2016/2/24 | 大阪市立桜宮高校バスケット部指導死事件、民事裁判判決(2016/2/24) | |
2016年2月24日(水)、13時10分から東京地裁615号法廷で、桜宮高校指導死事件の民事裁判(平成25年(ワ)第32577号)の判決が言い渡された。 裁判官は岩井伸晃氏(裁判長)、橋祐喜氏、周藤崇久氏。 裁判所は、顧問教諭の有形力行使による暴行及び威迫的言動を、教育上の指導として法的に許容される範囲を逸脱した一連一体の行為として、不法行為法上違法と評価。自殺との相当因果関係、予見可能性を認定して、被告大阪市に、原告父に対し3715万余円、原告母に対し3626万余円、原告兄に対し154万円、計約7500万円の賠償を命じた。(生徒にもストレスに弱い面があったとして、3割の減額)。 この事件で、元顧問教諭は、 2013年2月13日、懲戒免職。 2013年7月4日、大阪地検が、元教諭を傷害、暴行両罪で在宅起訴。 2013年9月26日 大阪地方裁判所で、元顧問教諭(47)に対し、傷害と暴行の罪で、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決(刑事裁判)。 民事裁判で遺族側は、元顧問を被告にはしていなかった。 国家賠償法第1条1項に「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」とあり、多くの民事裁判で公務員である教師を被告にしても棄却され続けている。 一方で、同法第2項には「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」とあることから、大阪市がすでに民事裁判で敗訴した場合に、元顧問に損害を請求することを提示していたのか、元顧問はこの民事裁判に補助参加人として参加していた。 なお、これだけ注目された事件の判決なので、いずれ、判例時報や判例タイムズなどに判決文が掲載されるのではないかと予想するが、同種の事件の民事裁判に被害者側に何らかのヒントになればと思い、以下、判決内容を少し詳細に書いてみた。 |
||
判決要旨 (適宜内容を編集。なお、争点の数字は判決文のものと必ずしも一致しない) 争点1 元顧問教諭の言動を「一連の不法行為」とするか 原告(遺族)側は、元顧問教諭Kの以下11の言動について、個別に違法性を主張するのではなく、一連の不法行為と主張した。 【本件行為】 @ 「キャプテン辞めろ!」等の威迫的発言をしながら、Aを殴るなどした行為。 A 専攻実技授業において、男子及び女子の各バスケット部のキャプテンに対してリーダーについての考え方を発表させ、発表が意に沿わない内容であったことを理由に、Aを他の生徒らの前でひどく責め立て、キャプテン失格である趣旨の人格非難を行った行為。 B 高校の「オープンスクール」の際、Aのプレーが意に沿わないものであったことを理由に、中学生等の見学者らや他の部員ら等の面前で、「キャプテン辞めろ!」と怒鳴りつけるなどの威迫的発言をした行為。 C 他校との練習試合の際、AがTシャツの袖で汗を拭いた際にボールを取られたことに立腹し、少なくとも1回、本件生徒の頬を平手で殴った行為 D 他校との練習試合の際、ルーズボールヘの飛びつき方が悪いとの理由でAを他の部員ら等の面前で激しく叱責し、体育館2階部分の周回ランニングコースを走らせる懲罰を科した上で、その走り方が全力でないとしてAを叱責した行為。 E 他校との練習試合の際、練習試合の合間にAを呼びつけてその両頬を平手で数回殴打し、休憩時間中にもルーズボールヘの飛びつきの練習をさせ、「やる気が感じられない」などと難癖を付けて顔面又は頭部を平手で数回殴る暴行を加えた上、練習試合の終了後、再びルーズボールヘの飛びつきの練習をさせ、失敗する度に1回ずつ、合計で5回程度、その顔面及び頭部を平手で殴打する暴行を加え、また、バスケットボールを投げつけて2回くらい顔面に当て、「なんぼやっても一緒や。キャプテンも辞めろ」等の威迫的発言をし、その後、体育教官室に来た本件生徒に対して「聞かれても何も答えられなかったら、キャプテンなんかできんやないか。キャプテンなんか辞めてしまえ」等の威迫的発言をした行為。 なおこれらの暴行により、Aは唇及びその周辺の出血及び打撲傷、鼻の打撲傷等の傷害を負った。 F 他校との練習試合の開始前にAがKに「はい」と大きな声で返事をしたのに対し、「何がはいや!分からんくせに分かったふりをするな!」と難癖を付けて怒鳴り、練習試合中もAに対してワンプレーごとに「キャプテン辞めろ!」などと怒鳴りつけ、練習試合の後も本件生徒を他の部員ら等の面前で「キャプテン辞めろ!」などと怒鳴りつけた行為。 G 体育教官室にAを呼び出し、Aが「しんどい」ことを理由としてキャプテンを辞めたいと申し出たにもかかわらずこれを認めず、約3ないし4時間にわたってAに対する威迫的言動を繰り返した行為。 H 他校との練習試合において、他の選手の反則で試合が止まった際、プレー中であったAをベンチ近くに呼び出して他の部員ら等の面前で「何でディフェンスを見ない」等と責め立てつつ、コートを斜めに横切るような形で本件生徒を追い詰めるようにしながら顔面を少なくとも十数回にわたって平手で殴打し、その後のタイムアウトで試合が止まった際も、「しっかりやれ!」等の威迫的言辞を述べながら本件生徒の頬や側頭部を少なくとも2ないし3回にわたって殴打し、「叩かれてやるのは動物園やサーカスで調教されてる動物と一緒や。Aは動物か。」等の侮辱的言辞で責め立てた行為。 なお、これらの暴行により、Aは、全治約3週間を要する上唇の中央部及び下唇全体の粘膜下出血並びに下唇左側の粘膜挫創の傷害を負った。 I 練習試合の後、部員らを集めた上で、「Aのせいで今日は負けたんや」、「Aをキャプテンから外す」等と責任を全て本件生徒に押しつける威迫的発言をした行為。 J Aを体育教官室に連れて行った上、約1時間にわたり責め立て、その際、「殴られるのがしんどいなら、キャプテン辞めて控えチームに行きな。試合も出さへん、それでいいんやな」、「これからも怒ったり叩いたりするけどキャプテン続けれるか」、「殴られてもいいんやな」等と理不尽な選択を強制した行為。 裁判所は、上記Gについては、KがAに対して多少強い語調で話していた可能性は相当程度あるとみられるものの、長時間にわたる威迫的な言動を行っていたことを基礎付ける具体的な証拠は見当たらないとしたが、11の行為をほぼ事実として認定。 また、有形力の行使による暴行については、生徒の非違行為を前提とする懲戒として行われたものではなく、教員の生徒に対する指導の過程において教員の指導への生徒の対応が教員の意に沿わないことに対する制裁等として行われたもの(広義の体罰)と認められ、(中略)上教育上の指導として法的に許容される範囲を著しく逸脱した暴力的な虐待行為(文部科学省の示達に係る生徒の自殺の危険性を増大させる身体的虐待)とみるべきものであって、その違法性は強いものというべきである、とした。 そして、これらの暴行に付随し又は前後して繰り返し行われた威迫的言動等も、本件バスケット部の顧問及び監督の教員としてキャプテン人事や選手起用及び練習方法等の全ての事項につき決定権を持って部員の生徒らを支配する立場にある補助参加人(K)を主体とし、これらの多数回かつ強度の暴行を伴い又は背景とするものである上、それ自体が極めて威迫的、攻撃的で侮辱的な罵倒や人格非難を伴うなど本件生徒に強い心理的打撃を与えて精神的に追い詰める内容や態様のものであり、かつ、非違行為に当たる余地のないプレー及び発表や発言の内容等が自らの意に沿わないとする補助参加人の不満や苛立ち等に起因するものであって、懲戒の対象となり得るものではなく指導の方法も注意や助言で足りるものであって、上記のとおり暴行の強度も次第に激化して出血や受傷を伴うより強度の暴行が複数回続いていたこと等に照らせば、本件生徒(A)に、自らのプレーや言動を契機としていつ何時、補助参加人(K)からこれらの威迫的言動等やこれに伴う強度の暴行等を誘発するか分からないという強い不安や恐怖及び苦悩や混乱を惹起したとみるのが相当。 罵倒して本件生徒の人格の尊厳を傷つける侮辱的な暴言とみるべきものなど、そもそも教育上の必要性や相当性を認め難いものが多数含まれており、全体として、本件生徒に強い心理的打撃や屈辱感等を与えるのみならず、本件バスケット部の他の部員等との関係でもいたずらに負い目を負わせて心理的葛藤等を惹起し、本件生徒の自尊心を著しく傷つけるものであって、著しい精神的苦痛をもたらす内容や態様のものであったというべきである。 これらの諸事情を総合考慮すると、補助参加人による上記の威迫的言動等もまた、上記の暴行と相まってこれらと一体化し、教育上の指導として法的に許容される範囲を逸脱した一連一体の行為として、不法行為法上違法と評価されるものというべきであるとした。 さらに、(Jの言動は、)それまで何度も授業や試合等の場で補助参加人からキャプテン辞めろ等と責め立てられ、キャプテンを続けることが苦しい旨を申し出て辞める方向の考えをうかがわせる発言をしている本件生徒に対し、本来はキャプテンを辞めたからといって直ちにAチームでのプレーができなくなるものではなく、キャプテンを続けるからといって補助が加人から違法な暴行や威迫的言動等を受け統けることを甘受しなければならないものでもなく、このように理不尽な選択肢のみに限定すべき必要性は認められない以上、上記のような違法な暴行や威迫的言動等を背景として、本件生徒に耐え難い葛藤を生じさせる理不尽な選択肢のみを示した上でこれらを受け続けることを甘受させるべく不当に誘導してその応諾を事実上強制したものと評価すべきであって、上記の暴行や威迫的言動等と相まってこれらと一体化し、教育上の指導として法的に許容される範囲を逸脱した一連一体の行為として、不法行為法上違法と評価されるものというべきである(上記の理不尽な応諾の強制を含むこれらの一連の威迫的言動等の全体が、上記の暴行と相まって、文部科学省の示達に係る自殺の危険性を増大させる心理的虐待に該当するものとみるのが相当であるといわざるを得ないとした。 (なお、全力で走ることを指示したDの行為については、不法行為に該当するとまでは言い難いとした。) 争点2 Kの有形力の行使や言動等の行為と自殺との因果関係 他に本件生徒の自殺の原因となり得るような苦悩や問題を本件生徒が抱えていたことを認めるに足りる的確な証拠はないことから、本件生徒の自殺は、本件生徒が補助参加人による本件暴行等によって強い心理的打撃や屈辱感等を受けて著しい精神的苦痛を被り、これにより強い不安や恐怖及び苦悩や混乱に陥り、何を言ってもいかに努力してもこれを回避する手立てがなく、かえって更に暴行の強度や威迫的言動等の態様が激化して更なる身体的、心理的な受傷を甘受し続けるほかないという絶望感と心理的窮境に追い込まれ、精神的に追い詰められたことを原因として惹起されたものとみるのが相当であり、補助参加人(K)による本件暴行等がなければ本件生徒(A)が自殺に至ることはなかったといえることは明らかであって、補助参加人による本件暴行等と本件生徒の自殺との間に条件関係が優に認められるものというべきである、として相当因果関係を認定した。 被告大阪市やKは、遺書にKの有形力の行使や叱責等に言及されていないことや、AがKに対し、キャプテンをしているのは大学進学のためである旨述べたこと等を指摘した上で、「本件生徒の自殺の主な原因は本件生徒が能力的に本件バスケット部のキャプテンとして求められる役割や責任を果たすことができないことや、そのことについて家族の期待に応えられないことについて思い悩み、その不安に耐えられなかったことであったとみるべき」で、「Kの有形力の行使や叱責等は、Aの自殺の背景ないし遠因の一つとして位置付けるのが相当」「母の対応がAを自殺に導いた不可欠の要因」と主張した。 しかし裁判所は、「少なくとも本件生徒が自殺した平成24年12月の時点において、原告母及び本件生徒は、スポーツ推薦ではなく入学試験の受験による大学進学の選択肢を具体的かつ真摯に検討していた」ことや、「Kによる暴行や威迫的言動等に苦悩する様子を示していたAに対し、原告母はキャプテンを辞めるように勧めていること」、「Aをキャプテンから外す可能性を示唆された際も特段これに異議等を述べていない」ことなどから、原告母が既に苦悩を言動に表していた本件生徒にキャプテンを続けさせることに固執していたことをうかがわせるものとはいえない」として、否定した。 また、Kの言動について、「補助参加人は、本件生徒の自殺の直後においては、(Aの担任の)S教諭に対し、「本当に暴力はよくない」、「気づいてやれなかった」等と自らの非と責任を認めて反省している旨の発言をし、本件ニュース番組に出演して自らの責任を認めて謝罪する旨の発言をするなどしていたにもかかわらず、本件刑事事件の判決宣告後の平成25年秋頃、S教諭に対し、本件生徒の自殺について前言を翻して「何で死んだかわからへん」等と自らに責任がない旨の発言をするなど、自らの刑事責任が執行猶予となり本件訴訟の提起を経て民事責任に係る求償のリスクを認識した後に態度を一変させている」として、「Kの上記供述はにわかに措信し難いものというべきであり、採用することができない。」とした。 なお、「被告及び補助参加人は、長年にわたる補助参加人の指導歴の中で、有形力の行使や厳しい叱責を伴う強豪校に特有の厳しい指導によっても、自殺したり精神的な不調を訴えた生徒は一人もいないことを指摘」するが、「補助参加人による本件暴行等がなければ本件生徒が自殺に至ることはなかったといえることが明らかである以上、他の生徒らとの比較等に関する事情は、寄与度による減額の可否等において問題となり得るものの、本件暴行等と本件生徒の自殺との間の条件関係を否定する根拠となり得るものとは解し難い」とした。 争点3 予見可能性の有無 前記のとおり、高校や中学校等の生徒や児童が教員の指導を契機として自殺に至ったとされる事例は、昭和27年頃から平成24年頃までの間に約60件(平成元年以降は約40件、平成10年以降は約30件)に上っており、平成19年頃以降、これらはいわゆる「指導死」と呼ばれ、教育関係者やメディア等によって社会問題として取り上げられており、補助参加人が本件暴行等を行った平成24年11月以前にも、このような「指導死」の事例が相当の件数に上っていることを指摘した上で、個々の具体的な事案の経緯等について詳細に紹介する雑誌記事や単行本等も相当数刊行されていたものである。 そして、文部科学省は、平成21年3月に、生徒や児童の自殺の危険因子の周知と防止を目的として、「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」と題するリーフレット(武田註:http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2009/04/13/1259190_12.pdf )を全国の高校、中学校及び小学校の教員に配布し、 平成22年3月には、@ 「命の教育と自殺の防止」(第6章U第9節)及びA 「体罰の禁止」(第7章第2節4)の内容を含む「生徒指導提要」(武田註: http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/04/1294538.htm →生徒指導提要 第5章〜第8章 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/04/__icsFiles/afieldfile/2011/07/08/1294538_03.pdf P192 P207 )を全国の高校、中学校及び小学校に配布して周知しており、 上記@においては、高校生,中学生及び小学生の自殺者数が年間300人前後で推移するなど生徒や児童の命を取り巻く危機的状況の下で、生徒や児童に対する身体的虐待(身体に傷害が生じ又は生ずるおそれのある暴行を加えること)や心理的虐待(著しい虐待又は著しく拒絶的な対応など生徒や児童に著しく心理的外傷を与える言動を行うこと)が自殺の危険を高めることを指摘した上で、教員に対し自殺防止のための適切な措置や配慮を促す内容が記載されており、 上記Aにおいては、学校における生徒や児童への体罰は法律により禁止されており(学校教育法11条ただし書),身体に対する侵害(殴る、蹴る等)や肉体的苦痛を与える懲戒である体罰を行ってはならず、体罰による指導では正常な倫理観を養うことはできず、むしろ生徒や児童に力による解決への志向を助長することにつながる弊害があり、指導を行う際には体罰に及ぶことのないよう十分に留意する必要がある旨が明記されている。 これらの事実に照らせば、補助参加人が本件暴行等を行った平成24年11月頃の当時において、生徒や児童に対する暴行や心理的外傷を与える言動(身体的、心理的虐待)が生徒や児童の自殺の危険性を増大させることについて注意喚起を促し、また、体罰等を行ってはならず、生徒や児童に対して自殺防止の措置や配慮を含む適切な指導を行うべき旨の示達を周知していたことが認められる。 本件暴行等の態様は、上記の記事等において「指導死」の原因として例示されている教師の指導の態様(長時間に及ぶ口頭での注意等)に比べても、はるかに強い精神的苦痛を生徒に与え、深い絶望感を伴う精神的な窮境に追い詰めるものであったというべきである、とした。 補助参加人(K)は、「本件暴行等を行った時点において、高校の保健体育の教諭並びに運動部の顧問及び監督を務める教員として、当該部に所属する生徒の自殺の予防のために適切な措置や配慮を講ずべき注意義務を負っていたにもかかわらず、それに反して生徒の自殺の危険性を増大させる行為である本件暴行等を自ら行い、その強度を激化させていったものであって、これらの自らの行為によって本件生徒が精神的に追い詰められて自殺に至る危険のあることにつき、当然に予見してこれに留意すべき立場にあり、かつ、現に予見し得たものというべきであるから、補助参加人には本件生徒の自殺について予見可能性があったものと認めるのが相当である。」として、予見可能性を認めた。 被告及び補助参加人は、「指導死」として報道等がされているものの中には、指導態様が違法とはいえないものや指導と自殺との因果関係が明らかではないものも含まれており、これらを前提として報道等がされた事例から本来の「指導死」に該当しないものを除外すれば、指導を契機とする自殺という現象は極めて稀有なものである旨主張する。 しかしながら、仮に、報道等がされた「指導死」の事例の一部に法的な評価として教員の指導の違法性や生徒の自殺との相当因果関係を認め難いものが含.まれていたとしても、そのことによって、補助参加人の高校の教員としての上記の注意義務の内容及びこれを前提とした本件生徒の自殺に係る予見可能性に関する評価及び判断が左右されるものではなく、現に教員の指導を契機とする生徒の自殺(「指導死」)の事例が平成24年当時(特に平成元年以降)において相当の件数に上っており、特に平成10年以降は年間の件数も増加していると認められる以上、そうした生徒の自殺を稀有な事態と軽視して教員の暴行や上記の言動を伴う行き過ぎた指導の危険性を過小評価することは相当ではないものというべきである(生徒の自殺という事柄の重大性に鑑み、形式的な年間の件数のみを理由にその危険性を軽視することは、文部科学省の示達の趣旨を正解せず、適切を欠くとの評価を免れないものといわざるを得ない。) 被告及び補助参加人は、過去に指導と自殺との相当因果関係が裁判例で肯定された事例は、中学生又は小学生の事例であって、高校生である本件生徒とは事情が異なる上、本件は部活動における指導であって学習生活上の指導とは異なり、ある程度の厳しさを伴う指導は想定されているというべきであり、その意味で部活動における指導を受ける生徒の精神的負担も相当程度軽減されている旨主張する。 しかしながら、中学生や小学生と高校生との間に、教員の指導を契機として自殺に至る蓋然性の大小に関して一般的に有意な差があることを認めるに足りる的確な証拠はなく、文部科学省も、全国の高校、中学校及び小学校の全ての教員に対して自殺防止のリーフレットを一律に配布し、その内容も高校生と中学生や小学生とを区別することなく教員に自殺の危険性や防止措置の必要性を注意喚起するものとなっており、自殺した生徒が高校生であることの一事をもってその自殺に係る教員の予見可能性が否定され得るものではないというべきである。 争点4 慰謝料と生徒が自殺したことに対する本人性格の寄与度分相殺 裁判所は、 本件暴行等の態様やその前後の経緯及びこれらによって本件生徒が受けた心理的打撃や屈辱感、不安や恐怖及び苦悩や混乱などの精神的苦痛の甚大さ、本件遺書に表れている本件生徒が17歳という若さで命を絶つことについての無念や自死に至るまでに追い詰められた精神的窮境その他一切の事情を考慮すると、本件生徒の被った精神的苦痛に対する慰謝料は2500万円と認めるのが相当であるとして、A本人の慰謝料を2500万円と認定。 さらに、原告らが受けた甚大な精神的苦痛につき、被告(大阪市)において示談等のこれを慰謝する措置は何ら執られておらず、かえって、被告(大阪市)は、本件訴訟の提起後、本件生徒の自殺が本人の能力の欠如等を主な原因とし、原告ら家族の言動等を大きな要因として生じたものであるなどとして専ら責任を転嫁する対応に終始し、原告ら遺族の心情を更に害していること等の諸般の事情を総合考慮すると、原告父及び原告母の被った精神的苦痛に対する慰謝料の額はそれぞれ1000万円と認めるのが相当、と両親固有の慰謝料も認定。 また、原告兄についても、「幼少時から生活やバスケットボールの練習等を共にし、補助参加人の本件暴行等への対応等につき相談相手となるなど、本件生徒との兄弟としての関係が特に緊密であったこと等に鑑みると、固有の甚大な精神的苦痛を被ったものと認められ、原告兄の被った精神的背痛に対する慰謝料の額は200万円と認めるのが相当である。と認定した。 一方、担任教諭や原告父母に本件暴行等の実態や程度及びこれによる精神的苦境の実情等を十分に伝えて対処策の相談をすることなく一人で思い詰めて短期間に自殺を決意し自死に至ったことについては、本件生徒において、気が優しく気遣いが細やかで責任感が強く真面日で素直であるなどの非常に優れた美点を数多く備えていた一方で、上長による継続的な強度の暴行や威迫的言動等による強度の身体的、精神的負荷(ストレス等)に対して脆弱な面があったとみられることは否定し難く、本件生徒の自殺という結果の発生にそうした脆弱性が本件生徒自身の心因的要因として一定程度寄与したことは否定し難いものといわざるを得ない。 本件生徒の自殺については、その自殺という結果の発生に本件生徒の上記のような心因的要因も一定程度寄与したものと認められることに照らすと、被告が賠償責任を負うべき損害の額については、損害の公平な分担の観点から、民法722条2項を類推適用し、本件生徒の自殺における補助参加人の本件暴行等の寄与度は、7割と認めるのが相当である。として、3割を減額した。 |
||
武田私見 (法律の専門家ではありませんので、あくまで個人的印象です) 今回の民事裁判の判決は、顧問の言動と自殺との因果関係を認めたという点で、画期的なものだった。 体罰の違法性を認めた判決はいくつもあるが、私が知る限り、体罰と自殺との因果関係を認めた確定判決は、1994年9月9日に発生した内海平君の体罰自殺(940909)の判例しかない。(同判例の場合、体罰そのものと自殺の因果関係を認めたというよりも、担任教諭の体罰後の「安全配慮義務違反」と自殺という結果との因果関係を認めているので、若干、異なるかもしれない。)(福岡県の小学生の指導死の一審では、同じように担任教諭の「安全配慮義務違反」と自殺との因果関係を認めたが、高裁で和解している。) しかも今回、単なる有形暴力だけでなく、暴行に付随し又は前後して繰り返し行われた威迫的言動等も一連一体の不法行為として、自殺との因果関係が認められたことは大きい。 とくに、「キャプテンを辞めて、試合にも出られなくなる」のがよいか、「怒られたり、殴られたりすることを受け入れたうえでキャプテンを続けるか」の理不尽な二者択一を迫ったことを「自殺の危険性を増大させる心理的虐待に該当する」と認定している。 過去の「指導死」事例をみると、有形暴力を伴う指導よりも、圧倒的に有形暴力を伴わないものが多い。有形暴力を伴うものについても、暴力そのものよりむしろ、生徒に比べて圧倒的権力を有する教師の言葉で、死にまで追いつめられたと感じる事例が多い。そして、そういう事実があるにも関わらず、法的にも、世間の認識的にも、言葉での暴力は軽視されやすい。 私自身、桜宮事件に関して、暴力以上に、上記の理不尽な二者択一を迫ったことが、男子生徒を死に追い詰めたと思っている。 今回、この裁判を勝訴に導いた要因は、いくつかあると思われる。 もちろん、遺族のあきらめない戦い、原告代理人・関聡介弁護士の手腕が大きかったことは言うまでもない。 加えて、メディアの事件への関心の高さ、直後の生徒へのアンケート調査結果や市教委が設置した外部監査チームの調査結果(http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000217951.html)、2013年9月26日大阪地方裁判所で、元顧問教諭(47)に対し傷害と暴行の罪で懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が出たこと、試合時のビデオ画像、男子生徒が残した遺書や、兄からの助言でKにあてて書いた手紙(書いたものの、渡せなかった)、クラブノートの記載、親や兄に相談していたなど、顧問の言動を立証できるだけの証拠物がたくさんあったことも大きい。 多くの場合、教師の暴力や暴言は、学校という外部の目が届かないところで行われており、とくに、有形暴力や暴言については、体育教官室など、被害者と加害者しかいない空間で最も激しくなされることが多いため、推測はできても、それを家族が立証することは難しい。 また、被害生徒も、その周囲の生徒も、加害教諭や学校を守ろうとする他の教職員らからの、評価を含めた報復を恐れて、暴力や暴言があっても、なかなか証言できない。記録等も、学校内にある場合に、外部の目に触れる前に密かに処分されてしまうことが多い。 そういう意味でも、学校事故事件における外部関係者における初動調査が、いかに大事かということも、この事案は示唆していると考えられる。 なお、判決文には、「指導死」という言葉が何回も登場した。この「指導死」という言葉は、私の所属するNPO法人ジェントルハートプロジェクトの理事であり、「指導死親の会」の共同代表でもある、故・大貫陵平くん(000930)の父・大貫隆志さんが考え出した造語である。 私自身は、2009年9月15日に行われた文部科学省の自殺予防に関する調査研究協力者会議でのヒアリングに、「教師の体罰やしっ責によると思われる自殺」一覧 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/0909shiryou3.pdf を提出しているが、世の中に、指導死が広まったのは、大貫隆志氏がNHKの報道番組に出演したり、2012年11月17日(桜宮指導死事件が起きるおよそ1カ月前)に、都内で第1回「指導死」シンポジウムを開催( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/shidoushi_shinpo.pdf )したり、高文研から2013年5月、「『指導死』 追い詰められ死を選んだ七人の子どもたち」(大貫隆志・住友剛・武田さち子著)が出たことも、寄与していると思われる。 (桜宮の民事裁判も、大貫氏とともに、第1回と判決を法廷にて傍聴させていただいた。) この「指導死」の認知が、事件の防止につながらなかったことは残念でならないが、一方で、桜宮事件以前には、文科省は体罰についての通知を長い間、出すこともなく、せいぜいがいじめに関する通知のなかで、いじめが起きる背景として教職員の体罰に触れたり、判決文にもある「自殺予防」のリーフレットのなかで若干触れられる程度だったことを思えば、自殺の予見可能性にも多少なりとも寄与したと考えられる。 そしてこのことは、たとえ負け続けてきた指導死裁判であっても、遺族が声をあげ続けてきたことが、ようやくここに結実したようにも感じる。 いじめ防止対策推進法が出来た当時、報道で多く取り上げられていたこともあり、体罰や指導死についても議員立法する話もたびたび出ていたが、報道の下火とともに、そういった動きもすっかり下火になってしまった。 一方で、私たちが働きかけている高校生の学校を原因とする自殺についても、日本スポーツ振興センターの給付を求めている動きについても、今回、判決文でわざわざ「中学生や小学生と高校生との間に、教員の指導を契機として自殺に至る蓋然性の大小に関して一般的に有意な差があることを認めるに足りる的確な証拠はなく、文部科学省も、全国の高校、中学校及び小学校の全ての教員に対して自殺防止のリーフレットを一律に配布し、その内容も高校生と中学生や小学生とを区別することなく教員に自殺の危険性や防止措置の必要性を注意喚起するものとなっており」と書かれていることは、高校生の自殺が「故意の死」とされていることへの否定の一つの根拠ともなり得るのではないかと期待する。 (me140322 me150523 参照) 大阪市は、控訴しないことを決め、元教諭に対して、国家賠償1条2項による求償権も行使するという。(第2項には公務員の過失や不法行為によって行政が賠償責任を負った場合、その損害を行政側が公務員個人に請求できることになっているが、実際には請求される例はほとんどないと聞く) これは、暴力を振るったり、生徒を部活動でシゴキ殺しても、教師個人の損害賠償責任が民事裁判で認められず、おとがめなしと同等に扱われてきたことに対し、新たに一石を投じることになると思う。 大阪市が、外部監査チームの結果が出た段階で、顧問や学校、市の責任を認め、遺族に真摯に謝罪していれば、今回の裁判は起こらずにすんだだろう。 一旦は認められたはずの、顧問の言動の違法性や自殺との因果関係が覆され、民事裁判のなかで、本人や家庭の原因にすり替えられたことで、遺族は何重にも傷つけられた。 外部監査チームの結論や刑事裁判での元顧問の反省の言葉、メディアの前での、顧問や学校管理職、行政の謝罪はいったいなんだったのかとも思わせられる。 こうした対応の在り方や、何故遺族が裁判を起こさざるを得なくなるのかをも、今後の教訓として、ぜひ学校事故事件の事後検証の対象としてほしいと思う。 追記: 判決文には、事後対応以外、学校管理職や教育委員会の責任についてはほとんど触れられていなかった。 まずは顧問の違法性を立証する必要があったこと、訴訟の対象にしなかったにもかかわらず、加害教師が補助参加人として参加して、遺族の感情を逆なですることが多かったため、その反論に労力を費やさざるを得なかったことなどがあるだろうが、その点はとても残念だ。 外部監査チームの報告書にあるように、学校管理職や市教委の責任は重い。もし、そのどちらかが機能していたら、男子生徒はここまで追いつめられずにすんだと思う。 なお、参考までに、オリジナル資料 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/takeda_data.html に ・指導死一覧の更新版 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/201602%20shidoushiichiran.pdf ・体罰訴訟一覧 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/201602%20taibatsuhanreiichiran.pdf をUPした。 |
||
HOME | 検 索 | 雑記帳一覧 | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2016 S.TAKEDA All rights reserved.