インターネットと盗聴法 1999年5月17日
<目次>
- ●リード
- ●会話は一人ではできない
- ●インターネットが盗聴対象に
- ●インターネットと情報共有文化
- ●プロバイダをねらえ
- ●やってくるまで分からない
- ●つぶれるプロバイダも出てくる?
- ●デジタル化の恩恵にあずかる公安警察
- ●いわゆるハイテク犯罪対策と暗号規制
- ●参考文献
- ●本文と関連した法案の条文
- ●会話は一人ではできない
リード
財政関連法案などの審議で少しばかり後景に退いているように見えるが、今年三月に国会に上程された「組織的犯罪対策三法案」は、警察による盗聴の合法化をはじめ、金融機関への警察の影響力強化をねらったマネーロンダリング規制、刑事弁護権を制限する刑訴法の一部改正、ミニ破防法とでも言うべき組織的犯罪の重罰化など、憲法上も多くの疑問が指摘されている。組織的犯罪対策という口当たりのよい言葉で粉飾されたこの法案が、何をねらったものなのか、盗聴法の問題点にしぼって考えてみたい。その際、インターネットを含む電子メディアが盗聴対象となっていることは重要だ。高度情報化の中での盗聴とは、たんなる会話の盗み聞きに終わらない大きな危険性をはらんでいる。
会話は一人ではできない
インターネットの話に入る前に、次の事だけ確認しておきたい。つまり、組織的犯罪という言葉自体がきわめて曖昧なものであること、もっとはっきり言えば、法案の目的を隠すためのまやかしであることだ。そもそも「的」などといういかがわしい表現には必ず裏がある。この法案は、その立法の目的を定めた第一条から、眉に唾をつけて読む必要がある代物だ。条文そのものは、煩雑だから末尾に記したのでそれを参照していただきたいが、この第一条で「数人の共謀によって実行される・・・・・・犯罪等」とあることに注意が必要だ。「組織的犯罪」が、いつの間にやら「数人の共謀」という表現に置き換わっている。一人で自分に電話したりメールを送る人はいないのだから、盗聴対象となりうるコミュニケーションには、どのような形態であれ「数人」(最低二人)が関わっているのは自明のことだ。法案の文言は同義反復の奇妙なレトリックで、盗聴対象が必ずしも組織犯罪に限定されておらず、複数の人間が通信する行為自体が、犯罪にかかわる、あるいはその準備にかかわると警察にみなされれば、盗聴されうると法案の本当の姿を、ごまかそうとしている。インターネットが盗聴対象に
盗聴法案は、盗聴対象となる「通信」についての定義を第二条で与えている。条文の表現はやや抽象的だが、法案に先立つ法制審での審議過程で出てきた「参考試案」や「法制審議会要項骨子」(九七年九月十日付けの法務大臣宛答申)では、ファックスやコンピュータ通信(パソコン通信とインターネットを含む)を盗聴の対象として例示している。また、与党(当時は自民・社民・さきがけ三党)がこの法案についての協議を行い、法務省からの主旨説明などを受ける場として設けられた「与党組織的犯罪対策協議会」でも、法務当局は盗聴の具体例として電子メールを取り上げている。インターネットが盗聴の主要なターゲットの一つにされていることを示唆する例はほかにもある。盗聴法が通過してしまえば、その盗聴業務を執り行うことになる警察庁が、今年の警察白書などで示している基本方針がそれだが、このことについては後述する。インターネットと情報共有文化
インターネットが、六〇年代の終わりから七〇年代にかけて、アメリカ国防省のプロジェクトとして生まれたARPAnetというコンピュータ・ネットワークをルーツにしていることはよく知られている。東西冷戦を背景にして、核攻撃に耐えうるネットワークとして生み出されたのが、インターネットのもとになった考え方だ。それまでは、一台の大型ホスト・コンピュータが、すべての情報を蓄え、通信網全体を司っていた。これだと、ホスト・コンピュータが攻撃を受ければ通信網全体がひとたまりもなく壊滅してしまう。そこで、中心になるホスト・コンピュータを置かず、すべてのコンピュータを同等なものとして網の目のようにつないでしまうシステムが考えられた。情報は、この網の目の中をさまざまな経路を通って行き交う。これなら、何台かのコンピュータが攻撃を受けても、必ずどこか別のコンピュータを経由して通信網そのものは生き残ることができる。このシステムは、やがて大学の研究機関などが互いにコンピュータをつなぎあうことによって、自然増殖するように大きくなっていった。これらの接続やシステム管理はボランティアで行われた。必要なソフトウェアも誰でも利用できるようにネットワーク上に置かれ、自由に手を加えて再配布するなど、情報やデータを独占物とは考えない文化を育んできた。また通信のための手順や仕組み、約束事なども、電子メールを使って話し合いながら形作られていった。インターネットにおけるさまざまな標準や技術を規定している文章が、RFC(Request For Comments=コメント求む)と呼ばれているのは、どこかの権威が勝手に決めるのではなく、たがいにコメントしあいながら標準を生み出してきた経緯にもとづいている。
こうして、軍事ネットワークとは分かれて別個のものへ成長し、九三年〜九四年以降、一般企業活動や個人の使用にも開放されることで、一気に世界中にブームを巻き起こした。
インターネットは、こうした生い立ちからして、ユーザはほとんどがコンピュータの専門家であったり、大学などの研究施設でコンピュータを高度に使いこなしている人たち同士であり、メールアドレスを見るだけでどこの誰かが特定できるような関係を基礎に、相互の信頼と善意で運営されてきた。
たとえば一通の電子メールは、発信者から受信者にたどりつくまでに、どのルートを通って行くか、事前には予測がつかない。途中で中継するコンピュータは、いわばなんの義理もないのに、他人のメッセージを仲介しているわけだ。しかも、経由するコンピュータは、そのメールを次々とコピーを繰り返しながら転送して行くわけであり、どの段階でも、コンピュータ管理の権限をもった人(ROOTと呼ばれる)は、その気になれば、メールを読んでしまうこともできる。たとえて言えば、郵便屋さんが、はがきを読もうと思えば読めるようなものだ。しかし、そんなことをする人間はいない、という暗黙の信頼感や、インターネットは自分たちの自治でなりたっている、という倫理観や自負が基礎になって運営されてきたのだ。
商業利用されるようになり、個人で接続する人々も増えるにともなって、こうしたユーザ性善説だけで運営することは困難になりつつある。したがって情報の秘匿や安全性を高めるための仕組みも生み出されている。だが、インターネットは元来、きわめてオープンな仕組みであり、逆に言えば盗聴や悪意のシステム破壊を恐れてセキュリティを固めてしまうよりも、情報を共有するという文化を大切にし、オープンな環境を育んできた。
盗聴法とインターネットの関係を考える際に、こうした文化あるいは自治のスピリットとしてのインターネットと、国家による情報規制との本質的な軋轢の部分を認識しておくことは大切だろう。
プロバイダをねらえ
では、実際に盗聴が行われるとしたら、それはどういう手順でどのようになされるのだろうか?前述した与党協議会の場で、与党議員の質問に対して、法務省は以下のように説明している。
「ホストコンピュータ等の設置されている場所等において、機器を操作し、ホストコンピュータの傍受の実施の対象とする宛先IDに係るメールボックスにアクセスし、当該メールボックスにメールが送られてくるかどうかを見守り、当該ID宛にメールが送られてきた場合、これを傍受する」
お役人の書く文章というのは、ほんとうに分かりにくいが、これはインターネットではなく、パソコン通信を想定しているようだ。パソコン通信は、サービスを提供しているホスト・コンピュータへ電話回線を使って接続し、自分のパソコンを端末として機能させるもの。この場合、電子メールはすべてホスト・コンピュータの特定の領域(メールボックス)に蓄積され、ユーザがそれを読み出すまで保管されている(場合によっては読み出した後も一定期間保存されている)。郵便で言えば私書箱のようなものと考えればよい。したがって、ホスト・コンピュータをなんらかの方法で押さえてしまい、特定の盗聴対象者のメールボックスに届くものを補足するのが、もっとも現実的な盗聴の手段となる。私書箱の前に陣取っていて、そこに配達される手紙を全部横取りするようなやり方だ。
一方、インターネットにはホストが存在しない、と先ほど述べた。個人のメールアドレスというのも、じつは人間にではなく、インターネットにつながっているコンピュータに割り振られたものであり、あるIDあてのメールは、そのコンピュータに直接送られてくる。したがって、私書箱の前にではなく、個人宅の郵便受けの前に張り込んで手紙を盗み出すような方法をとらなければならない。
しかし、現在多くの人たちがインターネットに接続する場合は、プロバイダと呼ばれる接続サービス業者を経由していることが多い。インターネットに直接つないでしまうには、それなりのネットワーク管理の知識や技術、設備およびメンテナンス、コストを必要とするから、個人ユーザや比較的小規模なネットワークの場合は、インターネット専用回線との接続の仲介をする事業者(プロバイダ)のコンピュータに、電話回線を通じて接続し、プロバイダをゲイトウェイ(入り口)にしてインターネットとつながることになる。電子メールをやりとりする場合、プロバイダのサーバ・コンピュータは、パソコン通信のホストとちょうど似た役割をする。したがって、インターネット盗聴が行われるとすれば、プロバイダのコンピュータを押さえるのが一番手っ取り早いことになる。
法案の第十条は、盗聴に当たっての具体的な行為(電気通信設備に傍受のための機器を接続すること)について規定し、第十一条でその際に通信事業者等は協力を求められ、「正当な理由がないのに、これを拒んではならない」という協力義務を規定している。
インターネット盗聴においては、プロバイダが、協力を求められる通信事業者等にあたるわけだ。
やってくるまで分からない
日本インターネット協会編「インターネット白書'98」(インプレス)によれば、今年三月の時点で郵政省が把握しているプロバイダの数は二六〇〇社余りだという。しかし、そのうちの半分強が、届け出はしていても、実際にはサービス提供を行ってはいないともいわれる。大部分が、専用の回線をもった大手の一次プロバイダから回線のリセールを受けている二次プロバイダで、マンションの一室にコンピュータやモデムを何台かおいて、数人で営業しているような会社も少なくない。盗聴法が成立した場合、令状をもった警察官たちがまず最初にやって来る可能性の高いこれらプロバイダの人たちは、問題をどう考えているのだろうか。
九七年四月に発足した、JCA−NETというユニークなプロバイダがある。NGO・市民運動のためにインターネット・サービスを提供している非営利団体で、今年十月、通信サービスを通じて環境問題や人権問題、平和のための運動などを支援している世界的なNGO、APC(Association for Progressive Communications=進歩的通信協会)の正式メンバーに加わった。ちなみに週刊金曜日のホームページも、このJCA−NETにおかれている。そのシステムを稼働させている(有)市民電子情報網(POEM)の代表、安田幸弘氏に、盗聴法が実施されたら、プロバイダに何が起こるのかを予測してもらった。
「実際のところ、令状を持って来られたらどういう事態になるのか、今のところ予想がつきません。やってくるまで分からない、というところがほんとうは一番怖いのですが」と安田氏は語る。
「プロバイダのコンピュータには、ユーザのやりとりしているメールやホームページなど、山のような情報があります。ホームページは原則公開されているものですから、盗聴は関係ないように見えますが、中には非公開で限定されたメンバーだけで利用しているものもありますし、これらをごっそり取られるとすれば、個人のプライバシーだけでなく、特定の企業や団体の財政状態や人間関係のつながりなどが、警察に筒抜けになるおそれがあります。 法案ではプロバイダに協力義務があるように規定されています。罰則規定はありませんが、協力しないと警察が勝手にコンピュータをいじって盗聴してしまうようですね。そんなことをされたらたまりませんから、大部分のプロバイダは、協力に応じざるを得なくなるのでは、と危惧しています」
前述の与党協議会でも、法務省は通信事業者に協力を申し入れ、応じない場合は「自力執行」をする、と説明している。つまり、警察が独自に盗聴に必要な措置をとってしまうのだが・・・。
「それが実際にどうやられるのかが、分からないのです。まさかプロバイダのサーバを直接操作して盗聴するとは思えない。なにしろサーバの設定や、インストールされているプログラムなどは千差万別です。技術を持った専門家でも、はじめてのサーバをすぐに理解して適切にオペレーションすることは相当むずかしい。プログラムのバージョンがコンマ1違っただけでトラブルになったりしますから。それに、サーバになんだか訳の分からない盗聴用のプログラムなどを仕掛けられるなんてことは、とうてい容認できないことです。そのプログラムがどういう動作をするのか分かりませんから、最悪の場合、システム全体がダウンする危険だってあります。令状に示された盗聴期間が終わった後でも、そのプログラムが稼働していないという保証もないし。」
サーバを直接操作されるということは、その間、プロバイダとしてはそのコンピュータが使用できなくなるわけだし、業務に重大な支障がでることは間違いない。
「この方法をとるとしたら、ある程度コンピュータや通信について知識と技術を持った警察官がやって来ると思いますが、生半可な知識でやられたらたまらないし、マニュアルみたいなものを作っていて、それを見ながらやってしまうのかもしれない。それでシステムを壊されたら、いったいどう補償してくれるんでしょうね」
サーバを直接操作しないで、盗聴用のプロログラムなどを組み込んだコンピュータを別に持ち込んでサーバに接続してタッピングする、という方法も考えられる。だがこれでも同じ問題が残る。LANで接続されている以上、プロバイダのサーバになんらかのプログラムを仕掛けたり、内部の設定を変えてしまったりといった「いたずら」をしない保証はどこにもない。ネットワーク・システムを少しでもいじったことのある人なら分かると思うが、これは警察が意図的におかしなプログラムや装置を仕掛けようとした場合だけに起こることでもない。
新しいプログラムをインストールしたり、異なったシステムや装置とつないだ場合、すぐに正常に稼働すれば相当にラッキーで、たいていは無事に動き出すまでに相当の苦労をさせられる。また一見正常に動いているように見えながら、後になってとんでもない誤作動を誘発したり、これまで正常に動いていたほかのプログラムや周辺装置がおかしくなったり動作しなくなったりというトラブルは、日常茶飯事なのだ。プロバイダはこうしたトラブルと格闘しながらユーザへのサービスを維持しているのであり、そこへ外部からブラックボックスのようなプログラムや装置を持ち込まれるなどは、考えただけでも身震いのすることだ。 「ネットワーク上で派生しうるあらゆる障害が、タッピングを原因として起こりうると想定しておかなければならないでしょう」と安田氏は言う。
「少なくとも、なんらかの障害が発生したとき、強制的に切断するくらいの権限を立会人がもてなければ、システム管理者としての責任はもてません。システム・ダウンというのは、ユーザとの信頼関係を根本から壊すことになりますから」
協力を拒否して警察が勝手にサーバをいじるということは、このようにきわめて大きなリスクを負ってしまうことを意味する。そうなると、大部分のプロバイダはいやいやながらも協力に応じてしまう可能性が高いのではないだろうか。
つぶれるプロバイダも出てくる?
一方、プロバイダが協力してしまえば、技術的には事は簡単になる。「コンピュータのことなんてぜんぜん分かっていない刑事がやってきて、『●●さん宛のメールを全部プリントアウトしてわたしてくれ』なんて言うのかもしれませんね。あるいは一番簡単なのは、●●さん宛のメールが届いたら、それが警察のどこかのアドレスに同時に自動転送されるようにしてしまうことです。これはプログラムに一、二行書き足すだけですぐにできることですし、日常的にサービスの一つとしてやられていることです。会社のアドレス宛に来たメールを自宅でも読みたいから、自動的に自宅のアドレスにも届くようにしておく、というような使い方をするわけです」(安田氏)
おそらく、プロバイダに協力させて、こうしたやり方をとるのではないかと思われるが、二次プロバイダに回線をリースしている、NTTをはじめとする一次プロバイダのほうを協力させ、そこで盗聴を行う可能性も捨てきれない。この場合、特定のアドレスではなく、そのプロバイダに契約しているすべてのユーザのメールなどをいったん押さえた上で、その中から盗聴対象者のメールを選別することになるのだろうか。その際、無関係な人のメールも警察の目に触れることはないと言えるのだろうか。
もう一つ、見落とされがちだが重要な問題に、盗聴にかかる経費がある。
盗聴立ち会いのために技術者などを二十四時間体制で何日も拘束しても、その人件費すら自分で負担しなければならないのだ。
盗聴法賛成論者の中には、アメリカでもヨーロッパでも盗聴法のような法律がある、と言う人がいる。こういう論点に詳細に反論する余裕は今回はないが、少なくとも米国では盗聴に協力した場合、人件費や機材、光熱費などの経費は、すべて請求できることになっている。米国では盗聴捜査には莫大な予算がかかり、しかもそれに見合った成果はあげられていない、と批判を浴びているのだが、日本の場合は、プロバイダには一銭も支払われない。盗聴推進論者の中には、だから米国と違って日本では盗聴に金がかからない、などととんでもないことを言っている人もいるらしいが、システムに被害が出た場合にも何ら補償規定もなく、経費も自前で警察に協力させられる方はたまったものではない。
ある中堅プロバイダは、もし十日間くらいの盗聴をされた場合、それにかかる経費は二百万円を越す、と見積もっている。この数字は人件費やサーバのリース料金などの直接経費だけであり、かなり控えめな数字ではないかと思う。
また、プロバイダに協力を要請した場合、盗聴捜査をしているという秘密がもれる可能性を排除できない。プロバイダには外部の人間も出入りするし、公務員のような守秘義務もないはずだ。警察官が何人か来ていれば、盗聴されていることはすぐに分かってしまう。あのプロバイダは盗聴されている、という情報は、電子メールやホームページを通じてまたたくまに広がるだろう。とすれば、盗聴されていることが分かっている上で、犯罪に関わるメールのやりとりをするだろうか?また、無関係なユーザにしても、警察から見られている可能性があるプロバイダはすぐに契約解除して、ほかのプロバイダに乗り換えるのではないだろうか?プロバイダはただでさえ競争の激しい業種で、より安くてサービスのよいところへ乗り換えよう、という特集記事がパソコン雑誌に載る時代なのだ。
零細業者が多い業界で、経費負担やユーザからの信頼失墜により、経営自体が破綻するプロバイダも出てくることを否定できるだろうか。
さらに言えば、協力させられるのはプロバイダだけではない。学校や自治体などにもインターネット接続をするところが増えているが、こうしたところではコンピュータに比較的詳しい、という程度でネットワーク管理の仕事を担当させられている人も少なくない。ここが盗聴対象になったとすると、そのネットワーク管理者は上述したような困難を一人で背負わされるだけでなく、同じ職場の同僚や学生などのメールの盗聴に協力させられるというジレンマを味わう。これを拒んだ場合、業務命令として警察への協力を強制されることはおこりえないだろうか。盗聴は、どう言いくるめても人の信頼を裏切る行為であり、良心や人間関係まで破壊してしまうものではないだろうか。
デジタル化の恩恵にあずかる公安警察
前述したJCA−NETには、環境問題、人権問題、平和のための運動などに関わる多くの市民やNGOが、ホームページを開設したり、電子メールを連絡網として利用できるメーリングリストや電子会議室などを設けて活用している。何百枚ものはがきを印刷して投函しなくても、電子メールを一本送るだけで何百人にでも一挙に情報を送ることのできるこれらのサービスは、人と人、組織と組織のコミュニケーションの機会を一気に拡大し、しかも通信コストを大幅に縮小できるという大きなメリットがある。ことに海外と頻繁に連絡をとりあうNGOにとっては、時間とコストの削減はきわめて大きい。しかし、盗聴法が施行されれば、こうした電子ネットワークのもたらす恩恵は、そっくりそのまま公安警察にとってのメリットにも早変わりする。
コンピュータ通信で行き来する情報は、言うまでもなくすべてデジタル信号だ。インターネットの標準的なデータ転送速度(64Kbps)で計算すると、一分間に日本語を二十四万五千文字以上(アルファベットならその倍)送ることができる。原稿用紙六百枚強。文庫本二冊程度に匹敵する。
同じ時間内の盗聴なら、ネットワーク盗聴で取得できる情報量が、通常の電話会話などとは比較にならないということが分かる。
しかし、これほどの情報を盗聴しても、逆に多すぎて処理しきれないのではないか、と考えるかもしれない。だが、ここでもコンピュータを使ったデジタル情報処理技術を使えば、膨大な量の中から警察にとって有用な情報だけを検索してくることもたやすい。たとえば「爆弾」「シャブ」「テロ」「破壊」などというキーワードを登録しておき、そうした言葉が含まれるメールだけをチェックすることなど朝飯前だ。もちろんキーワードとして「原発」「人権」「基地」「環境」「ガイドライン」などという言葉を選択しておくこともできる。
また、断片的な情報をつなぎあわせて、意味のある情報に組み立て直すプログラムなども、上記の検索ほど簡単ではないにしても、さほど困難とは思えない。ワープロの入力効率を向上させている日本語の構文解析プログラムも、たんにキーワードからの検索ではなく、もっと曖昧な、全体として「犯罪的」な雰囲気がある、とか「過激派的な言葉遣いをしている」などのメールを探し出してくることに十分応用できそうだ。
さらに今後は、ほとんどのメディアがインターネットにつながっていくと予想されているから、いったんインターネット盗聴が可能になれば、オンライン・バンキングの盗聴で金の動きがリアルタイムに把握でき、オンライン・ショッピングの盗聴で、買い物の中身まで把握され、筆者もよく利用しているオンライン・ブックショップを盗聴すれば、その人が読んでいる本の傾向、思想傾向まで把握可能だろう。また、遠隔医療システムの盗聴で、その人の健康状態も把握でき、ホームセキュリティ・システムを盗聴すれば、個人宅や企業・団体への人の出入りまですべて把握できるようになるかもしれない。これらは、まだSFのように聞こえるかもしれないが、コストを別にすれば、技術的には今すぐ可能なものばかりだ。
現在、国会に上程されている盗聴法は、そんなところまでは想定していない、というかもしれないが、いったん盗聴という手段を手に入れたら、警察がこうした最新技術を駆使した情報収集に走らない保証などどこにもない。なにしろ、緒方邸盗聴事件ですら、九七年六月の東京高裁判決が確定し、警察の行為であったことが明らかになった後も警察庁はしらを切ろうとしているのだから。
かれらに、インターネットをわたしてしまっていいのだろうか?
いわゆるハイテク犯罪対策と暗号規制
最初に、警察がインターネットに対する規制や盗聴に異常に関心をもっている点について後述する、と書いたが、すでに依頼を受けた原稿枚数を大幅に上回ってしまったため、今回はふれることができない。また、盗聴と関連して必然的に問題になる暗号使用の規制問題にもふれることができなかった。盗聴法第十三条は、暗号規制の問題と関連して重要な条項だ。つまり、暗号を使用した通信は、盗聴しても中身が分からないから、次には暗号を使用すること自体を規制しようという動きになるのは必然的だ。げんに、本年の警察白書「第1章 ハイテク犯罪の現状と警察の取組み」などで、明確に暗号の使用規制を念頭においたプロパガンダを開始している。
「ハイテク犯罪」という概念についても、コンピュータを使った犯罪と、コンピュータシステムを破壊する犯罪と、たんなるシステムへの侵入などを、意図的にごちゃにして、なんとなくインターネットは危険、というムードづくりをしようとしているように筆者には思える。また知ってか知らずにか、マスコミの一部がこれに追随し、興味本位にオンライン犯罪やサイバーポルノの問題を取り上げているのではないか、といった問題意識だけを提示しておきたい。
さらに、サイバーポリスやHITEC(High-tech-crime Technical Expert Center)などと、警察にしてはあか抜けた名前のプロジェクトを推進し、コンピュータ専門家を要員として確保する施策を積極的にすすめている。こうした動向に興味のある方は、警察庁のホームページ
http://www.npa.go.jp/police_j.htm
をご覧いただくとよいだろう。
参考文献
ここでは、本稿を書くにあたって直接参照したものだけでなく、盗聴法とインターネットおよび通信規制、市民運動とインターネットについて知るためのかっこうの入門書と思われるものをいくつかあげておく。- ●盗聴法批判
- 「盗聴法がやってくる」
- 「盗聴法がやってきた」(ともに現代人文社)
- 「盗聴立法批判」(村井敏邦・他/日本評論社)
- 「盗聴法がやってきた」(ともに現代人文社)
- ●インターネットと市民運動・NGO活動
- 「市民運動のためのインターネット」(栗原幸夫・小倉利丸/社会評論社)
- 「市民メディア入門」(民衆のメディア連絡会編/創風社出版)
- 「市民インターネット入門」(安田幸弘/岩波ブックレット)
- 「インターネット市民革命」(岡部一明/お茶の水書房)
- 「市民メディア入門」(民衆のメディア連絡会編/創風社出版)
- ●インターネットと通信規制
- 「警察がインターネットを制圧する日」(寺澤有編著/主婦の友社)
- ●暗号
- 「PGP 暗号メールと電子署名」(Simson Garfinkel/オライリー・ジャパン)
【本文と関連した法案の条文】
本文では、慣例的に「盗聴法」と記述したが、この法案の正式名称は「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案」である。条文中にある「傍受」という言葉はすべて「盗聴」のことである。
(目的)
第一条 この法律は、数人の共謀によって実行される殺人、身の代金目的略取、薬物及び銃器の不正取引に係る犯罪等の重大犯罪において、犯人間の相互連絡等に用いられる電話その他の電気通信の傍受を行わなければ事案の真相を解明することが著しく困難な場合が増加する状況にあることにかんがみ、これに適切に対処するため必要な刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)に規定する電気通信の傍受を行う強制の処分に関し、通信の秘密を不当に侵害することなく事案の真相の的確な解明に資するよう、その要件、手続その他必要な事項を定めることとを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「通信」とは、電話その他の電気通信であって、その伝送路の全部若しくは一部が有線(有線以外の方式で電波その他の電磁波を送り、又は受けるための電気的設備に附属する有線を除く。)であるもの又はその伝送路に交換設備があるものをいう。
3 この法律において「通信事業者等」とは、電気通信を行うための設備(以下「電気通信設備」という。)を用いて他人の通信を媒介し、その他電気通信設備を他人の通信の用に供する事業を営む者及びそれ以外の者であって自己の業務のために不特定又は多数の者の通信を媒介することのできる電気通信設備を設置している者をいう。
(必要な処分等)
第十条 通信の傍受については、電気通信設備に傍受のための機器を接続することその他の必要な処分をすることができる。
2 検察官又は司法警察員は、検察事務官又は司法警察職員に前項の処分をさせることができる。
(通信事業者等の協力義務)
第十一条 検察官又は司法警察員は、通信事業者等に対して、傍受の実施に関し、傍受のための機器の接続その他の必要な協力を求めることができる。この場合においては、通信事業者等は、正当な理由がないのに、これを拒んではならない。
(該当性判断のための傍受)
第十三条
1 外国語による通信又は暗号その他その内容を即時に復元することができない方法を用いた通信であって、傍受の時にその内容を知ることが困難なため、傍受すべき通信に該当するかどうかを判断することができないものについては、その全部を傍受することができる。この場合においては、速やかに、傍受すべき通信に該当するかどうかの判断を行わなければならない。