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                                            最終更新:2001年3月21日

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「金曜日」へとぶ
「その他」へとぶ


季刊 戦争責任研究

                                    発行:  日本の戦争責任資料センター

笠原十九司:「南京大虐殺はどこまで明らかにされたのか」5号、74頁、1994年。

纐纈厚:「天皇の軍隊の特質−残虐行為の歴史的背景」 8号、9頁、1995年。

石島紀之:「中国民衆にとっての日中戦争」 8号、32頁、1995年。

●[特集]日本軍の捕虜政策、9号、1995年。
神田文人:「近代日本の戦争−捕虜政策を中心として」9号、10頁、1995年。
藤原彰:「日中戦争における捕虜虐殺」 9号、18頁、1995年。
小野賢二:「兵士の陣中日記にみる南京大虐殺
            −郷土部隊が捕らえた捕虜約二万人の行方」 9号、24頁、1995年。

藤原彰:「『天皇の軍隊』の歴史と本質」 11号、60頁、1996年。

ジョン・H・D・ラーベ/片岡哲史 訳:「南京事件・ラーベ報告書」 16号、38頁、1997年。

吉田俊:「『南京1937』(プリンストン大学)参加記」19号、71頁、1998年。
石出みどり:「南京大虐殺60周年東京国際シンポジウムに参加して」 19号、76頁、1998年。

水谷尚子・金丸裕一:「台湾で開催された『南京大虐殺60周年学術研討会』に参加して」
          20号、63頁、1998年。

赤沢史朗:「映画『プライド』批判」 21号、50頁、1998年。

小野賢二:「批判  渡辺寛著『南京虐殺と日本軍』」−−資料を大量に使用された側から−−
          21号、60頁、1998年。

井口博充・野崎与志子:「マスコミの『情報』と学問的『知識』−合衆国における
     『レイプ・オブ・ナンキン』に対する反響−」 23号、54頁、1999年。

吉田俊:「南京虐殺はどう語られてきたか−日・中・米における比較考察−」24号、29頁、1999年。

江口圭一:「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」25号、2頁、1999年。

●[特集]「中国上海・南京に日本軍慰安所」27号、2000年。
林博史:「中国での慰安所現地調査について」27号、2頁、2000年。
西野瑠美子:「上海の慰安所・現地調査報告−−上海に慰安所の記憶と痕跡を訪ねて」
     27号、4頁、2000年。
川田文子:「南京レイプと南京の慰安所」27号、12頁、2000年。
蘇智良(高宏 訳):「”慰安所”の緊急調査」27号、19頁、2000年。
尹明淑:「中国人軍隊慰安婦問題に関する研究ノート−−上海と南京での研究交流を終えて
     批判的立場から考える」27号、24頁、2000年。
吉見義明:「南京・上海の慰安所と上海派遣軍軍医部−−『渡辺進軍医大尉日記』から」
     27号、30頁、2000年。

経盛鴻(高宏 訳):「南京の慰安婦と慰安所」28号、58頁、2000年。
宋連玉:「上海での中国『慰安婦』問題国際シンポジウムに参加して」28号、61頁、2000年。

空野佳弘:「ピースおおさかをめぐる攻防」29号、52頁、2000年。
川田文子:「書評『南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記』」29号、60頁、2000年。


週刊 金曜日

                                    発行:  KK金曜日加害の記録−南京大虐殺『日記』」 6号、6頁、1993/12/10。
吉田裕:「兵士たちの陣中日記−小野賢二さんの仕事」 6号、7頁、1993/12/10。
小野賢二:「南京大虐殺の光景−歩兵第65連隊兵士の陣中日記を追って」 
          6号、8頁、1993/12/10。
宮本省吾(仮名):「陣中日記−第13師団歩兵第65連隊第4中隊」 
          6号、14頁、1993/12/10。
藤原彰:「日本軍の組織的な捕虜殺害−『宮本省吾(仮名)陣中日記』解説」
          6号、22頁、1993/12/10。

小野賢二:「目撃・南京大虐殺−歩兵第65連隊と中国人捕虜」 12号、26頁、1994/2/4。
黒須忠信(仮名):「陣中日記−第13師団山砲兵第19連隊第3大隊段列」
          12号、32頁、1994/2/4。
笠原十九司:「掠奪と虐殺をほしいままにした日本軍−『黒須忠信(仮名)陣中日記』の解説」
          12号、42頁、1994/2/4。

田中佑行:「『南京大虐殺57年目の証言』を聞いて」(投書)
          36号、2頁、1994/7/29。

●「8.15特集−日本の『加害責任』の光景」(本多勝一編集のページ)
          37号、7頁、1994/8/5。
藤原彰:「虐殺は組織的だった」(コラム) 37号、12頁、1994/8/5。
本多勝一:「杭州湾から南京へ」 37号、21頁、1994/8/5。
本多勝一:「『南京大虐殺』最大の暴虐現場から」 37号、28頁、1994/8/5。
吉田裕:「わが内なる南京事件」(コラム)37号、31頁、1994/8/5。

本多勝一:「杭州湾から南京へ」(連載)
          1) 49号、24頁、1994/11/4、
          2) 50号、56頁、1994/11/11、
          3) 51号、52頁、1994/11/18。
          4) 198号、28頁、1997/12/5。
          5) 199号、56頁、1997/12/12。

林多可子:「南京大虐殺とある大学教授」(投書)71号、67頁、1995/4/21。

藤原彰:「『南京難民区の百日』笠原十九司著」(書評) 95号、44頁、1995/10/20。

長沼節夫:「『ニューヨークタイムズ』に南京大虐殺否定の意見広告?」(金曜アンテナ)
          103号、5頁、1995/12/15。
中野比登志:「日本の戦争責任を問う−中国人戦争被害訴訟始まる−731・南京事件訴訟」
          103号、23頁、1995/12/15。

渡辺芳男:「『南京大虐殺』はどこへ」(投書)117号、64頁、1996/4/5。
清水裕司:「映画『南京大虐殺』について」(投書)122号、79頁、1996/5/17。
轟英明:「映画は映画でしかない」(投書)122号、79頁、1996/5/17。

宇佐美昭彦:「南京虐殺に『客観的証拠はない』と報じた産経新聞」(今週の反撃)
          123号、24頁、1996/5/24。

笠原十九司・藤原彰・吉田裕・渡辺春己・本多勝一:「南京大虐殺を『なかった』ことにしたい
          勢力が必死で利用する裁判の判決」(座談会)
          上 134号、10頁、1996/8/9。
          下 135号、21頁、1996/8/23。

笠原十九司:「『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』小野賢二・藤原彰・本多勝一編」(書評)
          134号、28頁、1996/8/9。

笠原十九司:「『<南京大虐殺30万>のウソ』の論理とトリック」
          147号、17頁、1996/11/15。

土岐泉:「『政治団体』の圧力に屈した枚方市−南京大虐殺絵画展が中止に」
          151号、18頁、1996/12/13。
長沼節夫:「『南京大虐殺』の追悼行事が中国・台湾で」(金曜アンテナ)
          153号、6頁、1997/1/10。
増田博光:「サンフランシスコでも南京大虐殺シンポ」(金曜アンテナ)
          153号、6頁、1997/1/10。

金子マーティン:「『月刊 現代』で改竄されたJ.ラーベの南京大虐殺事件資料」
          (今週の反撃) 194号、61頁、1997/11/7。

●「南京大虐殺と日本の現在」 198号、15頁、1997/12/5。
吉田裕:「大虐殺否定派が敗北するまで」 198号、16頁、1997/12/5。
藤原彰:「大命による南京攻略戦」 198号、19頁、1997/12/5。
楊大慶:「米国から見る南京大虐殺」 198号、22頁、1997/12/5。
笠原十九司:「日本政府の”第二の罪”」 198号、24頁、1997/12/5。
梶村太一郎:「ゆがめられたラーベの人物像」 198号、26頁、1997/12/5。
洞富雄:「南京アトロシティーズか、南京アストロ=シティーズか」
          198号、16頁、1997/12/5。
小野賢二:「日本側の調査をもっと!」 198号、20頁、1997/12/5。
渡辺春己:「『まぼろし化』工作の崩壊後に残された課題」
          198号、22頁、1997/12/5。
江口圭一:「軍関係者による日本陸海軍解説」 198号、24頁、1997/12/5。
姫田光義:「『本多勝一集第23巻<南京大虐殺>』本多勝一著」(書評)
          198号、54頁、1997/12/5。
小野賢二:「『南京大虐殺の証明』洞富雄著」(書評)198号、54頁、1997/12/5。
高崎隆治:「『南京の日本軍』藤原彰著」(書評)198号、55頁、1997/12/5。
井上久士:「『南京大屠殺』中国抗日戦争史学会・中国抗日戦争記念館編」(書評)
          198号、55頁、1997/12/5。
佐藤寛人:「南京大虐殺、講談社の意図は?」(投書)198号、80頁、1997/12/5。
飛田勘弐:「南京大虐殺」(今週の出来事)198号、83頁、1997/12/5。

笠原十九司:「南京大虐殺の歴史背景−プリンストン大学『南京1937年』に参加して考えた
      21世紀にむけた日本人の戦争認識のありかた」208号、34頁、1998/2/27。
笠原十九司:「南京1937」 (映画評)216号、42頁、1998/4/24。
林克明:「『プライド』と『南京1937』にみる歴史認識」 220号、55頁、1998/5/29。
本多勝一:「売国奴たちが作った映画」 220号、57頁、1998/5/29。
江口圭一:「『南京事件』笠原十九司著」(書評)226号、38頁、1998/7/10。
吉川義之:「『南京1937』の美化に反対する」(投書)241号、62頁、
     1998/10/30。
和仁廉夫:「中国の唐家旋外相発言『戦後補償は解決ずみ』に広がる困惑」
     (金曜アンテナ)246号、5頁、1998/12/4。
渡辺芳男:「『南京1937』を岩波ホールでして欲しい」(投書)247号、
     2頁、1998/12/11。
本多勝一:「『南京大虐殺』のアメリカ合州国版が刊行されることの意味」
     (貧困なる精神100)247号、32頁、1998/12/11。

●(特集)「小林よしのり『戦争論』の仮面を剥ぐ」
吉田裕:「事実はこうだ−南京大虐殺−目撃談・写真で証明済の大量虐殺」
     249号、13頁、1998/12/25。

岩本和子:「南京国際安全区での暴行は事実だった」(投書)250号、78頁、
     1999/1/15。
吉川義之:「再び『南京1937』について」(投書)252号、63頁、
     1999/1/29。
福田文昭:「南京で虐殺現場を見た元カメラマンが講演」(金曜アンテナ)
     255号、5頁、1999/2/19。
持永伯子:「『731部隊・南京事件・無差別空爆』事件結審」(金曜アンテナ)
     260号、6頁、1999/3/26。
本多勝一:「『南京大虐殺』のアメリカ合州国版刊行」(貧困なる精神105)
     279号、52頁、1999/8/20。
吉田裕:「『新「南京大虐殺」のまぼろし』の誤り」280号、34頁、1999/8/27。
藤川伸治:「南京大虐殺の遺骨が同市内で新たに発見」(金曜アンテナ)
     280号、5頁、1999/8/27。
山田勝彦:「中国での戦争責任を問う判決の意義」282号、28頁、1999/9/10。
渡邊彰吾:「国の加害認めながら補償請求を棄却するゆがんだ東京地裁」(金曜アンテナ)
     285号、4頁、1999/10/1。

●(特集)「9・22判決にみる戦争犯罪と日本の責任」
豊田直巳:「またしても私たちを裏切った日本の司法」286号、10頁、1999/10/8。
尾山宏:「矛盾に満ちた判決」286号、12頁、1999/10/8。

加藤善夫:「『南京大虐殺』否定論を研究者は論破して」(投書)
     287号、64頁、1999/10/15。
梅靖三:「旧日本軍の最大の被害者に賠償拒否では許されない」(投書)
     289号、63頁、1999/10/29。

●(特集)「南京大虐殺をめぐる日・中・米・独の現在」
藤原彰:「すべては事実の認識から」290号、9頁、1999/11/5。
俵義文・笠原十九司・石田勇治・吉田裕・本多勝一:「国際間の悪循環を絶つために」(座談会)
     290号、10頁、1999/11/5。
井上久士:「不正確さゆえに否定派の標的となる『ザ・レイプ・オブ・南京』」
     290号、16頁、1999/11/5。
芳賀啓:「『ザ・レイプ・オブ・南京』翻訳中止の経緯」290号、17頁、1999/11/5。
林博史:「研究者にあるまじき牽強付会−秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判」
     290号、18頁、1999/11/5。
中北龍太郎:「東史郎裁判と南京大虐殺」290号、20頁、1999/11/5。
     −−>全文掲載
江口圭一:「南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論13のウソ』」(書評)
     290号、54頁、1999/11/5。

竹田久美子:「事実と言い切れる証拠を見せて」(投書)293号、62頁、1999/11/26。
田崎博嗣:「『南京大虐殺』に疑問を呈された竹田さんへ」(投書)
     297号、62頁、1999/12/24。

山内小夜子:「東史郎氏の南京裁判,海外7万人の署名を最高裁判所に提出」(金曜アンテナ)
     298号、6頁、2000/1/14。
本多勝一:「南京大虐殺に関する竹田久美子氏への回答」(投書)
     299号、63頁、2000/1/21。
井上俊夫:「大阪の平和の殿堂で南京大虐殺否定の集会」(金曜アンテナ)
     300号、6頁、2000/1/28。
本多勝一:「アイヒマンと日本兵と『第二の戦犯』」(貧困なる精神111)
     301号、19頁、2000/2/4。
小林豊:「南京大虐殺の問題で当事者証言の重視は当然」(投書)
     301号、79頁、2000/2/4。
竹下千花男:「証拠が残っていないのではなく消された」(投書)
     301号、80頁、2000/2/4。

●(特集)本多勝一:「世界が見つめる南京大虐殺の歴史的事実」
     302号、9頁、2000/2/11。
チャルマーズ=ジョンソン:「南京大虐殺についてのアメリカからの考察」
     302号、10頁、2000/2/11。
梶村太一郎・本多勝一:「アイリス=チャン問題を交通整理する」
     302号、10頁、2000/2/11。
笠原十九司:「世界の共通認識を目指して−南京事件国際シンポジウムから」
     302号、16頁、2000/2/11。
「破綻した南京大虐殺の否定論者たち」
  吉田裕:「学者の資質すら問われる東中野修道氏と藤岡信勝氏」
     302号、19頁、2000/2/11。
  金子マーティン:「ご都合主義の松村俊夫氏」
     302号、21頁、2000/2/11。

長沼節夫:「『南京大虐殺』大阪集会と最高裁判決への中国の怒り」(金曜アンテナ)
     302号、4頁、2000/2/11。
松浦寛:「梶村太一郎ほか『ジャーナリズムと歴史認識』」(書評)
     302号、38頁、2000/2/11。
伊原陽子:「南京事件の日々−ミニー・ヴォートリンの日記」(自薦本)
     302号、41頁、2000/2/11。

渡辺妙子:「中国は怒っている」(大連慢慢走日記.3)305号、28頁、2000/3/3。
和仁廉夫:「日本に戦争賠償動議を突きつけた香港立法会」305号、70頁、2000/3/3。
星徹:「中国帰還者連絡会の人びと(下)南京事件と三光作戦−−許されざる罪、
     永富博道さんの場合」305号、72頁、2000/3/3。

和仁廉夫:「南京大虐殺否定派が集会とデモ行進」(金曜アンテナ)306号、5頁、2000/3/10。
●(特集)林博史:「中国上海・南京の日本軍慰安所」306号、35頁、2000/3/10。
西野瑠美子:「上海の地に息づく日本軍慰安所の記憶」306号、36頁、2000/3/10。
川田文子:「南京占領直後に始まった慰安所設置」306号、39頁、2000/3/10。

和仁廉夫:「中国人留学生たちを激怒させたアジア蔑視教育」310号、66頁、2000/4/7。
和仁廉夫:「『留学生に不正なし』と静岡県立大が公式発表」(金曜アンテナ)312号、7頁、2000/4/21。
星徹:「南京大虐殺・被害者の女性を『ニセ者』扱いする松村俊夫氏」322号、75頁、2000/7/7。
「ノーモア南京2000年東京集会」(こんなこと、やってます)341号、65頁、2000/11/24。
松本耿郎:「忘れてはならないイスラム教徒への日本軍の加害事実」(投書)344号、62頁、2000/12/15。
長沼節夫:「南京大虐殺63周年現地追悼式で騒動」(金曜アンテナ)345号、4頁、2000/12/22。

池添徳明:「『従軍慰安婦』、南京虐殺、教科書・・・相次ぐ自宅や職場への脅迫」347号、18頁、2001/1/19。
梶田健好:「中垣防大教授の講演が露呈したもの」(投書)350号、62頁、2001/2/9。
鈴木健二:「米国の歴史学者1500人に突然届いた『南京虐殺否定本』」354号、8頁、2001/3/9。

 

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