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『亜空間通信』700号(2003/11/30)
【緊急転載:自称日本国情報局総裁としてド素人の外務省に警告:イラクでの活動を列挙点検せよ!】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
本日(2003/11/30)は、別に特殊な日ではないのだが、偶々、月末の日曜日である。
一昨日(2003/11/28)の金曜日に、本通信の699号を発信したので、土曜日の1日は休みにして、本日発信すると、11月末の区切りに、700号目を発行することになる。何も、700号記念などと、力むほどのことはないが、少しは、現時点を踏まえた感慨を書き留めて置きたい。何となく原理的なことを確認したくなっているのである。
と、ここまで、昨晩(2003/11/29)遅くまで掛かって、予定原稿を作って置いたところへ、本日(2003/11/30)早朝、以下のように私が批判する事態の発生が報じられた。
---------- 引用ここから ----------
真犯人は「国連」を強調しなかった日本の体制・反体制の相互間抜け連合なり。
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/732.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 30 日 11:13:23:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 外務省職員2人殺害 イラク・ティクリート付近で襲撃 (朝日新聞) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 30 日 10:14:46)
この殺人事件の真犯人は「国連」を強調しなかった日本の体制・反体制の相互間抜け連合なり。
現実的な対処ができない連中には、呆れかえる。
私は、すでに4月7日には、「米英軍の敗北を見切り」、基本的に国連主導を主張せよと、わが国際政策を発表した。
「派兵」か「派遣」かの吟味もせずに、相変わらず、ただ「反対」するばかりの自称平和主義者にも、責任がある。
---------- 引用ここまで ----------
ということで、準備した予定原稿は後回しにし、その後の情報収集の分析結果をまとめた以下の緊急投稿の方を、優先して転載する。
---------- 引用ここから ----------
自称日本国情報局総裁としてド素人の外務省に警告:イラクでの活動を列挙点検せよ!
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/774.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 30 日 21:23:30:CjMHiEP28ibKM
自称日本国情報局総裁としてド素人の外務省に警告:イラクでの活動を列挙点検せよ!
スペイン人がイラクで殺された最初は軍情報部員の武官だったと記憶する。その後も、同じ傾向が続いている。スペインの軍人や情報部員が、それが分かるような身なりをしていたはずがない。
以下の投稿の似非紳士朝日新聞の記事を再録するが、少しは役に立つ。
殺された両名は、「米国防総省の復興人道支援室(ORHA)」の要員時代からマークされ、CIAと直結する日本軍の「へまな」秘密情報部員と疑われていた、と想定すべきである。
(他紙などの)新聞報道を点検すると、乗っていた車は、外交官とか日本人とかが分からないようにしていたらしい。
まったくもって、ド素人の猿の浅知恵と言うしかない。
---------- (この投稿の中での)引用ここから ----------
朝日【ORHA派遣の第1陣】米国防総省の犬の犬としての犬死なり。
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/766.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 30 日 19:23:46:CjMHiEP28ibKM
朝日【ORHA派遣の第1陣 殺害された奥さんと井ノ上さん 】米国防総省の犬死なり。
「米国防総省の復興人道支援室」、つまりアメリカの犬の犬として派遣されたのであれば、なおさらのこと、「犬死」である。
http://www.asahi.com/international/update/1130/004.html
ORHA派遣の第1陣 殺害された奥さんと井ノ上さん奥克彦参事官
井ノ上正盛三等書記官
イラク北部のティクリートで殺害された奥克彦さんと井ノ上正盛さんは、イラク戦後統治の民生部門を担当する米国防総省の復興人道支援室(ORHA)への要員派遣の第1陣として、4月にイラクに派遣され、ORHAが暫定占領当局(CPA)に衣替えした後は、バグダッドの日本人大使館とCPAの連絡調整などにあたっていた。奥さんは81年入省。大臣官房会計課首席事務官や経済局国際経済第1課長、総合政策局国連政策課長などを歴任。在英大使館の参事官としてORHAに派遣された。井ノ上さんは96年入省。シリアでアラビア語を学び、チュニジアやヨルダンの日本大使館に勤務した。
奥さんはORHAやCPAでアメリカや他の参加国との連絡調整を担当。井ノ上さんはアラビア語の専門家として奥さんの通訳を担当していた。
奥さんは早大在学中はラグビー部に在籍し、留学先の英オックスフォード大でもラグビーで活躍していた。省内でも人望もあつかったという。
外務省のホームページで「イラク便り」という連載を執筆しており、4月末にクウェートから陸路、バグダッド入りした模様や現地の人たちの生活ぶり、復興支援活動の内容などを紹介していた。
(11/30 11:59)
---------- (この投稿の中での)引用ここまで ----------
以上で投稿の転載は終わり。
以上を緊急に亜空間通信として広く配布する。
以上。