パンフレット案内 [イラク戦争被害の記録] |
2004年11月:ファルージャの大虐殺 −−「選挙」と占領支配のために住民と街を抹殺した米軍−− |
ファルージャの民は告発する−− この小冊子は、2004年11月8日、市最大の総合病院などへの米軍の襲撃と虐殺で始まった"ファルージャの大虐殺"に関する記録です。私たちは、ファルージャが完全に封鎖され、メディアが閉め出され、密室での大量殺戮が公然と行われる中、海外の数少ない情報をもとに、ファルージャで起こっている戦争犯罪をできる限り丹念に「イラク戦争被害の記録」という日誌に書き留めました。ファルージャの出来事は、イラク戦争の中で最も残虐なものであり、アブグレイブと並ぶイラク戦争の“恥部”です。そして帝国主義アメリカの戦後の侵略戦争史の中でも特筆されるべき第一級の戦争犯罪です。この記録を緊急出版します。是非反戦・平和の活動にお役立てください。 A4判104ページ 頒価 1部700円+送料 お申し込み、お問い合わせは署名事務局まで。e-mail: stopuswar@jca.apc.org *パンフレットご希望の方は、宛て先と希望冊数をお知らせください。 パンフレットと振り込み用紙をお送りします。代金は後払いで結構です。
[イラク戦争被害の記録]発行にあたって 2004年11月:ファルージャの大虐殺 ――「選挙」と占領支配のために住民と街を抹殺した米軍―― イラク戦争被害の記録 [2004年11月〜2005年1月] 2004年11月:アメリカによるファルージャの大虐殺を人類史に留め置くために 帝国主義アメリカの戦後の侵略戦争史の中でも第一級の戦争犯罪を暴くために イラク占領監視センター元所長エマン・ハーマスさんを迎えて・講演会報告 メディアから隠された”大量虐殺”を告発 ファルージャとアブグレイブ、大量殺戮と拷問・虐殺の実態を生々しい証言で語る <集会決議> “餓死の危機”から5万市民を救え!米軍によるファルージャの大虐殺を糾弾し、 封鎖解除と即時撤退を求める決議 小泉首相のファルージャ虐殺支持発言糾弾!自衛隊派兵延長反対! 即時撤退! 集会決議 英医学誌『ランセット』の論文「2003年のイラク侵略前後における死者数−−集落抽出調査」より「要約」部分翻訳 最低10万人の衝撃、学術調査が初めて明らかにした米侵略・占領軍による“イラク人大量虐殺” ――ファルージャの犠牲者が異常に突出―― 写真・パネルの貸し出し案内 イラクに平和を! 写真が語る、戦争と占領の真実! ダール・ジャマイルが告発するファルージャの大虐殺写真パネル
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(1) この小冊子は、2004年11月8日、市最大の総合病院などへの米軍の襲撃と虐殺で始まった"ファルージャの大虐殺"に関する記録である。私たちは、ファルージャが完全に封鎖され、メディアが閉め出され、密室での大量殺戮が公然と行われる中、海外の数少ない情報をもとに、ファルージャで起こっている戦争犯罪をできる限り丹念に「イラク戦争被害の記録」という日誌に書き留めた。 ファルージャの出来事は、イラク戦争の中で最も残虐なものであり、アブグレイブと並ぶイラク戦争の“恥部”である。そして帝国主義アメリカの戦後の侵略戦争史の中でも特筆されるべき第一級の戦争犯罪である。是が非でもこの罪状を克明に記録しなければならない。私たちは、同時代に生き、そしてこのブッシュの戦争に加担する日本に生きる者としての重い責任を痛感した。 (2) ファルージャへの大規模侵攻は同年4月にも行われており、今回は2回目のものになる。しかも1回目の侵攻と虐殺がメディアを通じて世界を駆けめぐり非難の中で撤退を迫られた“教訓”から、態勢を立て直した米占領軍は、今度は狡猾かつ周到な計画と準備の下、世界最大最強の近代軍1万数千人を動員し、如何なる非難をも無視してこのわずか8km四方の小さな都市に一斉に襲いかかったのである。 結果は想像を絶する凄惨なものとなった。市内に残っていた約数万人、あるいは10万人とも言われる住民もろとも徹底的に破壊し虐殺し絶滅させたまさに“ジェノサイド”であった。イラク戦争開戦以来、その実情をフォローしてきた私たちにとっても、ここまで住民を皆殺しにする残虐行為は初めてのことであり身体全体が震えたのを今も忘れることが出来ない。 ※4月の侵攻と虐殺の実態については『ファル−ジャ 2004年4月』(ラフ−ル・マハジャンほか=著 益岡賢+いけだよしこ=編訳 現代企画室)に詳細が描かれている。 (3) ファルージャはまだ終わっていない。過去のものではない。侵攻は、約1週間後の11月13〜15日にかけて米軍当局と傀儡政府が「市内全域を制圧した」「制圧作戦はほぼ完了した」と発表したことで終了したかに見える。メディアからはファルージャの文字が消え去った。しかし、3ヶ月を過ぎた現在もなお米軍と傀儡政府軍は、ファルージャを軍事的に包囲し続けており、散発的な戦闘が続いている。その意味ではまだ完全な「制圧」は出来ていないのだ。住民の帰還も事実上全く進んでいない。
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(1) "ファルージャの大虐殺"−−数万人規模の住民を街に封じ込め、破壊しつくし、丸ごと虐殺・殲滅する軍事作戦。これは戦後の血塗られたアメリカの戦争犯罪の歴史の中でも例を見ない前代未聞の大虐殺である。ジュネーブ条約と人道関連の国際法は、今回の攻撃によって完全に蹂躙された。 米軍は30万都市ファルージャに避難勧告を出し、殲滅作戦を予告。7〜8割近くの市民が脱出したが数万人、あるいは10万人は街に取り残された。米軍は市全体を包囲・封鎖。子どもや女性などの死傷者の映像を世界に流させないために最初に病院・診療所を攻撃し破壊し、医師と看護婦を虐殺した。イラク国内のメディアの徹底した規制と排除。橋・道路の封鎖、電気の遮断、電話の切断、水・食糧・医薬品の搬入の禁止によるファルージャ市の完全な孤立化。残された住民は女性・子どもを構わず無差別に爆撃、襲撃された。おびただしい数の死体が道路に散乱したまま放置され、犬や猫が死体を食い散らかしている。死体が散乱し耐え難い腐臭が漂っている。こうした大虐殺の事実を知られることを恐れて米軍は救援団体、支援団体が入ることさえ拒否し、負傷した市民、食糧を絶たれた市民が次々と犠牲となったのである。サーモバリック爆弾、クラスター爆弾、化学兵器、白リン弾など非人道兵器の使用も報道されている。−−これが米軍である。 (2) ファルージャ周辺では依然20万人もの避難民が“難民キャンプ”でテント生活を余儀なくされ、医療・食糧・生活などが不足する中で極寒の冬の生活を強いられている。部分的に帰還が認められたが、米軍は町の出入り口に検問所を設け、「指紋採取」「網膜スキャン」で住民を選別し管理している。しかし帰還したとて住めるはずがない。生活基盤である発電所、送電網、給排水システム破壊で街は居住不能になっているのである。 (3) 住民の犠牲者数は一体どのくらいなのか。1月初めにファルージャに入ったIRIN(国連統一地域情報ネットワーク)が、がれきの中で腐敗し放置されている700体の遺体を発見した。実に作戦開始から2ヶ月後であるにも関わらず、である。そのうち550体、何と8割が子ども、女性であったという。4月の第一次ファルージャ攻撃の際に米軍が虐殺したのも7〜8割が女性と子どもだった。言うまでもなく米軍と傀儡政府はこれを「武装勢力」を殲滅したと発表した。 アラウィ政権は11月半ば、武装勢力2000人を殺害した、と誇示した。11月末にファルージャに入った赤新月社は、街中に死体が散乱していることを報告し、少なくとも死者6000人という数字を公表した。まだ発見されていない直接の死者だけでなく、一家全滅で統計できない犠牲者や、長い難民生活で死亡した者などをあわせれば、もっと大きな数になるだろう。これ以降まとまった数字は公表されていない。犠牲者がこの数倍に登る可能性は十分考えられる。イラク戦争勃発から犠牲者を統計しているイラクボディカウントの数は15654人〜17884人(2/6)である。6000人という数がいかにすさまじい数かがわかるだろう。
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(1) 1月30日に行われたイラク議会選挙の全貌はまだ明らかになっていない。しかし次のことを指摘するだけで十分である。このデタラメな選挙のどこが「民主主義の偉大な一歩」なのか。どこが「イラク国民の総意」なのか。国民のおよそ2割を占めるスンニ派は占領軍の武力によって選挙から暴力的に排除されたのである。この事実だけで十分だ。 今回の似非選挙は、国内の分裂状態、内戦の危機を改めて示しただけである。スンニ派の有力聖職者は、「今回の選挙結果を認められない」「選挙は正当化されない」と表明した。当然のことだ。 まず投票者数と投票率が全く信じられない。まだ投票締め切り前に72%がリークされ世界を駆けめぐった。批判されるや否や、今度は何の根拠もなしに60%が出てきた。そして今これが「公認」数字になってしまっている。−−しかし一人歩きした60%という数字がデタラメである。それは投票者/「登録有権者」であり、普通比較される「有権者全体」ではない。ここにまずカラクリがある。在外投票者数で言えばもっとはっきりする。「26万人が投票し、投票率は93.6%にのぼった」と報告され世界はびっくりした。しかし何のことはない、実際には有権者数約250万人〜300万人に対して実際投票したのは26万人、つまり10%程度に過ぎないのである。 イラク国内、国外を含めて、実際には50%を切っているのが実情ではないか、と言われ始めている。何の根拠もなしに米・傀儡からリークされ米欧日の企業メディアによって全世界に垂れ流されたデタラメな投票率。本当のところは全く分からない。米大統領が投票を呼び掛け、米大統領が「成功」を発表する、誰のためか分からぬ異様な選挙。ウソとでっち上げでイラクを侵略したブッシュのことである。イラク選挙をでっち上げることくらい何とも思っていないだろう。 (2) 長期に渡るフセイン政権の独裁下で、政治過程から排除されてきたシーア派やクルド人の一般民衆にとって、それがどれほど米軍に仕組まれたものであれ1票を投じることは、平和と復興への期待感の表れである。イラクの人民大衆の思いは痛いほど理解できる。 しかし一方で、食糧配給切符と引き替えに民衆を強制的に「投票」させた事実については、欧米も日本のメディアも全く報じていない。もちろん手練手管で生き抜いてきた傀儡政府のこと、公式の「通達」を出すような下手な真似はしない。噂を流したり、選挙登録を兼ねる「食糧配給者」が「投票しなければ食糧配給をストップされる」とささやくだけで十分だ。ほとんどが失業者である現在のイラク国民にとって、唯一の生きる糧である食糧切符がエサにされることは、文字通り「投票の強制」ということを意味する。一種の脅迫である。本当にどこまでも「自由」な選挙である。 ※「食べ物を得るための投票」?&投票率について。http://teanotwar.blogtribe.org/entry-2d65fe4fedac596cfccc8e6dc8dc9b8d.html ※「食料と引き替えに投票しただけ」(Dahr Jamail's Iraq Dispatches ダール・ジャマイルのイラク速報 2005年1月31日)http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Vote_for_Food.html (3) もちろんブッシュや米国批判、占領批判は御法度。米占領軍の撤退を要求する者は最初から排除された。というよりファルージャのように皆殺しの目にあった。候補者は宗派ごとに分裂し、国民に政策や主張は分からない。選挙の前後に非常事態令が敷かれ、国境は遮断され、通行は規制され、米軍はパトロールと掃討作戦を続けていた。 当日のある報道は、「投票所はまるで米軍基地のようだった」と伝えている。米軍がその武力を背景にイラク全土を威圧し、ブッシュと占領に反対しようものなら皆殺しにされる恐怖を植え付ける。親米傀儡政府の支持者だけからなる候補者を選ばせる。このような選挙など、どこから見ても選挙とは言わない。シーア派とクルド人が勝つのは最初から分かっている。まさに茶番劇である。 (4) そして、このデタラメなイラク議会選挙を「成功」させるために、生け贄にされ見せしめにされたのが“ファルージャ”なのである。ブッシュと米国による、ブッシュと米国のための、ファルージャ大虐殺と選挙。この二つは密接不可分に結び付いていた。イラクで最もブッシュと米占領軍に刃向かう住民と抵抗の拠点を壊滅させることで、抵抗運動を沈黙させ、「選挙」をごり押しするためである。選挙結果はスンニ派三角地帯を中心とする反米勢力を徹底して排除し政治過程から抹殺するという米占領政策の本質を明るみに出した。 選挙後の政治情勢は流動的である。シーア派とアラウィ、スンニ派の諸勢力、クルドそれぞれの内部と相互の間で、内紛と対立が始まっている。しかし米軍の即時無条件完全撤退を要求する動きは選挙参加者の間からは出ていない。現時点ではイラク国内の政治的軍事的勢力関係はそのままである。シーア派とクルド人からなる新しい傀儡政府と傀儡議会が作られる。しかしこれは現在と同じだ。米とシーア派との間では「談合」が成立している。アラウィ一派は米の代理人として権力の中枢に居座り続けるだろう。要するに一つの傀儡政権から別の傀儡政権に変わるだけである。 米軍も駐留し続ける。事実上選挙前も選挙後も、イラク国家の「暴力装置」、すなわち「権力の中の権力」は米軍が指揮する多国籍軍が握り続ける。事実上の米占領支配は続く。米軍の撤退と「出口戦略」が語られ始めているが、米政府も傀儡者たちも想定しているのは全面撤退ではなく部分撤退である。米政府はすでにイラクに十数カ所の「恒久基地」を建設し長期駐留を前提に動いている。 (5) 議会選挙が告示されて以降、米軍は残虐極まりない掃討作戦をエスカレートさせた。イラク民衆の反米武装闘争は激しさを増し、犠牲者は急増した。選挙当日も各地で襲撃が相次いだ。米が選挙を強行したことによって生じた犠牲者である。1月30日の選挙が終わった後も武装勢力による反米攻撃は収まる気配はなく、むしろ激化している。米軍とともにイラク治安部隊が標的となっている。選挙はイラクを安定化させるどころか、逆にイラク内部の対立を激化させ、反米・反占領民族解放闘争をますます燃え上がらせるだろう。
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(1) この小冊子には、「イラク戦争被害の記録」の一連のファルージャ編に加えて、米のイラク戦争と占領支配に関する2つの重要な記録を掲載した。 一つは、私たちが昨年11月23日、イラク占領監視センター元所長エマン・ハーマスさんを迎えて行った講演会「イラク現地は訴える:米占領の暴虐の真実−−」の集会報告と決議である。エマン・ハーマスさんの現地からの生々しい証言がつづられている。 二つ目は、英の権威ある医学誌『ランセット』に発表された論文「2003年のイラク侵略前後における死者数:集落抽出調査」の要約部分の翻訳である。この論文は、イラク戦争と占領支配の犠牲者が最低でも10万人に上ることを明らかにしている。エマンさんはこのランセットの10万人でさえきわめて低く見積もりすぎだと語っている。 (2) ファルージャの真実を日本の一人でも多くの皆さんに知ってほしい、生々しい現実を目を背けずに見てほしい、戦争とは何なのか、米軍とは何なのか見抜いてほしい−−この小冊子は、このような思いから私たち署名事務局が企画した写真・パネル展「ダールジャマイルが告発するファルージャの大虐殺」の開催にあわせて緊急発行するものである。 私たちが記録した「イラク戦争被害の記録」の中にも幾つもジャマイルさんの発信した記事の翻訳がある。米のフリージャーナリスト、ダール・ジャマイルさんは、「米国の『主流』メディアが、不法なイラク侵略と占領の真実をほとんど伝えていない」中で、真実を伝えようと自らイラクに入り、2003年11月より自らのウェブログ “Iraq Dispatches”で米のイラク占領支配の実態について世界に訴えてきた。そしてファルージャの大虐殺では、米軍の蛮行と犠牲者や難民の姿を世界に発信し、今もバグダッドに留まり活動を続けている。この命を賭けた闘いを少しでも日本で紹介できればと思う。そして彼の活動をできるだけ多くの人々に支援して頂きたい。 (3) 自衛隊のイラク派兵についてはよく知られている。しかしイラク戦争と民衆虐殺への日本の加担については、それだけにとどまらない。今や在沖・在日米軍基地はイラク侵略・占領の拠点になっているのである。11月の大虐殺には沖縄の海兵隊が大勢加わった。4月のファルージャ、8月のナジャフ等々でも、在沖海兵隊が「掃討作戦」で中心的役割を果たしている。目には見えないだけで、明らかに日本の私たちは、ファルージャ大虐殺の加害者なのである。この忌々しい現実を今一度確認したい。 (4) ファルージャの大虐殺はまだ終わっていない。二重、三重の意味で終わっていない。第一に、難民があふれ、帰還のめどが立っておらず、米軍の掃討作戦はまだ続いている。米軍に対する抵抗闘争がねばり強く継続され、未だにファルージャを制圧できずにいる。第二に、ファルージャの大虐殺の記憶は決してイラク民衆から消え去ることはないだろう。今後の米軍の占領支配に対する反発と闘争を生み出し続けるだろう。 それだけではない。第三に、この大虐殺の事実そのものが、犠牲者の数を筆頭に未だにその全貌が明らかにされていないからである。ファルージャ大虐殺を追及する闘いは、沖縄の海兵隊が直接虐殺に加わったという意味でも、小泉首相が「成功させないと」と露骨な支持を表明したという意味でも、ファルージャ大虐殺の真っ最中に日本政府が自衛隊の派兵延長を決定し加担したという意味でも、米国だけではなく、日本の反戦運動と市民が、米国と日本の首謀者と協力者をして謝罪と補償をさせるまで、決して終わらせてはならない。
2005年2月7日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 |