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台湾の元「慰安婦」訴訟 

 
東京高等裁判所 第二審 判決!
  
     
〜わずか5秒たらずで、「すべて、棄却する」〜」



★数秒で消えた裁判官たち

2004年2月9日(月)午前11時、東京高等裁判所818号法廷にて、台湾の「慰安婦」訴訟に対する控訴審判決があった。

控訴人席には、原告である盧満妹さん、鄭陳桃さん、イアン・アパイ(中国名 林沈中)さんの3人が弁護団と通訳者とともについていた。
傍聴席は、台湾の支援団体である婦援会の董事長である廖英智弁護士とスタッフをはじめとして日本の支援者たちで満員となり、法廷の外で大勢の人が待っていてくれた。

裁判官3人が書記官の「起立!礼!」の声と共に席についた。
石川善則裁判長裁判官は、「すべてを棄却する」と一言告げただけで、黒い法衣をひるがえした。

信じられるだろうか?

民事22部の石川善則、井上繁規、平林慶一の3裁判官は、通訳者が、原告たちに、「すべてを棄却する」というたった一言を通訳する間も裁判官席にとどまろうとはしなかったのだ。

第一回口頭弁論のときから石川善則裁判長はすでに判決内容を決めていると私たちは感じていた。

第1回目は、弁護団が書面を提出し、次回の日程を決めただけ、第2回目は被控訴人である国側が準備書面を出しただけで終わった。第3回目は、次回第4回目の日取りを決めただけで早々に閉廷、その第4回目には突然結審となった。そして弁護団が証人申請を申し述べていることに対して「その必要はないと判断します」というだけだった。
そして迎えた判決の日、当然のことのように、事実認定もなく、最悪と評された判決が言渡された。
司法改革の中で裁判の迅速化が課題になっているとはいえ、手抜き審理の印象をあたえるほど早急に片付けてしまおうとする裁判はそう多くはないのではないだろうか。

高裁での審理とはそんなものかと思いそうになるが、実はそうではない。裁判長によっては、原告の声に真摯に耳を傾け、可能なかぎり資料に目を通し、たとえ判決結果は原告の敗訴ではあったとしても、裁判官自身が人間として悩みながら判決文を書いたことがにじみでているものもある。

日本の裁判、とくに「慰安婦」訴訟にみられる戦後補償関係の裁判に幻想は抱いていない。しかし、それでも裁判官たちには立法府と行政府から毅然と独立し、正義と公正を求めようとする姿勢を最低限ほしいものだと思う。これは幻想ではない。「希望」だ。

判決要旨と間違うほど内容の薄っぺらな9頁の判決文をみるたびに、非人間的な裁判長の対応を思い出す。訴訟指揮の権限は裁判長にあるのかもしれないが、こんなにも内容のない、ろくに審理もしないで判決を下すことができるほど権限が与えられているとしたら、裁判官の資質を市民が判定するシステムも必要ではないだろうか。

★私の心は絶対負けない

当然のことながら原告である3人は、記者会見でも報告集会でも敗訴判決の悲しみよりも、悔しさと怒りをにじませた。
「私たちを人間だとみているのか、それとも動物なのか」
「台湾をバカにしている」
「一言も話させないでいなくなった」。

原告を含め、台湾の元日本軍の性暴力被害者たちは、すでに平均年齢82歳になった。今回来日した3人は原告7人(提訴時9人。うち2人死去)の中で体調の良い人たちだった。換言すれば、3人以外の原告は来日する体力がなかったということなのだ。
80歳になる鄭陳桃さんは何度も言った。「裁判では負けても、私の心は絶対負けない!」と。
イアン・アパイさんは、「私たちは日本政府に多くを望んでいるものではない。私たちに謝ってほしいのだ」と語り、盧満妹さんも「これからも死ぬまで闘う」と決意を凛として述べる。

日本にいる私たちは、阿媽たちが望んでいることをかなえてやれる力などはどこにもない。
ただ、ひたすら彼女たちの側に立って、いっしょに歩もうと努力することだけだ。
私の母の年代であるおばあちゃんたちが、自分たちの尊厳を回復していく勇気ある歩みに歩調を合わせて歩むことができたなら、私たちも自分の人間性を豊かに取り戻す道を歩むことにつながるような気がする。

私たちも、鄭陳桃さんが言った言葉をいわなければいけない。
「私の心は絶対負けない」と。