【速報】イラク戦争被害記録
英医学誌『ランセット』の論文「2003年のイラク侵略前後における死者数−−集落抽出調査」より「要約」部分翻訳
最低10万人の衝撃:学術調査が初めて明らかにした米侵略・占領軍による“イラク人大量虐殺”。ファルージャの犠牲者が異常に突出
◎空爆による犠牲者の圧倒的大きさを証明。
◎しかもファルージャなど激戦地を除いた数字。


■署名事務局コメント
(1) “イラク民衆の虐殺”“イラク戦争の犠牲者”−−これは今回のイラク戦争犯罪の最も集中的な表現である。以下に紹介するのは、英の権威ある医学誌『ランセット』(オンライン版)に、つい先日同誌2004年10月30日号(10月28日オンライン掲載)に発表された論文「2003年のイラク侵略前後における死者数:集落抽出調査」(Mortality before and after the 2003 invasion of Iraq:cluster sample survey)のうち“要約”(Summary)部分の翻訳である。“要約”は非常に短い部分である。しかし、論文のエッセンスが集約されたとても重要なものなので、取り急ぎ翻訳し紹介することにした。(全訳は後日紹介したい)

 すでにメディアで報道されているように、この論文は米ジョンズ・ホプキンス大学、コロンビア大学とイラクのムスタンシリヤ大学による「米・イラク合同調査団」によるイラク人死者に関する調査報告である。調査団は、まず今年9月にイラク国内の約1000世帯で聞き取り調査を実施し、米軍侵攻以前と侵攻以後における家族の出生や死亡の状況を尋ねて実地調査を行い、その後、統計的手法で死者数を推計するという方法を使って本格的調査を行った。それによれば、少なくとも10万人のイラク市民が犠牲になったという。衝撃的な数字だ。
 合同調査団を率いたジョンズ・ホプキンス大学のレス・ロバーツ博士は「私は反戦を主張してきたが、科学的な数字は立場の違いを超えたものだ」と語った。学術論文という形式をとって、人口が密集する地域への空爆が、民間人への攻撃を禁じたジュネーブ条約と国際法に違反する事を科学的、統計学的に証明したのである。
※”集落抽出調査”(cluster sample survey)は人や世帯、事業所を調査するにあたって、調査区を設定して調査区のリストをつくり、単純無作為又は系統抽出法などにより調査区を選び出し、その調査区に所在する世帯や事業所などをすべて調べる方法であり、統計的に信頼性が確認されている手法である。
調査団は、イラクの18行政区域の人口に応じて33の集団に振り分けた。33集団のそれぞれが、イラク全土の人口の1/33あるいは人口にして73万9千人を表現していると見なされる。各集団は30世帯によって構成されるように設定した。そしてこの構想に基づき、今年9月、これら約1000世帯の聞き取り調査が実施されたのである。治安上の問題によって、当初各行政区域毎に設定した集団の配置は変更を余儀なくされたが、33集団の調査は実施された。各世帯における米軍侵攻以前と侵攻以後における家族の出生や死亡の状況が把握され、そして統計的手法に基づき、イラク全土における戦争犠牲者の全体像が把握されたのである。なお、この調査結果では、ファルージャやその他の激戦地はあまりに犠牲が大きかったことから、イラクの全土の典型的な地域と傾向を異にするため、これらの地域は「特異例」として除外された結果が報告され、参考として、これら地域を含めた結果が導き出されている。


(2) “虐殺の隠蔽”−−これは侵略者の常である。国際法を蹂躙してイラクに攻め込んだ何の正当性もない米国にとって、それは特に必要なことであった。現に米軍は侵略に先立って「犠牲者の数は数えない」と表明した。
 今回の対イラク侵略戦争で、米英と日本を含む「有志連合」軍は一体どれだけの無実のイラクの人々の命を奪ったのか。−−この重要な事実について、侵略者も、傀儡であるイラク暫定政府も、日本を含む世界の大手企業メディアも、調査や報道をサボタージュし、その実態をとことん隠そうとしている。

 しかし、非常に限られた形ではあるが、主として反戦の側からの抵抗という形でイラクの犠牲者数とその実態を明らかにしようという試みがなされてきた。その最重要の一つが米英のNGO「イラク・ボディカウント」である。米英メディアのほんの断片的に報じられる記事や現地の病院などからの情報を丹念に拾い集め、米当局が放棄した犠牲者のカウントを明らかにしようと奮闘してきた。
 だが如何せん「イラク・ボディカウント」は、現地調査ではなく米英のメディア報道からの抽出調査であるために、どうしても過小評価の批判・異論が免れなかった。これに対して今回の調査は、「イラク・ボディカウント」を含むこれまでの類似の調査とは異なり、統計的な標本調査の手法で、イラク人犠牲者の全体像を明らかにしようと試みたものである。この調査結果は、米にとって最も都合の悪い、知られたくない侵略の“暗部”に初めて科学的学術的調査の形で風穴を開けるものとなった。その意義はこの上なく大きい。


(3) 私たちは昨年の開戦以来「イラク戦争被害の記録」に地道に取り組んできた。その経験からしても、この論文で初めて提示された10万人という死者数は衝撃的であった。私たちはまだ十分に本論文を読み込んでいないが、以下に幾つかの特徴、感想を述べておきたい。

−−10万人という数は、これまで言われてきた数字と比較して非常に大きい。「イラク・ボディカウント」の6〜8倍である。一桁多い数字だ。しかし、調査結果をよく見てみると、ファルージャなど激戦地、すなわち最も犠牲者が集中しているはずの地域を除いた最低ラインであり、誇張どころか、むしろ条件付きの控えめな数字であることが分かる。
※イラクの人口を2400万人とすると、10/2400。これは、1000人に4.2人が死亡していることになる。日本の人口比では53万人にもなり、地方の大きな都市の住民全員が消えたの同じ事である。いかに大きな数字であるかを物語っている。

−−「イラク・ボディカウント」は、現在14,219人〜16,352人。これはメディア情報をベースにした推計である。メディアがとらえた死者数がいかに少なく、氷山の一角でしかないということが分かる。メディアが犠牲者数を報じることそのものが少なく、また、空爆などによって現場で殺された人だけを報道していることを考えればこれも当然である。その場では一命を取りとめても、十分な手当を受けられずに数日後に死んでしまった人などは絶対に報道されないのだ。

−−私たちは以前、イラクの団体「ピープルズ・キファー運動(覇権反対闘争)」が、数百人のイラク人活動家や研究者が2ヶ月にわたって遠隔の村々の訪問、墓掘人からの聞き取り、病院からの情報、そして殺戮現場を見た数千人の目撃者からの事情聴取等々をもとに、開戦以来の7ヶ月間で少なくとも37,000人という数字を割り出したことを明らかにしたが、それは今回の調査結果10万人という数字とも符合する内容である。
※「イラク戦争の民間人犠牲者は最初の7ヶ月だけで少なくとも37,000人を超える」(署名事務局)参照。その際、私たちは「おそらく全犠牲者はその時点で10万人に近づいているだろう」と評価したが、それでも過小評価であったことが、今回の調査結果から判明した。

−−論文は10万人という死者数だけでなく、米軍が戦争と占領支配下で行う無差別殺戮くのすさまじさを書き記している。米軍侵攻後の民間人の死亡率は侵攻前の1.5倍、ファルージャなど激戦地を含めると2.5倍に増え、暴力による死は実に58倍になった事を結論づけている。また論文からは、暴力による死者のうち、米軍の暴力によるものが8割を超え、そのほとんどは空爆による死者であることも示している。そして「有志連合」軍によって殺された人のうち、45%が子どもであることも明らかにした。無差別殺戮が如何に弱い者に集中しているかを暴いている。

−−米軍による暴力、特に空爆による死者がほとんどを占めることが証明されたことはメディアのウソを明らかにするものである。欧米や日本のメディアでは、毎日毎日紙面を飾るのは「自爆テロ」や「武装勢力による襲撃」などイラク民衆の反米・反占領闘争による被害を意図的に誇張している。しかし今回の調査は、イラク民衆の被害の過半が、米軍による掃討作戦、特に爆撃機や武装ヘリの空爆による無差別殺戮が最大の原因であることを明らかにした。米軍の残虐行為と同時に、メディアのミスリードが統計的に明らかになったのである。

−−ファルージャでの異常な大量虐殺。今回ファルージャでの死者は、「特異値」として統計から外さねばならないほど突出している。この地でいかに悲惨な大量虐殺が行われたのかを示している。ファルージャの死者は全体を通して群を抜いて多いが、グラフを見れば、2004年4月と8月、とりわけ4月よりも8月が突出していることがわかる。8月は「ナジャフの攻防」と言われているが、実はその裏でファルージャなどスンニ派三角地帯において途方もない大量虐殺が行われたことを示している。

−−犠牲者数は開戦の年である昨年よりも、今年の方が格段に多い。すなわち米側によるところの昨年3月20日から5月1日までの大規模戦闘の終結までよりも、その後の占領下での、そして今年6月の「主権委譲」に向けた掃討作戦、来年1月の総選挙に深く結びついた現在の掃討作戦が犠牲者を生み出す最大の要因になっているということを意味している。

−−論文の筆者たちは、自分たちのこの調査結果が最低ラインであることをはっきりと述べている。調査方法のベースが聞き取り調査であるため、家族全員が殺されたり、幼い子どもだけが生き残ったりした場合には元々の数字からはじかれる。抵抗地域の拠点への空爆によって一家が全滅する場合が非常に多いことからすればこの点は重要である。アブグレイブなど収容所で殺害されたり、行方不明になっている人たちも、どの程度含まれているのか。いずれにしてもこの10万人という数字でさえも過小評価だと、調査団は考えているのである。


(4)  私たちのコメントの最後に、ここに翻訳した「要約」とともに本文の「調査結果」の一部を、「調査方法」「調査結果」の順に幾つか指摘しておきたい。

@調査方法について
 調査は、イラク侵略がはじまる前の2002年1月1日から2003年3月18日までの14.6ヶ月と、侵略開始後の2003年3月19日から2004年9月中旬に至る17.8ヶ月の死者数を比較し、どれだけより多くの人々が戦争以降に死んだかをはじき出している。
 イラクの各行政区毎に設定された集団内での世帯調査が行われた。集団は各行政区毎の人口比に応じて割り当てられ、そこからランダムに選ばれた世帯に対しインタビュー調査が実施された。1集団あたり30世帯が調査され、全体では872世帯の7,868人が対象となった。表1は、各行政区について何集団が設定されたかを示している。

A調査結果について
A:死のリスクの上昇−−開戦後は開戦前の1.5倍
 戦争前は調査された全世帯で46人が死亡している(内、幼児8人)。このことから、粗死亡率は5人 (1,000人・一年間あたりの人口につき:以降同) (95%信頼区間で 3.7-6.3) となる。幼児の粗死亡率は29人 [95%信頼区間で 0-64]である。
 これに対し、戦争開始以後は142人が死亡している(内、21人が一歳未満)。粗死亡率は12.3人 (95% 信頼区間で 1.4-23.2)となり、幼児の粗死亡率は57人 (95%信頼区間 30-85)である。
 よって死のリスクは戦争が始まってから2.5倍(95%信頼区間で1.6から4.2倍)に上昇した事になる。
 なお、戦争開始後の死者数の1/3以上(53人)、そして暴力が原因となった死者の2/3以上(52人)がファルージャの事例である。ファルージャは特異な例といえるので、これを除くと粗死亡率は7.9人(95% 信頼区間で 5.6-10.2)となり、相対的に死のリスクは1.5倍 (95% 信頼区間 1.1-2.3)に高まったといえる。

B:死因--暴力死の増加−−開戦前の58倍に
 表2で注目を引くのは、占領中の暴力による死の急増である。侵略前の主要な死因は、心筋梗塞、脳血管性の事故、他の慢性障害となっているが、侵略後は暴力が突出している。ファルージャを入れると142人 中73人が暴力の犠牲となっている[51%]。ファルージャを除いても89人中21人 [24%]である。次いで心筋梗塞および脳血管性の事故(18人)、事故(13人)が要因となっている。
 同時に暴力による死は広範な地域にわたっており、調査した33集団のうちの15集団で事例があった。暴力による死は侵略後に58倍 (95% 信頼区間 8.1-419)になったことになる。
 「有志同盟」以外の暴力死は12人だけである。「有志同盟」によって殺された子供(平均年齢(中央値)8歳)は28人にのぼり、内10人は少女、16人は少年で、2人は幼児である。

C:死者数の推定--最低でも10万人のイラク市民が殺された
 イラク全土で死亡率が侵略前よりも上昇している事が証拠によって示されている。ファルージャを除いてさえ、である。ファルージャを除いたイラクの国土97%において、侵略後に、なにもなかった場合に予想されるよりも98,000人が上乗せで死んだと見積もられる(95%信頼区間 8000-194 000)。
 ファルージャでの統計集団(国土の3%)は、侵略前の数字からは1.4人の死者であるところ、53人もが死亡している。この地域の数字で推計すると、200,000人超が死んだ事になる。このことは、ファルージャが特異例であるといっても、イラク全土にてより多くの市民が死んだ事を示唆するものである。
 今回の調査はランダムに行われた。このため、ラマディ、ナジャフ、タルアファルといった、いわゆる激戦区は調査区から外れている。また、同じく激しい戦闘が続いているサドル・シティについては調査対象となっているが、偶然にも調査した集団は最近数ヶ月の衝突で死者が報告されなかった無傷の地域であった。ファルージャについても、極度に爆撃された2〜3の地域は調査対象から外れている。また、軍人が調査から外れている可能性、生存者へのインタビューによって死者の調査を行うという形式上、一家が全滅したり、離散・移住したりするような多大な被害を受けたケースが除外されやすいという可能性もある。

D:非人道性---無差別な虐殺。犠牲者のほとんどは米軍の空爆による
「有志同盟」によって殺された61人のうち、兵士に手持ちの銃で殺されたのは3人(5%)だけである。他の58名はヘリ、ガンシップ、ロケットその他、空からの攻撃で殺されている。
 米軍が死者をカウントしない、と公言している事に対し、ジュネーブ条約が占領軍は民間人に対する責任をコントロールするためのガイダンスを明らかにしており、同協定IV第27条で「暴力から保護する事」としている。占領軍の攻撃による死者の半数以上が女性と子供であった事は深刻な懸念の要因であり、死者の数も数えず、誰が犠牲になっているのかも調べずして、市民を保護することなどできるわけがないと考える。
 このような、市民がいる地域での「有志同盟」による武器の使用は見直されなければならない。

2004年11月2日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




2003年のイラク侵略前後における死者数;集落抽出調査
Mortality before and after the 2003 invasion of Iraq: Cluster sample survey
レス・ロバーツ、リヤド・ラフタ、リチャード・ガレルド、ジャマル・クダイリ、ギルバートバーンハム
『The Lancet 』(ランセット)October 30, 2004所収

[要約]

背景
2003年3月、米英軍を主軸とする軍隊が、イラクに侵攻した。私たちは、それ(侵攻)以前の14.6ヶ月間と以後の17.8ヶ月間の死者数の比較調査を行った。

方法 集落抽出調査は、2004年9月、イラク全土において実施された。30世帯からなる33集団の各々に対して、2002年1月以降の家族構成、新たに産まれた者、死亡者に関する聞き取りを実施した。死亡者がいると回答した家族については、その日時、原因、暴力死に至った状況等が記録された。私たちは、2003年の侵攻と占領に関連付けられる死の相対リスクを、侵攻前14.6ヶ月間とその後17.8ヶ月間の死者数を比較することで評価した。

結果
死亡リスクは、侵攻以前と比較して侵攻後2.5倍(95%信頼区間 1.6〜4.2)も高いと評価された。暴力による死者の2/3は、ファルージャにおける一つの集団で記録された。ファルージャにおけるデータを除外するならば、死亡リスクは、侵攻後は以前の1.5倍(1.1〜2.3)である。私たちは、(侵攻前の死亡率から:訳者)当然予想される人数よりも98,000人も上乗せの死者(8000〜194000人)がファルージャ以外の地域で発生し、ファルージャの異常に高い数値を含めるならば、さらに高い死者数となると見積もっている。侵攻以前の主要な死亡原因は、心筋梗塞、脳血管障害、その他の慢性疾患であったが、侵攻後は暴力が死亡原因の中心となった。33集団の中の15において報告されているように、暴力に伴う死者は拡大しており、同盟軍が主要に関与している。調査によると、同盟軍によって殺害された人々の大半は、女性と子供である。侵攻後の期間における暴力による死のリスクは、戦争以前の期間よりも58倍(95%信頼区間 8.1〜419)も高い。

解釈
控えめに見積もっても、私たちは、おおよそ100,000人を超える死者、あるいはさらに多くの死者が、2003年のイラク侵略によって生み出されたと推定している。暴力は、(通常発生しうるより:訳者)上乗せで発生した死の大半の原因であり、また同盟軍による空爆は、大半の暴力死の原因である。私たちは、公衆衛生に関する情報の収集が極度の暴力が吹きあふれている時期においても可能であることを明らかにしてきた。私たちの結果はさらに検証されることが必要である。そしてこの結果は、空爆による非戦闘員の殺害を減らすような変革に結び付けられるべきである。


表1 各地方行政区における人口推計(2003年1月)と割当集団

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図1 侵攻前後の一年間の各行政区域における人口1000人当りの推定死者数
 棒グラフは、一年間1000人当りの死者数を表している。アンバルを除く各行政区域の(表中の縦軸の)割合は、一年間1000人当りの死者15人の桁である。アンバルにおける死者数は、その10倍以上にもなる。

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表2 調査を行った988世帯のイラク侵攻前後における生存者数、および死亡原因(年齢毎に区分)

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図2 2002年1月から2004年9月における報告された死者数

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