2006年12月13日(水)午後4時から、さいたま地裁105号法廷にて、所沢高校・井田将紀くん自殺事件の裁判、口頭弁論の第3回目があった。
前日の12月12日(火)に、文部科学省に学校事故や事件、自殺原因などの事実関係を究明するための第三者機関の設置を求め請願するために上京していた「全国学校事故・事件を語る会」のメンバーの何人かが傍聴支援に訪れていた。
今回は原告側は、教師らの叱責と自殺との法的な因果関係について、過去の教師の叱責後の自殺事例、なかでも同じ埼玉県での大貫陵平くんの自殺事件(000930)、兵庫県神戸地裁での同様事件の原告勝訴判決(940909)、文部省・文部科学省の通達などを根拠として、教師の叱責による自殺の予見可能性について準備書面で述べた。さらに、教師らの証言を元に、弁護士らが再現ビデオを作製したものを証拠提出したという。
一方で、被告の県側は、当時教師らが書いた反省文は、将紀くんの母親が無理やり書かせたもので、その内容は事実ではないと主張。
お母さんは、「あの反省文は先生方が自分たちから出してくださったものなのに、なぜ今頃このようなウソをつくのだろう」とたいそうショックを受けていた。
将紀くんが書かされた反省文は教師らが強要したものではないと主張し、一方で、自分たちの書いた反省文は母親に強要されて書いたものだと言う。
あの反省は何だったのか。最初からポーズだけだったとは思いたくない。訴訟になってから、弁護士に入れ知恵されたのではないかと言う。
訴訟とは、そういうものだとわかりつつ、感情は割り切れない。
傍聴に参加していた別の遺族は言う。「まだいい」と。「私なんか、息子が死んだのは母親のせいだとはっきり学校側に書かれた」と言う。
みんな自分の非は認めたくない。保身に走る。それでも、やっていけないことがあるだろうと思う。
当人が死んでしまった今、誰がいちばん傷ついているのか、悲しんでいるのか、辛いのか。自分の責任を回避するために親を責めることが、どんなに残酷なことか。それでなくても、親はわが子を救えなかったことを悔やみ続けている。だからこそ、同じ苦しみを誰にも味あわせたくないと訴訟に踏み切った。
兵庫県川西市の宮脇さんの熱中症死(S990727)でも、学校側はここまで事実を明らかにしたのだからと、まさか訴訟になるとは思っていなかったという話を聞いた。そのとき私は、結局は教師と親とで、亡くなった子どもの命に対する責任の重さの認識がそれだけ違ったのではないかという話をした。
同じことが所沢高校の教師たちにも言えるのかもしれない。ある程度の事実は伝えた。反省文も書いた。ここまでやったのになぜ訴えられるのかと反発があるのかもしれない。
子どもがよく「謝ったのに」と言う。「謝れば許してもらえる」という甘えと計算。許してくれないことへの不満。しかし、謝ったのは悪いことをした事実に対しての誠意の見せ方であって、責任をとったことにはならない。それに、許す、許さないを決めるのは、加害者側ではなく、被害者側のはずだ。
謝って回復できる傷なら許してもらえるかもしれない。しかし、一度失われた命は戻ってこない。自分たちでとことん責任の取り方を考えて実行したのか。失われた命は戻ってこないまでも、「もう、いいですから」と誠意はつくしてもらえたと遺族が納得のいくものだったのか。
子どものいじめでも、大勢でやったほうの責任は人数分の1しか感じない。5人でやれば5分の1の責任しか感じない。しかし、やられたほうは、5倍以上に感じる。まして、生徒と教師はけっして対等ではない。1対1でも威圧感を感じる。教師には権力がある。比例して責任もあるはずだ。
相手の気持ちへの想像力のなさが、時に相手を追い詰め、死にまで追いやる。
いじめの加害者が反省できない学校社会。大人がまずは、責任のとり方の見本を子どもたちに見せるべきではないか。「誰にでも過ちはある。肝心なのは、その後の責任の取り方だ」と。
しかし現実には、いじめ事件でも、子どもたちにはけっして見せたくないシーンばかりが繰り返される。保身に走り、自分たちの非を認めて謝ることさえできない。責任を転嫁する。攻撃に出ることで、相手の口を封じようとする。きれいごとを言っても、自分たちのやっていることはこの程度か、そう思って子どもたちはニュースを見ていることだろう。
裁判の傍聴には、将紀くんの元同級生らが毎回、大勢、駆けつけてくれている。
教師たちは、自分たちの今の行動を生徒たちに胸を張って見せられるだろうか。
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次回は、原告被告の日程調整がなかなかつかず、2007年3月14日(水)。さいたま地裁で4時から。
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