アイリス・チャンの
「THE RAPE OF NANKING」

劉 彩品


去年の12月、南京大虐殺60周年記念集会の数日前のこと、電車の中の広告、 「第2次大戦、南京で何があったか」につられて週刊誌、Newsweekを買い、 そこで初めて「The Rape of Nanking」という本を知った。 その後、 アメリカでベストセラーになっているといって友人が本を送ってくれたが、 英語のこともあってなかなか最後まで読み通せなかった。 そのうちに、南京大虐殺を否定したい人たちがこの本を取り上げて、 ”とんでもない空論”、”惨澹たる出来栄え”とこきおろし、 ”外務省は反日偽書になぜ沈黙するのか”と苛立ちを見せた。 その要望に応えてか、 駐米日本大使が”非常に不正確で一方的な見解だ”と強い不快感を示した。 これに対して、アメリカでは、中国系の人々のみならず、 人権団体からも非難の声があがり、 中国の駐米大使館と外交部も日本大使の発言に抗議した。

「The Rape of Nanking」をめぐって、論争が面白くなりそうなので、 私も辞書を片手にじっくり読んで見ることにした。 英語で難航するかと恐れたが、落ち着いて読んでみると、 読みやすい本であることが分かった。 本を書いた動機、目的がはっきりしていること、 南京大虐殺へ至る道の因果関係がはっきりしていて、 南京大虐殺に対する日本人、 世界の人々の反応を論じる著者の観点もはっきりしているからである。

中国系アメリカ人である作者、アイリス・チャンは、 アメリカでは南京大虐殺のことは殆ど知られていないと語っている。 彼女は両親から聞いていたが、 「The Rape of Nanking」を書くきっかけになったのは、1994年、 シリコンヴァレーの或る都市で初めて 南京大虐殺の犠牲者の写真を見たショックであった。 刎ねられた首、引き裂かれた腹、 カメラの前で様々なポーズを取らされている裸の女性、 屈辱と恥ずかしさで歪んだ顔・・、これらの白黒写真を前にして、 アイリス・チャンは、 「人間は誰しも死ぬ時がある、 しかし他人の恣意的な行動で人間の命がかくも屈辱的、かくも悲惨な形で、 この世から消されたという事実が、 歴史の片隅に押しやられたままでいいのだろうか」と考えた。

彼女が「The Rape of Nanking」を書いたのは、 忘れられている歴史事実を明るみにだすというためだけではなく、屈辱、 苦しみながら死んでいった数十万の死者に対する哀悼、 悲しみと怒りを世に訴えるためであり、 犠牲者の人間としての尊厳を回復するためである。

作者は、 南京大虐殺の写真から受けた動転とショックをそのまま読者に伝えようとした。 女性が受けた屈辱について彼女は書いている:
「年配の婦人たちが遭遇した災難を、恐るべき、と形容するならば、 幼い少女たちを襲った暴虐を何と形容すればよいのか。 その後数週間にわたって歩くことも出来なかったり、 精神に異常をきたしたりするケースが多く、その場で死に到った少女もいた。・・ しかも女性の受難は長く尾を引くものであった、 多くの女性が憎い日本兵の子を身ごもったのである」。

レイプについてはこれまで被害者の側からも加害者からも 言及されることが少なかったが、悲劇の総体を、一人一人の悲惨な体験、 その屈辱を、はっきり書き留めておくべきだ、という作者の怒り、 その気迫と熱気に圧倒された。 彼女は中立を装って事件を伝えるのではなく、 虐げられた人々の側に立って事件を語っているのである。

作者は「互いに関係はあるが、二つの別々な大虐殺事件を描く」と述べて、 1937年南京で起こった大虐殺のことと共に、南京大虐殺を無視、 否定する動き、”虐殺を虐殺する”現在の風潮をも、 この本の主要テーマとしている。

南京大虐殺へ邁進した兵士たちのことを、 彼女は古来の武士道精神をもった侍たちと言っている。 「兵士たちは、天皇が至上であると教えられてきた」、 「兵士にとって、天皇のために戦い、戦死することは最も名誉なことであった」 と書き、天皇以外の価値を認めるな、と教えられた兵士の一人、 東史郎さんが書いた手紙の一節を引用している、
「もし、自分の命でさえどうでもよいものなら、 敵の命はもっと価値のないものになる。 このような思考が中国人を見下し、捕虜を粗末に扱い、 大虐殺をするにいたったのである」。

南京大虐殺の重要原因をつくった天皇について、アイリス・チャンは、
「天皇が、南京大虐殺をどう受け止めているかは明らかにされていない。 南京が陥落した時、彼は”非常に満足”であることを表明した。 南京の災難を悦んだ彼は、その後も日本国民の敬愛を受け、快適な一生を送った」 と書いている。

他方、被害者たちはといえば、 彼らの蒙った被害は長い間顧みられることさえなかった。 被害者の期待を裏切って、日本政府に賠償も、 謝罪も要求しなかった中国政府を 「被害者の未来を日本に売ってしまった」ものと批判している。

日本では現在に至っても、南京大虐殺を否定する声が絶えない。 この無視、無関心、否定はまさに再度の虐殺である、と彼女は書いている。

この本を書くにあたって作者は、多くの関係資料を調べ、 大勢の関係者を訪ね歩いた。 幅広い層の人々から彼女は様々な形の支援を受けた。 学者からはアドバイス、語学堪能者からは外国語の資料の翻訳・・というふうに。 このようにして、彼女は日本語で書かれた元日本兵の手記の多くにも目を通した。 彼女は被害者を中国に訪ね、加害者である東史郎さんと文通をし、 国際安全区にいた人たちの家族を精力的に捜し求めた。 その中で、ラーベの孫娘を探しだし、ラーベの日記を掘り起こしたのである。 ラーベの日記について、ハーバード大学の歴史学者は 「詳細と豊富な日々の記述で、これによってさらに何百の物語が 南京大虐殺に付け加えられることになるであろう」とコメントを寄せた。

中国では、ラーベの日記によって多くの被害者の話が裏付けされたと報じられ、 再び南京大虐殺が注目された。 昨年は盛大な南京大虐殺60周年追悼会が開かれた。 50周年にあたる1987年の集会が間際になって取り消された経緯を考えれば、 南京大虐殺の犠牲者の尊厳を回復する作業は、 アイリス・チャンの努力によって始まった、と言っても過言ではない。

彼女はエピローグで、 日本の戦争犯罪の多くがアメリカの庇護を受けて免罪とされてきたが、 日本の戦争犯罪にたいする追求がアメリカで始まっている、と書いている。 昨年の7月、 イリノイ州選出のリピンスキー下院議員は「日本のアジア侵略での犯罪を譴責し、 日本政府に対して謝罪と賠償を要求する」 旨の決議案をアメリカの議会に提出した。 その中で、南京大虐殺も戦争犯罪の一つに上げられている。 南京大虐殺のことがあまり知られていないアメリカで、 日本に対する戦争責任追及の声が起こり、 「The Rape of Nanking」がベストセラーになったことの意味は大きい。

「The Rape of Nanking」はすでに中国語に翻訳されている。 日本語に翻訳され、日本でも広く紹介されることを期待したい。

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