京大ユニセフクラブ1998年研究発表「こころの国境線〜ニューカマーと私」
担当:石原正恵
マジョリティである私がマイノリティ特にここでは在日外国人に関して何かを言うということは、どういうことなのだろうか。私が、マイノリティが自分たちの立場を回復する運動に対してその運動が否定的側面を持ち得ることを述べるのは、その内容が的外れであるとしても許されない。なぜなら、その運動を起こさざるを得ないマイノリティの立場にしたのはマジョリティだからだ。マジョリティは、マイノリティの置かれている立場の不当性を語り、その立場に自分を追いやった自分たちマジョリティの暴力を批判するべきである。この事に私は異論はない。しかしマジョリティの立場に立って、マイノリティを批判することはその内容がいかなるものであっても、許されないのだろうか。マイノリティとしてマジョリティに抵抗する者が、マイノリティ集団内部で新たにマイノリティを作り出すということは珍しいことではない。マイノリティとしてならば、語ることが許されるというのは、マイノリティを標榜し た権力ではないのか。こうした議論以前にそもそも、マイノリティとマジョリティは明確な線をひけるのだろうか。
いずれにせよ他者を語るということが権力を持った者にしかできないのだから、マジョリティであろうとマイノリティであろうと自己についてしか語れないといっていることになる。
私は語ることに疑問を感じてしまったため、多少なりとも他者とはいえない帰国子女を題材とすることにした。帰国子女は「外国人」ではないし、又決してマイノリティではない。私が、この研究発表のテーマであるニューカマーの生活や、彼らが直面している問題について、できるだけ語るという権力を使わずに、彼らが直面している問題を私が何か変えるために、何が語れるのだろうか。
70、80年代から日本にニューカマーが増えてきているが、それに伴い日本人の中で「日本人とはなんだろうか」という問いがなされてきている。日本人は、「日本人」と表記されるべきかもしれない。なぜなら外からの強い圧力が「国民」や「ネーション」を成立させる圧力になったからである。つまり「日本人」という概念は、「日本」という国民国家とともに近代の産物である。一民族=一国家という図式では、日本人(日本国籍所有者)=日本民族がなりたつわけで、日本人と一般に言われるのは日本国籍所有者という意味だけではなく、日本民族という意味も含まれている。さらに、日本語が話せるという事も意味も暗黙のうちに含まれている。以下での日本人は広義の意味での日本人、つまり一般的に私たちが気にせずに使っている日本人の意味である。
一方帰国子女を巡る問題は60年代から生じてきた。帰国子女というカテゴリーが形成されていく過程には、「日本人とはなにか」という問いが出てきて、それをここで考えることはニューカマーの問題を考えるときの「日本人と何か」という疑問と関連がある。
帰国子女とは誰のことなのか?ある人が高校在学中に海外でホームステイをしても、帰国子女とは見なされない。また、両親が日本国籍を持っており、海外で半永住的に生活し、その子供も海外で生活する場合、その子供は帰国子女ではない。「帰国子女とは20歳以下の日本人で、片親か両親の仕事の都合でそれまでの人生で少なくとも3ヶ月以上海外で過ごし、日本の主流の教育制度のなかで勉学を続ける青少年」を指すことにする。したがって、帰国後インターナショナルスクールに通う子供は帰国子女ではない。この定義自体にも疑問は大いにあるところだが、さらにこのカテゴリーで括られた帰国子女の海外での生活や帰国後の状況もさまざまである。
海外での生活では、日本人学校や補習校に通う者もいれば、現地校あるいはインターナショナルスクールに通う者もいる。日本人学校では、日本と同じ授業内容を提供しているので、生徒は入学しても、日本に帰ってもほとんど違和感を覚えないようになっている。この学校は私立だが、予算の相当の額を文部省が補助している。また、インターナショナルスクールでも、日本人の集団を形成してしまうことは比較的多い。 帰国子女の経験が、日本での生活よりも面白く、変化に富み、刺激的であると考えられ、帰国子女自身が自らをこのように考える傾向にある。英語圏で生活をしたとしても、海外で生活したことのない日本人の子どもと同程度の英語しか話せない場合も多い。(なぜなら、海外の日本人社会が大きい場合は、日本人学校も存在し、そこでは日本と同様の授業内容だからである。さらに、日本人の親は子どもの日本に帰ってからの教育を心配しており、熱心に教育を受けさせる。)したがって、帰国子女の中で、一般に考えられている海外での生活というイメージと同様の生活を送ってきた人はまずいないだろう。
また、海外での刺激的な生活の一方で、帰国子女は帰国したときに問題に直面すると考えられてきた。日本に限らず、逆カルチャーショックは文化間を移動した人がかかると言われてきたことである。しかし、帰国子女の問題は、文化間を移動した子供なら誰にでも共通にあるものではなく、日本人に特有であると思われてきた。なぜなら日本文化は一つの価値集合から成っており、どんな短期間にせよ、外国に住むことによって、個人はこうした価値を守るのに必要な技術を失してしまうか、十分に身につけられないからと考えられるようになった。つまり、帰国子女は「本物の」あるいは「完全」な日本人ではないということである。したがって帰国子女の問題を考えることは「日本人とは何か」、「日本社会の持つ価値観とはなにか」を定義する過程であった。その価値としては、等質性、和、集団中心主義などがあげられる。さらにこうした主張は、帰国子女は帰国時にカルチャーショックを受けるので、日本の生活に適応するための助力が必要であるという理論につながっていく。
帰国子女は言語習得について特別の配慮が必要であり、さらに日本の教育システムは外国のそれとは違うため、一度そのシステムの流れから外れてしまうと勉強についていけなくなる。その結果は、一流大学に入れず、出世が保証されなくなってしまう。また、帰国子女が持つとされている個人主義は、日本の集団主義に直接対立すると考えられたため、再日本人化する必要がある。以上の理由から、帰国子女には特別の教育が必要であると考えられるようになってきた。それが受け入れ校の設立や入試制度の特別枠の設置へとつながっていく。
あるいは、帰国子女がありのままで(つまり個人主義的でみずから考える力を持っているとされる)、受け入れられるように、日本の教育全体は変化するべきだと論じられることもあった。これは帰国子女の問題には日本の子ども全部にあてはまる問題が顕在化しているのであって、日本の教育を変えていくことは、日本の子ども全体にとって、プラスであるという考えに支えられている。さらに、この主張の範疇は教育にとどまらず、日本社会へも広がっていく。
帰国子女を日本社会にあわせていくべきであるという考えと、逆に日本社会が変化していくべきだという考えも、ともに帰国子女の問題が強調されてきた。これらの主張には、日本に限らず、文化間を移動した子供ならば共通の問題なのではないかという視点は排除されている。
さらに80年代になると帰国子女は国際性を持っており、新たな日本のリーダーとなるというイメージが広まっていった。今では、帰国子女は問題性がある存在としてみなされるより、帰国子女は「日本人らしさ」をもっており、その上に「国際性」を身につけたものとして表現されるようになってきている。
帰国子女を巡る考えには、日本の社会は等質であり、全体主義的、排他的であるというのが前提としてある。帰国子女の再日本化の主張は「伝統的」概念に価値を置き、一方、日本社会の変革の主張はそれらをマイナスイメージとして捉え、日本社会にのなかに個人主義、異質性、創造性を取り入れるため帰国子女は重要であるというのだ。
ここで忘れてはならないのは、これらの主張が実際に教育上の制度の変化をもたらしたのは、帰国子女の両親は商社マンや外交官などの日本社会でかなり影響力を持った人々であった事が大きく作用している。帰国子女の両親、支援団体、帰国子女自身は、これらの主張を巧みに利用して標準的な主流の日本社会の平均以上に上手くやっているといえるだろう。確かに帰国子女は海外で生活を送っていた社会にも日本社会にも同化できず、自分の所属する集団が見出せない、いわゆるアイデンティティの揺れを感じ、苦しむものもたくさんいる。しかし、その苦しみが、日本でずっと生活を送ってきたものと比べ深刻でないとは一概に言えない。帰国子女は少数ではあるが、決してマイノリティではない。
帰国子女に与えられた国際性とは、あくまでその帰国子女が日本人であって初めて評価されるのである。したがって、仮に国際性というものが存在するとして、海外生活を送っていなくても国際性を持っていると考えられる在日朝鮮・韓国人は、「日本人でない」ためにその国際性には注目されない。
国際性には、国民国家があり、その国々に独自の文化、社会があるという前提がある。国際性は主権を持った対等な国民国家同士の間の関係を言うのである。国民国家は、ナショナリズムとの結びつきが強い
そこで、国際性賛美から、ナショナリズムの否定として多文化主義が出てくる。日本の教育のなかでも、よく使われるようになったこの言葉は、インターナショナルスクールでは特によく言われる言葉である。例えば、私が通っていたインターナショナルスクールでも、スクールフェスティバルで、自民族の民族衣装を着て、踊りや料理を紹介した。すべての文化は同じ価値を持ち、互いの文化を尊重しあうべきであるという、この考えには、文化と文化の間は明確な線が引け、それぞれの内部には均質性、普遍性が保たれているという前提がある。文化というあるまとまった閉じられた自己完結的な共同体があり、それと結びついたアイデンティティが本質的なものとみなし、その上で複数の文化との間の関係を考えていこうという発想に支えられている。自分の所属する集団内の均質で、普遍的で、本質的ものと想定し、他者を排除しようとするナショナリズムを、多文化主義は否定するのだが、文化間の差異を本質化し、前提としている点でやはりナショナリズムといえるだろう。したがって、多文化主義のもと、文化の「純粋性」を保つため、隔離政策的な考え方が支配する場合もある。
個人の個性を尊重するという考えは、多文化主義の変形として捉えることができる。個人は自己のアイデンティティを確立でき、当然それは他人のものと異なるのだが、その違いを認めるという考えになるのだ。しかし、アイデンティティとは、必ず個人の意識の深部に一定の本質的な「核心」が存在するという信念によって支えられた概念であるといえる。したがって、アイデンティティの確立は常に本当の自己でないもの、異質と考えられるものの排除をもたらす。差異はひとつのアイデンティティを別のアイデンティティから分けるための差別の指標として働くのだ。
したがって、アイデンティティから脱さなくてはならない。確たるアイデンティティなどというものは存在しないということは、自己も他者もはっきりとはしないということだ。すると、本質というものはなにもないということになってしまうのだろうか。そうではなく、自己と他者という関係の前に、差異を自己の中に見つけ、自己の中の雑種性、複数性を認識する。差異という概念の中には、無数の「違い」と同時に無数の「類似」も含まれている。
たとえば日本文化にも、自分が海外で生活を送っていた社会の文化にも属していないと認識している帰国子女が、属していないということが、日本文化に属している日本人よりも価値があるという発想を持つ可能性を否定する。なぜなら、第一に属するということ、あるいは均質な集団の存在を否定するならば、日本文化や日本人というものは本質としては存在しないので、軽蔑する対象である、集団に属する人を設定することは矛盾である。第二に、属することの裏返しである、自分がどの集団にも属さないという考えも出てこない。確かにどこかに属することは誰にもできないと思っている人と、自分はある集団に属していると信じて疑わない人との間に差異はあるが、その差異を元に自己を確立することはできない。自分のことを帰国子女という存在しない集団として呼ぶという点では、日本人であると信じている人との差異はないだろう。
日本人のみならず、帰国子女という概念が本質ではないことは自明であろう。差異を、紛争、葛藤を生むようなアイデンティティの確立のために使う指標から、創造的なものとして捉え直す。「自分(ら)」の中に差異を見出し、「彼ら」、「彼女ら」の中に類似を見つけ、「自分(ら)」と「彼ら、彼女ら」の区別を壊す。そのことは、異文化を体験した帰国子女だけに限らず、あらゆる人に可能性は開かれている。そうすることで、新たな創造性を生み出すことができる。
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