憲法無視・人権否定・挑発行為の小泉首相靖国参拝
改めて台湾訴訟大阪高裁判決の意義を再確認する


[1]はじめに−−大阪高裁の違憲判断に挑戦する10/17小泉靖国参拝。

(1)大阪訴訟団の抗議声明と台湾原告団の反戦声明
 2005年10月17日、司法の場ではっきりと違憲判断がなされたにもかかわらず、小泉首相が靖国神社を参拝しました。非常に情けなく腹立たしい行いと言うしかありません。
 この許し難い行いに対して、即刻、各団体から次々と抗議声明が出されています。
 大阪訴訟団の抗議声明では、「屈せざる魂」をもって、現代日本の精神状況を支配し続ける国家の策謀にあくまで抗する立場を貫いていくことが表明されています。
 台湾原告団の反戦声明では、「日本帝国に人権を否定され親日の汚名を蒙った台湾原住民は、アジアの人民とともに反戦と平和の旗手として、小泉首相の靖国参拝に抗議する。」と決然と述べられています。(以下のサイト参照)
※小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団の抗議声明
http://www005.upp.so-net.ne.jp/noyasukuni/
※首相の10月17日靖国神社違憲参拝に抗議する!
 靖国参拝違憲訴訟の会・東京 アジア訴訟団(大阪)台湾原告団 
 四国訴訟団 千葉訴訟団 元福岡訴訟団 バプテスト連盟 ほか 
http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/

 今回の参拝は、これまでと態様を変えたことがしきりにクローズアップされています。マスメディアはこの変更を大阪高裁の判決を考慮した結果であると捉えています。しかしながら、本当に考慮したのなら、参拝を中止すべきなのです。小泉首相のやっていることは、高裁判決の中で具体的に示された批判点を表面的にかわし、なんとか法の網をかいくぐろうとしているだけの品性下劣な行いです。そのような姑息なやり方は、むしろ、これまでの参拝が憲法違反の行為であったことをはっきりと示しています。
 もちろん態様を変えることで、参拝の本質は何も変化していません。羽織袴を身につけて本殿に上がろうが、背広姿で賽銭をポケットから無造作に投げ入れようが、戦争神社たる靖国神社に一国の首相が参拝したことには変わりがありません。
 中国や韓国もまたさっそく抗議の姿勢を示しています。それはまったく当然のことです。中国を侵略し朝鮮を支配した人々を崇拝するということは、それらの国々に対する厳然たる挑発行為なのですから。
 しかし、マスメディアは、小泉首相の罪を、中国や韓国を“怒らせた”ということに矮小化しています。小泉首相の行為はアジアの友好と平和を踏みにじるものであると同時に、日本の法秩序への公然たる挑戦、破壊行為です。それは日本国民自身の問題なのです。にもかかわらず中国や韓国からの批判のみを強調するマスメディアは、国と国との対立を煽り、排外主義の普及に手を貸す役割を果たしていると言わざるをえません。
 諸外国からの批判は、中国や韓国だけではありません。まず、この裁判そのものが台湾原住民を原告としていることにもっと注目すべきです。台湾原告団長のチワス・アリ(高金素梅)さんは、台湾の立法委員(日本で言えば国会議員)で、台湾原住民の圧倒的な支持を得て再選されたばかりです。彼女の意見は台湾原住民の意見を代表したものなのです。しかし、マスメディアではそうした報道はほとんど見られません。
 また、ニューヨークタイムズは「東京の無意味な挑発」と題する10月18日付けの社説で、参拝は「日本の戦争犯罪によって犠牲になった人々の子孫に対する計算ずくの侮辱だ」として、「日本の軍国主義の最悪の伝統を容認した」と厳しく非難しました。
※ニューヨーク・タイムズ http://www.nytimes.com/2005/10/18/opinion/18tue3.html

 私たちはここで再度9月30日に大阪高裁で出された小泉首相の靖国参拝に対する判決の意義を確認していくことが必要であると考えます。それは、現在日本の各地で継続中の靖国訴訟はもとより、日本の政教分離、思想良心、信教の自由のために闘っているあらゆる裁判闘争にとって非常に大きな意義を持っているからです。
 判決文は、裁判所の判断に関わる部分だけでも、37ページもある大部なものですが、それだけの内容を持ったものでもあります。新聞等に掲載された要約だけでは、とてもその意義を理解できるものではありません。判決文そのものに即して、重要な論点をひとつひとつとりあげ、その意義を確認していく作業が必要です。


(2)靖国判決を巡るトリック−−あるのは「違憲」か「判断回避」。「合憲」判断はひとつもない!
 大阪高裁の判決と相前後して東京高裁および高松高裁での憲法判断の回避があったことで、司法の判断があたかも「違憲」と「合憲」の間で揺れているかのような印象を持っている人も多いと思います。
 しかし、声を大にして強調しなければならないことは、東京高裁や高松高裁にしろ、福岡地裁以外の地裁判決にしろ、首相の参拝が「合憲」であるとしたところは一箇所もないということです。これまでのすべての訴訟において、裁判所は「違憲」という判断を下すか、さもなくば憲法判断を避けてきたかのどちらかなのです。それはすなわち、憲法判断をすれば、論理必然的に「違憲」という結論が出てくるということを意味しています。つまり、憲法違反か否かという点に関してははっきりとした結論が出されているのです。
 しかしながら、小泉首相はこの違憲判断が出た後も、「分かりませんね。何で違憲なのか」などと居直りに終始しています。また、国側は「(違憲判断は)『傍論』で主たる判決ではない」(細田官房長官)と、なんとかこの判断の意義を貶めようとしています。
 現在の法律においては、民事訴訟というものは、必ず個々人の権利が具体的にどう侵害されたか、されなかったかを判断するものであって、そこから離れて、ある行いが憲法に適合しているか否かを判断するようにはできていません。(それが、憲法判断が、形式上「傍論」となってしまう理由でもあります。)権利侵害の有無のみを判断して憲法判断に触れずに済ませることは、法律上は可能なのです。もちろん、そのような姿勢は司法の怠慢であり、怯惰のなせる業であることは言うまでもありません。(国や靖国神社側の弁護士は法廷の場でしきりに憲法判断を行なわないようにと裁判所に要請していました――合憲であるという憲法判断を出せという主張ではありませんでした――。そうした主張は、裁判所がひとたび憲法判断に乗り出せば、自分たちの敗北が必至であることを彼ら自身よく自覚しているようにも見えました。)

 それでは、以下、判決文の中の「争点に対する判断」という原告、被告の双方の訴えに対する裁判所の判断部分に沿って見ていきたいと思います。



[2]「靖国神社=戦争神社」を具体的に規定

 判決文では、靖国神社がどのような性格をもった神社であるかを規定しています。靖国神社はただの神社ではありません。「国のために一命を奉げた人たちの霊」を慰めるために建てられた施設であり、「国事に殉ぜられたる人々」を「祭神」とするものです。
 「国」という言葉が使われると、同じ国籍を持っているというだけで共通の利害で結ばれているかのような錯覚に陥ってしまいがちです。しかし、「国のため」、「国事」のために死ぬとは、具体的に何を意味しているのでしょうか。この判決文では、そこが鮮明に書かれています。

 被控訴人靖國神社には、明治維新ころ以来の日本の国内外の戦争等によって死亡した軍人軍属等が神として祭られているが、その中には、明治28年以降日本が台湾を統治し、台湾原住民を討伐した際の日本の軍人等も合祀されている。(p.47)

 「国事」とは、「国内外の戦争」のことであり、その中には台湾の植民地化、台湾原住民の「討伐」も含まれているのです。そこでの戦死者を「祭神」として崇め奉っているのが靖国神社なのです。

 判決文ではさらに、靖国神社が、敗戦直後の1945年11月に、満州事変から同年9月2日以前の全戦没者を対象にした「靖國神社に将来祭られるべき陸海軍軍人軍属等の招魂奉斎のための臨時大招魂祭」を執行し、その中から「合祀に必要な調査のすんだ『御霊』」を1946年以降57回にわたって合祀していったこと、1978年にはいわゆるA級戦犯も合祀されたことが述べられています。

 靖国神社が、戦死者を「祭神」として合祀したのは、けっして戦前戦中だけの行為ではなく、戦後も連綿として行なわれてきたことが浮かび上がってきます。

 原告側の弁護士さんの話では、判決文の中で事実の具体的な内容に迫っているかどうかが、「違憲」判断を出すか出さないかに大きく左右しているのだそうです。そして、東京高裁の判決など憲法判断を避けて通ったものは、靖国神社の性格を抽象的にしか描いていないということです。
 真実に迫ろうと思えば、物事を具体的に、その経緯や歴史的背景も含めて捉えようとする姿勢が不可欠なのです。逆に、物事を抽象的、一面的、部分的にしか捉えようとしなければ、それは、むしろ欺瞞を導き出す手法となるのです。



[3]歴代首相による靖国公式参拝の歴史的な経緯を具体的に検証

 判決文では、靖国神社の性格とあわせて、吉田茂以来の戦後の歴代首相が靖国神社を参拝し続け、首相の公式参拝への道を着々と切り開いてきた動きも述べられています。
 1975年に三木首相は公用車を使用せず肩書き無しの「三木武夫」と記帳して参拝しました。私人としての参拝であるという説明がなされましたが、これは戦後初めての8月15日の参拝でした。1985年、中曽根首相は「公式参拝」であることを公言して参拝しました。しかしこの時に内外の激しい批判を浴びて以来、橋本首相の公私の別を曖昧にした1回の参拝をのぞいて、首相による靖国参拝は行なわれてきませんでした。
 しかしながら、2001年、小泉首相は自民党総裁選に立候補するに当り、首相の公式参拝を要求している日本遺族会などに対して、「内閣総理大臣に就任した場合には、靖國神社を公式参拝する旨を伝え」たり、自民党総裁選挙討論会において「首相に就任したら、8月15日の戦没者慰霊祭の日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」と発言したりしました。大阪高裁は、これらの事実をもって「被控訴人小泉は、上記のように、内閣総理大臣就任後、8月15日に靖國神社を参拝することを公約とした」と認定しました。

 さらに、大阪高裁は、国と小泉首相側が公式参拝をもくろんでいる証拠として、被告側自身が提出した証拠の中から次の一文を引用しています。(「甲」というのは原告側の出した証拠に、「乙」というのは被告側の出した証拠に付けられる記号です。)

 内閣は同年7月ごろ、衆議院議員辻本清美の質問に対し、「現在、小泉総理大臣において、公的な資格で靖國神社への参拝を行うか否かについて、諸般の事情を総合的に考慮し慎重に検討しているところである。」と回答した。(乙19の1・2)(p.54)

 「公的な資格での参拝」は、明らかに、憲法第20条で禁じられた「国およびその機関」の「宗教活動」にあたります。したがって、ここでは、違法行為を行なうかどうかを「慎重に検討する」というとんでもないことを内閣が言っているということなのです。
 
 2001年8月13日、小泉首相は首相として最初の靖国神社参拝を行い、その後も2002年4月21日、2003年1月14日に参拝を行いました。この訴訟が提起された時点で行われていたこの3つの参拝に加え、2004年1月1日にも靖国神社を参拝しました。これらの参拝の性格については、2001年の第1参拝のあと「公的とか、私的とか、私はこだわりません。内閣総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけです。」と答えたように、ほとんどの場合、公的なものであるか私的なものであるかは明確にされませんでした。
 しかし、この小泉首相の言辞に変化が生じたときがありました。それは2004年4月7日のことでした。

 被控訴人小泉は、同年4月7日昼、靖國神社参拝について、「総理大臣である個人、小泉純一郎として参拝した。公私はわからない。」と答えていたが、同日夜、記者団の「首相の靖國神社参拝は私的参拝か。」との質問に対し、「そうです。私人小泉純一郎が個人的な信条に基づいて参拝しているので、私的参拝と言っていいかもしれない。」とこれまでの発言を修正したかのごとき発言をした。(乙15)(p.60)

 この日は福岡地裁の判決で「違憲」判断が出された日でした。これまで公的か私的かをわざと曖昧にすることによって両方の含みを持たせていたのを、「違憲」と判断されたことで、「私的」参拝であったかのように言いつくろったのでした。
 しかしながら、2005年5月20日の衆議院予算委員会において、「個人としての私的参拝であるということでいいか。」との質問に対しては「そうです」というような明確な回答を避け、「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝しているが、内閣総理大臣の職務として参拝しているものではない」という答弁をしました。判決文では、この部分を「従前と同様、立場を明確にしない答弁」であったと判断しています。
 小泉首相のこの態度の変化は、おそらく福岡地裁の判決以降の4つの地裁判決が憲法判断を避けたことと関係があると思われます。この予算委員会に先立つ2005年4月26日の東京地裁判決でも憲法判断は回避されました。こうした裁判所の態度は明らかに小泉首相の誤魔化しと居直りに手を貸してしまいました。そしてまた、小泉首相もあくまでも支援者に公式参拝であると受けとめられることを追求しようとしていることがわかります。公的か私的かはどちらでもよい問題ではありません。それは小泉首相の側にとってもそうなのです。



[4]法律の世界では常識となっている解釈=「外形標準説」で小泉首相の靖国参拝を「公務」と判断

 首相の靖国参拝という行為が私的なものであるのか、それとも公的なものであるのかは大きな問題です。
 大阪高裁は、小泉首相の行為が公的か私的であるかを判断する指針として、国家賠償法(国賠法)における職務行為の認定方法を採用しました。

 国賠法1条1項にいう「職務行為を行うについて」とは、加害行為が職務行為自体を構成する場合のほか、職務執行の手段としてなされる場合も含むものと解される。
 そして、上記判断に際しては、当該公務員が主観的に権限行使の意思をもってする場合に限らず、私的な目的や意図をもってする場合でも、客観的に職務行為の外形を備えている場合には、これに該当するものと解するのが相当である。また、上記職務行為の外形を備えた行為であるか否かについては、当該行為(本件では、本件各参拝行為)のみならず、その前後の状況をも総合して判断すべきである。(p.61)


 ここで述べられたことは、「外形標準説」と呼ばれる、不法行為の認定などに広く使われている考え方です。別に目新しいものではなく、法律の世界ではすでに常識となっている解釈方法です。
 この「外形標準説」をなんとかして適用されまいとして屁理屈をこね回す国側の主張は、小気味よいほどに、ばっさりと斬り捨てられています。

 この点について、被控訴人国は、本件の場合には被害者が外形を信頼する場面でないから、外形は職務行為の判断基準になり得ないと主張するが、国賠法は、公務員の行為によって他人に損害を与えた場合には、国又は公共団体に損害賠償の責任を負わしめて、ひろく国民の権利ないし利益を擁護することをもって、その立法の目的とするものであることに照らすと、そのような解釈を採用することは相当ではない。また、被控訴人国は、行為の外形による判断は、本件参拝自体の外形によってなされるべきであり、その前後の事情は行為の外形を構成するものではないとも主張するが、そのように限定すべき根拠は存しないから、この主張も採用できない。(p.61)

 さらに、判決文では、神社参拝を「内閣総理大臣の地位にある者がなす場合、上記職務の広範性及び社会に与える影響からして、私的なものと見るのが通常とは言えず、中曽根内閣総理大臣が靖國神社参拝当時、公式参拝と称したように、本件各参拝も、公的な立場でなされたと評価されるものであれば、その職務を行なうについてなされたものと認められることになる」と述べ、「公的」と認識されるのが通常であり、「私的」と認識してほしければそういう対応を取るべきであるということを示唆しています。

 そこで、「参拝自体の状況及び各参拝に至る経緯、その前後の被控訴人小泉の発言等を総合して検討する」として、以下の判断を下していきます。

 参拝の様態において、公用車を使用し、内閣総理大臣秘書官を伴い、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記載したことは、「内閣総理大臣としての参拝と推認しうる要素を多分に含んだものであった」。(p.62)

 本件第1参拝(2001年8月13日)に先立って内閣官房長官に参拝についての談話を発表させたり、第2参拝(2002年4月21日)においては、「靖國神社に到着後、約1時間もテレビの取材陣が到着するのを待って参拝しているが、私的な参拝であれば、このようなことが必要とは考えられないことからして、これらも参拝に付随したものであるが、その公的性格を窺わせるものである。」(p.62)

 被控訴人小泉純一郎は、靖国参拝を自民党総裁選の時からの公約としており、総理大臣就任後も参拝を実行する意志を再三表明し、「内閣総理大臣として参拝するかどうかについて、多少紛らわしい言い方をしたこともあったが、一貫して内閣総理大臣として参拝することを否定しなかった。そのうえ、被控訴人小泉は、8月15日を避けて参拝を実行しているが、これは、内外の批判も考慮してやむを得ず日を変えたものにすぎず、この点を除いては、上記公約や内閣総理大臣就任後の言明を実行したと受け取られるものである。」(p.62-63)

 被控訴人小泉は、参拝直後等に、私的参拝であるとは明言せず「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した。」などと説明していることも「一般に公的な参拝であることを表明したものと、受け止められるものである。」(p.63)

 「なお、内閣総理大臣も、個人としては信教の自由を有しているが、内閣総理大臣という公職にある者としては、政教分離原則違反の問題が論議されている中で、本件各参拝が私的行為としてのものであるか、公的行為としてのものであるかを公に明確にすべきであり、本件の場合のように、私的行為であることを敢えて明確にせず、曖昧な言動に終始する場合には、本件各参拝を公的行為と認定する一つの事情とされてもやむを得ないというべきである。」(p.63-64)

 被控訴人小泉の参拝の動機や目的は、参拝前後の発言、談話、所感によると、「政治家として、靖國神社を戦没者追悼の中心的施設とする意見に配慮した上、日本の歴史を受け止め、戦没者に反省と哀悼の意をささげることなどを参拝の目的とするものであって、これは日本の為政者としての政治的な動機ないし目的が主たる目的であることを表しているものと認められる。」「他方、本件各参拝について、被控訴人小泉が参列すべき親族、知人等の冠婚葬祭その他の私的な行事のためであったとか、祭神に被控訴人の親族がいることにより、私的な動機、目的に基づき参拝したものと見るべき具体的な事情は、証拠上窺えない。」(p.64)


 大阪高裁は、以上のように、参拝の態様、参拝が公約の実行としてなされたこと、私的なものであると明言せず、公的な参拝であることを否定していないこと、参拝の主たる動機、目的は政治的なものであることを総合して判断した結果、「本件参拝は、少なくとも行為の外形において、内閣総理大臣としての『職務を行なうについて』なされたものと認めるのが相当である。」ときっぱりと言い切っています。

 さらに、国、小泉側の「参拝が私的なものである根拠」として主張する点についても、次々と「失当である」という判断を下しています。
 彼らは、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した点について、「肩書きを付記することは、その個人を表す場合にしばしば用いられているから、肩書きを付したからといって私人の立場を離れたものと考えることはできない」と主張しました。しかし、これに対して、大阪高裁は、小泉純一郎が首相であることは公知の事実であり、神社参拝の合憲性が論議されている中であえて肩書きを付ける必要性はないと述べ、さらに、小泉が熊野本宮大社に参拝した際に肩書きを記帳せず、記者団の質問に「いつも私は肩書きを書かない」と述べていることなどから、上記主張は失当であると判断しました。また、公用車の使用や秘書官の随行についても、三木首相の参拝においては政教分離の原則に配慮して公用車を使わず、秘書官を随行させなかったことに照らすと、それが不可欠であったとはいえないと判断しています。

 10月17日の参拝では、小泉首相は、上記で指摘されたことのうちいくつかを取りやめることによって、あたかも「私的参拝」であるかのような見せかけを作り出そうとしました。しかし、公用車を使用し秘書官やSP約50人を引き連れて「内閣総理大臣小泉純一郎」が参拝したと言い切る姿のどこが、他の国民と同じなのでしょうか。
 上記の判決文では、8月15日を避けて参拝を実行している点について、「これは、内外の批判も考慮してやむを得ず日を変えたものにすぎず、この点を除いては、上記公約や内閣総理大臣就任後の言明を実行したと受け取られるものである。」とあるように、小泉首相の姑息なやり方についても批判をしています。この判決の精神からすれば、今回のようなやり方もまた、公約等を実行した一連の行動の一環であると受け取るのが当然です。



[5]憲法の政教分離規定の歴史的意義を検討した上での明確な違憲判断

 判決文では、現在の日本国憲法でなぜ厳しい政教分離規定が設けられたのかを述べています。そこでは、政教分離原則を一般的に「国家の非宗教性ないし宗教的中立性」を意味するものと捉えるだけではなく、日本が実際にたどってきた歴史的事情からその必要性を説明しています。

 日本では、大日本帝国憲法の下で「信教の自由」を保障する規定が設けられてはいたが、「国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時としてそれに対する信仰が強制され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたこと等もあって、同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものにとどまった。日本国憲法は、上記歴史的経過に鑑み、信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けた。」(p.69)

 そして、政教分離原則の基準として「目的効果基準」を採用することを確認しています。それは、憲法20条3項で禁止されている「宗教的活動」とは、その行為の「目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉になるような行為」のことであって、国家と宗教の全ての関わりを排除するものではないという考え方です。これもまた政教分離を巡る裁判で常に標準的な判断基準として採用されているものです。
 
 さて、この見地から、大阪高裁は小泉首相の参拝が、憲法で禁止されている「宗教的活動」にあたるかどうかの検討をしていきます。
 まず、靖国神社は宗教法人であることを確認したうえで、次のように述べています。

本件各参拝は、このような宗教団体である被控訴人靖國神社の備える礼拝施設である靖國神社において、しかもその祭神のご神体を奉安した本殿において、祭神に対し、一礼する方式で拝礼することにより、畏敬崇拝の気持ちを表したものであって、被控訴人小泉としても当然そのような意識をもって参拝したものと認められるから、本件各参拝は客観的に見て極めて宗教的意義の深い行為というべきである。(p.70)

 一方、被告側は、靖国神社への参拝は戦没者の追悼を目的としたものであって、宗教上の目的によるものではないという主張を行なっています。しかし、これに対しても、首相の「各参拝の核心部分は、靖國神社の本殿において、祭神と向き合って拝礼するという極めて宗教的意義の深い行為である。また、追悼という行為は宗教的な畏敬崇拝行為に合い通じやすい面があり、現に宗教上の礼拝行為に含めて行なわれることも多いのであるから、追悼行為を、神社において祭神を対象としてする時は、宗教的な観念による畏敬崇拝行為と一体として受け取られるべきものである」として、被告側の見解を批判しています。
 神社に参拝して宗教的な行為でないとは、誰がそのようなことを考えることができるのでしょうか。判決文の中では、靖国神社だけでなく「一般人」も、そのような行為を宗教的意義の深い行為として受け取るのが当然であると書かれてあります。
 また、首相の行なった参拝の形式が、神道形式である「二拝二拍手一拝」ではなく一礼しただけあることをもって、宗教的意義が浅いという主張がありますが、これに対しても、「靖國神社においても、正式参拝以外の社頭参拝(評者注:本殿に昇殿せずに行なう参拝)を認めており、本件各参拝は社頭参拝に比べて宗教的意義がより深いと見られる本殿での拝礼によっていること、被控訴人靖國神社においても、本件各参拝に十分宗教的意義を認めていること(甲25、68)に照らすと、上記参拝の態様から、宗教的意義が浅いと見ることはできない」と言い切っています。

 この参拝が及ぼした効果について、この参拝が公的な性格を有するものであり、本殿において行なわれており、1年に1度参拝を行なう旨を表明し、「国内外に強い批判があるにもかかわらず、あえてこれを実行し、継続している。このように被控訴人小泉の参拝実施の意図は強固であった。以上については、」「一般人においても容易に知りうるところであった」とした後、以下のように述べています。

 そして以上に加え、被控訴人小泉が、靖國神社以外の宗教団体、神社、仏閣等に公式参拝したことを認めるに足りる証拠はないことも考え合わせると、本件各参拝が、国又はその機関が靖國神社を特別視し、あるいは他の宗教団体に比べて優越的な地位を与えているとの印象を社会一般に生じさせ、靖国神社という特定の宗教への強い社会的関心を呼び起こしたことは容易に推認されるところである。(p.72)
 
 さらに、2001年8月の最初の参拝が行なわれた時、「靖國神社に例年より多くの参拝者があり、そのインターネットホームページへのアクセス数が急増したことによっても本件各参拝が被控訴人靖國神社の宗教を助長、促進する役割を果たしたことが窺える。」として、「目的効果基準」の「効果」という点でも、その基準に該当していることを確認しています。

 こうして、大阪高裁は、法律の世界では常識的なものとなっている解釈のみを使用しながら、手堅く小泉首相の靖国参拝は憲法違反であるという結論を導き出しました。このことは、「違憲」判断が決して特殊なものではなく、現在の日本の法律において、当然出てこなければならない判断であることを意味しています。逆に憲法判断を避けて通ることは、法曹界で責任ある地位にいる法律の専門家として恥であると言わなければなりません。なぜなら、そこには法的真理をないがしろにし、現政府を擁護するという政治的判断と保身しかないからです。
 また、小泉首相も、およそ日本の国家公務員として法の支配に従う気持ちがあるのなら、この裁判結果を尊重し、今後の靖国参拝を中止しなければなりません。しかし、小泉首相は、法を無視し愚弄する特権が自分にあるかのように振る舞っています。



[6]原告の請求棄却という矛盾・限界と一歩前進――宗教的人格権の存在を認定

 憲法判断においては、上記のように歯切れよく判断を下した大阪地裁の判決ですが、原告らの権利が侵害されたかどうかという点については結局、原告の主張を認めませんでした。
 しかしながら、この問題において全く前進がなかったのかといえば、そうではありません。ここにおいて注目すべき新見解が述べられています。
 それは、宗教的人格権をどう捉えるかという問題です。大阪高裁は、以下のような非常に持って回ったような言い回しではありますが、宗教的人格権が憲法が保護する人権である可能性を認めています。

(…)控訴人らが、思想及び良心の自由、信教の自由の内容として、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して、公権力の圧迫、干渉を受けずに自ら決定し、これを行う権利ないし利益を有すると解する余地が全くないわけではない。(p80)

 これを、同じ違憲判断を出した福岡地裁の判決における権利侵害の部分と比較してみると、その違いはより鮮明になります。
 福岡地裁では、宗教的人格権については、「その内容がきわめて曖昧であり,憲法上の人権として保障されているものとは言い難い」としか述べていません。そして、「人が他者の宗教的活動によって,例えば精神疾患にも準じるような激しい精神的苦痛を被った場合」はともかく、「およそそれらが一般に不法行為の被侵害利益として賠償の対象になると解することはできない(そのように解すれば,賠償の範囲が余りに広範になり過ぎ,不法行為による損害賠償ないし国家賠償制度自体が維持できなくなるものというべきである。)。」として、原告の請求を退けました。
 宗教的人格権について一考だにしてこなかった他の裁判については推して知るべしです。

 これまでは思想及び良心の自由の規定は「人の内心を保護」するという役割を持つものであることを明確に定めたものとは考えられてきませんでした。また、信教の自由についての規定についても、これまでは直接人権を保障したものとは考えられてきませんでした。しかし今回、大阪地裁は信教の自由を保護する規定として、単に国家による強制だけでなく、圧迫、干渉を受けない権利を定めたものであると考えるべきであるという解釈を打ち出しました。

 思想及び良心の自由は、人の内心領域における自由を指すが、憲法19条の規定は、公権力が特定の人の内心を強制的に告白させ又は推知しようとすることや、特定の内心の形成を狙って特定の思想を大規模かつ組織的継続的に宣伝するような、内心の形成、変更に対する圧迫、干渉をも禁止し、人の内心を保護するものと解される。(p.79)

(…)信教の自由に関する憲法20条1項は、単に同条2項に例示された強制的行為のみならず、国家による宗教的活動がもたらすべき個人に対する宗教上の圧迫、干渉を受けない権利ないし利益をも有するものと解すべきである。(p80)


 これらの考え方は、靖国訴訟のみならず、広く思想良心の自由、信教の自由に関わるありとあらゆる訴訟にも大きな影響をもたらすものであると考えられます。

 これまでは侵害されるべき権利は存在しないといった門前払いのような判決であったのが、侵害されるべき権利は存在するという前提が形成され、その上で検討に入ったというのは大きな前進です。
 しかしながら、判決文では結局次のように結論づけ、原告の請求を棄却してしまいました。
 しかし、本件各参拝は、靖國神社に赴いて祭神に拝礼するというものであって、それ自体直接控訴人らに向けられたものではなく、控訴人らへの働きかけを含むものとはいえない。
(…)
 上記のような本件各参拝の性質、目的等に鑑みると、本件各参拝は、被控訴人靖國神社の宗教を助長、促進したものではあるけれども、それ以上に控訴人らに対し、靖國神社への信仰を奨励したり、靖國神社の祭祀に賛同するよう求めるなどの働きかけをしたものと認めることはできない。(p.81)


 しかし、この結論は、自ら設定した前提を裏切るものです。思想良心の自由の規定は「人の内心を保護するものと解される」と述べたばかりなのに、小泉首相の行為が靖国神社の宗教を助長、促進したことは、原告らの内心に著しく圧迫を加え、その尊厳を傷つけた行いであることを認めなかったのですから。
 それに、行為の職務性の判断において適用された「外形標準説」が、ここではまったく生かされていません。参拝の意図、目的については、小泉首相の「主観」を重視したものとなっています。

 本件参拝の主な目的は、政治家として「戦没者に反省と哀悼の意を奉げることにあるというものであり、それを超えて、控訴人らに対し、靖國神社への参拝を奨励したり、自らの行為を見習わせるなどの意図、目的があったものとまでは認められない。ちなみに、被控訴人小泉も、そのような意図、目的があったことは、明確に否定している。」(p.81)

 しかしながら、こうしたことは、今後の首相の行為の中で、直接具体的な人々に向けて参拝の奨励などがなされた場合には、不法行為として損害賠償の対象になりうるという含みを持った内容でもあります。



[7]アジアを結ぶ闘いの継続と私たちに残された課題

 大阪高裁の判決は、以上のような大きな意義を持った判決でした。このような判決が出るにあたっては、なんといっても台湾原住民の原告らの果たした役割は大きかったというべきです。
 判決文の中でも、台湾と靖国神社の関係が詳細に述べられています。

 靖國神社は、日清戦争の戦没者1万3619名及び台湾討伐における戦没者1130名を合祀した。また、台湾において戦没した北白川宮能久親王は後に台北に設置された台湾神社に祀られ、現在では被控訴人靖國神社に祀られている。(p.73-74)

 日本は明治28年5月、台湾に総督府を置いて軍政を開始し、以後台湾住民、特に山岳地帯に住むタイヤル族等の先住民族(原住民とも呼ばれる。以下「原住民」という。)の支配に力を入れ、原住民を統治するための政策(理蕃政策)として、一方では慰撫する政策をとりつつ、武力による包囲討伐を継続して行なったため、処刑もしくは殺害された原住民を含む台湾住民は多数にのぼった。(p.74)


 台湾原住民の原告の方々が、裁判所の前で持っていた写真のパネルは、まさにこうした植民地政策に抵抗したために処刑された人の姿でした。
 そして、台湾住民「討伐」の中で戦死した日本軍人、警察官が靖国神社に祀られるのとあわせて、「高砂義勇隊」として戦争に駆り出されて戦死した台湾原住民もまた靖国神社に祀られました。台湾から軍人・軍属として20万7183人が徴兵・徴用され、そのうち3万0304人が死亡し、2万8000名余が今もなお靖国神社の祭神として祀られています。そして、合祀を取りやめてほしいという遺族の訴えに靖国神社は全く耳を傾けようとしません。こうした靖国神社への首相の参拝はどういう意味を持つのでしょうか。筆頭原告の高金素梅(チワス・アリ)さんの主張が、判決文の中で次のように記載されています。

(…)靖國神社に台湾原住民に対する加害者である日本軍人等が祭られ、他方日本軍国主義の被害者である台湾住民の戦没者が祭られていることに非常な苦痛を感じ、かつ容認できず、そもそも、台湾原住民には神というものはなく、祖霊崇拝があるだけであるのに、靖國神社の祭祀はこれに沿わないものと認識している。そして、本件各参拝は、原住民を死に追いやった加害者を祭っている靖國神社を参拝し、加害者のみたまを尊敬することであるから、原住民として侮辱されたと感じ、また、靖國神社が原住民の戦死者の魂を合祀し続けていること、被控訴人小泉が反対を押し切って本件各参拝をしたことによって、民族としての誇り、名誉が傷つけられ、侮辱されていると感じた。(p.76)

 これに加えて、親族が靖国神社に祀られている台湾原住民、戦時中日本軍に加えられた台湾在住の中国人、反戦活動を行なってきた日本人の僧侶、日中友好運動を続けてきた日本人、台湾出身の中国人の父親をもつ在日中国人2世らが、首相の靖国参拝によって、どれほど屈辱や怒りを感じたかが判決文の中に記載されています。
 しかしながら、先にも述べたとおり、裁判所は、これらの原告らの思いと小泉首相の行為との間に直接の因果関係を認めなかったために、原告の損害賠償の請求を退けてしまいました。

 さらにまた、靖国神社に祀られている台湾原住民の合祀取り下げ要求については、裁判所の判断は一言も触れられていませんでした。
 原告側は、こうした判決の結論に納得できない思いを抱きながらも、「国家神道という戦前の問題や歴史的背景を踏まえた判決で評価できる。高裁レベルの違憲判断が残ることは、小泉首相に対する強い警告になる」として、上告をしないことに決めました。
 チワス・アリさんらにとって、日本における裁判闘争に区切りをつけることは、自らの尊厳を取り戻すための闘いを終わらせることではありません。
 チワス・アリさんは、靖国神社に対する合祀取り下げ要求と損害賠償については別途の訴訟を起こすつもりでいますし、また、日本の台湾領有以降の台湾原住民に対する暴行を国連人権委員会に訴えるなど、国際的な舞台でのよりいっそう精力的な活動に取り組み始めています。では、私たちは、チワス・アリさんらの闘いをどう受け止め、どう闘っていかなければならないのでしょうか。

 靖国神社に首相が参拝するということは、日本が行なった戦争や植民地支配の犠牲者、その遺族、その民族の誇りが傷つけられたというのはもちろんですが、それは、日本国民にとっても同じではないでしょうか。靖国神社への公人の参拝は、軍国主義、植民地主義を引きずり、それを維持し復活させようとすることの現れです。日本は第二次世界大戦における敗北の結果、二度と戦争をしないと誓い、現在の日本国憲法を定めました。その中には、戦争で、軍国主義の下で、天皇制の抑圧の下で苦しみ、犠牲となった人々の声にならなかった願いが込められています。それを首相がないがしろにすること、従う意思を持たないことは、日本の主権者としての日本国民にとっても侮辱であり、その尊厳を傷つける行為であり、決して許されることではありません。
 しかしながら、首相の靖国神社参拝に対する諸外国――特に中国や韓国――からの批判を内政干渉、侮辱と捉える日本人も残念ながら数多く存在しています。この転倒した意識を克服するには、戦争や植民地支配の被害にあった人々よりもむしろいっそう厳しく、徹底して真実に迫る活動を粘り強く行なうことしかありません。この大阪高裁判決は、不十分な点はあるにせよ、そのための新しい武器を提供してくれました。私たちはこれを埋もれさせることなく、大いに活用していかなければなりません。それこそが、アジアの人々と共に私たちの尊厳を取り戻す道ではないでしょうか。

2005年10月 (大阪Na)




[参考]
小泉靖国参拝違憲台湾訴訟控訴審判決傍聴記

※大阪高裁判決(全文)
http://courtdomino2.courts.go.jp/Kshanrei.nsf/
webview/261F2926F7BBCF26492570BC0019B4D2/?OpenDocument


※福岡地裁判決(全文)
http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/
c1eea0afce437e4949256b510052d736/9150d634b0a70bfc49256ea50001e63b?OpenDocument




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