「週刊 金曜日」290号、1999年11月5日
特集「南京大虐殺をめぐる日・中・米・独の現在」

東史郎裁判と南京大虐殺

中北 龍太郎


中国では広く知られている東史郎南京事件裁判だが、日本では知る人は少ない。 東裁判とは、 1987年に出版された東さんの従軍日記中の南京占領下の上官の残虐事件 (中国人を袋に入れ、ガソリンをかけて燃やし、 袋の紐に手榴弾を結び付け沼に放り込み手榴弾を爆発させた)の記述に対し、 その上官が東さんを名誉毀損を理由に提訴した裁判である。 東京高裁は、この記述を虚偽と決めつけた。 これを不服とする東さんが上告し、現在最高裁に係属中である。

東裁判で上官側を支えているのはいわゆる「南京事件まぼろし派」で、 虐殺は中国軍の犯行と主張し、その延長線上で東日記を虚偽と決めつけている。 これに対し東側は、現地調査、実験を繰り返し、 また、歴史としての南京事件の全体像の中で東日記の真実性を訴えてきた。

東京高裁は、 この残虐事件に関する記述中にある「遊びは終わった」という日記の表現にこだわって、 「遊び」として身の危険を全く冒さないで実行できなければ無意味と決めつけ、 実行不可能と判断した。

しかし、これは著しく妥当性を欠いている。 南京事件研究者吉田裕さんは、最高裁宛意見書で、客観的資料に基づいて、 「南京攻略戦の特徴の一つは、軍事的必要性や合理性を欠いた、 放逸で嗜虐的な加害行為が、特に戦闘の帰趨が決した掃討戦の段階で頻発した」 ことを明らかにし、そのうえで、東日記の「遊び」は、 こうした「放逸で嗜虐的な加害行為」を表していると指摘している。

判決は日記の「遊び」の意味について、 平時の日常用語としての遊びと同じものととらえるという、致命的な誤解を犯している。 この誤りは、南京事件に対する歴史認識の欠落によるものだ。

また、東弁護団は最近中国で、東日記と同じ方法で手榴弾の水中爆発実験を行なった。 実験の結果、火傷や被弾の危険がないことが改めて確認された。

さらに、判決は、東日記の記述をことさらに歪曲して、 大量のガソリンをかけて燃やした袋を長距離引きずったと認定した。 そのうえで、火傷の危険があると判断するといった、 前代未聞といえるほどの事実認定の誤りすら犯している。

他方、上官側は、別人の従軍日記を証拠に、 本件残虐事件の起こった場所にいなかったと主張した。 これに対し、東側は、この日記は偽造されたものだと反論してきた。 判決も、日記の「成立の真正は認められない。」とし、上官の主張を斥けた。 にもかかわらず、判決は、 上官の当時の行動や矛盾に満ちた法廷供述を全く分析しなかった。 この点も、重大な問題点だ。

東日記は、一兵士の見た南京事件の一コマを描いている。 多くの加害兵士が沈黙している現状にあって、 東さんが勇気をもって日記を出版したことは、真実を解明する上で、 とても意義のあることだ。 訴訟は真実の公表を妨害するための邪悪な企みである。 裁判所はこの企みに加担してしまった。

自らの加害行為も含めて戦場の真実を生々しく描写した東日記は、 歴史の貴重な記録である。 いうまでもないことだが、南京事件全体も一つ一つの加害行為から成り立っている。

判決のように、歴史の無知から加害行為を無かったことにするならば、 南京大虐殺の証言や資料は無意味になり、 それこそ南京事件は”まぼろし化”しかねない。 これこそ、東さんを提訴した「まぼろし派」の狙いである。

東弁護団は、最高裁での勝訴に向けて、南京占領62年のこの12月13日、 真実の解明を求める署名を最高裁に提出する。 多くの方々の裁判への支援をお願いしたい。

(なかきた りゅうたろう 東史郎裁判弁護団 大阪で平和 ・人権問題に取り組んでいる) 〔詳細は雑誌「世界」本年十月号 参照〕


著者と「週刊 金曜日」編集部のご厚意により再録させて頂きました。


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