡さんが書いた本の中の引用部分を「嘘」呼ばわりし、西岡さんが、版の違いを指摘すると、江戸時代の表現を借りれば、凶状持ちが草鞋を履いて旅に出るがごとくに、しばらく沈黙を守っていたのでした。
最初に注釈すると、欧米の主流メディアでは、ホロコースト見直し論を「否定論」とし、その中心となっているアメリカの歴史見直し研究所を「ネオナチ」と決めつける習慣なのですが、それにしても、「記事の一部を、以下で訳出します」と書きなが ら、実際には順序を入れ替えて、冒頭に「ネオナチが画策していた」と大上段に段平を振りかざすのですから、さぞや、元ヒトラーとの協力者の系統、リクード党の党首、いかに値引きしても「右派」、実際には最悪の極右のシャロン様が、お喜びに、お成りになることでしょう。
なお、問題の会議の発言者の中心は、元フランス共産党の書記局員として世界的に著名で、日本語に訳された著書も、最後の拙訳『偽イスラエル政治神話』を加えると10冊になる勘定のロジェ・ガロディでした。いくら欧米のシオニスト・ロビー支配下の大手メディアでも、ガロディを「ネオナチ」呼ばわりしていません。
この種の色眼鏡発言は、珍しい現象ではありません。今の日本に例を求めれば、公安の不当なガサ入れを受けたピースボートやPARCを、その参加者のごく一部の旧交関係を根拠にして、あの半気違いの暴力主義集団、日本赤軍と同一視するようなことで す。
以下が、問題の記事紹介投稿と、原文です。
[aml 21443] ホロコースト否定派の末路(つづき)
ネオナチが画策していたホロコースト否定の「国際会議」なるものの開催を、レバノン政府は3月22日に、ラフィク・ハリリ首相の言明を通じてはっきりと拒否しました。
フランスの有力紙『ル・モンド』3月23日号に掲載された記事の一部を、以下で訳出します。
「米国のネオナチ組織であるInstitute for historical reviewのインターネット・サイトで発表されていた『否定派』会議は、2週間ほどまえから噂が流れており、3月31日から4月3日にかけて、ベイルートの某所で開催されるとみられていた。この発表は、そうした会合に反対するアラブ知識人たちの要請と、レバノンの複数の新聞の否定的な論評を引き起こした(『ル・モンド』3月16日号)。他方、こうした 会合を保護する可能性がある主要政党、とりわけヒズボラとシリアの社会主義民族党 とは、関与せずとただちにきっぱりと断言している。レバノン当局は、政治集団のなかではもっとも反イスラエル的ではあるが、このような会議がみずからとレバノンに とって不要なまでに有害なことをはっきりと自覚したのでる。『アンナハル』紙によると、いくつかのアラブ諸国もまた、レバノン政府に警告を発した。」
以下が原文です。
Le Liban n'autorisera pas de conference negationniste
LE MONDE
23.03.01
BEYROUTH
de notre correspondantLa conference negationniste qui aurait du se tenir Beyrouth n'aura pas lieu.
En mettant fin la confusion qui regnait ce sujet, vrai dire plus a l'etranger qu'au Liban, le premier ministre Rafic Hariri a clairement annonce, jeudi 22 mars, qu'une telle reunion, consacee en principe a contester l'ampleur de l'Holocauste durant la seconde guerre mondiale, ne serait en aucun cas autorisee, precisant dans la fouee que "personne n'en a d'ailleurs fait la demande".
M. Hariri l'a declare a la chaine de television americaine CNN et en a avise le Conseil des ministres qui a tres officiellement enterine la decision.
La rumeur circulait depuis pres de deux semaines et la conference "negationniste", annoncee sur le site Internet de l'organisation americaine neonazie Institute for historical review, etait censee se tenir du 31 mars au 3 avril, Beyrouth en un lieu non precise.
Cette annonce avait suscit une petition d'intellectuels arabes opposes a une telle initiative, ainsi que les commentaires negatifs de journaux libanais (Le Monde du 16 mars).
Sur place, cependant, les principales parties susceptibles d'heberger de telles assises, en particulier le Hezbollah et le Parti national socialiste syrien, affirmaient categoriquement ne pas etre concernees.
Les autorites libanaises, tout autant que les plus anti-israeliens des groupements politiques etaient bien conscients qu'une telle conference serait inutilement nefasete pour eux et pour le pays.
Selon le journal An-Nahar, certains pays arabes auraient meme alerte le gouvernement libanais.
Le ministero de l'interieur, dont l'autorisation aurait du etre requise, n'etait saisi officiellement d'aucune demande.
La mise au point du premier ministre libanais et la decision du conseil des ministres ont donc mis un terme un projet de conference qui n'aura ete que virtuelle.
さて、以下がすでに予告済みの「4月8日(注:後述)の電子手紙」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/d-1-4-8-2.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
2001.4.8.(日)ベイルート「歴史見直し論とシオニズム」会議中止を求めたアラブ知識人14人連名は偽造の告発
送信日時 : 2001年 4月 8日 日曜日 1:15 AM
件名 :アラブの知識人14人の連名は偽造の告発
本日夕刻、極めて重要な転送情報が入りましたので、急ぎ、英文を全文送ります。簡略な説明だけにしますが、主旨は、先のベイルート「歴史見直し論とシオニズム」会議の中止に関して、開催に反対した「アラブの知識人14人」の連名なるものが、何と、「偽造された」(FABRICATED) ものだったという告発です。
日本国内でも、私自身が拙著『湾岸報道に偽りあり』で日本語版から引用したこともある『イスラム報道』の著者、エドワード・サイードが、この連名に加わっていることを、鬼の首でも取ったように騒いだ某大学教授がいましたが、このサイード本人が、騙されたと怒っているのです。その手紙が最後にあります。
サイードは、「ホロコースト否定論」には反対の立場で、ベイルートという場所にも反対したのですが、言論の自由を尊重するから、政府が会議の開催を禁止することを求めたりはしなかったと記しています。
以下は、一昨年、ニューヨークで開かれたユーゴ戦争におけるNATOの戦争犯罪を裁く独立戦争犯罪法廷(ラムゼイ・クラーク代表の国際行動センター主催)に参加した際に、そこで知り合ったアメリカの友人が転送してくれた電子手紙です。つまり、この独立戦争犯罪法廷には、少なくとも、日米両国から、それぞれ一人づつは、「ホロ コースト見直し論者」が参加していたことになります。
Al-Awda@yahoogroups.com
April 2, 2001
Edward Said Repudiates Arab Intellectuals' Call to Ban Beirut Revisionism Conference
Date: Tue, 3 Apr 2001 14:28:23-0700 (PDT)
From: Ibrahim Alloush
Reply-To: Al-Awda@yahoogroups.com
Dear List members, Below you shall find a message from Edward Said on the banning of the conferenceof revisionist historians.
As you all know, that conference was supposed to take place in Beirut on March 30. However, the Lebanese government banned it as a result of pressures from Western governments and the Zionist movement.
A statement by fourteen Arab intellectuals calling on the Lebanese government to ban the conference of revisionist historians in Beirut was circulated in the media and on the internet.
That alleged statement was used as a political cover to justify the banning of the conference and the curtailing of free speech rights. It seems, however, that the statement was FABRICATED according to a statement by Dr. Edward Said below.
The original text read to signatories over the phone was different from the one published in the press. Edward Said says he still does not have a copy of either texts. Many of the signatories did not know that they will be signing a request to an Arab government to ban free speech. Initial contacts with Mahmoud Darwish indicate the same, even though there is no document like the one below to prove that yet.
This journalistic scoop was made by Samaa Abu Sharar, the daughter of Majed Abu Sharar, the Central Committee member of Fateh who was assassinated in Rome in 1981. Samaa is a journalist living in Amman, Jordan, who writes in English and French. She was out to prove that even if Edward Said disagreed with revisionist historians, he could have never signed the statement calling for banning their conference, which constitutes a violation of free speech rights.
After all, Arab regimes don't need much encouragement in this area. Below you shall find Edward Said's response to Samaa Abu Sharar's query. Please be aware that he authorized her to quote him in part or in full, and hence, she forwarded his message to others to make her point. In the cause of objectivity, I am forwarding it to those who supported the banning of the conference of revisionist historians in Beirut without any alterations. I still think, however, that it is incumbent upon those whose names were added to a statement that they did not endorse, to MAKE A PUBLIC DECLARATION to that effect.
Later
Ibrahim Alloush
From: Edward W Said
To: samaa Abu-Sharar
Subject: Re: A message from Amman
Date: Mon, 2 Apr 2001 07:15:17 -0400 (EDT)
Dear Samaa, I don't have and never saw the memo since I was called by phone, told that there was no time to send a copy for me to see, and was asked to approve the text for signature.
I did, on condition that there would be no appeal to any government concerning the banning of the conference. I don't believe
a), in addressing governments and
b), asking governments to ban anything, least of all conferences, books, etc.
Having been the victim of such governmental decisions I couldn't put myself in such a position. I was very clear about this.
The next thing I knew is that the statement appeared with a request to Hariri's government to ban the conference.
All I had agreed to sign was a statement denouncing the holding of such a conference in Beirut. To repeat, I did not ask the government to ban it, nor would I ever.
This request was added against my wishes, and without my knowledge. I am deeply opposed to holocaust-deniers but I am equally opposed to banning by government edict everyone's right to free speech.
This was a terrible breach of confidence and a small group of franco-arab "intellectuals" simply betrayed my trust. To this day they haven't had the decency to send me a copy of what I supposedly signed. You may use any and all of the information I've sent you here.
以上のような応酬の後、山崎カヲルは、沈黙したままである。まさに、都合の悪い時には「遁走」の典型である。
この程度の連中が、むしろ、自分の中身の無さを熟知しているからこそ、ホロコースト狂信を自分のアイデンティティに仕立てては、「正義の味方」を気取るのである。
以上。