イラク戦争開戦2周年:3月19日、20日世界共同反戦行動へ
イラク占領支配反対、自衛隊撤退要求の行動に立ち上がろう!



[1]イラク民衆の闘いへの国際反戦平和運動の連帯。反戦平和運動と反グローバリズム運動との結合。

(1) ブッシュ大統領のイラク戦争と占領支配は、まる2年経とうとしている。イラクでは何十万人もの人々が殺され、傷つき、家を追われ、国土は破壊され、未だに襲撃・爆撃の恐怖の元で生活している。イラク戦争は石油利権と中東支配のため、米の世界覇権のための戦争であった。イラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器がなかったことが米政権自身によって正式に発表された。これ以上ブッシュの不法で不当な戦争と占領支配を許してはならない。

 米軍によるイラク戦争開戦から2周年の3月19日、20日、全世界でイラク戦争・占領支配に反対する国際共同行動が行われる。米国のANSWER、UFPJ(United For Peace & Justice)、イギリスのストップ戦争連合などが呼び掛け、世界中の平和を求める人々が呼応し、国際的な大デモンストレーションの準備が進められている。
 一人でも多くの皆さんが、今年も日本の各地で行われるイラク反戦デーに参加されるよう呼び掛ける。微力ながら私たちもこの行動に一緒に立ち上がろうと思う。
3/19−20 世界の反戦運動、イラク開戦2周年で大衆行動を提起(署名事務局)

 今年1月末ブラジルのポルトアレグレで開催された、反グローバリズム運動が総結集した「第5回世界社会フォーラム」の場においても、33カ国を超える参加者によって3月19日、20日を、イラクからの即時撤兵と、戦争の中止を要求する国際反戦行動の日とすることが提起され、世界各地での大規模なデモ、市民の不服従、その他のさまざまな形態の抗議のうねりを作り出すよう呼び掛けられている。
 開戦の年、一昨年の2月に行われたイラク反戦国際行動デーに集まった2000万人、3000万人ともいわれる世界中の人民大衆を結集した時も、「世界社会フォーラム」が果たした役割が決定的に大きかった。その意味で、イラク国際反戦デーは、反戦平和運動と反グローバリズム運動との結合の場になってきた。
※CALL TO ACTION of the ANTI-WAR ASSEMBLY, World Social Forum 2005, Porto Alegre, Brazil
http://www.focusweb.org/main/html/Article584.html?POSTNUKESID=1cd19ad36b44c2af52b3f9d9e74c5413


(2) 私たちは、「イラク開戦2周年」を「1周年」とは全く違う情勢のもとで迎えている。まず軍事面である。「2周年」を前にイラク情勢は泥沼化し、占領支配の破綻はますます明らかになってきた。昨年夏から秋頃を境にしてイラク情勢は大きく変化し始めた。その変化を決定的にしたのはファルージャの大虐殺である。わずか2週間たらずで6000人もの人々を虐殺し、街全体を廃墟と変えた凄惨な大量殺戮は、イラク市民の反米感情と抵抗闘争を一気に拡大するとともに、蓄積されてきた米軍の危機を一気に顕在化させた。
 イラク人民の反米武装闘争の前に、米兵の戦死、負傷、脱走、任務拒否、帰還兵のPTSD等々がとどまることなく増え続け、米軍はベトナム戦争以来の危機に陥り始めた。罪のない一般住民の虐殺、大義のないでっち上げの戦争、装備の欠陥による恐怖、「出口」のない占領、兵士の士気の著しい低下、現場の兵士からの不満の噴出、新兵の補充危機等々によって、米軍とその中核である地上軍のローテーションそのものが困難になり始めたのである。

 それだけではない。イラク駐留経費の膨張によって、米の財政赤字は史上最大規模に膨れ上がっている。昨年10月頃から、ブッシュ再選と軌を一にして基軸通貨ドルが新しい動揺と危機を見せ始めた。もはや力づくの軍事占領は限界に来ており、イラク占領支配の破綻は、軍事面からも経済面からも明らかである。
ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害(署名事務局)


(3) イラク開戦2周年を目前に控えた3月15日、ついにあのイタリアのベルルスコーニ首相が、「イラクへの派遣軍の縮小を9月から始める」と述べ、イタリア軍部隊の段階的撤退とその開始時期について初めて明言した。ベルルスコーニはブレア、ハワード、小泉とともに、今や数少なくなったブッシュ有志連合軍の最有力者の一人である。撤退時期が6ヶ月も後のことであり、部分撤退でしかないなど、まだ手練手管を弄しているが、しかし現在も3000人もの部隊を派兵する大国である。米占領軍への衝撃は大きい。
※<伊首相>イラクからの段階的軍撤退を明言 国内世論に配慮(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000039-mai-int

 言うまでもなくきっかけは3月4日の銃撃事件である。武装勢力の拘束から解放されたイタリアの左派系新聞マニフェスト紙の女性記者ジュリアーナ・スグレナさんの車を米兵が、バグダッドへ向かう幹線道路で銃撃し、諜報員を射殺し、スグレナさん自身も負傷させた事件だ。「不審者」「不審車両」はすべて銃撃する、米軍のやり口がここに凝縮されている。見境なく撃ったのか、それとも米軍が「邪魔者」として狙い撃ちにしたのか。米軍のある将校は、この事件について開き直り「われわれは戦争をやっているのだ」と言い放ち、ノコノコ車で走っているやつは撃たれて当然だと暴言を吐いた。しかしここに隠されているのは、盟友であるイタリア人の銃撃は大問題になるが、日常茶飯に起こっているイラク人の虐殺はニュースにもならないというイラクの現実である。
※Pentagon: We are still at war in Iraq(アルジャジーラ)
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/C3A83070-BDFE-41EE-A67F-708D6C436372.htm
(邦訳はhttp://humphrey.blogtribe.org/entry-98d172c8475e3621d154cfbecc91ad38.html


(4) さらに、「大規模テロ続発」と報じられるイラクの情勢の変化がある。米が「主権委譲」のシナリオに従って無理矢理強行した1月総選挙によって、イラクは内戦の危機に直面している。1月30日前後に異常な厳戒態勢のもとで一時的に押さえ込まれた反米武装レジスタンスによる攻撃は選挙後、より大規模な形で続発するようになった。米軍だけでなく、イラク傀儡政権、イラク治安部隊、政府職員に対する攻撃にまで拡大している。それらは宗派対立、民族対立を激化させている。どこが「民主化」なのか。どこが「平和」なのか。米の軍事占領の継続と傀儡政権工作をやめなければ、本当に内戦へと突入することになるだろう。今まさにイラクは瀬戸際にあるのだ。米軍は今すぐ撤退すべきである。ブッシュ政権が画策する「部分撤退」ではなく、米・多国籍軍全体の撤退を要求する。

 ブッシュにとって、イラクは石油略奪と中東支配のための根幹である。OPECと石油を通じた世界覇権のための野望への第一歩である。共和党と政権の総力、軍産複合体と石油メジャーの総力を挙げて奪い取った「戦利品」である。ブッシュはこのまますごすごとイラクから手を引くことは絶対あり得ない。最後の最後まで占領支配に固執するだろうし、撤退があるとしてもそれは「部分撤退」でしかあり得ない。石油と軍事力は、基軸通貨ドルと経済力とともに、衰退しつつあるアメリカ帝国主義の世界覇権を維持するための最重要の支柱なのである。
 だから、アメリカをその世界覇権の最前線であるイラクから撤退させるには、世界中の様々な勢力、様々な人々との共同した力を作り上げることなしには実現できないのである。確かに米軍を破綻の縁に追い詰めてきたのはイラク民衆の反米・反占領闘争である。イラクの民衆こそが最も甚大な犠牲を一手に引き受けてきた。しかし彼らの力だけでは決定的に不十分である。何よりも犠牲が大きすぎる。
 米国内での、日本を含めた「有志連合」各国での、そして全世界での反戦運動、撤退運動の高揚がブッシュとアメリカを取り囲まなければならない。世界の民衆がイラク民衆の反米闘争と結合することによってのみ、イラクから米英軍、自衛隊の撤退を勝ち取ることができるのだ。とりわけ日本の反戦運動の責任は大きい。



[2]イラク似非選挙がもたらした内戦の危機。宗派対立、民族対立の激化の責任はすべて米にある。


(1) ファルージャの大虐殺は、一月総選挙を成功させるため、反米勢力の強い地域「スンニ派トライアングル」の拠点であったファルージャを住民もろとも街全体を抹殺するという前代未聞の残虐な作戦であった。反米勢力を選挙から完全に排除し、シーア派による選挙の「成功」を演出し、アラウィ暫定政権を引き継ぐ傀儡政権を作る−−これが米のシナリオであった。
 しかし、国民のおよそ2割を占めるスンニ派を完全に排除し選挙を強行すれば、民衆の間の憎悪を拡大し、イラク人民の間の対立を煽ることは初めから分かっていたことである。今起こっていることは、すでに12月の時点で予想されていたことなのだ。
ファルージャ後のイラク情勢−−スンニ派・反米勢力の抹殺と排除、“民族分裂”“内戦”につながりかねない似非「議会選挙」強行に反対する(署名事務局)

 3月10日、イラク北部の要衝モスルのイスラム教シーア派モスク内で、「自爆テロ」が発生し、少なくとも30人が死亡した。2月末に120人を超える犠牲者が出た大規模テロからわずか半月も経っていない。2月28日に、中部バビル県で、警察・国家警備隊への就職を求めて並んでいた市民の列に自爆攻撃の車が突っ込み、少なくとも125人が死亡する大惨事が起こったのである。
 1月総選挙後、「自爆テロ」、シーア派をねらった武装攻撃が明らかに増加し激化している。首都バグダッドの中心部では、昼夜を問わず無差別の暴力が頻発し、いつ銃が火を噴き、車が爆発するかわからない街、いつ死に直面するかわからない街、文字通り世界でもっとも危険な都市になっているという。
※Day or night, random violence and death marks streets of central Baghdad(MSNBC)http://famulus.msnbc.com/famulusintl/ap03-11-123342.asp?reg=mideast&vts=31120051252#body

 いずれの事件も詳しい中身や、実行主体は明らかではない。しかし共通していえることは、米軍だけでなく占領軍に加担するイラク警察や、失業増でやむなく政権側に職を求めざるを得ない人々、そしてその家族さえもが攻撃の標的になり、惨禍が拡大しているということである。米軍だけでなく、「傀儡政権」「イラク警察」「イラク政府軍」が攻撃され、市民が巻き添えになっているのである。
 1月総選挙直後、米軍准将は「テロは相変わらず続いているが米兵の犠牲は減少した」と語っている。国防総省スポークスマンは、「3月に入って武装勢力は戦術転換し」「イラクの治安部隊や民間人など米軍以外を標的にするようになった」と述べた。何という傲慢だろう。内戦の危機、民族対立の危機を生み出し、住民の反米感情の矛先を、米軍に協力するイラク人とその家族たちに向くように仕向けておきながら、自軍の犠牲者の減少を誇示しているのだ。そして、「テロ」の標的がイラク人に向いていることに「憂慮」してみせるのである。
※イラク選挙後、攻撃75%減 米准将、武装勢力離れ指摘(朝日新聞)
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20050206/K2005020502980.html
※イラクでの米軍死者、1500人超す(読売新聞)
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050304/20050304i304-yol.html

 報道によれば、18州の内、アンバル州やサラード州などイラク中部を除く14州では、治安管理の権限を米・多国籍軍からイラク軍に移行しているという。しかし、肝心のイラク軍は、人員は大幅に欠員し、練度も低い寄せ集め所帯である。米軍とその傀儡政権に対する攻撃は不可避的に、イラク軍や米軍との談合を進めるシーア派に向かわざるを得ない。
※US forces hand over security to Iraqi army in capital(alertnet)
http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/IRIN/4b1e14c2de4d7da5b40123744d0d005f.htm

 イラクボディカウントの控えめの数字でも、2月1から2月26日までに犠牲になった市民は400人に上る。2/26までの数字でイラク市民の犠牲者は16231人〜18509人になった。総選挙によって何も変わっていない。いや、むしろイラク民衆、宗派間の対立は激化し、犠牲者を増大させているのである。
※イラクボディカウント http://www.iraqbodycount.net/


(2) しかし、米は完全に墓穴を掘っている。民衆の間の憎悪と政権内部の対立の顕在化によって「出口戦略」を全く描けなくなっている。イラク国民議会が3月16日、初めて開会した。しかし連立をめぐる各勢力の対立は混迷し、移行政府に向けた合意は依然として実現していない。
 総選挙で「圧勝した」第1党のシーア派連合の「統一イラク同盟」と第2党のクルド人会派「クルド同盟」との連立協議が13日決裂した。移行政府樹立の行方は全く不透明である。大統領、外相、国防相などのポスト問題、キルクーク油田の連邦領土への帰属や受け取る石油収入問題などを巡って両者の間に深刻な対立がある。戦争で痛めつけられ、飢餓と飢え、荒廃、米軍の掃討作戦の恐怖にさらされ、数千人もの人々がまだ米軍に拘束されている。20万人もの人々が難民のまま放置されている。そのような人民の惨状とは全く無縁のところで、米軍駐留を前提とし、利権とポストを巡ってドロドロの権力闘争が「民主政府樹立」の名の下に繰り広げられている。
※イラク国民議会が開会、新政府に向けた協議は難航(ロイター)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000391-reu-int



[3]今も続く米軍による凄惨なファルージャ型掃討作戦とイラク民衆虐殺。「自爆攻撃」しか伝えない日本メディアの堕落。

(1) NHKと企業メディアに代表される日本のマスコミは、「自爆テロ」についてはしばしば報道している。そして、シーア派支配をおそれたスンニ派の一部の武装勢力による「テロ行為」「無法行為」であるように報道している。しかし肝心要のことが全く無視されている。すなわち米軍がイラク全土で、不当な家宅捜索、拘束、襲撃、殺戮を続けているという事実である。
 特に米軍は一月総選挙の直後、2月20日からイラク政府軍とともに「リバー・ブリッツ」と呼ばれる大掃討作戦を、ラマディを中心としたスンニ派トライアングルで開始しているのである。一体、この事実を日本のどれだけのメディアが伝えているのか。
※U.S. Starts New Offensive Against Rebels(New York Times, 21 February 2005 )
http://cryptome2.org/ik37/iraq-kill38.htm (記事の下のAP写真には残虐なものが含まれています。)
※American Troops Prepare for Assault on Sunni Stronghold
http://www.commondreams.org/headlines05/0221-22.htm

 米軍とイラク政府軍は、アンバル州の首都ラマディとその周辺地域を反米勢力の手から取り戻すために「フルスケール」の攻撃を行っているというのだ。米軍とイラク政府軍はこの40万都市を包囲し、夜間外出禁止令を出し、検問所を設け、爆撃機やAC130武装ヘリを動員し、わずか数日で100人もの「容疑者」を拘束した。病院を襲い、屋根には狙撃兵を配置し、動くものは何でも銃撃するというファルージャで行ったのと全く同じ残虐行為を続けている。3ヶ月にもわたって攻撃にさらされたファルージャの事態を恐れ、ラマディの住民たちは、食糧を蓄え、あるいは親戚の家に身を寄せ、あるいは、ファルージャの住民たちが避難したのと同様の難民キャンプに逃れ始めている。
※Ramadi residents fear a Fallujah-style U.S. army assault (aljazeera.com 3/7/2005)
http://www.aljazeera.com/me.asp?service_ID=7225
※GIs Battle Iraqi Insurgents in Ramadi
http://www.foxnews.com/story/0,2933,149727,00.html
※Citizens escape Ramadi, Ukraine to withdraw from Iraq
http://www.islamonline.com/cgi-bin/news_service/middle_east_full_story.asp?service_id=7313


(2) イラク暫定政府は3月3日、非常事態令を30日継続させた。外出を禁止させ、通りを歩くものを武装勢力を見なして射殺させる構図も全くファルージャと同じである。
 米軍はファルージャの抹殺作戦だけでは足らず、スンニ派トライアングル全体を抹殺するつもりではないか。選挙の投票率2%のアンバル州を、選挙から排除するだけでなく、「イラク政権樹立」「憲法制定」の過程で必ずじゃまになるスンニ派トライアングルを徹底して武力で鎮圧し、抹殺するつもりではないか。「民主選挙」の後も、イラク全土に非常事態令が敷かれ、「テロの嵐」が吹き荒れ、米軍による住民や民家への襲撃が行われ、子どもや女性が犠牲になっている。武力による占領支配の恐るべき事態は今もなお進行しているのである。こうした事実は、日本のメディアからスッポリ抜け落ちている。



[4]ファルージャ大虐殺はイラク戦争における米軍の“恥部”−−ファルージャだけではない。2年間にわたる甚大な犠牲と惨禍は未だに全貌が不明。

(1) イラク戦争開戦2周年は、イラク戦争に犠牲になった全ての人々を追悼し、殺人者を弾劾する日にしなければならない。英医学誌ランセットは昨年10月、イラク全土で市民の犠牲は10万人に上るとの論文を発表した。この数は低く見積もられすぎている。しかもファルージャなど「ホットスポット」は統計から除外されている。実際に何人の人々が犠牲になったのか未だに見当もつかない。 
最低10万人の衝撃:学術調査が初めて明らかにした米侵略・占領軍による“イラク人大量虐殺”。ファルージャの犠牲者が異常に突出(署名事務局)

 とりわけ私たちは、ファルージャの大虐殺を徹底して糾弾したい。イラクの破壊と殺戮、甚大な犠牲と惨禍はイラク戦争2年目にエスカレートした。開戦1周年の直後の2004年4月初め、米軍はファルージャ包囲と虐殺を開始した。反米の拠点であったファルージャを包囲し、「テロリスト」の一掃の名のもと700人とも1000人ともいわれる市民を虐殺した。しかし米軍は国際的な非難の高まりと、ファルージャ市民の抵抗闘争によって4月末に撤退を余儀なくされた。

 米軍は、半年後の11月、自らが作った「主権委譲シナリオ」に基づき今年一月の総選挙を実現するために、反米闘争の拠点であるファルージャを再び標的にした。これはまさしく「大虐殺」であった。この大虐殺は、米軍の戦争の歴史の中でも異常な残虐性を持った作戦であ。数万人規模の住民を街に封じ込め、破壊しつくし、丸ごと虐殺・殲滅する軍事作戦。米軍は市全体を包囲・封鎖。子どもや女性などの死傷者の映像を世界に流させないために最初に病院・診療所を攻撃し破壊し、医師と看護婦を虐殺した。イラク国内のメディアの徹底した規制と排除。橋・道路の封鎖、電気の遮断、電話の切断、水・食糧・医薬品の搬入の禁止によるファルージャ市の完全な孤立化。残された住民は女性・子どもを構わず無差別に爆撃、襲撃された。おびただしい数の死体が道路に散乱したまま放置され、犬や猫が死体を食い散らかしている。死体が散乱し耐え難い腐臭が漂っている。サーモバリック爆弾、クラスター爆弾、化学兵器、白リン弾など非人道兵器の使用も報道されている。等々。等々。−−こうした大虐殺の事実を知られることを恐れて米軍は救援団体、支援団体が入ることさえ拒否し、負傷した市民、食糧を絶たれた市民が次々と犠牲となったのである。
パンフレット案内「イラク戦争被害の記録 2004年11月:ファルージャの大虐殺−−「選挙」と占領支配のために住民と街を抹殺した米軍−−(署名事務局)

(2) ファルージャは未だにゴーストタウンである。街の入り口には多数の検問所が置かれ、網膜スキャンと指紋照合によって米軍によって認められたものだけしか市に入ることができない。市民は身分証を持たなければならない。しかし、街は瓦礫の山であり、商店は空、病院は破壊されて閉鎖されたままである。電気、水はほとんど復旧されていない。およそ人間が住める町ではない。20万人を超える避難民のうち帰還し始めたのはわずか2割にも満たないという。その人々は、避難所であるバグダッドに身寄りも無く、他に行くところもない極貧の人々である。彼らは破壊された建物の跡地や道をふさぎ、瓦礫や焼けただれた車を寄せ集めて積み上げブロックをつくり、その中で生活しているのだという。「住民は浮浪者のように生活している。」
※Ramadi residents fear a Fallujah-style U.S. army assault (aljazeera.com 3/7/2005)
http://www.aljazeera.com/me.asp?service_ID=7225



[5]米軍危機、募集危機の進行の中で奮闘し拡大する帰還兵、帰還家族の反戦運動。

(1) しかし、このような米軍の軍事作戦はいつまで続けることができるだろう。一年前には、500人を越えたばかりであったイラク戦争での米兵の死者は3月2日ついに1500人を越えた。わずか1年で3倍に膨れ上がった。
 米カリフォルニア州エスコンディドでは、平和団体「アメリカン・フレンド・サービス・コミッティー」が3月10日、犠牲となった米兵の数と同じ1513足の軍靴が公園の芝生の上に並べた。靴には犠牲になった人たちの名が添えられた。米バーモント州の各地では3月1日、住民集会が開かれ、33の町でイラクへの州兵派遣に反対する決議が採択された。
※米国:イラクで死亡した米兵悼むイベント(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/irq/news/20050311k0000e030044000c.html
※Calif. Anti-War Memorial Stirs Passions
http://aolsvc.news.aol.com/news/article.adp?id=20050311050309990016&cid=206
※イラク派兵に「ノー」 米バーモント州33町で採択(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050302-00000092-kyodo-int

 今年2月の陸軍への志願者数は求人目標の7050人に対し、5114人にとどまり、27.5%の不足となった。軍の予備役や州兵などの志願者数も求人数を大幅に下回る事態になっている。深刻な募集危機である。2月中の死者数は58人であったものの、昨年11月137人、12月72人、1月107人と犠牲者の数は依然高い水準にある。
※イラク戦、米軍死者1500人超える 志願に陰りも(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0304/002.html

 死者の数以上に深刻なのが、膨大な負傷者数である。手足切断、全身・半身不随、精神疾患と深刻なPTSDなど社会復帰が困難な重傷者が激増している。
 イラクから送還された米兵の棺が、国防総省の妨害をはねのけアメリカのメディアではじめて報じられたのは、2004年4月末のことであった。その後、5500人もの兵役拒否、イラクの前線での輸送部隊による任務拒否、8人の兵士による再派兵を違法とする裁判の提訴など、米兵の犠牲の拡大の元で、米兵と帰還兵、その家族によるイラク戦争を拒否する動きが形となって現れるようになってきた。


(2) 戦争開始より1年以上が経過し、都市での自爆攻撃による被害と市民の殺害が日常的な事態となった2004年夏ごろよりイラク帰還兵の団体が新たに立ちあがっている。「Iraq Veterans Against the War」のような即時イラク撤退、反占領を掲げる帰還兵団体が発足した。そして「歴史上初めて」といわれる、戦争の渦中における戦死者家族による反戦団体の「Gold Star Families for Peace」が結成されている。同じ戦死者家族らから非難・攻撃にさらされている中での結成である。帰還兵団体のいくつかは、補償要求などでイラクの犠牲者をも支援している。
 2004年8月24日の「メイド・イン・イラク:新しい反戦帰還兵」と題されたVETERANS FOR PEACEの記事は、アメリカのボストンで生まれた新しい反戦帰還兵のグループの登場を劇的なものとして紹介している。彼らは第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして湾岸戦争の帰還兵とともに交流し、共通の感情を持っている。しかし、イラク戦争帰還兵は、イラク戦争が殺人兵器の開発によって市民の殺戮がより大型化されたことにって、精神的・道徳的ダメージがより大きいという。記事は、このグループにどれだけの帰還兵が参加するかは未知数であり、今後イラクで起こる事態と、本国での反戦闘争の広がりにかかっていると語っている。
※Made in Iraq: the new antiwar veteran(veteransforpeace)
http://www.veteransforpeace.org/Made_in_Iraq_082504.htm

 2002年11月に立ち上がった「Military Families Speak Out」(MFSO)は現在2000組の家族を擁し、全米すべての州にMFSOのメンバーがある。募集危機と徴兵制が問題になる中で、今年2月には「Mothers Against the Draft」が立ち上がった。息子を軍隊と戦場に送り込まないために徴兵制に反対する母親たちが声を上げるという全く新しい運動である。

 1月20日のブッシュ就任反対行動に多数の帰還兵やその家族が参加したことは、ここ半年間での帰還兵運動の広がりを示している。
平和グループは最近数ヶ月、特にブッシュ再選後は比較的静かであったが、2月末にセントルイスで戦略会議を開き、3/19,20の戦争開始2周年を戦争終結・兵士帰還のスタートとして位置付けている。2002年10月に70団体で設立されたUFJPは現在800を超える反戦組織の傘になっている。2年半で20倍に膨れ上がった。


(3) ブッシュ大統領は、800億ドルものイラク・アフガニスタン戦費の補正予算を要求し、2005年会計年度の財政赤字は史上最大の4270億ドルに登ることになった。開戦時からのイラク戦費は、数ヶ月速いペースで拡大し続け、補正に次ぐ補正で、イラク戦争開戦からの戦費は3000億ドルになろうとしている。これはベトナム戦争に費やされた戦費の半分にも上る。
 ブッシュはこれを教育、福祉、年金等々の民政関連予算を切り捨てることによって乗り切ろうとしている。特にブッシュは軍事予算の拡大の一方で退役軍人向けサービスをどんどん縮小していっている。帰還後の自立支援、就職あっせん、障害年金・医療サービスなどを要求する帰還兵へのサポート運動はますます反政府的になり、反戦的にならざるを得ないだろう。
 ANSWERは、「軍隊を撤退させよ!」「イラク、パレスチナ、ハイチそしていっさいの地域への植民地的占領支配をやめよ!」「イランとキューバへの恫喝をやめよ!」「福祉、教育、住宅、そして生活できる賃金と仕事は権利だ!」のスローガンを掲げ、イラク戦争と戦争拡大の反対、生活の防衛を結合させている。



[6]自衛隊はもはや「給水活動」をやっていない。主力業務となった米兵輸送。ますます米英軍と一体化−−自衛隊は今すぐ撤退すべき。


(1) 一年前の3月19日、総選挙で大勝利を納めたスペイン労働党のサパテロ書記長がイラクからのスペイン軍の撤退を表明した。このスペインショックは、米英に追随する有志連合軍が雪崩をうって撤退へと向かう序曲となった。昨年、タイ、フィリピン、ニカラグア、ハンガリー、ノルウェー、ニュージーランド、カザフスタン、ホンジュラス、ドミニカ等々の諸国が撤兵を断行した。
 そして今年に入って、オランダ軍がすでに1月20日から撤退を開始し、イギリス軍にキャンプが引き渡された。すでに述べたように、イラク開戦2周年を目前に控える今回は、イタリアでも撤退要求が沸き上がっている。ウクライナは3月15日から撤退を開始する。ポーランド、ルーマニア、ブルガリアも撤退を表明している。

 小泉首相はイギリス、オーストラリアに嘆願し、イギリス軍と新たに増派されるオーストラリア軍にサマワの治安維持を委ね、あくまでも自衛隊のサマワ駐留を強行する構えである。これによって自衛隊はますます、米英オーストラリア軍と一体化する。自衛隊は侵略の当事国である米・英と忠誠を誓うオーストラリアと一体となってイラクに居座り続けようとしているのである。サドル派は、再三自衛隊を侵略軍と見なし攻撃の対象とする事を警告してきた。実際に、自衛隊のサマワ宿営地には迫撃砲弾、ロケット弾が撃ち込まれている。


(2) 皆さんはご存じだろうか。自衛隊はすでに「給水活動」をやっていないことを。 防衛庁は2月15日、陸上自衛隊の給水活動を2月4日に基本的に終了していたことを“こっそり”と明らかにした。NHKも企業メディアも、こんな大事なことを全く報道していない。当然だ。給水活動は自衛隊活動の最大の目玉であり、派兵の最大の口実であったはずである。こんなことを大々的に報じてしまえば、自衛隊がイラクにいる最大の口実がなくなってしまうからである。

 では、そこまでして居座り続ける自衛隊は一体何をしているのか! 宿営地に巣ごもりか? 「学校・道路の補修」とは言わせない。こんなものはイラクにいなくても出来る。だから「給水活動」が最大の口実にされた経緯がある。アメやバッジを配ることか? ねぶた祭りか? 季節外れだ。ジャズバンドか。どれもこれも本当に人を馬鹿にしたような“アリバイ作り”ばかりだ。

 実は現在の自衛隊の居座りの真の仕事とは、侵略行為、大量殺戮行為に直接加担する、より危険で犯罪的な仕事なのである。「安全確保支援活動」と称する米兵輸送業務である。クウェートを拠点に昨年3月からC130輸送機で1300人もの「外国兵」を輸送したことが明らかになっている。ほとんどが武装米兵であり、イラクの前線へ配置される兵士と、イラクから帰任する兵士を二国間往復輸送しているのである。これは憲法第9条を踏みにじる「集団自衛権」の行使である。政府は、「信頼関係」を理由に詳しい実態を隠している。今年1月31日の参院予算委員会での、米兵の輸送回数に関する質問に対して大野防衛庁長官は「各国との信頼関係から言わないと決めている。オペレーションの内容は各国とも公表していない」と繰り返し答弁し、逃げまわった。一体誰への「信頼関係」なのか。国民への真摯で十分な説明も信頼関係も示さない小泉政府とは、一体どこの国の政府なのか。そして自衛隊とは一体どこの国の軍隊なのか。

 自衛隊は大きく様変わりしようとしている。
−−イラクの米軍占領支配体制において、米軍・イギリス軍・オーストラリア軍と自衛隊が緊密化し一体化し始めている。
−−元々口実、隠れ蓑に過ぎなかった「人道復興支援」活動から「安全確保支援活動」、特に米兵輸送に重点が移り始めている。
−−すでに宿営地と自らを「自衛」する「警護隊」が多数を占めている。
−−また、宿営地という陣地構築とその「防衛」を通じて、米軍の戦争に加担・協力するための実践演習が展開されている。宿営地へのロケット弾の被弾やクウェートでの銃撃演習などを通じて、自衛隊員がイラク人を敵と見、その支配、懐柔、制圧、銃撃・殺戮のための意識、訓練、体制を構築している。自衛隊は戦場イラクをまたとない実践訓練場とし、戦争をできる軍隊への変貌を目指している。第1次から第5次、第6次と全国の部隊を次々と派遣し、イラクでの実践を積ませることが最大の目的である。
 自衛隊は、なし崩し的に、実態からみても名目からみても、ますます侵略・占領軍としての性格を前面に出し始めているのである。
※ 空自、米兵ら1300人を輸送 イラク支援活動で(朝日新聞)
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200412270286.html
※米兵輸送回数「公表できない」 参院予算委で大野長官(朝日新聞)
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200501310109.html


(3) 絶対忘れない。3月は東京や大阪など米軍の大空襲で何十万人もの人々が亡くなった歴史の悲劇を思い起こす月でもある。とりわけ今年は、あれから60年の区切りでもあり、テレビや新聞で珍しいほどの特集が組まれている。広島・長崎と共に、無差別空爆、非武装の女性や子どもを瞬時に大量虐殺したことは間違いなく米軍の第一級の戦争犯罪である。米軍が無差別空爆の犯罪を戦後長い間とがめられなかったことが、ベトナムにおける、そして今回のイラクにおける無差別空爆の悲劇を繰り返させたのである。

 自衛隊のイラク派兵から1年と3ヶ月が過ぎようとしている。もはやこれ以上、自衛隊をイラクに居座らせてはならない。居座らせば居座らせるほど、自衛隊は変質し、血まみれの米軍との一体化・従属化、実戦化が進み、正真正銘の侵略軍へ変貌を遂げていくだろう。それは、イラク民衆を敵に回し撃ち殺す危険を高めるだけではない。「15年戦争」−−天皇制と共に、かつて日本の国家のあり方を根本的に変えた“軍隊”というものの恐ろしい復活、憲法改悪と日本軍国主義の復活、中国と朝鮮とアジア太平洋全体に災禍をもたらした過去の最もおぞましい「亡霊」を呼び覚まし打ち鍛えることになるのである。
 敗戦60年を迎えた今年、私たちは、声を大にしてもう一度、この上ない犠牲を払って米軍撤退を求めるイラク人民の闘いに連帯すると同時に、自衛隊の撤退を要求する。

2005年3月16日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局