1.戦前の日本
現在外国人労働者というと、私たちは海外から来る労働者を想像します。しかし、戦前の日本は多くの労働者を送り出していました。当時の日本の生活はそれほど豊かではなく、生活苦から多くの人が海外へ、特に北米へと移民労働者として渡っていきました。こうした移民労働者が受けている差別的待遇を改善しようと、日本は国際連盟規約委員会の場で、連盟規約に国籍による差別の禁止を盛り込むよう主張してさえいました。
日本は労働者の送り出し国であると同時に受け入れ国でした。韓国併合や日中戦争は朝鮮半島や中国の人々の生活を困窮化させ、多くの人々が日本に職を求めて渡りました。また、1938年の国家総動員法制定後はたくさんの朝鮮人・中国人が日本政府によって強制連行され、炭鉱などで過酷な労働に従事させられました。敗戦時の在日朝鮮人の数は230万人に上りました。この結果、現在でも68万人もの韓国・朝鮮人が日本で生活しています。こうした戦前・戦中の移住労働者は、日本の外国人労働者の歴史を考える上で忘れてはならない点であるといえます。
2.戦後復興期の日本(流出期)
1945年、敗戦によって朝鮮半島・台湾・中国本土に移り住んでいた人々、また戦場にいた兵士たちが、日本に帰還しました。敗戦直後の日本経済は、極度に疲弊し、生産力は大幅に低下していました。1950年の朝鮮戦争により、景気は次第に上向いていきますが、人々の暮らしは苦しく、海外に移住する人が再び増加してゆきます。主な渡航先は、ブラジル・ペルーなどの南米諸国です。日本からの移民者は、高度成長期の始まる1960年にピークを迎え(7421人)、高度成長の進展とともに減少していきました。つい30数年前まで、日本は労働者を送り出す側の国でした。70年〜80年ごろから受け入れ国に転換していくのですが、それまでの日本が「貧しい国」であったころ、今のフィリピン・パキスタンのように「余剰労働力」を外国に送り出していたことに留意しておきましょう。
3.南北経済格差の拡大
日本からの海外移住者を減少させた高度経済成長。1960年代、日本と同じく欧米諸国も好景気に湧いていました。欧米諸国では人手不足が深刻となり、外国人労働者受け入れ政策をとりました。送り出す側はアジア・アフリカ・中南米諸国。これら旧植民地諸国は1960年代にはほぼ政治的独立を達成しましたが、経済面では依然として農産物、鉱産資源の供給地として従属状態に置かれました。1960〜80年代にかけて、先進国と発展途上国の間の所得格差は拡大していきます。1973年のオイルショックにより、欧米諸国は門戸を閉ざしていき、外国人労働者受け入れの主役はアラブ産油国へと移りました。しかし、高賃金を求める労働者の「南」から「北」への移動は合法・非合法を問わず活発に行われました。外国人労働者問題の起こる背景に、南北間の経済格差があるという事実をきちんと理解しておくことは大変重要です。
4.経済大国、日本(流入期)
日本への出稼ぎ労働者がとくに目立ち始めたのは、1980年代中頃からで、多くの外国人に関するNGOがこの時期に設立されました。1985年のプラザ合意以降の急激な円高により、日本で働いて得た賃金を本国に送り、現地通貨に換えると大きな額となるようになりました。現地の生活は苦しく、数年日本に行けば豊かな生活が得られるとの夢を抱き、たくさんの外国人が日本にやってきました。日本にやってくる外国人労働者は、東南アジア・南西アジアからが中心でした。しかし、1990年に出入国管理法が改正され、日系人の定住及び就労が認められると、ブラジルやペルーなどの南米諸国から、日系人たちが高賃金を求めて合法的に来日するようになりました。もちろん、このようにたくさんの外国人労働者が来日するようになった背景には、日本側の事情として、86年から続いた好景気(いわゆるバブル景気)による深刻な人手不足(特に3K労働)があったと言われています。
最近の不況で職がへり、取り締まりが強化されたため、外国人労働者の数は減少傾向であると言われていますが、今も30万人近くの外国人が超過滞在し、その多くが日本のどこかで資格外労働に従事しています。